源氏物語 第40帖 御法(2)
法華経千部供養
紫の上は長年私的な願として書かせた法華経千部を、急いで供養する。自分の邸と思う二条院で行う。七僧の法服など身分に応じて与える。布の色や縫い目をはじめ、清らかなことこの上ない。万事たいそう盛大な法会である。紫の上は大げさな様子で源氏にも相談しなかったので、源氏は詳しいことも知らなかったが、女の考えとしては深く、仏道にまで通じている心のほどを、源氏はこの上なくすばらしいと見て、大方の設営などだけを営ませた。楽人や舞人のことは夕霧が特に奉仕する。帝、春宮、后の宮たちをはじめ、御方々があちこちから誦経や捧げ物などを寄せるだけでも所狭いのに、まして当時この準備に奉仕しない所はないので、たいそう盛大である。いつの間にこれほどいろいろと用意していたのだろう、なるほど長い年月を経た願だったのだと見える。花散里や明石の御方も来ている。紫の上は南東の戸を開けている。寝殿の西の塗籠であった。北の廂に御方々の局が襖だけを隔てて設けてある。三月十日なので花盛りで、空の様子もうららかで趣深く、仏のいる極楽の有様も遠からず思いやられて、格別深い信心のない人でさえ罪が消えてしまいそうである。薪の行道の声が大勢集まって響くのもおどろおどろしいが、それが静まった時でさえ哀れに思われるのに、まして紫の上はこの頃は何につけても心細くばかり思い知られる。明石の御方に、三の宮(匂宮)を使いにして、惜しくもないこの身だが、これが最後と薪の尽きるように命が尽きることの悲しさよと詠む。明石の返事は、心細い筋の歌では後の評判も気が利かないと思ったのか、さりげない様子で、薪を伐る法会の思いは今日を始めとして、この世で願う仏法の道ははるかに続くでしょうと返す。

- 1年年とし比比ごろわたくしわたくしわたくしののの御御おん願願がんにてにてにて書書かかかかせせせ奉奉たてまつりりり給給たまひひいけるけるける法法ほ華華け經經きょう千千せん部部ぶ急急いそぎぎぎててて供供く養養ようししし給給たまふふう。。。我我わががが御御おん殿殿とのとととおぼすおぼすおぼす二二に條條じょう院院いんにてにてにてぞぞぞししし給給たまひひいけるけるける。。。七七しち僧僧そうののの法法ほう服服ぶくなどなどなどしなじなしなじなしなじな給給たまはすはすわす。。。物物ものののの色色いろ縫縫ぬひひい目目めよりよりよりはじめはじめはじめててて淸淸きよらなるらなるらなる事事ことかぎりかぎりかぎりなしなしなし。。。大大おおかたかたかた何何なに事事ごともももいといといといかめしきいかめしきいかめしきわざわざわざどもどもどもをををせせせられられられたりたりたり。。。ことごとしきことごとしきことごとしきさまさまさまにににももも聞聞きこえええ給給たまははわざりざりざりけれけれければばば委委くわしきしきしき事事ことどもどもどもゝゝもしらせしらせしらせ給給たまははわざりざりざりけるけるけるににに、、、女女おんなののの御御おんおきておきておきてにににはははいたりいたりいたりふかくふかくふかく佛佛ほとけののの道道みちにににさへさへさへ通通かよひひい給給たまひひいけるけるける御心御心みこころののの程程ほどををを、、、院院いんはははいといといと限限かぎりなしなしなしととと見見み奉奉たてまつりりり給給たまひひいててて大大おお方方かたののの御御おんしつらひしつらひしつらい何何なにかかかののの事事ことばかりばかりばかりをををなむなむなん營營いとなままませせせ給給たまひひいけるけるける樂樂がく人人にん舞舞まい人人びとなどなどなどのののことことことははは大大だい將將しょうののの君君きみとりわきとりわきとりわきててて仕仕つかうまつりうまつりうまつり給給たまふふう。。。內內うち、、、春春とう宮宮ぐう、、、きさいきさいきさいののの宮宮みや達達たちをををはじめはじめはじめ奉奉たてまつりりりててて御御おん方方かた々々がたこゝかしここゝかしこここかしこににに御御おん誦誦ず經經きょうほうもちほうもちほうもちなどなどなどばかりばかりばかりののの事事ことをををうちうちうちししし給給たまふふうだにだにだに所所ところせきせきせきににに、、、ましてましてましてそのそのその比比ころこのこのこの御御おんいそぎいそぎいそぎををを仕仕つかうまつらうまつらうまつらぬぬぬ所所ところなけれなけれなければばばいといといとこちたきこちたきこちたき事事ことどもどもどもありありあり。。。いついついつののの程程ほどにににいといといとかくかくかくいろいろいろいろいろいろおぼしおぼしおぼしまうけまうけもうけゝゝけむむん、、、げにげにげにいそのかみいそのかみいそのかみののの世世よ々々よををを經經へたるたるたる御御おん願願がんにににやややとととぞぞぞ見見みえええたるたるたる。。。
- 2花花はな散散ちる里里さとととと聞聞きこえええししし御御おん方方かた、、、明明あか石石しなどなどなどももも渡渡わたりりり給給たまへへえりりり。。。南南みなみ東東ひんがしののの戶戶とをををあけあけあけててておはしますおはしますおわします。。。寢寢しん殿殿でんののの西西にしののの塗塗ぬり籠籠ごめなりなりなりけりけりけり。。。北北きたののの廂廂ひさしににに方方かた々々がたののの御御おん局局つぼねどもどもどもはははさうじさうじそうじばかりばかりばかりをををへだてへだてへだてつゝつゝつつしししたりたりたり。。。やよひやよひやよいののの十十とお日日かなれなれなればばば花花はな盛盛ざかりにてにてにて空空そらののの景景け色色しきなどなどなどもももうらゝかうらゝかうららかににに物物ものおもしろくおもしろくおもしろく、、、佛佛ほとけのののおはすおはすおわすなるなるなる處處ところののの有有あり樣樣さま遠遠とおからからからずずず思思おもひひいやらやらやられれれててて、、、ことことことなるなるなる深深ふかききき心心こころもももなきなきなき人人ひとさへさへさへ罪罪つみををを失失うしなひひいつつつべしべしべし。。。薪薪たきこるこるこるさんだんさんだんさんだんののの聲聲こえもももそこらそこらそこらつどひつどひつどいたるたるたるひゞきひゞきひびきおどろおどろしきおどろおどろしきおどろおどろしきををを、、、うちうちうち休休やすみみみてててしづまりしづまりしずまりたるたるたる程程ほどだにだにだに哀哀あわれにににおぼさおぼさおぼさるゝるゝるるををを、、、ましてましてましてこのこのこの比比ごろとととなりなりなりててて何何なに事事ごとにににつけつけつけてててももも心心こころぼそくぼそくぼそくのみのみのみおぼしおぼしおぼししるしるしる。。。明明あか石石しののの御御おん方方かたににに三三さむ宮宮のみやしししててて聞聞きこえええたまへたまへたまえるるる。。。「「「をしからをしからおしからぬぬぬこのこのこの身身みながらながらながらもももかぎりかぎりかぎりとてとてとて薪薪たきぎつきつきつきなななむむんことことことのののかなしさかなしさかなしさ」」」。。。御御おんかへりかへりかえり心心こころぼそきぼそきぼそきすぢすぢすじははは後後のちののの聞聞きこえええももも心心こころおくれおくれおくれたるたるたるわざわざわざにににややや、、、そこはかとそこはかとそこはかとなくなくなくぞぞぞあああめるめるめる。。。「「「薪薪たきこるこるこるおもひおもひおもいはははけふけふきょうをををはじめはじめはじめにてにてにてこのこのこの世世よにににねがふねがふねがう法法のりぞぞぞはるけきはるけきはるけき」」」。。。
現代語訳
紫の上は、長年私的な御願として書かせ申し上げなさった法華経千部を、急いで供養なさる。ご自分の御殿とお思いの二条院でなさったのであった。七僧の法服など、身分に応じてお与えになる。布の色や縫い目をはじめとして、清らかなことこの上ない。大方、何事もたいそう盛大な法会をなさった。紫の上は大げさな様子でも源氏に申し上げなさらなかったので、源氏は詳しいことなどもご存じなかったが、女のお考えとしては深く、仏の道にまで通じていらっしゃったお心のほどを、院(源氏)はたいそうこの上ないと見申し上げなさって、大方の設営などのことだけを営ませなさった。楽人や舞人などのことは、大将の君(夕霧)が特別にお仕えなさる。帝、春宮、后の宮たちをはじめ申し上げて、御方々があちこちから、御誦経や捧げ物などばかりのことをなさるだけでも所狭いのに、まして当時この準備にお仕えしない所はなかったので、たいそう大がかりな催しである。いつの間に、これほどいろいろとご準備なさっていたのだろう、なるほど石上の古くから長い年月を経た御願なのだろうかと見えた。
花散里と申し上げた御方や、明石の御方なども来ていらっしゃった。紫の上は南東の戸を開けていらっしゃる。寝殿の西の塗籠であった。北の廂に、御方々の御局が、襖だけを隔てて設けてあった。三月の十日なので花盛りで、空の様子などもうららかで何となく趣深く、仏のいらっしゃるという極楽の有様も遠からず思いやられて、格別深い信心もない人でさえ、罪が消えてしまいそうである。薪を伐る讃歎の声が、大勢集まって響くのもおどろおどろしいが、それが休んで静まった時でさえ哀れに思われるのに、まして紫の上はこの頃となっては、何事につけても心細くばかり思い知られる。明石の御方に、三の宮(匂宮)を使いにして申し上げなさった。「惜しくもないこの身ですが、これが最後と、薪が尽きるように命が尽きてしまうことの悲しさよ」。お返事は、心細い筋の歌では、後の評判も気が利かないことになるだろうかと思ったのか、さりげない様子であるようだ。「薪を伐る法会の思いは、今日を始めとして、この世で願う仏法の道ははるかに続くことでしょう」。
意訳
紫の上は二条院で法華経千部の供養を盛大に営み、源氏はその深い道心に感嘆する。
三月の花盛りの法会で、紫の上は明石の御方に命の尽きる悲しさを詠み、明石はさりげなく仏法の道の長さを詠んで返す。
語釈・文法注
文法
- 「いそのかみ」(げにいそのかみの世々を經たる御願にや)
- 石上。「古る」にかかる枕詞から、古いことをいう。
- 「薪こるさんだん」(薪こるさんだんの聲も)
- 法華経供養の行道で唱える讃歎の歌。「法華経を我が得しことは薪こり菜摘み水汲み仕へてぞ得し」。
- 「薪つきなむ」(かぎりとて薪つきなむことのかなしさ)
- 釈迦の入滅を「薪尽きて火の滅するがごとし」とする法華経の表現による。命の尽きることをいう。
解説
紫の上が私的な願として法華経千部を書かせていたことを、源氏は知らなかった。紫の上の深い道心に源氏は感嘆する。紫の上は、この供養を自分の最後の大事業として営んだのである。
花盛りの法会は、極楽を思わせる美しさに満ちている。その中で紫の上は、明石の御方に命の尽きる悲しさを詠む。かつての競争相手であった明石との歌の贈答は、静かな和解と別れの挨拶でもある。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、812–815頁(コマ117–118)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日