源氏物語 第38帖 鈴虫(13)
冷泉院と中宮
昨夜は忍んで気軽に出かけたが、今朝は公になって、上達部なども参った者は皆、源氏の帰りを見送る。源氏は、春宮の女御(明石の女御)をこの上なく大切に育て上げた甲斐甲斐しさも、夕霧のまた人並みすぐれた様子も、どちらも申し分ないと思うが、やはりこの冷泉院を思う気持ちはすぐれて深く、哀れに思われる。冷泉院もいつも源氏を気にかけていたが、対面がまれで気がふさぐばかりなのにせかされて、このように気楽な身になろうと譲位したのである。秋好中宮は、かえって里下がりすることもたいそう難しくなって、普通の夫婦のように院と並んでいるので、当世風に、かえって昔よりも華やかに管弦の遊びなどもする。何事も心が晴れる有様だが、ただあの御息所のことを思いやっては、仏道の勤めの心が進んでいるのを、人々が許しそうにないので、功徳になることを取り立てて営み、いっそう深く世の中を悟った様子になっていく。源氏も心を合わせて準備を急ぎ、御八講などを行わせたという。

- 1よべよべよべはははうちうちうち忍忍しのびびびてててかやすかりかやすかりかやすかりししし御御おんありきありきありき今今け朝朝さはははあらはれあらはれあらわれ給給たまひひいててて上達部上達部かんだちめなどなどなどももも參參まいりりり給給たまへへえるるるかぎりかぎりかぎりははは皆皆みな御御おんおくりおくりおくり仕仕つこううう奉奉たてまつりりり給給たまふふう。。。春春とう宮宮ぐうののの女女にょうご御御ごののの御御おん有有あり樣樣さまのののならびならびならびなくなくなくいつきいつきいつきたてたてたて給給たまへへえるるるかひがひしさかひがひしさかいがいしさももも大大だい將將しょうのののまたまたまたいといといと人人ひとににに異異ことなるなるなる御御おんさまさまさまをををももも、、、いづれいづれいずれとととなくなくなくめやすしめやすしめやすしとととおぼすおぼすおぼすににに、、、猶猶なおこのこのこの冷冷れい泉泉ぜい院院いんををを思思おもひひい聞聞きこえええ給給たまふふう御御おん志志こころざしははは勝勝すぐれれれててて深深ふかくくく哀哀あわれにににぞぞぞおぼえおぼえおぼえ給給たまふふう。。。院院いんももも常常つねにににいぶかしういぶかしういぶかしゅう思思おもひひい聞聞きこえええ給給たまひひいしししににに、、、御御おん對對たい面面めんのののまれまれまれにににいぶせういぶせういぶしょうのみのみのみおぼさおぼさおぼされれれけるけるけるにににいそがさいそがさいそがされれれ給給たまひひいててて、、、かくかくかく心心こころ安安やすきききさまさまさまにににとととおぼしおぼしおぼしなりなりなりにににけるけるけるににになむなむなん。。。中中ちゅう宮宮ぐうぞぞぞなかなかなかなかなかなか罷罷まかででで給給たまふふう事事こともももいといといとかたうかたうかとうなりなりなりててて、、、たゞたゞただ人人うどののの中中なかのののやうやうようにににならびならびならびおはしますおはしますおわしますににに、、、今今いまめかしうめかしうめかしゅうなかなかなかなかなかなか昔昔むかしよりよりよりももも華華はなやかやかやかににに御御おんあそびあそびあそびをををもももししし給給たまふふう。。。何何なに事事ごとももも御心御心みこころやれやれやれるるる有有あり樣樣さまながらながらながら唯唯ただかのかのかの御御み息息やす所所どころののの御御おん事事ことをををおぼしおぼしおぼしやりやりやりつゝつゝつつ行行おこなひひいののの御心御心みこころすゝみすゝみすすみにににたるたるたるををを、、、人人ひとのののゆるしゆるしゆるし聞聞きこえええ給給たまふふうまじきまじきまじきことことことなれなれなればばば功功く德德どくのののことことことをををたてたてたてゝゝておぼしおぼしおぼしいとなみいとなみいとなみいとゞいとゞいとど心心こころふかうふかうふこう世世よののの中中なかをををおぼしおぼしおぼしとれとれとれるるるさまさまさまににになりなりなりまさりまさりまさり給給たまふふう。。。六六ろく條條じょう院院いんにににももももろもろもろ心心こころににに急急いそぎぎぎ給給たまひひいててて御御おん八八はつ講講こうなどなどなど行行おこなははわせせせ給給たまふふうとととぞぞぞ。。。
現代語訳
昨夜は忍んで気軽だったお出かけも、今朝は公になりなさって、上達部なども参上なさった方は皆、源氏をお見送り申し上げなさる。源氏は、春宮の女御(明石の女御)のご様子を、比類なく大切に育て上げなさった甲斐甲斐しさも、大将(夕霧)のまた、たいそう人並みすぐれたご様子をも、どちらということなく申し分ないとお思いになるが、やはりこの冷泉院をお思い申し上げなさるお気持ちは、すぐれて深く、哀れにお思われになる。院も、いつも源氏を気にかけてお思い申し上げていらっしゃったのに、ご対面がまれで、気がふさぐばかりにお思いになっていたのにせかされなさって、このように気楽な身の上にとお思いになって、譲位なさったのである。中宮(秋好中宮)は、かえってお里下がりなさることもたいそう難しくなって、普通の夫婦の仲のように院と並んでいらっしゃるので、当世風に、かえって昔よりも華やかに管弦のお遊びなどもなさる。何事もお心が晴れるご様子でありながら、ただあの御息所のことをお思いやりになっては、仏道の勤めのお心が進んでいるのを、人々がお許し申し上げそうにないことなので、功徳になることを取り立ててお営みになり、いっそう心深く世の中を悟っていらっしゃるご様子になりまさっていく。六条院(源氏)も心を合わせて準備をお急ぎになって、御八講などを行わせなさったということだ。
意訳
源氏は冷泉院への思いが誰よりも深い。秋好中宮は母のために功徳を営み、源氏も協力して御八講を行う。
語釈・文法注
文法
- 「いつきたつ」(ならびなくいつきたて給へる)
- 大切に育て上げる。
- 「御八講」(御八講など行はせ給ふとぞ)
- 法華八講。法華経八巻を八座に分けて講説する法会。
- 「もろ心」(六條院にももろ心に急ぎ給ひて)
- 心を合わせること。
解説
源氏は、明石の女御も夕霧も申し分ないと思うが、冷泉院への思いは格別に深い。冷泉院は、源氏と藤壺の秘密の子であり、源氏の罪の結晶でもある。その院への深い愛情は、表には出せない父としての思いである。
鈴虫の巻は、秋好中宮が母のために功徳を営み、源氏がそれに協力する場面で結ばれる。死後も苦しむ六条御息所の霊を、娘と源氏が供養する。物語は、次の夕霧の巻で、夕霧と落葉の宮の恋へと転じていく。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、764–765頁(コマ93)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日