源氏物語 第40帖 御法(9)
葬送
源氏は、このように何もまだ変わらない様子なのに、最期の様子ははっきりしていることよと言って、袖を顔に押し当てる。夕霧も涙にくれて目も見えないのを、無理にしぼって開けて見ると、かえって見飽きず悲しいことは類なく、本当に心が乱れて死んでしまいそうである。髪がただ打ちやられている様子は、豊かで清らかで、少しも乱れた様子もなく、つやつやと美しい様子は限りない。灯火がたいそう明るいので、顔色はたいそう白く光るようで、何かと取り繕うことのあった生前の姿よりも、言うかいもなく無心に臥している様子は、欠けたところがないと言うのも言うまでもない。並々でなく類ない姿を見るにつけ、死に入る魂がそのまま亡骸にとどまってほしいと思われるのも無理なことである。仕える女房たちで正気の者もいないので、源氏が何事も分別のつかないような心を無理に静めて、最後の儀式などをする。昔も悲しいことは多く経験した身だが、これほど身にしみて自分で手を下したことはなく、過去にも未来にも類のない気がする。そのままその日に葬る。限りあることなので、亡骸を見ながら過ごすこともできないのは、つらい世の中である。はるばると広い野に所狭しと人が立ち込んで、限りなく厳かな葬儀だが、たいそうはかない煙となってほどなく空に上ってしまうのも、世の常のことだが、あっけなく悲しい。源氏は空を歩むような心地で、人に寄りかかって歩いているのを見る人々も、あれほど尊い御身がと、物の情趣を知らない下人さえ泣かない者はなかった。送りの女房たちは、まして夢路に迷う心地で、車から転げ落ちそうなのを人が世話していた。昔、夕霧の母葵の上が亡くなった時の暁を思い出すにつけても、あの時はまだ正気があったのか、月の顔がはっきり見えたのを覚えているが、今夜はただ目の前が暗く惑うばかりである。十四日に亡くなって、これは十五日の暁であった。日がたいそう華やかに昇って、野辺の露も隠れる所なく照らされ、世の中を思い続けると、いっそう厭わしくつらいので、後れて生き残ったとしても、どれほどの世を過ごせようか、この悲しさの紛れに昔からの出家の本意も遂げたいと思うが、心弱いと後で非難されることを思うと、この期間を過ごしてからにしようとするにつけても、胸がせき上げて耐えがたい。

- 1「「「かくかくかく何何なに事事ごともももまだまだまだ變變かわらららぬぬぬ氣色氣色けしきながらながらながら限限かぎりりりのののさまさまさまはははしるかりしるかりしるかりけるけるけるこそこそこそ」」」とてとてとて御御おん袖袖そでををを顏顏かおにににおしおしおしあてあてあて給給たまへへえるるる程程ほど、、、大大だい將將しょうののの君君きみももも淚淚なみだにににくれくれくれててて目目めももも見見みえええ給給たまははわぬぬぬをををしひてしひてしいてしぼりしぼりしぼりあけあけあけててて見見み奉奉たてまつるるるににに、、、なかなかなかなかなかなか飽飽あかかかずずず悲悲かなしきしきしき事事ことたぐひたぐひたぐいなきなきなきににに誠誠まことににに心心こころまどひまどひまどいもももしししぬぬぬべしべしべし。。。御御おん髮髮ぐしののの唯唯ただうちうちうちやらやらやられれれ給給たまへへえるるる程程ほどこちたくこちたくこちたくきよらきよらきよらにてにてにてつゆつゆつゆばかりばかりばかり亂亂みだれれれたるたるたる氣色氣色けしきもももなうなうのう艶艶つや々々つやととと美美うつくしげしげしげなるなるなるさまさまさまぞぞぞかぎりかぎりかぎりなきなきなき。。。火火ひのののいといといとあかきあかきあかきににに御御おん色色いろはははいといといとしろくしろくしろく光光ひかるるるやうやうようにてにてにてとかくとかくとかくうちうちうちまぎらはすまぎらはすまぎらわす事事ことありありありししし、、、うつゝうつゝうつつののの御御おんもてなしもてなしもてなしよりよりよりもももいふかひいふかひいうかいなきなきなきさまさまさまににに何何なに心心ごころなくなくなくててて臥臥ふししし給給たまへへえるるる御御おん有有あり樣樣さまののの飽飽あかかかぬぬぬ所所ところなしなしなしととといはいはいわむむんももも更更さらなりなりなりややや。。。なのめなのめなのめにににだにだにだにあらあらあらずずずたぐひたぐひたぐいなきなきなきををを見見み奉奉たてまつるるるににに、、、死死しにににいるいるいるたましひたましひたましいのののやがてやがてやがてこのこのこの御御おんからからからにににとまらとまらとまらむむんとととおもほゆるおもほゆるおもおゆるもももわりなきわりなきわりなきことことことなりなりなりややや。。。仕仕つかうまつりうまつりうまつりたるたるたる女房女房にょうぼうなどなどなどののの物物ものおもほゆるおもほゆるおもおゆるもももなけれなけれなければばば、、、院院いんぞぞぞ何何なに事事ごともももおぼしおぼしおぼしわかわかわかれれれずずずおぼさおぼさおぼさるゝるゝるる御御おん心心こころちちちをををあながちあながちあながちにににしづめしづめしずめ給給たまひひいててて限限かぎりりりののの御御おんことことことゞゞどもももししし給給たまふふう。。。いにしへいにしへいにしえももも悲悲かなしししとととおぼすおぼすおぼすことことことももも數數あま多多た見見み給給たまひひいししし御御おん身身みなれなれなれどどど、、、いといといとかうかうこうおりおりおりたちたちたちてててはははまだまだまだ知知しりりり給給たまははわざりざりざりけるけるけることことことををを、、、すべてすべてすべてきききしししかたかたかた行行ゆくくくすゑすゑすえたぐひたぐひたぐいなきなきなき心心こころちちちししし給給たまふふう。。。
- 2やがてやがてやがてそのそのその日日ひとかくとかくとかくをさめをさめおさめ奉奉たてまつるるる。。。限限かぎりりりありありありけるけるける事事ことなれなれなればばばからからからををを見見みつゝつゝつつもももえええ過過すぐしぐしぐし給給たまふふうまじかりまじかりまじかりけるけるけるぞぞぞ心心こころうきうきうき世世よののの中中なかなりなりなりけるけるける。。。はるばるはるばるはるばるととと廣廣ひろききき野野のののの所所ところもももなくなくなく立立たちちちこみこみこみててて限限かぎりりりなくなくなくいかめしきいかめしきいかめしきさほふさほふさほうなれなれなれどどどいといといとはかなきはかなきはかなき烟烟けぶりにてにてにて程程ほどなくなくなくのぼりのぼりのぼり給給たまひひいぬるぬるぬるももも例例れいののの事事ことなれなれなれどどどあへなくあへなくあえなくいみじいみじいみじ。。。空空そらをををあゆむあゆむあゆむ心心こころちちちしししててて人人ひとにににかゝりかゝりかかりてててぞぞぞおはしましおはしましおわしましけるけるけるををを見見み奉奉たてまつるるる人人ひともももさばかりさばかりさばかりいつかしきいつかしきいつかしき御御おん身身みをををととと、、、物物ものののの心心こころしらしらしらぬぬぬげすげすげすさへさへさへ泣泣なかかかぬぬぬはははなかりなかりなかりけりけりけり。。。御御おんおくりおくりおくりののの女房女房にょうぼうはははましてましてまして夢夢ゆめ路路じにににまどふまどふまどう心心こころちちちしししててて車車くるまよりよりよりもももまろびまろびまろび落落おちちちぬぬぬべきべきべきをををぞぞぞもてもてもてあつかひあつかひあつかいけるけるける。。。昔昔むかし大大だい將將しょうののの君君きみののの御御おん母母はは君君ぎみうせうせうせ給給たまへへえりりりししし時時ときののの曉曉あかつきををを思思おもひひい出出いづるづるずるにににもももかれかれかれははは猶猶なお物物もののののおぼえおぼえおぼえけるけるけるにににややや、、、月月つきのののかほかほかおのののあきらかあきらかあきらかににに覺覺おぼえええしししををを今今こ夜夜よいははは唯唯ただくれくれくれ惑惑まどひひい給給たまへへえるるる。。。十十じゅう四四よ日日かにににうせうせうせ給給たまひひいてててこれこれこれははは十十じゅう五五ご日日にちののの曉曉あかつきなりなりなりけりけりけり。。。日日ひはははいといといと花花はなやかやかやかにににさしさしさしあがりあがりあがりててて野野の邊邊べののの露露つゆもももかくれかくれかくれたるたるたるくまくまくまなくなくなくててて世世よののの中中なかおぼしおぼしおぼしつゞくるつゞくるつづくるにににいとゞいとゞいとどいとはしくいとはしくいとわしくいみじけれいみじけれいみじければばば、、、おくるおくるおくるとてとてとてもももいくいくいく世世よかかかはははふふふべきべきべき。。。かゝるかゝるかかる悲悲かなしさしさしさのののまぎれまぎれまぎれににに昔昔むかしよりよりよりののの御御おんほほほ意意いももも遂遂とげげげまほしくまほしくまほしくおもほせおもほせおもおせどどど、、、心心こころよわきよわきよわき後後のちのののそしりそしりそしりをををおぼせおぼせおぼせばばばこのこのこの程程ほどををを過過すぐさぐさぐさむむんとととししし給給たまふふうににに胸胸むねのののせきせきせきあぐるあぐるあぐるぞぞぞ堪堪たへへえがたかりがたかりがたかりけるけるける。。。
現代語訳
源氏は「このように何事もまだ変わらない様子なのに、最期の様子ははっきりしていることよ」と言って、御袖をお顔に押し当てていらっしゃる間、大将の君(夕霧)も涙にくれて目もお見えにならないのを、無理にしぼるように開けて拝見すると、かえって見飽きず悲しいことは類ないので、本当に心が乱れて死んでしまいそうである。御髪がただ打ちやられていらっしゃる様子は、豊かで清らかで、少しも乱れた様子もなく、つやつやと美しい様子は限りない。灯火がたいそう明るいので、お顔の色はたいそう白く光るようで、何かと取り繕うことのあった生前のお振る舞いよりも、言うかいもなく無心に臥していらっしゃるご様子は、欠けたところがないと言うのも言うまでもないことよ。並々でなく類ないお姿を拝見するにつけ、死に入りそうな自分の魂が、そのままこの御亡骸にとどまってほしいと思われるのも、無理なことであるよ。仕えていた女房などで正気の者もいないので、院(源氏)が、何事も分別がおつきにならないように思われるお心を、無理にお静めになって、最後の御儀式などをなさる。昔も悲しいとお思いになることは多くご経験なさった御身だが、これほど身にしみて、ご自分で手を下しては、まだご存じなかったことなので、すべて過去にも未来にも類のない心地がなさる。
そのままその日のうちに、あれこれと葬り申し上げる。限りあることなので、亡骸を見ながら過ごしていらっしゃることもできないのが、つらい世の中であった。はるばると広い野に所狭しと人が立ち込んで、限りなく厳かな葬儀の作法だが、たいそうはかない煙となって、ほどなく空に上っておしまいになったのも、世の常のことではあるが、あっけなく悲しい。源氏は空を歩むような心地がして、人に寄りかかっていらっしゃったのを拝見する人々も、あれほど尊い御身なのにと、物の情趣を知らない下人さえ泣かない者はなかった。お見送りの女房たちは、まして夢路に迷う心地で、車から転げ落ちてしまいそうなのを、人々が世話していた。昔、大将の君(夕霧)の御母君(葵の上)がお亡くなりになった時の暁を思い出しなさるにつけても、あの時はまだ正気があったのだろうか、月の顔がはっきりと見えたのを覚えているが、今夜はただ目の前が暗く惑っていらっしゃる。十四日にお亡くなりになって、これは十五日の暁であった。日がたいそう華やかに昇って、野辺の露も隠れる所もなく照らされ、世の中をお思い続けになると、いっそう厭わしくつらいので、後れて生き残ったとしても、どれほどの世を過ごせようか。この悲しさの紛れに、昔からの出家のご本意も遂げたいとお思いになるが、心弱いと後で非難されることをお思いになると、この期間を過ごしてからにしようとなさるにつけても、胸がせき上げてくるのが耐えがたいのであった。
意訳
源氏と夕霧は紫の上の美しい死に顔を見つめ、源氏は心を静めて最後の儀式を行う。
紫の上はその日のうちに葬られ、はかない煙となる。源氏は人に寄りかかって歩き、出家を思うが、心弱いと非難されるのを恐れてこらえる。
語釈・文法注
文法
- 「おりたつ」(いとかうおりたちてはまだ知り給はざりける)
- 自ら直接関わる、身にしみて経験する。
- 「さほふ」(限りなくいかめしきさほふなれど)
- 作法。葬儀の儀式。
- 「月のかほ」(月のかほのあきらかに覺えしを)
- 月の面。葵の上の葬送の時に見た月を思い出す。
解説
紫の上の死に顔は、生前よりも美しく描かれる。灯火に照らされた白い顔と、乱れのない黒髪。源氏と夕霧は、その美しさに見入る。死によって紫の上は、この世の煩いから解放された、完全な美しさを得たのである。
葬送の描写は簡潔で、はかない煙となって空に上る紫の上の姿が、深い喪失感を伝える。かつて葵の上の死の時には月を見る余裕があった源氏が、今は目の前が暗く惑うばかりである。源氏にとって紫の上の死が、いかに大きな喪失であったかが示されている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、820–821頁(コマ121)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日