源氏物語 第39帖 夕霧(2)
小野の山荘
八月の中旬で、野辺の様子も趣深い頃なので、夕霧は山里の様子が見たくて、律師が珍しく山を下りたそうなので相談したいことがある、御息所の病気見舞いも兼ねて行こうと、表向きに言って出かける。前駆も大げさにせず、親しい者五、六人ほどが狩衣姿で供をする。それほど深い山道ではないが、松が崎の小山の色なども、秋らしい趣を帯びて、都で贅を尽くした邸よりも、やはり哀れも興趣もまさって見える。ちょっとした小柴垣も趣ある様子に造って、仮の住まいだが上品に住みなしている。寝殿と思われる東の放出に修法の壇を設け、御息所は北の廂にいるので、宮は西面にいる。物の怪が厄介だからと宮を都に留めようとしたが、宮はどうして離れられようと慕ってついてきたので、物の怪が移るのを恐れて、少しの隔てだけにして御息所の方へは渡らせない。客の座る所がないので、宮の御簾の前に夕霧を入れて、上臈の女房たちが取り次ぐ。御息所は、たいそう恐れ多くもここまでおいでくださったので、もし死んでしまったら、このお礼さえ申し上げられないかと思うと、もうしばらく命をとどめたい気持ちになったと伝える。夕霧は、お移りの折にもお送りしようと思ったが、六条院から言いつかった用事の途中だったので、日頃も何となく紛れることがあって、思う心よりもずっと疎かに見られるのが心苦しいと言う。

- 1八八は月月ずき中中なかののの十十とお日日かばかりばかりばかりなれなれなればばば野野の邊邊べののの氣色氣色けしきもももをかしきをかしきおかしき比比ころなるなるなるににに、、、山山やま里里ざとののの有有あり樣樣さまのののいといといとゆかしけれゆかしけれゆかしければばば「「「なにがしなにがしなにがしりしりしりしののの珍珍めずらしうしうしゅうおりおりおりたたたなるなるなるににに、、、切切せちににに語語かたらふらふらうべきべきべきことことことありありあり。。。御御み息息やす所所どころのののわづらひわづらひわずらい給給たまふふうなるなるなるもももとぶらひとぶらひとぶらいがてらがてらがてらまうでまうでもうでむむん」」」ととと大大おお方方かたにににぞぞぞ聞聞きこえええごちごちごちててていでいでいで給給たまふふう。。。ごごご前前ぜんことごとしからことごとしからことごとしからでででしたしきしたしきしたしき限限かぎり五五ご六六ろく人人にんばかりばかりばかり狩狩かり衣衣ぎぬにてにてにてさぶらふさぶらふさぶらう。。。殊殊ことににに深深ふかききき道道みちならならならねねねどどど松松まつががが崎崎さきのののおおおやまやまやまのののいろいろいろなどなどなどももも、、、さるさるさるいはほいはほいわおならならならねねねどどど秋秋あきののの氣色氣色けしきづきづきずきててて、、、都都みやこににに二二になくなくなくとととつくしつくしつくしたるたるたる家家いえゐゐいにににははは猶猶なお哀哀あわれもももけうけうきょうもももまさりまさりまさりてててぞぞぞ見見みゆるゆるゆるややや。。。はかなきはかなきはかなき小小こ柴柴しば垣垣がきもももゆゑゆゑゆえあるあるあるさまさまさまにににしししなしなしなしててて、、、假假かり初初そめなれなれなれどどどあてあてあてはかはかはかににに住住すまひまひまいなしなしなし給給たまへへえりりり。。。寢寢しん殿殿でんととと覺覺おぼしきしきしきひんがしひんがしひんがしののの放放はなち出出いでににに修修す法法ほうのののだんだんだんぬりぬりぬりててて北北きたののの廂廂ひさしにににおはすれおはすれおわすればばば西西にしおもておもておもてににに宮宮みやはははおはしますおはしますおわします。。。
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現代語訳
八月の中旬ごろなので、野辺の様子も趣深い頃であるうえに、山里の有様がたいそう見たかったので、夕霧は「某律師が珍しく山を下りたそうなので、ぜひ相談しなければならないことがある。御息所が患っていらっしゃるというお見舞いも兼ねて参ろう」と、表向きにはそう言い置いてお出かけになる。前駆も大げさにせず、親しい者ばかり五、六人ほどが、狩衣姿でお供する。格別に深い山道ではないけれど、松が崎の小山の色なども、それほどの巌ではないが、秋の気配を帯びて、都で二つとないほど贅を尽くした邸よりは、やはり哀れも興趣もまさって見えることよ。ちょっとした小柴垣も趣ある様子に造って、仮の住まいだけれど、上品に住みなしていらっしゃる。寝殿と思われる建物の東の放出に修法の壇を塗って設け、御息所は北の廂にいらっしゃるので、西面に宮はいらっしゃる。
御息所は、物の怪が厄介だからと、宮を都にお留め申し上げなさったけれど、宮はどうして離れ申し上げられようと、慕ってついていらっしゃったので、物の怪が人に移って広がるのを恐れて、少しの隔てだけにして、御息所の方へは宮をお渡し申し上げなさらない。客人がお座りになるべき所がないので、宮の御方の御簾の前に夕霧をお入れ申し上げて、上臈らしい女房たちがお言葉をお取り次ぎ申し上げる。御息所は「たいそう恐れ多くも、このようにまでおっしゃって、おいでくださいましたので、もし私がかいなくなってしまいましたら、このお礼さえ申し上げないままになるのかと存じまして、もうしばらく命をとどめたい気持ちになりました」と申し上げなさった。夕霧は「お移りになった時のお送りにもと存じましたが、六条院から承っていた用事の途中でございまして、日頃も何となく紛れることがございまして、思っております心よりも、ずっと疎かにご覧いただくことが心苦しゅうございます」などと申し上げなさる。
意訳
夕霧は、律師への用事を口実に小野の山里を訪れ、宮の御簾の前に通される。
御息所は夕霧の訪問に感謝し、夕霧は送りに来られなかったことを詫びる。
語釈・文法注
文法
- 「松が崎」(松が崎のおやまのいろなども)
- 京都北東の地名。小野へ向かう途中にある。
- 「放出」(ひんがしの放出に修法のだんぬりて)
- 寝殿造で、母屋から張り出した部屋。
- 「上らうだつ」(上らうだつ人々御せうそこ聞えつたふ)
- 上臈らしい。身分の高い女房らしい。
解説
夕霧は律師への用事を口実に、小野の山里を訪れる。都の豪華な邸よりも、山里の秋の風情の方が哀れも興趣もまさるという描写は、これから始まる恋の舞台にふさわしい。
御息所は物の怪が宮に移るのを恐れて隔てを置き、夕霧は宮の御簾の前に通される。このわずかな隔てが、後の出来事の伏線となる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、766–769頁(コマ94–95)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日