源氏物語 第39帖 夕霧(38)
花散里と夕霧
夕霧は六条院に行って休む。東の上(花散里)は、一条宮をお移しになったと、致仕の大臣の辺りで噂されているが、どういうことかと、たいそうおっとりと言う。御簾に几帳を添えてあるが、横からほのかに姿が見える。夕霧は、そのように人が言いなすのももっともなことです、亡き御息所はたいそう気丈に、あってはならないことと言い放たれましたが、最期の時に心が弱って、ほかに任せる人がいないのが悲しかったのでしょう、死後の後見をというようなことがありましたので、もとからの志もあったことで、このように思うようになったのを、人はさまざまにどう取りざたするでしょう、そうでないことも妙に人は口さがないものですと笑いながら、あの宮本人が、やはり世に生きていまいと深く思い立って、尼になろうと思い詰めておられるようなので、何もあちこちで聞き苦しいこともないのですが、そのように嫌疑を離れても、またあの遺言は違えまいと思って、ただこのようにお世話しているのです、源氏の院がおいでになった時にも、ついでがあればこのように伝えてください、長年たって気に入らない心を使うとお思いになり言われるのを遠慮していましたが、本当にこうした方面では、人の諫めにも自分の心にも従わないものでしたと、ひそかに申し上げる。花散里は、人の偽りかと思っていたが、本当にそういう事情があるご様子なのですね、皆世の常のことですが、三条の姫君(雲居の雁)のお気持ちが気の毒です、のんびりと慣れていらしたのにと言うと、夕霧は、かわいらしくおっしゃる姫君ですね、たいそう鬼のような性悪ですよと言って、どうしてあの人をおろそかに扱いましょう、恐れ多いが、六条院の御方々の有様でも推し量ってください、穏やかなのが人の最後には頼りになるようです、口うるさく口やかましいのも、しばらくは何となく煩わしく遠慮されることもあるが、それにばかり従っていられないので、事が乱れ出てしまった後は、自分も相手も憎らしく飽き飽きする、やはり南の御殿の紫の上のお心遣いは何かとありがたく、それからこの御方(花散里)のお心などがすばらしいと見届けましたなどとほめる。花散里は笑って、例に引き出されるにつけて、私の人並みでない評判が表れてしまいそう、さておかしいのは、院がご自分の癖を人が知らないように、少し浮気なあなたの心遣いをたいそうなことと思って戒め申し上げ、陰口にも言っておられるようなのが、賢ぶる人が自分のことを知らないように思われますと言うので、夕霧は、そのとおりいつもこの方面を戒めておっしゃいます、そうでなくても、賢いお教えがなくても、たいそうよく慎んでいる心なのにと、本当におかしいと思う。

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現代語訳
夕霧は六条院においでになって休みなさる。東の上(花散里)は「一条の宮をお移し申し上げなさったと、あの大殿(致仕の大臣)の辺りなどで噂されていますが、どういうことなのですか」と、たいそうおっとりとおっしゃる。御簾に御几帳を添えてあるが、横からほのかには、やはりお姿が拝見される。夕霧は「そのようにも、やはり人が言いなすにちがいないことでございます。亡き御息所はたいそう気丈に、あってはならないことと言い放ちなさったけれど、最期の様子でお心が弱られたうえに、またお任せできる人のいないのが悲しかったのでしょう。死後の後見にというようなことがございましたので、もとからの志もございましたことで、このように思うようになりましたのを、人はさまざまにどう取りざたするでしょうね。それほどでもないことを、妙に人は口さがないものです」と笑いながら、「あの宮ご本人が、やはり世に生きていまいと深く思い立って、尼になってしまおうと思い詰めていらっしゃるようですので、何もあちこちで聞き苦しいこともないのですが、そのように嫌疑から離れても、またあの遺言は違えまいと存じまして、ただこのようにお世話しているのです。院(源氏)がおいでになった時にも、事のついでがございましたら、このようにお伝えください。長年たってから、気に入らない心を使うとお思いになり、おっしゃるだろうことを遠慮しておりましたが、本当にこのような方面では、人の諫めにも、自分の心にも従わないようでございました」と、ひそかに申し上げなさる。
花散里は「人の偽りかと思っておりましたが、本当にそのような事情のあるご様子なのですね。皆世の常のことですが、三条の姫君(雲居の雁)のお思いになることがお気の毒です。のんびりと慣れていらっしゃって」と申し上げなさると、夕霧は「かわいらしくおっしゃいなす姫君ですね。たいそう鬼のような性悪でございますのに」と言って、「どうしてあの人をおろそかに扱いましょう。恐れ多いことですが、こちらの御方々のご様子でも推し量ってください。穏やかなのこそ、人は最後には頼りになるもののようです。口うるさく口やかましいのも、しばらくは何となく煩わしく、遠慮されることもありますが、それにばかり従いきれないことなので、事が乱れ出てしまった後は、自分も相手も憎らしく、飽き飽きするものですよ。やはり南の御殿(紫の上)のお心遣いこそは何かとありがたく、それからこの御方(花散里)のお心などこそは、すばらしいものと見届けました」などとほめ申し上げなさると、花散里は笑いなさって、「物の例に引き出しなさるにつけて、私の人並みでない評判が表れてしまいそうです。さておかしいのは、院がご自分のお癖を人が知らないように、少し浮気なあなたのお心遣いを、たいそうなことと思って戒め申し上げなさり、陰口にも申し上げなさるようなのが、賢ぶる人が自分のことを知らないように思われます」とおっしゃると、夕霧は「そのとおり、いつもこの方面を特に戒めておっしゃいます。そうでなくても、賢いお教えがなくても、たいそうよく慎んでおります心ですのに」と言って、本当におかしいとお思いになった。
意訳
夕霧は花散里に、御息所の遺言を守って宮の世話をしているのだと弁明し、源氏に伝えてほしいと頼む。
花散里が雲居の雁を気遣うと、夕霧は妻を鬼のような性悪と言い、紫の上と花散里をほめる。花散里は、源氏が自分の浮気癖を棚に上げて夕霧を戒めるのがおかしいと笑う。
語釈・文法注
文法
- 「さがなもの」(いと鬼々しう侍るさがなものを)
- 性悪な者、意地悪な者。
- 「あきたし」(われも人もにくげにあきたしや)
- 飽き飽きする、うんざりする。
- 「しりうごと」(しりうごとにも聞え給ふめるこそ)
- 陰口、陰で言うこと。
解説
花散里と夕霧の会話は、ユーモアに満ちている。夕霧は妻を鬼のようだと言い、穏やかな紫の上や花散里をほめる。花散里は、源氏が自分の浮気癖を棚に上げて夕霧を戒めることをからかう。源氏一家の家庭的な雰囲気が伝わる場面である。
夕霧の弁明は、御息所の遺言を口実にしたもので、既成事実を作るための方便である。花散里はそれを見抜きながらも、おっとりと受け流す。養母としての花散里の温かさが感じられる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、800–803頁(コマ111–112)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日