源氏物語 第35帖 若菜下(50)
試楽に招かれる柏木
十二月になった。十日過ぎと定めて舞の稽古をし、六条院は大騒ぎである。紫の上はまだ六条院に戻っていなかったが、この試楽のために落ち着かず戻ってくる。明石の女御も里帰りしている。今度の御子もまた男御子で、次々にかわいらしい皇子たちを明け暮れかわいがるにつけて、源氏は長生きしたかいがあったとうれしく思う。試楽には鬚黒の北の方(玉鬘)も来る。夕霧は丑寅の町で、まず内々に調楽のように明け暮れ稽古をしていたので、花散里は御前での試楽は見ない。源氏は、柏木をこのような折にも加えないのは張り合いがなく、寂しく、人も不審に思うだろうと、参上するよう伝えるが、柏木は病が重いと言って参らない。それほど苦しい病でもないらしいのに、思うところがあるのかと、源氏は気の毒に思い、特に手紙を送る。父の大臣も、どうして辞退したのか、ひがんだように院(朱雀院)もお聞きになるだろう、大した病でもない、無理をして参上せよと勧め、重ねて言われるので、柏木は苦しく思いながら参上する。上達部たちもまだ集まらない頃である。源氏はいつものように近い御簾の内に柏木を入れ、母屋の御簾を下ろしている。柏木はひどくやせて青ざめ、いつもより沈んで控えている。源氏は、皇子たちのそばに並べても少しも劣らないのに、ただ事のありさまが誰も思慮がないのが許しがたいと目をとめるが、さりげなく親しげに、何ということもなく久しく会わなかった、病人の世話ばかりで暇がなく、院の賀のために宮が参上する予定もずれて年の瀬になってしまったので、略式にするが、子どもたちに舞を習わせ始めたのを見ていただこうと思う、その拍子を整えるのは誰に頼もうかと思いめぐらして、長く訪ねてこなかった恨みも捨てたと言う。源氏の様子は隔てがないようだが、柏木はいっそう恥ずかしく、顔色が変わるだろうと思われて、すぐには返事もできない。

- 1十二月十二月しわすににになりなりなりにににけりけりけり。。。十十じゅう餘餘よ日日にちととと定定さだめめめてててまひまひまいどもどもどもならしならしならし殿殿とのののの內內うちゆすりゆすりゆすりてててのゝしるのゝしるののしる。。。二二に條條じょう院院いんののの上上うえはははまだまだまだわたりわたりわたり給給たまははわざりざりざりけるけるけるをををこのこのこの試試し樂樂がくににによりよりよりてててぞぞぞえええしづめしづめしずめはてはてはてゞゞで渡渡わたりりり給給たまへへえるるる。。。女御女御にょうごののの君君きみももも里里さとにににおはしますおはしますおわします。。。このこのこのたびたびたびののの御御み子子こははは又又また男男おとこにてにてにてなむなむなんおはしましおはしましおわしましけるけるける。。。すぎすぎすぎすぎすぎすぎいといといとをかしげをかしげおかしげにてにてにておはするおはするおわするををを、、、明明あけ暮暮くれもてもてもてあそびあそびあそび奉奉たてまつりりり給給たまふふうににになむなむなん過過すぐるぐるぐるよはひよはひよわいのののしるししるししるし嬉嬉うれしくしくしくおぼさおぼさおぼされれれけるけるける試試し樂樂がくににに右右う大大だい臣臣じん殿殿どのののの北北きたののの方方かたもももわたりわたりわたり給給たまへへえりりり。。。大大だい將將しょうののの君君きみ丑丑うし寅寅とらののの町町まちにてにてにてまづまづまずうちうちうちうちうちうちににに調調ちょう樂樂がくのののやうやうようににに、、、明明あけ暮暮くれ遊遊あそびびびならしならしならし給給たまひひいけれけれければばばかのかのかの御御おんかたかたかたはははおおお前前まえのののものものものははは見見み給給たまははわずずず。。。
- 2衛衛え門門もん督督かみをををかゝるかゝるかかることことことののの折折おりもももまじらはまじらはまじらわせせせざらざらざらむむんはははいといといとはえはえはえなくなくなくさうざうしかるさうざうしかるそうぞうしかるべきべきべき。。。うちうちうちにににももも人人ひと怪怪あやしししとととかたぶきかたぶきかたぶきぬぬぬべきべきべきことことことなれなれなればばば參參まいりりり給給たまふふうべきべきべきよしよしよしありありありけるけるけるををを、、、重重おもくくく煩煩わずらふふうよしよしよし申申もうしししててて參參まいらららずずず。。。さるはさるはさるはそこはかそこはかそこはかととと苦苦くるしげしげしげなるなるなる病病やまいにににもももあらあらあらざざざなるなるなるををを、、、思思おもふふう心心こころのののあるあるあるにににやややととと心苦心苦こころぐるしくしくしくおぼしおぼしおぼしててて取取とりりりわきわきわきててて御御おんせうそこせうそこしょうそこつかはすつかはすつかわす。。。「「「ちゝちゝちちおとゞおとゞおとどもももなどなどなどかかかかへさひかへさひかえさい申申もうささされれれけるけるける。。。ひがひがしきひがひがしきひがひがしきやうやうようににに院院いんにににももも聞聞きこししし召召めさささむむんををを、、、おどろおどろしきおどろおどろしきおどろおどろしき病病やまいにににもももあらあらあらずずず。。。助助たすけけけててて參參まいりりり給給たまへへえ」」」とととそゝのかしそゝのかしそそのかし給給たまふふうにににかくかくかく重重かさねねねてててのたまへのたまへのたまえれれればばば苦苦くるしししととと思思おもふふう思思おもふふう參參まいりりりぬぬぬ。。。
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現代語訳
十二月になってしまった。十日過ぎと定めて、舞などを練習させ、六条院の中は大騒ぎである。二条院の上(紫の上)はまだお戻りにならなかったが、この試楽のために、落ち着いていられずにお戻りになった。女御の君も里にいらっしゃる。今度の御子もまた男でいらっしゃった。次々とたいそうかわいらしくいらっしゃるのを、明け暮れおもちゃのようにかわいがり申し上げなさるにつけて、源氏は長生きしたかいがあったと、うれしくお思いになるのだった。試楽には、右大臣殿の北の方(玉鬘)もお越しになった。大将の君(夕霧)は、丑寅の町で、まず内々に調楽のように、明け暮れ稽古をなさったので、あちらの御方(花散里)は、御前での試楽はご覧にならない。
源氏は、衛門督(柏木)を、このような折にも加えないのは、たいそう張り合いがなく、寂しいだろう。帝(今上帝)でも、人は不審に思って首をかしげるに違いないことなので、参上なさるようにという仰せがあったのを、柏木は重く患っているということを申し上げて参上しない。しかし実は、どこがどうと苦しそうな病気でもないそうなのに、思うところがあるのだろうかと、源氏は気の毒にお思いになって、特別にお手紙をお遣わしになる。父の大臣も、「どうしてご辞退申し上げたのか。ひがんでいるように院もお聞きになるだろうに。大げさな病気でもない。無理をして参上なさい」とお勧めになるところに、このように重ねておっしゃってきたので、柏木はつらいと思いながら参上した。
上達部などもまだお集まりにならない頃であった。源氏は例のように近い御簾の内に柏木をお入れになって、母屋の御簾を下ろしていらっしゃる。柏木は本当にひどくやせ細って青ざめて、いつもでも、得意げに華やかな方は弟の君達には圧倒されて、たいそう心づかいのある様子で落ち着いている点が格別なのだが、いっそう沈み込んでお控えになっている様子は、どうして皇子たちのおそばに並べたとしても、まったく欠点などあろうか、ただ事の有様が、誰も彼もたいそう思慮がないことこそ、たいそう罪が許しがたいことよなどと、源氏はお目がとまるけれど、さりげなく、たいそう親しげに、「何ということもなくて、対面もずいぶん久しくなってしまったね。ここ何か月かは、いろいろな病人の世話ばかりして、心の暇もない間に、院の御賀のために、こちらにいらっしゃる宮が法事をおさせ申し上げなさる予定だったのが、次々と滞ることが多くて、このように年も押し詰まってしまったので、思うようにもできずに、形ばかりに行うのです。精進の御鉢を差し上げるのですが、御賀などというと仰々しいようだけれど、家に生まれ育った子どもたちが大勢になったのを、ご覧に入れようとして、舞などを習わせ始めたので、せめてそのことだけでも果たそうとして、拍子を整えることを、またほかの誰に頼めようかと思いめぐらしかねてね。何か月も訪ねてくださらなかった恨みも捨ててしまったのですよ」とおっしゃる。ご様子は隔てがないようなものの、柏木はいっそう恥ずかしくて、顔色が変わっているだろうと思われて、お返事もすぐには申し上げられない。
意訳
十二月、朱雀院の賀の試楽が行われ、源氏は病と称して参上しない柏木に手紙を送り、柏木はつらく思いながら参上する。
源氏はやせて青ざめた柏木に目をとめながら、さりげなく親しげに、舞の拍子を整えてほしいと頼み、柏木は返事もできない。
語釈・文法注
文法
- 「試樂」(この試樂によりてぞ)
- 試楽。本番の前に行う音楽や舞の予行演習。
- 「ざなる」(苦しげなる病にもあらざなるを)
- 「ざるなる」の撥音便「ざんなる」の「ん」が表記されない形。「病気でもないそうなのに」。
- 「とが」(更にとがあるまじきを)
- 咎。欠点、非難されるべき点。
解説
試楽の場面で、源氏と柏木が密通の露見後に初めて対面する。源氏は「さりげなくいとなつかしく」語りかけるが、その言葉の一つ一つが、柏木にとっては責め苦となる。「月比とぶらひものし給はぬうらみも捨てゝける」という言葉は、表面は親しげでありながら、真相を知る者には痛烈な皮肉として響く。
源氏が柏木を見て「などかは御子達の御傍にさし並べたらむに更にとがあるまじきを」と思うのは、柏木の優れた資質を認めながらも、その過ちを許せない源氏の複雑な心を示している。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、710–713頁(コマ66–67)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日