源氏物語 第35帖 若菜下(51)
柏木と源氏の対面
柏木は、ここ何か月も、あちこちのご病気でお悩みのことを承って嘆いていたが、春の頃から持病の脚気がひどくなり、しっかりと歩くこともできず、月を追って沈み込んで、宮中にも参らず引きこもっていたと言う。院(朱雀院)が五十歳になる年なので、人より確かにお祝いすべきだと、父の致仕の大臣が考えて、冠を掛け車を捨てた身で進んでお仕えするのも筋違いだ、身分は低くても同じ深い志はあるはずだ、その心をご覧に入れよと勧めたので、重い病をおして参上した、院は今はいよいよ静かに出家の暮らしに専念しているので、盛大な祝いを待ち望んではいないようだ、簡略にして静かに語り合う方が、院の深い願いにかなうだろうと言う。源氏は、盛大だったと聞いた女二の宮の参上の賀を、柏木が妻の側のこととして自慢しないのも賢いと思う。源氏は、このように簡略にすれば世の人は浅く見るだろうが、あなたはわかってくれているので、やはりそうだと思う、夕霧は公の方面では大人びてきたが、このような風流の方面はもともと好まないのだろうか、朱雀院は何事も通じているが、特に音楽には心を入れ、よく知っているので、静かに聞く今こそ気を配らなければならない、夕霧と一緒に見て、舞の童たちの心構えをよく教えてほしい、楽の師匠などは、自分の流儀にこだわってつまらないものだと、親しげに頼む。柏木はうれしく思いながらも苦しく気がひけて、言葉少なに、早くこの前を立ち去りたいと思い、いつものように細やかに話すこともなく、そっと退出する。

- 1「「「月月つき比比ごろかたがたかたがたかたがたにににおぼしおぼしおぼし惱惱なやむむむ御御おんことことこと承承うけたまわりりり歎歎なげききき侍侍はべりりりながらながらながら、、、春春はるののの比比ころほひほひおいよりよりより例例れいもももわづらひわづらひわずらい侍侍はべるるる。。。みだりみだりみだりかくびやうかくびやうかくびょうととといふいふいうものものもの所所ところせくせくせく起起おこりりり煩煩わずらひひい侍侍はべりりりてててはかばかしくはかばかしくはかばかしくふみふみふみたつるたつるたつる事事ことももも侍侍はべらららずずず月月つき比比ごろににに添添そへへえててて沈沈しずみみみ侍侍はべりりりてててなむなむなん、、、內內うちなどなどなどにににももも參參まいらららずずず世世よののの中中なか跡跡あと絕絕たえええたるたるたるやうやうようにてにてにてこもりこもりこもり侍侍はべるるる。。。院院いんののの御御おん齡齡よわいたりたりたり給給たまふふう年年としなりなりなり。。。人人ひとよりよりよりさだかさだかさだかににに數數かぞへへへ奉奉たてまつりりり仕仕つかうまつるうまつるうまつるべきべきべきよしよしよし、、、致致ち仕仕じのののおとゞおとゞおとど思思おもひひいおよびおよびおよび申申もうささされれれしししををを、、、かうぶりかうぶりこうぶりをををかけかけかけ車車くるまををををしまをしまおしまずずず捨捨すてててししし身身みにてにてにて進進すすみみみ仕仕つかうまつらうまつらうまつらむむんにににつくつくつくところところところなしなしなし、、、げにげにげに下下げ臈臈ろうなりなりなりともともとも同同おなじじじことことこと深深ふかききき所所ところ侍侍はべらららむむん、、、そのそのその心心こころ御覽御覽ごらんぜぜぜられられられよよよととともよほしもよほしもよおし申申もうさささるゝるゝるることことことののの侍侍はべりりりしかしかしかばばば、、、重重おもききき病病やまいをををあひあひあい助助たすけけけてててなむなむなん參參まいりりりてててはべりはべりはべりししし。。。今今いまはははいよいよいよいよいよいよいといといとかすかかすかかすかなるなるなるさまさまさまにににおぼしおぼしおぼしすましすましすましててていかめしきいかめしきいかめしき御御おんよそひよそひよそいををを待待まちちちゅ受受うけけけ奉奉たてまつりりり給給たまははわむむんことことこと願願ねがはしくはしくわしくもももおぼすおぼすおぼすまじくまじくまじく見見み奉奉たてまつりりり侍侍はべりりりしししををを、、、事事ことどもどもどもをををばばばそがそがそがせせせ給給たまひひいててて靜靜しずかなるなるなる御御おん物語物語ものがたりののの深深ふかききき御御おん願願ねがひひいかなはかなはかなわせせせ給給たまははわむむんなむなむなん優優まさりりりててて侍侍はべるるるべきべきべき」」」ととと申申もうししし給給たまへへえばばば、、、いかめしくいかめしくいかめしく聞聞ききききししし御御おん賀賀がのののことことことををを女女おんな二二にののの宮宮みやののの御御おん方方かたざまざまざまにににはははいひいひいいなさなさなさぬぬぬもももらうらうろうありありありとととおぼすおぼすおぼす。。。
- 2「「「唯唯ただかくかくかくなむなむなんことことことそぎそぎそぎたるたるたるさまさまさまににに世世よののの人人ひとはははあさくあさくあさく見見みるるるべきべきべきををを、、、さささはははいへいへいえどどど心心こころえええててて物物ものせせせらるゝらるゝらるるににに、、、さればよさればよさればよとととなむなむなんいとゞいとゞいとど思思おもひひいならならなられれれ侍侍はべるるる。。。大大だい將將しょうはははおほやけおほやけおおやけがたがたがたはははやうやうやうやうようようおとなぶおとなぶおとなぶめれめれめれどどど、、、かやうかやうかようににになさけなさけなさけびびびたるたるたる方方かたはははもとよりもとよりもとよりしましましまぬぬぬにににやややあらあらあらむむん。。。かのかのかの院院いん何事何事なにごとももも心心こころおよびおよびおよび給給たまははわぬぬぬことことことはははをさをさをさをさおさおさなきなきなきうちうちうちにににももも、、、がくがくがくのののかたかたかたののの事事ことははは御心御心みこころ留留とどめめめでででいといといとかしこくかしこくかしこく知知しりりり整整ととのへへえたまへたまへたまえるるるをををさささこそこそこそおぼしおぼしおぼし捨捨すてててたるたるたるやうやうようなれなれなれ。。。靜靜しずかににに聞聞きこししし召召めしししすまさすまさすまさむむんことことこと今今いましもしもしもなむなむなん心心こころづかひづかひずかいせせせらるらるらるべきべきべき。。。かのかのかの大大だい將將しょうととと諸諸もろ共共ともににに見見み入入いれれれててて舞舞まいののの童童わらわ部部べののの用意用意ようい心心こころばへばへばえよくよくよく加加くわへへえ給給たまへへえ。。。物物ものののの師師しなどなどなどいふいふいうものものものははは唯唯ただ我我わががが立立たてててたるたるたることことことこそこそこそあれあれあれいといといと口惜口惜くちおしきしきしきものものものなりなりなり」」」などなどなどいといといと懷懷なつかしくしくしくののの給給のたまひひいつくるつくるつくるををを、、、嬉嬉うれしきしきしきものものものからからから苦苦くるしくしくしくつゝましくつゝましくつつましくてててことことことずくなずくなずくなにてにてにてこのこのこの前前まえををを疾疾とくくく立立たちちちなななむむんととと思思おもへへえばばば、、、例例れいのののやうやうようにににこまやかこまやかこまやかにににもももあらあらあらでででやうやうやうやうようようすべりすべりすべり出出いでででぬぬぬ。。。
現代語訳
柏木は、「ここ何か月も、あちらこちらの方のご病気でお悩みのことを承って嘆いておりましたが、私も春の頃から、いつも患っております乱り脚病というものがひどく起こって苦しみまして、しっかりと歩くこともできず、月を追って沈み込んでおりまして、宮中などにも参上せず、世の中から跡を絶ったようにして引きこもっております。院(朱雀院)が御齢五十に満ちなさる年です。人より確かに数え申し上げてお祝いすべきだと、致仕の大臣(父)が思い及び申し上げましたが、『冠を掛け車を惜しまず捨てた身で、進んでお仕えするのも筋違いだ。なるほど身分は低くても、同じ深い志はあるだろう。その心をご覧に入れよ』と促し申されることがございましたので、重い病をおして参上いたしました。院は今はいよいよたいそうひっそりとした様子に心を澄ませていらっしゃって、盛大なお祝いをお待ち受け申し上げなさることを、願わしくもお思いにならないだろうと拝見いたしましたので、事々を簡略になさって、静かなお話をなさりたいという深いお望みをかなえて差し上げなさることこそ、まさっておりましょう」と申し上げなさると、源氏は、盛大だったと聞いた女二の宮の参上の賀のことを、柏木が妻の側の手柄として言いなさないのも、物慣れた賢さがあるとお思いになる。
「ただこのように簡略にした様子を、世の人は浅く見るだろうに、そうはいっても、あなたは心得てくださっているので、やはりそうだと、いっそう思われるようになりました。大将(夕霧)は、公の方面はだんだん大人びてきたようだが、このような風流めいた方面は、もともと好まないのであろうか。あの院は、何事もお心の及ばないことはほとんどない中でも、音楽の方面のことは、お心を留めて、たいそう賢く知り整えていらっしゃったので、あのように世をお捨てになったようだけれど、静かにお聞きになって心を澄ませなさるだろうことには、今こそ心づかいをしなければならない。あの大将と一緒に目を配って、舞の童たちの心構えや気配りを、よく加えてください。楽の師匠などというものは、ただ自分の立てた流儀にこだわるばかりで、たいそうつまらないものなのです」などと、たいそう親しげに頼みなさるのを、柏木はうれしいものの、苦しく気がひけて、言葉少なに、この御前から早く立ち去ろうと思うので、いつものように細やかにお話しすることもなく、そっと退出してしまった。
意訳
柏木は脚気を患って引きこもっていたと言い、朱雀院の賀は簡略にして静かに語り合う方がよいと答える。
源氏は柏木の賢さを認め、舞の童たちの指導を頼むが、柏木は苦しくて早く立ち去りたいと思い、そっと退出する。
語釈・文法注
文法
- 「みだりかくびやう」(みだりかくびやうといふもの)
- 乱り脚病。脚気。
- 「かうぶりをかけ車ををしまず」(かうぶりをかけ車ををしまず捨てし身)
- 官職を辞したことをいう。冠を掛けるのは辞職、車を捨てるのは公務から退くことの比喩。
- 「しまぬ」(もとよりしまぬにやあらむ)
- 心にしみない、好まない。
解説
柏木は、病を理由に参上しなかったことを、父の勧めで重い病をおして参ったと弁明する。柏木の言葉は筋が通っていて、源氏もその賢さを認める。しかし、その賢さが、源氏にはかえって柏木の罪の重さを感じさせる。
源氏が舞の指導を柏木に頼むのは、表向きは信頼の証であるが、柏木にとっては苦痛である。柏木は「この前を疾く立ちなむ」と、源氏の前から逃れることしか考えられない。二人の間の緊張は、次の宴の場面で頂点に達する。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、712–715頁(コマ67–68)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日