源氏物語 第35帖 若菜下(47)
朱雀院の手紙
こうして朱雀院の五十の賀も延びて秋にと予定していたが、八月は夕霧の母葵の上の忌月で、楽所のことを行うのは不都合であり、九月は弘徽殿の大后が亡くなった月なので、十月にと準備するが、女三の宮がひどく悩むので、また延期となる。柏木が妻とした女二の宮が、その月に朱雀院のもとへ参上する。太政大臣が自ら取り仕切って、盛大に美しく儀式を尽くした。柏木もその折には気を取り直して出かけたが、やはり具合が悪く、病みついて過ごす。女三の宮も、ずっと気がひけて、つらいとばかり嘆いているせいか、月が重なるにつれてたいそう苦しそうなので、源氏は、情けないと思うところはあるものの、かわいらしく、か弱い様子で悩み続けているのを、どうなるかと嘆いて、さまざまに案じる。祈祷なども今年は紛れることが多くて過ごす。朱雀院も山寺でこれを聞いて、宮をいとしく恋しく思う。源氏がほかに住んで、宮のもとにほとんど通わないと人が申し上げたので、院は胸がつぶれる思いで、紫の上が病んでいた頃は看病のためと聞いても心穏やかでなかったのに、その後も通わないのは、その頃に何か具合の悪いことが起こったのか、宮自身の知らないことでも、よくない女房たちの心で何かあったのか、宮中の風流な交際の場でも、けしからぬ噂が立つ例もあると、思い寄るのも、細やかなことは捨てた世だが、子を思う道はやはり離れがたくて、宮に細やかな手紙を送る。源氏がいる時だったので、源氏が見る。

- 1かくかくかくててて山山やまのののみかどみかどみかどののの御御おん賀賀がももも延延のびびびててて秋秋あきとととありありありしししををを、、、八八は月月ずきははは大大だい將將しょうののの御御おんききき月月ずきにてにてにてがくがくがくそそそのののことことこと行行おこなひひい給給たまははわむむんにににびんなかるびんなかるびんなかるべしべしべし。。。九九なが月月つきははは院院いんののの大大おお后后きさきののの隱隱かくれれれ給給たまひひいにににししし月月つきなれなれなればばば十十かん月月なずきにににとととおぼしおぼしおぼしまうくるまうくるもうくるををを、、、姫姫ひめ宮宮みやいたくいたくいたく惱惱なやみみみ給給たまへへえばばばまたまたまたのびのびのびぬぬぬ。。。衛衛え門門もん督督かみののの御御おんあづかりあづかりあずかりののの宮宮みやなむなむなんそのそのその月月つきにににははは參參まいりりり給給たまひひいけるけるける。。。おほきおほきおおきおとゞおとゞおとど居居い立立たちちちててていかめしくいかめしくいかめしくこまかこまかこまかににに物物もののののきよらきよらきよら、、、ぎしきぎしきぎしきをををつくしつくしつくし給給たまへへえりりりけむけむけん。。。かんかんかんののの君君きみもももそのそのその序序ついでにににぞぞぞ思思おもひひい起起おこしししててて出出いででで給給たまひひいけるけるける猶猶なおなやましくなやましくなやましく例例れいならならならずずず病病やまいづきづきずきてててのみのみのみすぐしすぐしすぐし給給たまふふう。。。宮宮みやもももうちうちうちはへはへはえててて物物ものをををつゝましくつゝましくつつましくいとほしいとほしいとおしとととのみのみのみおぼしおぼしおぼし歎歎なげくくくけけけにににやややあらあらあらむむん、、、月月つき多多おおくくく重重かさなりなりなり給給たまふふうまゝまゝままにににいといといと苦苦くるしげしげしげにににおはしませおはしませおわしませばばば、、、院院いんははは心心こころうしうしうしととと思思おもひひい聞聞きこえええ給給たまふふう方方かたこそこそこそあれあれあれ、、、いといといとらうたげらうたげろうたげにににあえかあえかあえかなるなるなるさまさまさましししてててかくかくかく惱惱なやみみみわたりわたりわたり給給たまふふうををを、、、いかにいかにいかにおはせおはせおわせむむんとととなげかしくなげかしくなげかしくてててさまざまさまざまさまざまにににおぼしおぼしおぼしなげくなげくなげく。。。御御おんいのりいのりいのりなどなどなど今今こ年年としはははまぎれまぎれまぎれ多多おおくくくてててすぐしすぐしすぐし給給たまふふう。。。
- 2御御おん山山やまにににもももきこしきこしきこし召召めしししててて、、、らうたくらうたくろうたく戀戀こいしししととと思思おもひひい聞聞きこえええ給給たまふふう。。。月月つき比比ごろかくかくかくほかほかほかほかほかほかにてにてにて渡渡わたりりり給給たまふふうことことこともももをさをさをさをさおさおさなきなきなきやうやうようににに人人ひとののの奏奏そうしししけれけれければばばいかなるいかなるいかなるにににかかかととと御御おん胸胸むねつぶれつぶれつぶれててて、、、世世よののの中中なかももも今今いま更更さらにににうらめしくうらめしくうらめしくおぼしおぼしおぼしててて對對たいののの方方かたののの煩煩わずらひひいけるけるける比比ころははは猶猶なおそのそのそのあつかひあつかひあつかいにににととと聞聞きこししし召召めしししてててだにだにだになまなまなまやすからやすからやすからざりざりざりしししををを、、、そのそのその後後のちなほりなほりなおり難難かたくくく物物ものししし給給たまふふうらむらむらんはははそのそのその比比ころほひほひおいびんなきびんなきびんなきことことことややや出出いででで來來きたりたりたりけむけむけん、、、みづからみづからみずから知知しりりり給給たまふふうことことことならならならねねねどどど善善よからからからぬぬぬ御御おんうしろみうしろみうしろみどもどもどもののの心心こころにてにてにていかなるいかなるいかなることことことかかかありありありけむけむけん、、、うちうちうちわたりわたりわたりなどなどなどのののみやびみやびみやびをををかはすかはすかわすべきべきべきなからひなからひなからいなどなどなどにににももも、、、けしからけしからけしからずずずうきうきうきことことこといひいひいい出出いづるづるずるたぐひたぐひたぐいももも聞聞きこゆゆゆかしかしかしとととさへさへさへおぼしおぼしおぼしよるよるよるももも、、、こまやかこまやかこまやかなるなるなることことことおぼしおぼしおぼし捨捨すてててししし世世よなれなれなれどどど、、、猶猶なおこのこのこの道道みちははは離離はなれれれ難難かたくくくててて、、、宮宮みやににに御御おん文文ふみこまやかこまやかこまやかにてにてにてありありありけるけるけるををを、、、おとゞおとゞおとど坐坐おわしますしますします程程ほどにてにてにて見見み給給たまふふう。。。
現代語訳
こうして山の帝(朱雀院)の御賀も延びて、秋にということだったが、八月は大将(夕霧)の母上の御忌月で、楽所のことを行いなさるには不都合だろう。九月は院(朱雀院)の母の大后がお亡くなりになった月なので、十月にとご準備なさったが、姫宮がひどくお悩みになるので、また延期となった。衛門督(柏木)がお預かりの宮(落葉の宮)が、その月には院のもとへ参上なさった。太政大臣が自ら取り仕切って、盛大に細やかに、物の美しさや儀式を尽くしなさったということだ。督の君も、その機会に気を取り直してお出かけになったが、やはり具合が悪く、普段と違って病みついてばかりお過ごしになる。宮(女三の宮)も、ずっと気がひけて、つらいとばかりお嘆きになるせいであろうか、月が多く重なっていかれるにつれて、たいそう苦しそうでいらっしゃるので、院(源氏)は、情けないとお思い申し上げなさるところはあるけれど、たいそういじらしく、か弱い様子で、このように悩み続けていらっしゃるのを、どうおなりになるだろうと嘆かわしくて、さまざまにお嘆きになる。御祈祷なども、今年は紛れることが多くてお過ごしになる。
御山(朱雀院)でもお聞きになって、宮をいとしく恋しくお思い申し上げなさる。ここ何か月も、源氏がこのようにほかに住んでいて、お通いになることもほとんどないように人が奏上したので、どうしたことかと院はお胸がつぶれて、世の中も今さらに恨めしくお思いになって、「対の方(紫の上)が病んでいた頃は、やはりその看病のためと聞いてさえ、何となく穏やかでなかったのに、その後も夫婦仲が直りがたくていらっしゃるのは、その頃に何か具合の悪いことでも起こったのだろうか。宮ご自身が知っていらっしゃることでなくても、よくない御後見の女房たちの心から、どんなことがあったのだろう。宮中あたりなどの、風流を交わすような間柄などでも、けしからぬつらいことを言い出す例も聞こえるものだ」とまでお思い寄りになるのも、細やかなことはお捨てになった世だけれど、やはりこの子を思う道は離れがたくて、宮にお手紙を細やかに書いてあったのを、大臣(源氏)がいらっしゃる時だったので、ご覧になる。
意訳
朱雀院の五十の賀は、忌月や女三の宮の不調で延期が続き、柏木も病みついて過ごす。
朱雀院は、源氏が宮のもとに通わないと聞いて胸を痛め、何かあったのではないかと案じて、宮に細やかな手紙を送る。
語釈・文法注
文法
- 「き月」(八月は大將の御き月にて)
- 忌月。親などの亡くなった月。夕霧の母葵の上の亡くなった月。
- 「がくそ」(がくそのこと行ひ給はむに)
- 楽所。音楽を担当する役所。ここでは賀の音楽の催し。
- 「この道」(猶この道は離れ難くて)
- 子を思う親心の道。「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰集)による。
解説
朱雀院の五十の賀は、さまざまな事情で延期が続く。この延期は、物語の中で女三の宮の懐妊と柏木の病が進行していく時間を作り出している。華やかな賀の準備の裏で、悲劇は静かに進んでいく。
朱雀院は、出家の身でありながら、娘の噂を聞いて心を乱す。「善からぬ御うしろみどもの心にていかなることかありけむ」という院の推測は、事実を正確に言い当てている。院が若菜上の巻で恐れていたことが、まさに現実となっていたのである。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、708–709頁(コマ65)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日