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源氏物語 第40帖 御法(3)

供養の舞楽

登場人物:紫の上・花散里

夜通し、尊い読経に合わせた鼓の音が絶えず趣深い。ほのぼのと明けていく朝ぼらけに、霞の間から見える花の色々が、やはり春に心がとまりそうに匂いわたり、百千鳥のさえずりも笛の音に劣らない心地がして、物の哀れも趣も極まった頃に、陵王の舞が急になる終わりの方の楽が華やかに賑わしく聞こえ、人々が禄として脱いで掛けた衣の色々なども、折柄美しく見える。親王たちや上達部の中でも名手たちが、技を尽くして演奏する。身分の上下を問わず心地よさそうに興じている様子を見るにつけても、余命少ないと我が身を思っている紫の上の心には、万事が哀れに思われる。昨日いつになく起きていた名残か、たいそう苦しくて臥している紫の上は、長年このような折ごとに集まって遊ぶ人々の容貌や有様、それぞれの才能や琴笛の音も、今日聞くのが最後だろうかとばかり思うので、それほど目にとまらないはずの人の顔も哀れに見渡される。まして夏冬の折々の遊びにも、何となく競い合う心は自然と交じっていただろうが、さすがに情けを交わしてきた御方々は、誰も久しくこの世にとどまれるわけではないが、まず自分一人が行方も知れずに消えていくのだと思い続けるのが、たいそう哀れである。法会が終わって、人々がそれぞれ帰っていこうとするのも、永遠の別れのようで名残惜しい。花散里に、絶えてしまいそうな私の命の最後の法会だが、来世まで結ぶ二人の契りは頼もしく思われますと詠むと、花散里は、結んでおいた契りは絶えないでしょう、残り少ない法会であっても、と返す。そのままこの機会に、不断の読経や懺法など尊い仏事を怠りなく行わせる。修法は格別の効き目も見えずに日が経つので、いつものことになって、然るべき寺々で引き続き行わせた。

明け方の二条院で、桜の花を背に陵王が舞われ、集まった人々が見守っている場面(AI生成)
明け方の二条院で、桜の花を背に陵王が舞われ、集まった人々が見守っている場面
  1. 1夜よ夜よよもすがらもすがらもすがらたふときたふときとうときことことことにににうちうちうちあはせあはせあわせたるたるたる鼓つゞみ鼓つゞみつづみののの聲こゑ聲こゑこえ絕た絕たたえええずずずおもしろしおもしろしおもしろし。。。ほのぼのほのぼのほのぼのととと明あ明ああけけけ行ゆ行ゆゆくくく朝あさ朝あさあさぼらけぼらけぼらけ、、、霞かすみ霞かすみかすみののの間ま間ままよりよりより見み見みみえええたるたるたる花はな花はなはなのののいろいろいろいろいろいろ猶なほ猶なほなお春はる春はるはるににに心こころ心こころこころとまりとまりとまりぬぬぬべくべくべく匂にほ匂にほにおひひいわたりわたりわたりててて百もゝ百もゝもも千ち千ちち鳥どり鳥どりどりのののさへづるさへづるさえずるももも笛ふえ笛ふえふえののの音ね音ねねににに劣おと劣おとおとらららぬぬぬ心こころ心こころこころちちちしししててて物もの物ものものののの哀あはれ哀あはれあわれもももおもしろさおもしろさおもしろさももも殘のこ殘のこのこらららぬぬぬ程ほど程ほどほどににに、、、陵りよう陵りようりょう王わう王わうおうののの舞ま舞ままひひいててて急きふ急きふきゅうににになるなるなる程ほど程ほどほどののの末すゑ末すゑすえつかたつかたつかたののの樂がく樂がくがく花はな花はなはなやかやかやかににに賑にぎ賑にぎにぎはゝしくはゝしくわわしく聞きこ聞きこきこゆるゆるゆるににに、、、皆みな皆みなみな人ひと人ひとひとのののぬぎぬぎぬぎかけかけかけたるたるたる物もの物ものもののののいろいろいろいろいろいろなどなどなどももも物もの物ものものののの折をり折をりおりからからからにににをかしうをかしうおかしゅうのみのみのみ見み見みみゆゆゆ。。。みみみ子こ子ここ達たち達たちたち上達部かんだちめ上達部かんだちめかんだちめののの中なか中なかなかにににももも、、、物もの物ものものののの上じやう上じやうじょう手ず手ずずどもどもども手て手ててのこさのこさのこさずずず遊あそ遊あそあそびびび給たま給たまたまふふう。。。かみかみかみしもしもしも心こころ心こころこころちちちよげよげよげににに興きよう興きようきょうあるあるある氣色けしき氣色けしきけしきどもどもどもなるなるなるををを見み見みみ給たま給たまたまふふうにににももものこりのこりのこり少すこ少すこすこしししととと身み身みみをををおぼしおぼしおぼしたるたるたる御心みこころ御心みこころみこころのののうちうちうちにににははは萬よろづ萬よろづよろずののの事こと事ことこと哀あはれ哀あはれあわれにににおぼえおぼえおぼえ給たま給たまたまふふう。。。昨日きのふ昨日きのふきのう例れい例れいれいならならならずずず起お起おおききき居ゐ居ゐいさせさせさせ給たま給たまたまへへえりりりししし名な名なな殘ごり殘ごりごりにににやややいといといと苦くる苦くるくるしうしうしゅうててて臥ふ臥ふふししし給たま給たまたまへへえるるる、、、年とし年としとし比ごろ比ごろごろかゝるかゝるかかる物もの物ものものののの折をり折をりおりごとごとごとににに參まゐ參まゐまいりりりつどひつどひつどい遊あそ遊あそあそびびび給たま給たまたまふふう人々ひとびと人々ひとびとひとびとののの御おん御おんおんかたちかたちかたち有あり有ありあり樣さま樣さまさまのののおのおのおのがががじゝじゝじしののの才ざえ才ざえざえどもどもども琴こと琴ことこと笛ふえ笛ふえふえののの音ね音ねねをををももも今け今けけ日ふ日ふきょうややや聞き聞ききききき給たま給たまたまふふうべきべきべきとぢめとぢめとじめならならならむむんとととのみのみのみおぼさおぼさおぼさるれるれるればばば、、、さしもさしもさしも目め目めめとまるとまるとまるまじきまじきまじき人ひと人ひとひとののの顏かほ顏かほかおどもどもどもゝゝも哀あはれ哀あはれあわれににに見み見みみ渡わた渡わたわたささされれれ給たま給たまたまふふう。。。
  2. 2ましてましてまして夏なつ夏なつなつ冬ふゆ冬ふゆふゆののの時とき時ときときにににつけつけつけたるたるたる遊あそ遊あそあそびびび戯たは戯たはたわぶれぶれぶれにににもももなまなまなまいどましきいどましきいどましきしたしたしたののの心こころ心こころこころはははおのづからおのづからおのずから立た立たたちちちまじりまじりまじりもももすすすらめらめらめどどど、、、さすがさすがさすがににに情なさけ情なさけなさけをををかはしかはしかはし給たま給たまたまふふう方かた方かたかた々がた々がたがたははは誰たれ誰たれたれももも久ひさ久ひさひさしくしくしくとまるとまるとまるべきべきべき世よ世よよにににはははあらあらあらざざざなれなれなれどどど、、、まづまづまず我わ我わわひとりひとりひとり行ゆ行ゆゆくくくへへへしらしらしらずずずなりなりなりなななむむんをををおぼしおぼしおぼしつゞくるつゞくるつづくるいみじういみじういみじゅう哀あはれ哀あはれあわれなりなりなり。。。ことことことはてはてはてゝゝておのおのおのがががじゝじゝじし歸かへ歸かへかえりりり給たま給たまたまひひいなななむむんとととするするするももも遠とほ遠とほとおきききわかれわかれわかれめきめきめきてててをしまるをしまるおしまる。。。花はな花はなはな散ちる散ちるちる里さと里さとさとののの御おん御おんおんかたかたかたににに、、、「「「絕た絕たたえええぬぬぬべきべきべき御み御みみ法のり法のりのりながらながらながらぞぞぞたのまるゝたのまるゝたのまるる世よ世よよ々よ々よよにににととと結むす結むすむすぶぶぶ中なか中なかなかのののちぎりちぎりちぎりををを」」」。。。御おん御おんおんかへりかへりかえり、、、「「「結むす結むすむすびびびおくおくおくちぎりちぎりちぎりははは絕た絕たたえええじじじ大おほ大おほおおかたかたかたののののこりのこりのこりすくなきすくなきすくなきみのりみのりみのりなりなりなりともともとも」」」。。。やがてやがてやがてこのこのこのついでついでついでににに不ふ不ふふ斷だん斷だんだんののの讀ど讀どど經きやう經きやうきょう懺せん懺せんせん法ぼふ法ぼふぼうなどなどなどたゆみたゆみたゆみなくなくなく尊たふと尊たふととうとききき事こと事ことことどもどもどもをををせせせさせさせさせ給たま給たまたまふふう。。。御おん御おんおんずずず法ほふ法ほふほうはははことことことなるなるなるしるししるししるしももも見み見みみえええででで程ほど程ほどほど經へ經へへぬれぬれぬればばば、、、例れい例れいれいののの事こと事ことことににになりなりなりてててうちうちうちはへはへはえさるさるさるべきべきべき所ところ所ところところ々どころ々どころどころ寺てら寺てらてら々でら々でらでらにてにてにてぞぞぞせせせさせさせさせ給たま給たまたまひひいけるけるける。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

一晩中、尊い読経に合わせて打つ鼓の音が絶えず、趣深い。ほのぼのと明けていく朝ぼらけ、霞の間から見えている花の色々が、やはり春に心がとまってしまいそうに匂いわたって、百千鳥のさえずるのも笛の音に劣らない心地がして、物の哀れも趣も残るところなく極まった頃に、陵王の舞が急になるところの終わりの方の楽が、華やかに賑わしく聞こえるので、人々が皆、禄として脱いで掛けた衣の色々なども、折柄美しくばかり見える。親王たちや上達部の中でも、楽の名手たちが技を残さず演奏なさる。身分の上下の人々が心地よさそうに興じている様子をご覧になるにつけても、余命少ないと我が身をお思いになっている紫の上のお心の内では、万事が哀れに思われなさる。昨日いつになく起きていらっしゃった名残だろうか、たいそう苦しくて臥していらっしゃる紫の上は、長年このような催しの折ごとに集まって遊びなさる人々のお顔立ちや有様、それぞれの才能や琴笛の音も、今日お聞きになるのが最後なのだろうかとばかりお思いになるので、それほど目にとまるはずもない人の顔々も、哀れに見渡されなさる。

まして夏冬の季節につけた遊びや戯れにも、何となく競い合う下心は自然と立ち交じりもしただろうけれど、さすがに情けを交わしていらっしゃる御方々は、誰も久しくとどまれる世ではないようだが、まず自分一人が行方も知れずに消えていくのだとお思い続けになるのは、たいそう哀れである。法会が終わって、人々がそれぞれお帰りになろうとするのも、遠い別れのように名残惜しく思われる。花散里の御方に、「絶えてしまいそうな私の命の最後の御法会ですが、来世までもと結ぶ二人の仲の契りは、頼もしく思われます」。お返事、「結んでおいた契りは絶えないでしょう。だいたい残り少ない人の世の御法会であっても」。そのままこの機会に、不断の読経や懺法など、怠りなく尊い仏事をおさせになる。御修法は格別の効き目も見えずに日が経ったので、いつものことになって、引き続き然るべき所々の寺々でおさせになった。

意訳

明け方の花と霞の中で陵王が舞われ、紫の上は、人々の姿や楽の音を聞くのもこれが最後かと哀れに思う。

紫の上は花散里と来世の契りを詠み交わし、法会の後も読経などを続けさせる。

語釈・文法注

文法

「百千鳥」(百千鳥のさへづるも)
多くの鳥。春のさまざまな小鳥。
「陵王」(陵王の舞ひて急になる程の)
雅楽の舞曲。「急」はその終わりの速い部分。
「懺法」(不斷の讀經懺法など)
罪を懺悔する法会。法華懺法。

解説

法会の明け方の情景は、源氏物語の中でも最も美しい場面の一つである。霞の中の花、百千鳥のさえずり、陵王の舞。この世の美しさの極みの中で、紫の上は、これを見るのも最後かと思う。美しいものへの惜別の思いが、静かに描かれている。

かつては互いに競い合う心もあった六条院の女性たちと、紫の上は今、情けを交わし合う。花散里との歌の贈答は、来世への希望と、この世の別れとを重ねている。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、814–815頁(コマ118)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日