源氏物語 第37帖 横笛(2)
朱雀院からの筍
山の朱雀院は、女二の宮(落葉の宮)もこのように人笑いになるような有様で物思いに沈んでおり、入道の宮(女三の宮)も俗世の人らしい幸せからはかけ離れてしまったので、さまざまに残念に思うが、すべてこの世のことに思い悩むまいと耐えている。勤行の折にも、宮も同じ仏道に励んでいるだろうと思いやり、尼になってからは、ちょっとしたことにつけても絶えず便りをする。御寺のそば近くの林に生え出た筍や、その辺りの山で掘った野老などが、山里らしく趣があるので、宮に贈るとて、細やかな手紙の端に、春の野山は霞でたどたどしいが、心を込めて掘らせたしるしばかりに、と書き、俗世を離れて入る道に後れても、私と同じ極楽を、あなたも尋ねてください、たいそう難しいことですが、と詠む。

- 1山山やまのののみかどみかどみかどははは二二にののの宮宮みやもももかくかくかく人人ひとわらはれわらはれわらわれなるなるなるやうやうようにてにてにてながめながめながめ給給たまふふうなりなりなり。。。入入にゅう道道どうののの宮宮みやもももこのこのこの世世よののの人人ひとめかしきめかしきめかしきかたかたかたはははかけかけかけはなれはなれはなれ給給たまひひいぬれぬれぬればばば、、、さまざまさまざまさまざまににに飽飽あかかかずずずおぼさおぼさおぼさるれるれるれどどど、、、すべてすべてすべてこのこのこの世世よをををおぼしおぼしおぼしなやまなやまなやまじじじととと忍忍しのびびび給給たまふふう。。。御御おんおこなひおこなひおこないののの程程ほどにににももも同同おなじじじ道道みちをををこそこそこそはははつとめつとめつとめ給給たまふふうらめらめらめなどなどなどおぼしおぼしおぼしやりやりやりててて、、、かゝるかゝるかかるさまさまさまににになりなりなり給給たまひひいててて後後のちははははかなきはかなきはかなき事事ことにににつけつけつけてててももも絕絕たえええずずず聞聞きこえええ給給たまふふう。。。御御おん寺寺てらのののかたはらかたはらかたわら近近ちかききき林林はやしにににぬきぬきぬき出出いでででたるたるたるたかうなたかうなたこうな、、、そのそのそのわたりわたりわたりののの山山やまにににほれほれほれるるるところところところなどなどなどののの山山やま里里ざとにににつけつけつけてててはははあはれあはれあわれなれなれなればばば奉奉たてまつれれれ給給たまふふうとてとてとて、、、御御おん文文ふみこまやかこまやかこまやかなるなるなるはしはしはしににに「「「春春はるののの野野の山山やま霞霞かすみもももたどたどしけれたどたどしけれたどたどしけれどどど、、、志志こころざし深深ふかくくく堀堀ほりりり出出いださささせせせててて侍侍はべるるるしるししるししるしばかりばかりばかりににになむなむなん、、、世世よをををわかれわかれわかれ入入いりりりなななむむん道道みちはははおくるおくるおくるともともともおなじおなじおなじ所所ところををを君君きみもももたづねたづねたずねよよよ。。。いといといとかたきかたきかたきわざわざわざににになむなむなんあるあるある」」」ととと聞聞きこえええ給給たまへへえるるるををを
現代語訳
山の帝(朱雀院)は、二の宮(落葉の宮)もこのように人に笑われるような様子で物思いに沈んでいらっしゃるそうだし、入道の宮(女三の宮)も、この世の人並みの幸せからはかけ離れておしまいになったので、さまざまに残念にお思いになるけれど、すべてこの世のことには思い悩むまいと耐えていらっしゃる。ご勤行の折にも、宮も同じ仏道にこそ励んでいらっしゃるだろうなどと思いやりなさって、このような尼姿におなりになってからは、ちょっとしたことにつけても絶えずお便りを申し上げなさる。御寺のそば近くの林に生え出た筍や、その辺りの山で掘った野老などが、山里らしい趣があって哀れなので、宮に差し上げなさるということで、お手紙の細やかな端に、「春の野山は霞がかかってたどたどしいけれど、深い志で掘り出させましたしるしばかりに。俗世を離れて入っていく道には、私に後れても、同じ極楽を、あなたも尋ねていらっしゃい。たいそう難しいことではありますが」と申し上げなさったのを、
意訳
朱雀院は、出家した女三の宮に寺の近くで掘った筍などを贈り、同じ極楽を目指すよう歌を添える。
語釈・文法注
文法
- 「たかうな」(ぬき出でたるたかうな)
- 筍。たけのこ。
- 「ほれるところ」(その わたりの山にほれるところ)
- 掘った野老。「ところ」は山芋の一種。
- 「おなじ所」(おなじ所を君もたづねよ)
- 同じ所。仏道修行の行き着く先、極楽浄土。
解説
朱雀院は、二人の娘の不幸を嘆きながらも、出家者としてこの世のことに思い悩むまいと努める。しかし、娘への思いは断ちがたく、寺の近くで掘った筍を女三の宮に贈る。父と娘が同じ仏道を歩むことで、新たな絆が生まれている。
朱雀院の歌は、同じ極楽を目指そうという、仏道に入った娘への励ましである。この筍が、次の場面で若君(薫)がかじる筍となり、物語に印象的な一場面をもたらす。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、744–745頁(コマ83)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日