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源氏物語 第36帖 柏木(18)

五十日の祝い

登場人物:光源氏・女三の宮・薫

三月になると空の様子もうららかで、若君は生後五十日ほどになり、たいそう丸々とかわいらしく、年のわりに大人びて声を立てたりする。源氏が渡ってきて、ご気分はさわやかになったか、ああかいのないことだ、いつものお姿でこうしてお世話できたら、どんなに嬉しかったろう、つらくも見捨てられたものだと、涙ぐんで恨む。源氏は毎日訪れて、今になってこの上なく大切に扱う。五十日の祝いの餅を差し上げようとするが、母宮が尼姿なので女房たちがためらっていると、源氏は、女の子なら母と同じ筋で縁起が悪いかもしれないが、男なら構わないと言って、南面に小さな御座を設けて差し上げる。乳母はたいそう華やかに装い、御前の品々や籠物、檜破子の趣向を、内でも外でも本当の事情を知らないので、取り散らかして無邪気に祝うのを、源氏はたいそう心苦しく、目を背けたいことだと思う。宮も起き上がっていて、尼削ぎの髪の末が広がっているのを苦にして、額髪などをなでつけているところへ、源氏が几帳を引きのけて座ると、宮はたいそう恥ずかしくて背を向ける。いっそう小さく細くなり、髪は惜しんで長めに削いだので、後ろ姿は普通の人と見分けがつかない。鈍色の衣に黄みがかった今様色などを着て、まだ尼姿が板につかない横顔は、こうしてもかわいい子どものようで、優美である。源氏は、ああつらい、墨染めの色は目もくらむ色だ、こうしてでもお世話することは絶えないと慰めるが、こぼれる涙の見苦しさを、見捨てられた身の咎と思うにつけ胸が痛む、取り返せるものなら、と嘆き、今はもうと思い離れたら、本当に私を嫌って捨てたのだと恥ずかしく思うだろう、やはり哀れと思ってほしいと言う。宮は、このような尼の身は物の哀れも知らぬものと聞くのに、もとより知らない事でどう申し上げられようと答える。源氏は、かいのないことを、思い当たることもあろうにと言いさして、若君を見る。

春の六条院の南面で、五十日の祝いの品々が並ぶ中、尼姿の女三の宮が恥ずかしそうに背を向け、源氏が涙ぐみながら語りかけている場面(AI生成)
春の六条院の南面で、五十日の祝いの品々が並ぶ中、尼姿の女三の宮が恥ずかしそうに背を向け、源氏が涙ぐみながら語りかけている場面
  1. 1三やよ三やよやよ月ひ月ひひににになれなれなればばば空そら空そらそらののの氣色けしき氣色けしきけしきももも物もの物ものものうらゝかうらゝかうららかにてにてにてこのこのこの君きみ君きみきみいかいかいかののの程ほど程ほどほどににになりなりなり給たま給たまたまひひいててていといといとまろうまろうまろう美うつ美うつうつくしうくしうくしゅう、、、程ほど程ほどほどよりよりよりはははおよすげおよすげおよすげててて物語ものがたり物語ものがたりものがたりなどなどなどししし給たま給たまたまふふう。。。おとゞおとゞおとどわたりわたりわたり給たま給たまたまひひいててて「「「御おん御おんおん心こころ心こころこころちちちはははさはやかさはやかさわやかににになりなりなり給たま給たまたまひひいにににたりたりたりややや。。。いでやいでやいでやいといといとかひかひかいなくなくなくももも侍はべ侍はべはべるるるかなかなかな。。。例れい例れいれいののの御おん御おんおんありさまありさまありさまにてにてにてかくかくかく見み見みみなしなしなし奉たてまつ奉たてまつたてまつらららましかましかましかばばばいかにいかにいかに嬉うれ嬉うれうれしうしうしゅう侍はべ侍はべはべらららましましまし。。。心こころ心こころこころうくうくうくおぼしおぼしおぼしすてすてすてけるけるけることことこと」」」ととと淚なみだ淚なみだなみだぐみぐみぐみててて恨うら恨うらうらみみみ聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまふふう。。。日ひ日ひひ々び々びびににに渡わた渡わたわたりりり給たま給たまたまひひいててて今いま今いまいましもしもしもやんごとなくやんごとなくやんごとなく限かぎり限かぎりかぎりなきなきなきさまさまさまにににもてもてもてなしなしなし聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまふふう。。。御おん御おんおんいかいかいかにににもちひもちひもちい參まゐ參まゐまいらららせせせ給たま給たまたまははわむむんとてとてとて、、、かたちかたちかたち殊こと殊ことことなるなるなる御おん御おんおんさまさまさまををを人々ひとびと人々ひとびとひとびと「「「いかにいかにいかに」」」などなどなど聞きこ聞きこきこえええやすらへやすらへやすらえどどど、、、院ゐん院ゐんいんわたらわたらわたらせせせ給たま給たまたまひひいててて「「「何なに何なになにかかか女をんな女をんなおんなににに物もの物ものものししし給たま給たまたまははわゞゞばこそこそこそ同おな同おなおなじじじすぢすぢすじにてにてにていまいましくいまいましくいまいましくもももあらあらあらめめめ」」」とてとてとて南みなみ南みなみみなみ面おもて面おもておもてにににちひさきちひさきちいさきおましおましおましなどなどなどよそひよそひよそいててて參まゐ參まゐまいらららせせせ給たま給たまたまふふう。。。御おん御おんおん乳め乳めめ母のと母のとのといといといと花はな花はなはなやかやかやかにににさうぞきさうぞきそうぞきててて御お御おお前まへ前まへまえののの物もの物ものものいろいろいろいろいろいろにににつくしつくしつくしたるたるたるこものこものこものひわりごひわりごひわりごののの心こころ心こころこころばへばへばえどもどもどもををを內うち內うちうちにににもももとととにににももももともともとののの心こころ心こころこころをををしらしらしらぬぬぬことことことなれなれなればばばとりとりとりちらしちらしちらし何なに何なになに心ごころ心ごころごころもももなきなきなきををを、、、いといといと心苦こころぐる心苦こころぐるこころぐるしうしうしゅうまばゆきまばゆきまばゆきわざわざわざなりなりなりやややとととおぼすおぼすおぼす。。。
  2. 2宮みや宮みやみやもももおきおきおき居ゐ居ゐい給たま給たまたまひひいてててみぐしみぐしみぐしのののすゑすゑすえののの所ところ所ところところせうせうしょうひろごりひろごりひろごりたるたるたるをををいといといと苦くる苦くるくるしししとととおぼしおぼしおぼしててて、、、ひたひひたひひたいなどなどなどなでなでなでつけつけつけててておはするおはするおわするににに、、、几き几きき帳ちやう帳ちやうちょうをををひきひきひきやりやりやりててて居ゐ居ゐい給たま給たまたまへへえばばばいといといと耻はづか耻はづかはずかしうしうしゅうてててそむきそむきそむき給たま給たまたまへへえるるるいとゞいとゞいとどちひさうちひさうちいそうほそりほそりほそり給たま給たまたまひひいててて御おん御おんおんぐしぐしぐしはははをしみをしみおしみ聞きこ聞きこきこえええててて長なが長ながなごうううそぎそぎそぎたりたりたりけれけれければばばうしろうしろうしろはははことことことにににけぢめけぢめけじめももも見み見みみえええ給たま給たまたまははわぬぬぬ程ほど程ほどほどなりなりなりすぎすぎすぎすぎすぎすぎ見み見みみゆるゆるゆるにびにびにび色いろ色いろいろののの御おん御おんおんぞぞぞどもどもども黄き黄ききがちがちがちなるなるなる今いま今いまいまやうやうよう色いろ色いろいろなどなどなど着き着きき給たま給たまたまひひいててて、、、まだまだまだありつかありつかありつかぬぬぬ御おん御おんおんかたはらめかたはらめかたわらめかくかくかくてててもももうつくしきうつくしきうつくしき子こ子ここどもどもどもののの心こころ心こころこころちちちしししてててなまめかしうなまめかしうなまめかしゅうをかしげをかしげおかしげなりなりなり。。。「「「いでいでいであなあなあな心こころ心こころこころううう。。。黑すみ黑すみすみ染ぞめ染ぞめぞめこそこそこそ猶なほ猶なほなおいといといとうたてうたてうたて目め目めめもももくるゝくるゝくるる色いろ色いろいろなりなりなりけれけれけれかやうかやうかようにてにてにてももも見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるることことことはははたゆたゆたゆまじきまじきまじきぞぞぞかしかしかしととと思おも思おもおもひひい慰なぐさ慰なぐさなぐさめめめ侍はべ侍はべはべれれれどどど、、、ふりふりふりがたうがたうがとうわりなきわりなきわりなき心こころ心こころこころちちちするするする淚なみだ淚なみだなみだののの人ひと人ひとひとわろさわろさわろさををを、、、いといといとかうかうこう思おも思おもおもひひいすてすてすてられられられ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる身み身みみのののとがとがとがににに思おも思おもおもひひいなすなすなすももも、、、さまざまさまざまさまざまににに胸むね胸むねむねいたういたういとう口惜くちを口惜くちをくちおしうしうしゅうなむなむなん。。。取と取ととりりり返かへ返かへかえすすすものものものにににもももがががなななややや」」」ととと打う打ううちちち歎なげ歎なげなげききき給たま給たまたまひひいててて「「「今いま今いまいまはははとてとてとて覺おぼ覺おぼおぼしししはなれはなれはなればばば、、、誠まこと誠まことまことににに御心みこころ御心みこころみこころととといとひいとひいといすてすてすて給たま給たまたまひひいけるけるけるととと耻はづか耻はづかはずかしうしうしゅう心こころ心こころこころうくうくうくなむなむなん覺おぼ覺おぼおぼゆゆゆべきべきべき。。。猶なほ猶なほなお哀あはれ哀あはれあわれとととおぼせおぼせおぼせ」」」ととと聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまへへえばばば「「「かゝるかゝるかかるさまさまさまののの人ひと人ひとひとははは物もの物ものものののの哀あはれ哀あはれあわれもももあらあらあらぬぬぬものものものととときゝきゝききしししををを、、、ましてましてましてもともともとよりよりより知し知ししらららぬぬぬ事こと事ことことにてにてにていかゞいかゞいかがははは聞きこ聞きこきこゆゆゆべからべからべからむむん」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば「「「かひかひかいなななのののことことことややや。。。おぼしおぼしおぼししるしるしる方かた方かたかたもももあらあらあらむむんものものものををを」」」とととばかりばかりばかりのたまひのたまひのたまいさしさしさしててて若わか若わかわか君ぎみ君ぎみぎみををを見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまふふう。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

三月になると、空の様子もどことなくうららかで、この若君は生後五十日ほどになりなさって、たいそう丸々とかわいらしく、年のわりには大人びて、声を立てたりなさる。源氏がお渡りになって、「ご気分はさわやかにおなりになりましたか。いやもう、たいそうかいのないことでございますね。いつものお姿で、このようにお世話申し上げられたのなら、どんなに嬉しゅうございましたでしょう。つらくも私をお見捨てになったことです」と、涙ぐんでお恨み申し上げなさる。毎日お渡りになって、今になって、この上なく大切にお扱い申し上げなさる。五十日の祝いの餅を差し上げなさろうとして、母宮のお姿が尼姿で格別であるのを、女房たちは「どうしたものか」などと申し上げてためらっているが、源氏がお渡りになって、「何の、女の子でいらっしゃるのなら、母宮と同じ筋で縁起が悪いこともあろうが」と言って、南面に小さな御座などを設けて、餅を差し上げなさる。乳母はたいそう華やかに装って、御前の品々を色とりどりに尽くした籠物や檜破子の趣向などを、御簾の内でも外でも、本当の事情を知らないことなので、取り散らかして無邪気に祝っているのを、源氏は、たいそう心苦しく、目を背けたくなるようなことだなあとお思いになる。

宮も起きて座っていらっしゃって、尼削ぎの御髪の末が、所狭いほど広がっているのを、たいそう苦にお思いになって、額髪などをなでつけていらっしゃるところに、源氏が几帳を引きのけてお座りになると、宮はたいそう恥ずかしくて背を向けなさる。いっそう小さく細くおなりになって、御髪は惜しみ申し上げて長めに削いだので、後ろ姿は特に普通の人と区別もお見えにならないほどである。重なって見える鈍色の御衣や、黄みがかった今様色などをお召しになって、まだ尼姿の似合わない横顔は、こうなってもかわいらしい子どものような感じがして、優美で美しい。源氏は、「ああ、つらいことです。墨染めこそ、やはりたいそういやな、目もくらむ色でしたよ。このようなお姿でもお世話申し上げることは絶えないだろうと、自分を慰めておりますが、いつまでも変わらずどうしようもない気持ちのする涙の見苦しさを、このようにすっかり思い捨てられ申し上げた身の咎と思いなすにつけても、さまざまに胸が痛く残念です。取り返せるものであったらなあ」とお嘆きになって、「今はもうとお思い離れになるなら、本当に、お心から私を嫌って捨てなさったのだと、恥ずかしく情けなく思われるでしょう。やはり哀れとお思いください」と申し上げなさると、宮は「このような尼の身の者は、物の哀れも知らないものと聞きましたのに、まして、もともと知らないことですから、どうお答え申し上げられましょう」とおっしゃるので、源氏は「かいのないことですね。思い当たることもあるでしょうに」とだけ言いさして、若君を見申し上げなさる。

意訳

若君の五十日の祝いが行われ、事情を知らない人々は無邪気に祝うが、源氏は心苦しく思う。

源氏は尼姿の宮に未練を訴えるが、宮は物の哀れも知らないと答え、源氏は皮肉を言いさして若君を見る。

語釈・文法注

文法

「いか」(この君いかの程になり給ひて)
五十日。生後五十日目。この日に「五十日の祝い」として子に餅を含ませる。
「もちひ」(御いかにもちひ參らせ給はむとて)
餅。五十日の祝いに用いる餅。
「こものひわりご」(つくしたるこものひわりごの心ばへども)
籠物と檜破子。果物などを入れた籠と、檜の白木で作った弁当箱。
「おぼししる方もあらむものを」(おぼししる方もあらむものを)
思い当たることもあるでしょうに。宮の密通を暗にほのめかす。

解説

五十日の祝いは、本来は父親が子に餅を含ませる晴れの儀式である。事情を知らない人々が無邪気に祝う中で、源氏だけが真実を知っている。源氏が「心苦しうまばゆきわざなり」と思うのは、自分の子ではない子を、自分の子として祝わなければならないからである。

尼姿の宮に未練を訴える源氏に対し、宮は物の哀れも知らないと答える。源氏の「おぼししる方もあらむものを」は、宮の密通を暗にほのめかす痛烈な皮肉である。夫婦の間には、もはや埋めることのできない溝が横たわっている。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、732–735頁(コマ77–78)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日