古典ライブラリー

源氏物語 第36帖 柏木(25)

片枝枯れにし宿の桜

登場人物:夕霧・柏木・一条御息所

柏木は夕霧より五、六歳年上だったが、それでもたいそう若々しく優美で、しなやかな人だった。夕霧はたいそうしっかりと重々しく、男らしい感じで、顔だけはたいそう若く清らかなことが人にすぐれている。若い女房たちは悲しさも少し紛れて、夕霧を見送る。御前近くの桜がたいそう美しいのを見て、夕霧は、今年ばかりは墨染めに咲け、という古歌が思い浮かぶが、縁起でもない筋なので、あひ見むことは、と口ずさみ、時が来れば変わらぬ色に咲いている、片枝が枯れてしまったこの宿の桜も、とさりげなく吟じて立つと、すぐに御息所が、この春は柳の芽に露の玉を貫くように涙を流している、咲いて散る花の行方も分からないので、と返す。たいそう深い趣があるというのではないが、当世風で才気があると言われた更衣だったのである。

一条宮の庭先で、満開の桜を見上げた夕霧が歌を口ずさみながら立ち去ろうとし、御簾の内から一条御息所が歌を返している場面(AI生成)
一条宮の庭先で、満開の桜を見上げた夕霧が歌を口ずさみながら立ち去ろうとし、御簾の内から一条御息所が歌を返している場面
  1. 1かのかのかの君きみ君きみきみははは五いつ五いついつ六む六むむ年とせ年とせとせののの程ほど程ほどほどのののこのかみこのかみこのかみなりなりなりしかしかしかどどど猶なほ猶なほなおいといといと若わか若わかわかやかやかやかににになまめきなまめきなまめきあいだれあいだれあいだれててて物もの物ものものししし給たま給たまたまひひいししし。。。これこれこれはははいといといとすくよかすくよかすくよかににに重おも重おもおも々おも々おもおもしくしくしく雄を雄をお々を々をおしきしきしきけはひけはひけわいしししててて顏かほ顏かほかおのみのみのみぞぞぞいといといと若わか若わかわこううう淸きよ淸きよきよらなるらなるらなることことこと人ひと人ひとひとにににすぐれすぐれすぐれ給たま給たまたまへへえるるる。。。若わか若わかわかききき人々ひとびと人々ひとびとひとびとははは物もの物ものもの悲かな悲かなかなしさしさしさももも少すこ少すこすこししし紛まぎ紛まぎまぎれれれててて見み見みみ出いだ出いだいだししし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。御お御おお前まへ前まへまえ近ちか近ちかちかききき櫻さくら櫻さくらさくらのののいといといとおもしろきおもしろきおもしろきををを今こ今ここ年とし年としとしばかりばかりばかりはははとととうちうちうち覺おぼ覺おぼおぼゆるゆるゆるもももいまいましきいまいましきいまいましきすぢすぢすじなりなりなりけれけれければばば「「「あひあひあい見み見みみむむんことことことははは」」」ととと口くち口くちくちずさびずさびずさびててて、、、「「「時とき時ときときしししあれあれあればばばかはらかはらかわらぬぬぬ色いろ色いろいろににに匂にほ匂にほにおひひいけりけりけりかたえかたえかたえ枯か枯かかれれれにににししし宿やど宿やどやどののの櫻さくら櫻さくらさくらももも」」」。。。わざとわざとわざとならならならずずず誦ず誦ずずじじじなしなしなしててて立た立たたちちち給たま給たまたまふふうににに、、、いといといととうとうとう、、、「「「このこのこの春はる春はるはるははは柳やなぎ柳やなぎやなぎのののめめめにににぞぞぞ玉たま玉たまたまはははぬくぬくぬくさきさきさきちるちるちる花はな花はなはなのののゆくへゆくへゆくえしらしらしらねねねばばば」」」ととと聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまふふう。。。いといといと深ふか深ふかふかきききよしよしよしにににはははあらあらあらねねねどどど今いま今いまいまめかしうめかしうめかしゅうかどかどかどありありありとととはははいはいはいわれれれ給たま給たまたまひひいししし更かう更かうこう衣い衣いいなりなりなりけりけりけり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

あの君(柏木)は、夕霧より五、六歳ほど年上であったけれど、それでもたいそう若々しく、優美で、しなやかでいらっしゃった。この君(夕霧)は、たいそうしっかりとして重々しく、男らしい感じがして、お顔だけは、たいそう若く清らかなことが人にすぐれていらっしゃる。若い女房たちは、物悲しさも少し紛れて、お見送り申し上げる。御前近くの桜がたいそう美しいのを、「今年ばかりは」とふと思い浮かぶのも、縁起でもない筋のことなので、「あひ見むことは」と口ずさんで、「時が来たので、変わらない色に咲き匂っていることよ。片方の枝が枯れてしまったこの宿の桜も」。わざとらしくなく吟じて、お立ちになると、御息所がたいそう早く、「この春は、柳の芽に露の玉を貫くように涙を流しています。咲いて散る花の行方も分かりませんので」と申し上げなさる。たいそう深い趣があるというわけではないが、当世風で才気があると言われていらっしゃった更衣なのであった。

意訳

夕霧は桜を見て、片枝が枯れても変わらぬ色に咲く宿の桜と詠み、御息所はすぐに、花の行方も知れず涙に暮れていると返す。

語釈・文法注

文法

「今年ばかりは」(今年ばかりはとうち覺ゆるも)
「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」(古今集・上野岑雄)による。人の死を悼む歌なので、縁起でもないとして避けた。
「あひ見むことは」(あひ見むことはと口ずさびて)
「春ごとに花のさかりはありなめどあひ見むことは命なりけり」(古今集・読人しらず)による。
「かたえ枯れにし」(かたえ枯れにし宿の櫻も)
片枝が枯れてしまった。夫婦の一方である柏木が亡くなったことをたとえる。
「柳のめにぞ玉はぬく」(柳のめにぞ玉はぬく)
柳の芽に露の玉を貫く。「め」に「目」をかけ、目に涙の玉を貫く、つまり泣いていることをいう。

解説

柏木と夕霧の容姿が対比される。柏木は若々しく優美でしなやか、夕霧は重々しく男らしい。この対比は、二人の性格の違いをも表している。若い女房たちが夕霧の姿に悲しさを紛らわすという描写は、夕霧がこの邸にとって新たな存在となりつつあることを暗示する。

夕霧の歌は、片枝が枯れても変わらず咲く桜に、柏木を失っても生きていく一条宮をたとえる。御息所の返歌は、柳の芽と目をかけて涙を詠む。歌のやりとりの中に、御息所の才気と悲しみが表れている。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、738–741頁(コマ80–81)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日