源氏物語 第36帖 柏木(27)
卯月の一条宮
柏木の法事などは世間並みでなく盛大であった。夕霧は、妻の雲居の雁はもとより、自身も格別に誦経などにも深い心を込める。一条宮にもいつも見舞う。四月ごろの空は何となく心地よく、一面同じ色の四方の梢も美しく見えわたるが、物思いに沈む宮邸では万事につけ静かで心細く、暮らしかねているところへ、夕霧がいつものように訪れる。庭はだんだん青み始めた若草が一面に見え、あちこちの砂の薄い物陰には蓬も我が物顔に生えている。柏木が心を入れて手入れしていた前栽も思うままに茂り合い、一叢の薄も頼もしげに広がって、虫の声が加わる秋が思いやられるだけで、たいそう物哀れで涙がちに分け入る。伊予簾を一面に掛け、鈍色の几帳を衣更えした透き影が涼しげに見え、かわいらしい女童の濃い鈍色の汗衫の端や髪の様子などがほのかに見える。風情はあるが、やはり目の驚く喪の色である。今日は簀子に座ったので、褥を差し出す。たいそう軽々しい御座だと、女房たちはいつものように御息所に知らせるが、この頃は具合が悪くて横になっていると言い紛らわす間、夕霧は庭の木立の、何の物思いもない様子を見るのもたいそう哀れである。柏木と楓が、ほかの木よりいっそう若々しい色で枝を交わしているのを見て、どんな縁なのか、枝先が合っている頼もしさよと言い、そっと寄って、同じことなら、この連理の枝のように親しくしてほしい、葉守の神の許しがあったのだと、と詠み、御簾の外の隔てがあるのが恨めしいと言って、長押に寄りかかって座る。くつろいだ姿もまたたいそうしなやかなことよと、女房たちはつつき合う。応対する少将の君という女房を通じて、宮は、柏木に葉守の神はいらっしゃらなくても、人を親しませてよい宿の梢でしょうか、と返し、唐突なお言葉に浅いお心と思うようになったと伝えるので、夕霧はもっともだと思って少しほほえむ。

- 1御御おんわざわざわざなどなどなど世世よののの常常つねならならならずずずいかめしういかめしういかめしゅうなむなむなんありありありけるけるける。。。大大だい將將しょう殿殿どのののの北北きたののの方方かたをををばばばさるさるさるものものものにてにてにて、、、殿殿とのははは心心こころことことことにににずきやうずきやうずきょうなどなどなどももも哀哀あわれににに深深ふかききき心心こころばへばへばえををを加加くわへへえ給給たまふふう。。。かのかのかの一一いち條條じょうののの宮宮みやにににももも常常つねにににとぶらひとぶらひとぶらい聞聞きこえええ給給たまふふう。。。卯卯う月月ずきばかりばかりばかりののの空空そらはははそこはかとそこはかとそこはかとなうなうのう心心こころちちちよげよげよげにににひとつひとつひとつ色色いろなるなるなる四四よ方方もののの梢梢こずえもももをかしうをかしうおかしゅう見見みえええわたるわたるわたるををを、、、物思物思ものおもふふう宿宿やどははは萬萬よろずののの事事ことにににつけつけつけてててしづかしづかしずかににに心心こころぼそくぼそくぼそくくらしくらしくらしかねかねかね給給たまふふうににに例例れいののの渡渡わたりりり給給たまへへえるるる。。。庭庭にわもももやうやうやうやうようよう靑靑あおみみみ出出いづるづるずる若若わか草草くさ見見みえええわたりわたりわたり此此こ處處こ彼彼か處處しこのののすなごすなごすなごうすきうすきうすき物物もののののかくれかくれかくれのののかたかたかたににに蓬蓬よもぎももも所所ところえええがほがほがおなりなりなり。。。前前せん栽栽ざいににに心心こころいれいれいれてててつくろひつくろひつくろい給給たまひひいしししももも心心こころににに任任まかせせせてててしげりしげりしげりあひあひあいひとひとひとむらむらむら薄薄すすきもももたのもしげたのもしげたのもしげにににひろごりひろごりひろごりててて蟲蟲むしののの音音ねそはそはそわむむん秋秋あき思思おもひひいやらやらやらるゝるゝるるよりよりより、、、いといといと物物もの哀哀あわれににに露露つゆけくけくけくてててわけわけわけ入入いりりり給給たまふふう。。。伊伊い豫豫よ簾簾すかけかけかけわたしわたしわたしてててにびにびにびいろいろいろののの几几き帳帳ちょうののの衣衣ころもがへがへがえしししたるたるたるすきすきすきかげかげかげ凉凉すずしげしげしげににに見見みえええててて、、、よきよきよきわらはわらはわらわのののこまやかこまやかこまやかににににばめにばめにばめるるるかざみかざみかざみのののつまつまつま頭頭かしらつきつきつきなどなどなどほのほのほの見見みえええたりたりたり。。。をかしけれをかしけれおかしけれどどど猶猶なお目目め驚驚おどろかかかるゝるゝるる色色いろなりなりなりかしかしかし。。。
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現代語訳
柏木の御法事などは、世間並みでなく盛大であった。大将殿(夕霧)の北の方(雲居の雁)はもちろんのこととして、殿ご自身も格別に、誦経などにもしみじみと深い心遣いを加えなさる。あの一条の宮にも、いつもお見舞い申し上げなさる。四月ごろの空は、何となく心地よさそうで、一面同じ色の四方の梢も美しく見えわたるのに、物思いに沈む宮邸では、万事につけて静かで心細く、暮らしかねていらっしゃるところに、夕霧がいつものようにお越しになった。庭もだんだん青み出した若草が一面に見えわたり、あちこちの砂の薄くなっている物陰の方には、蓬も我が物顔に茂っている。柏木が心を入れて手入れをなさっていた前栽も、思うままに茂り合い、一叢の薄も頼もしげに広がって、虫の声が加わるだろう秋が思いやられるだけで、たいそう物哀れで、涙がちに分け入りなさる。伊予簾を一面に掛けわたして、鈍色の几帳を夏のものに衣更えした透き影が涼しげに見えて、かわいらしい女童の、濃い鈍色に染めた汗衫の端や、髪の様子などがほのかに見えている。風情はあるけれど、やはり目の驚かされる喪の色であるよ。
今日は簀子にお座りになったので、女房たちは褥を差し出した。たいそう軽々しい御座所であるといって、女房たちはいつものように御息所にお知らせ申し上げるが、御息所はこの頃具合が悪いといって物に寄りかかって横になっていらっしゃると、あれこれ言い紛らわしている間、夕霧は御前の木立が、何の物思いもなさそうな様子をご覧になるのも、たいそう物哀れである。柏木と楓とが、ほかの木よりいっそう若々しい色をして、枝を交わしているのを、「どのような縁なのだろうか。枝先が合っている頼もしさよ」などとおっしゃって、そっと近寄って、「同じことなら、この連理の枝のように、親しくしていただきたい。葉守の神のお許しがあったのだと。御簾の外の隔てがあるのが恨めしいことです」と言って、長押に寄りかかってお座りになった。くつろいだお姿もまた、たいそうしなやかでいらっしゃることよと、女房たちはあれこれとつつき合う。このお相手申し上げる少将の君という女房を通じて、宮は、「柏木に、葉守の神はいらっしゃらなくても、人を親しませてよい宿の梢でしょうか」。「唐突なお言葉に、浅いお心と思うようになってしまいました」と申し上げるので、夕霧はなるほどとお思いになって、少しほほえみなさった。
意訳
夕霧は四月ごろ一条宮を訪れ、柏木が手入れした前栽の茂る庭や、喪の色の几帳に哀れを感じる。
夕霧は、枝を交わす柏木と楓にことよせて宮に歌を詠みかけ、宮は少将の君を通じて、唐突だとたしなめる歌を返す。
語釈・文法注
文法
- 「所えがほ」(蓬も所えがほなり)
- 所得顔。我が物顔で、得意げな様子。
- 「ならしの枝」(ことならばならしの枝にならさなむ)
- 連理の枝。根元は別でも枝が一つになった木。夫婦や男女の深い契りをたとえる。「ならし」に「慣らし(親しませる)」をかける。
- 「葉守の神」(葉守の神のゆるしありきと)
- 柏木に宿って葉を守るという神。ここでは亡き柏木をたとえる。
- 「つきしろふ」(これかれつきしろふ)
- 互いにつつき合って、目配せする。
解説
夕霧の一条宮訪問が繰り返される中で、夕霧の心は次第に落葉の宮へと傾いていく。柏木と楓が枝を交わす様子に寄せて、夕霧は宮に歌を詠みかける。葉守の神である柏木の許しがあったのだから親しくしてほしいという歌は、親友の妻への懸想をほのめかすものである。
宮は、少将の君を通じて、唐突な言葉だとたしなめる歌を返す。柏木の遺言を受けた見舞いが、夕霧の恋へと変わり始める。この場面は、次の横笛・夕霧の巻で描かれる夕霧と落葉の宮の物語の発端となっている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、740–743頁(コマ81–82)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日