源氏物語 第36帖 柏木(10)
朱雀院の下山
西山の御寺の朱雀院は、宮の無事な出産を聞いて哀れにも会いたくも思うが、宮が患っているとばかり伝わるので、どうなることかと勤行も手につかない。宮はあれほど弱っているうえに、何日も食事をとらないので、ひどく頼りなくなり、長年会わなかった時よりも父院が恋しく、もう二度と会えないのかとひどく泣く。その様子を然るべき人を通じて院に伝えさせたので、院は耐えがたく悲しく思い、あってはならないこととは知りながら、人目を忍んで夜に山を下りる。前もって知らせもなく急に訪れたので、源氏は驚き恐縮する。院は、俗世を顧みまいと思っていたが、やはり子を思う親の心の闇は覚めがたく、勤行も怠って、もし順序どおりでなく先立たれたら、そのまま互いに恨みが残るだろうと、世の非難も顧みずに来たと言う。院の容貌は、尼姿ならぬ僧形でも優美で親しみやすく、目立たないようにやつして、正式な法服ではなく墨染めの姿であるのが、申し分なく清らかなので、源氏はうらやましく見て、いつものように涙をこぼす。源氏は、宮の病は格別な病気ではなく、ただ何か月も弱っていたうえに、ろくに食事もとらなかったせいでしょうと言う。

- 1山山やまのののみかどみかどみかどははは珍珍めずらしきしきしき御御おん事事ことたひらかたひらかたいらかなりなりなりととと聞聞きこししし召召めしししててて哀哀あわれにににゆかしうゆかしうゆかしゅうおもほすおもほすおもおすににに、、、かくかくかく惱惱なやみみみ給給たまふふうよしよしよしのみのみのみあれあれあればばば、、、いかにいかにいかに物物ものししし給給たまふふうべきべきべきにににかかかととと御御おんおこなひおこなひおこないももも亂亂みだれれれててておぼしおぼしおぼしけりけりけり。。。さばかりさばかりさばかり弱弱よわりりり給給たまへへえるるる人人ひとののの物物ものをををきこしめさきこしめさきこしめさででで日日ひ比比ごろ經經へ給給たまへへえばばばいといといとたのもしげたのもしげたのもしげなくなくなくなりなりなり給給たまひひいててて年年とし比比ごろ見見み奉奉たてまつらららざりざりざりししし程程ほどよりよりよりももも院院いんのののいといといと戀戀こいしくしくしく覺覺おぼえええ給給たまふふうををを、、、またまたまたももも見見み奉奉たてまつらららずずずなりなりなりぬるぬるぬるにににやややととといたういたういとうなきなきなき給給たまふふう。。。かくかくかく聞聞きこえええ給給たまふふうさまさまさまさるさるさるべきべきべき人人ひとしししててて傳傳つたへへえ奏奏そうせせせさせさせさせ給給たまひひいけれけれければばば、、、いといといと堪堪たへへえがたうがたうがとう悲悲かなしししとととおぼしおぼしおぼしててて、、、あるあるあるまじきまじきまじき事事こととととはははおぼしおぼしおぼし召召めしししながらながらながら世世よにににかくれかくれかくれててて出出いでででさせさせさせ給給たまふふう。。。かねてかねてかねてさるさるさる御御おんせうそこせうそこしょうそこもももなくなくなくててて俄俄にわかにににかくかくかく渡渡わたりりりおはしまいおはしまいおわしまいたれたれたればばばあるじあるじあるじののの院院いん驚驚おどろきききかしこまりかしこまりかしこまり聞聞きこえええ給給たまふふう。。。
- 2「「「世世よののの中中なかをををかへりみかへりみかえりみすすすまじうまじうまじゅう思思おもひひい侍侍はべりりりしかしかしかどどど、、、猶猶なお惑惑まどひひいさめさめさめがたきがたきがたきものものものはははこのこのこの道道みちののの闇闇やみににになむなむなん侍侍はべりりりけれけれければばば、、、行行おこなひひいもももけだいけだいけだいしししてててもしもしもしおくれおくれおくれさきだつさきだつさきだつ道道みちのののだうだうどう理理りのののまゝまゝままならならならででで別別わかれれれなななばばばやがてやがてやがてこのこのこの恨恨うらみもももやややかたみかたみかたみににに殘殘のこらららむむんととと、、、あぢきなさあぢきなさあじきなさにににこのこのこの世世よのののそしりそしりそしりをををばばばしらしらしらでででかくかくかくものしものしものし侍侍はべりりり」」」ととと聞聞きこえええ給給たまふふう。。。御御おんかたちかたちかたちことことことにてにてにてなまめかしうなまめかしうなまめかしゅうなつかしきなつかしきなつかしきさまさまさまにににうちうちうち忍忍しのびびびやつれやつれやつれ給給たまひひいてててうるはしきうるはしきうるわしき御御おん法法ほう服服ぶくならならならずずず、、、すみすみすみぞめぞめぞめののの御御おん姿姿すがた、、、あらまほしうあらまほしうあらまほしゅう淸淸きよらなるらなるらなるもももうらやましくうらやましくうらやましく見見み奉奉たてまつりりり給給たまひひい、、、例例れいのののまづまづまず淚淚なみだおとしおとしおとし給給たまふふう。。。「「「わづらひわづらひわずらい給給たまふふう御御おんさまさまさま殊殊ことなるなるなる御御おん惱惱なやみみみにににももも侍侍はべらららずずず、、、唯唯ただ月月つき比比ごろ弱弱よわりりり給給たまへへえるるる御御おん有有あり樣樣さまににに、、、はかばかしうはかばかしうはかばかしゅう物物ものなどなどなどももも參參まいらららぬぬぬつもりつもりつもりにににやややかくかくかく物物ものししし給給たまふふうにににこそこそこそ」」」などなどなど聞聞きこえええ給給たまふふう。。。
現代語訳
山の帝(朱雀院)は、珍しいご出産が無事であったとお聞きになって、しみじみと会いたくお思いになるが、このように宮が患っていらっしゃるという知らせばかりがあるので、どうおなりになるのだろうかと、ご勤行も乱れてご心配になっていた。あれほど弱っていらっしゃる人が、食べ物を召し上がらずに何日も過ごされたので、たいそう頼りなくおなりになって、長年お会い申し上げなかった頃よりも、父院がたいそう恋しく思われなさるのを、もう二度とお会い申し上げずに終わってしまうのだろうかと、ひどくお泣きになる。このように申し上げなさる様子を、しかるべき人を通じて院にお伝え申し上げさせなさったので、院はたいそう耐えがたく悲しいとお思いになって、あってはならないこととはお思いになりながらも、人目を忍んで山をお出ましになる。前もってそのようなお知らせもなく、急にこのようにお越しになったので、主人の院(源氏)は驚いて恐縮申し上げなさる。
朱雀院は、「俗世のことは顧みまいと思っておりましたが、やはり迷いの覚めがたいものは、子を思うこの道の闇でございましたので、勤行も怠って、もし後れ先立つ道理のとおりではなく、娘に先立たれて別れてしまったら、そのままこの恨みも互いに残るだろうかと、情けなさのあまり、この世の非難も顧みずに、このように参りました」と申し上げなさる。院のご容貌は、僧形でいらっしゃっても優美で親しみやすい様子で、目立たないように質素な姿をなさって、正式な御法服ではなく、墨染めのお姿が、申し分なく清らかなのを、源氏はうらやましく拝見なさって、例によってまず涙をこぼしなさる。源氏は、「患っていらっしゃるご様子は、格別なご病気でもございません。ただ何か月も弱っていらっしゃったご様子に、はかばかしく食事なども召し上がらなかったのが積もったためでしょうか、このようでいらっしゃるのです」などと申し上げなさる。
意訳
父院を恋しがって泣く宮の様子を伝え聞いた朱雀院は、人目を忍んで夜に山を下り、六条院を訪れる。
朱雀院は子を思う心の闇から来たと言い、源氏は院の墨染めの姿をうらやみながら、宮の病状を説明する。
語釈・文法注
文法
- 「この道の闇」(猶惑ひさめがたきものはこの道の闇に)
- 子を思う親の心の迷い。「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰集・藤原兼輔)による。
- 「けだい」(行ひもけだいして)
- 懈怠。怠ること。
- 「おくれさきだつ道のだう理」(おくれさきだつ道のだう理のまゝならで)
- 親が先に死に、子が後に残るという順序の道理。
解説
出家した身でありながら、朱雀院は娘を思う心の闇に迷い、世の非難を顧みずに山を下りる。「人の親の心は闇に」の古歌が、ここでも親の情を象徴している。若菜上の巻で、宮の将来を案じて源氏に託した朱雀院の思いが、ここで再び痛切に表れる。
源氏は、院の墨染めの姿をうらやましく見る。源氏自身も出家を願いながら果たせずにいる。院の前で、源氏は宮の病を食事をとらないせいだと説明するが、その本当の原因を語ることはできない。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、724–725頁(コマ73)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日