源氏物語 第35帖 若菜下(46)
紫の上との語らい
源氏は紫の上に、ひどく恥をかかされたものだ、確かに不愉快だ、さまざまに心細い世の中をよく見過ごしてきたようだと言う。何かにつけて言葉を交わし、季節の情趣を知り、親しく付き合える人は、朝顔の前斎院と朧月夜だけが残っていたのに、皆出家して、斎院も熱心に勤行していると聞く。多くの女性の中でも、深く思い慕わしいという点で、朧月夜に並ぶ人さえいなかったと言う。そして、娘を育てることは難しい、宿縁は目に見えず親の思いどおりにならないが、育つ間の心づかいはやはり必要だ、自分は娘がたくさんいなくて幸いだった、若い頃は子が少なく寂しかったが、と語り、若宮(女一の宮)を心して育ててほしい、女御はまだ物事を深くわからないうちに宮仕えをしているので心もとない、皇女たちは人に非難されないよう、心構えを身につけさせたいと言う。紫の上は、確かな後見でなくても、生きている限りはお世話しようと思うが、どうなるかと心細げに言い、心のままに出家できる人々をうらやむ。源氏は、尼となった朧月夜の装束などを、慣れないうちは届けるべきだ、袈裟などはどう縫うのか、作らせてほしい、一揃いは花散里に頼もうと言い、紫の上は青鈍の一揃いをここで作らせる。源氏は作物所の人を呼んで、尼の調度などをひそかに急いで作らせる。

- 1「「「いといといといたくいたくいたくこそこそこそはづかしめはづかしめはずかしめられられられたれたれたれ。。。げにげにげに心心こころづきなしづきなしずきなしややや。。。さまざまさまざまさまざまににに心心こころぼそきぼそきぼそき世世よののの中中なかののの有樣有樣ありさまをををよくよくよく見見みすぐしすぐしすぐしつるつるつるやうやうようなるなるなるよよよ。。。なべてなべてなべてののの世世よののの事事ことにてにてにてもももはかなくはかなくはかなく物物ものをををいひいひいいかはしかはしかわし、、、時時とき々々どきににによせよせよせててて哀哀あわれをををももも知知しりりり故故ゆえをををもももすぐさすぐさすぐさずずず、、、よそよそよそながらながらながらのののむつびむつびむつびかはしかはしかわしつつつべきべきべき人人ひとははは、、、齋齋さい院院いんとととこのこのこの君君きみとととこそこそこそははは殘殘のこりりりありありありつるつるつるををを、、、かくかくかく皆皆みな背背そむきききはてはてはてゝゝて齋齋さい院院いんはたはたはたいみじういみじういみじゅうつとめつとめつとめてててまぎれまぎれまぎれなくなくなくおこなひおこなひおこないにににしみしみしみ給給たまひひいにににたなりたなりたなり。。。猶猶なおこゝらこゝらここらののの人人ひとののの有樣有樣ありさまををを聞聞きききき見見みるるる中中なかににに、、、深深ふかくくく思思おもふふうさまさまさまにににさすがにさすがにさすがに懷懷なつかしきしきしきことことことのののかのかのかの人人ひとののの御御おんなずらひなずらひなずらいにににだにだにだにもももあらあらあらざりざりざりけるけるけるかなかなかな。。。女女おんなごごごをををおほしおほしおおし立立たてててむむんことことことよよよ、、、いといといと難難かたかるかるかるべきべきべきわざわざわざなりなりなりけりけりけり。。。すくせすくせすくせなどなどなどいふいふいうらむらむらんものものものははは目目めににに見見みえええぬぬぬわざわざわざにてにてにて親親おやののの心心こころにににまかせまかせまかせがたしがたしがたし。。。おひおひおいたらたらたらむむん程程ほどののの心心こころづかひづかひずかいはははなほなほなお力力ちからいるいるいるべかめりべかめりべかめり。。。よくよくよくこそこそこそあまたあまたあまたかたがたかたがたかたがたににに心心こころををを亂亂みだるるるまじきまじきまじきちぎりちぎりちぎりなりなりなりけれけれけれ。。。年年とし深深ふかくくくいたらいたらいたらざりざりざりしししほどほどほどにににさうざうしさうざうしそうぞうしのののわざわざわざややや。。。さまざまさまざまさまざまににに見見みましかましかましかばばばとととなむなむなん歎歎なげかしきかしきかしきをりをりをりをりおりおりありありありししし。。。
- 2若若わか宮宮みやををを心心こころしししててておほしおほしおおしたてたてたて奉奉たてまつりりり給給たまへへえ。。。女御女御にょうごははは物物ものののの心心こころををを深深ふかくくく知知しりりり給給たまふふう程程ほどならならならでででかくかくかく暇暇いとまなきなきなきまじらひまじらひまじらいをををししし給給たまへへえばばば、、、何事何事なにごとももも心心こころもとなきもとなきもとなきかたかたかたにににぞぞぞ物物ものししし給給たまふふうらむらむらん。。。御御み子子こ達達たちなむなむなんなほなほなおあくあくあくかぎりかぎりかぎり人人ひとにににてんてんてんつかつかつかるるるまじくまじくまじくててて世世よをををのどかのどかのどかにににすぐしすぐしすぐし給給たまははわむむんにににうしろめたかるうしろめたかるうしろめたかるまじきまじきまじき心心こころばせばせばせつけつけつけまほしきまほしきまほしきわざわざわざなりなりなりけるけるける。。。かぎりかぎりかぎりありありありてててとととざまざまざまかうかうこうざまざまざまのののうしろみうしろみうしろみまうくるまうくるもうくるたゞたゞただ人人ひとはははおのづからおのづからおのずからそれそれそれにににももも助助たすけけけられられられぬるぬるぬるををを」」」などなどなど聞聞きこえええ給給たまへへえばばば「「「はかばかしきはかばかしきはかばかしきさまさまさまののの御御おんうしろみうしろみうしろみならならならずずずともともとも世世よにににながらへながらへながらへむむんかぎりかぎりかぎりははは見見み奉奉たてまつらららぬぬぬやうやうようあらあらあらじじじととと思思おもふふうををを、、、いかならいかならいかならむむん」」」とてとてとて猶猶なお物物ものををを心心こころぼそげぼそげぼそげにてにてにてかくかくかく心心こころににに任任まかせせせててて行行おこなひひいをををもももとゞこほりとゞこほりとどこおりなくなくなくししし給給たまふふう人々人々ひとびとをををうらやましくうらやましくうらやましく思思おもひひい聞聞きこえええ給給たまへへえりりり。。。
- 3「「「かんかんかんののの君君きみにににさまさまさま變變かわりりり給給たまへへえらむらむらんさうぞくさうぞくそうぞくなどなどなどまだまだまだ立立たちちちなれなれなれぬぬぬほどほどほどはははとぶらふとぶらふとぶらうべきべきべきををを、、、けさけさけさなどなどなどはははいかにいかにいかにぬふぬふぬう物物ものぞぞぞ。。。それそれそれせせせさせさせさせ給給たまへへえ。。。一一ひとくだりくだりくだりははは六六ろく條條じょうのののひんがしひんがしひんがしののの君君きみにににものしものしものしつけつけつけむむん。。。うるはしきうるはしきうるわしき法法ほう服服ぶくだちだちだちてててはははうたてうたてうたて見見みるるる目目めもももけうとかるけうとかるきょうとかるべしべしべし。。。さすがにさすがにさすがにそのそのその心心こころばへばへばえ見見みせせせてててををを」」」などなどなど聞聞きこえええ給給たまふふう。。。あをあをあおにびにびにびのののひとひとひとくだりくだりくだりをををこゝこゝここにににはははせせせさせさせさせ給給たまふふう。。。つくもつくもつくもどころどころどころののの人人ひと召召めしししててて忍忍しのびびびてててあまあまあまののの御御おん具具ぐどもどもどものののさるべきさるべきさるべきはじめはじめはじめのたまはすのたまはすのたまわす。。。御御おんしとねしとねしとね、、、うはうはうわむしろむしろむしろ、、、屏屏びょう風風ぶ、、、几几き帳帳ちょうなどなどなどのののことことこともももいといといと忍忍しのびびびてててわざとわざとわざとがましくがましくがましく急急いそがががせせせ給給たまひひいけるけるける
現代語訳
源氏は、「たいそうひどく恥をかかされたものだ。本当に情けないことだ。さまざまに心細い世の中の有様を、よく見過ごしてきたようなものだよ。世間一般のことでも、ちょっとしたことを言い交わし、季節ごとに折に触れて情趣も知り、風流も見過ごさず、よそながら親しく付き合えるような人は、斎院(朝顔の前斎院)とこの君(朧月夜)とだけが残っていたのに、このように皆、世をすっかり背いてしまって、斎院はまた熱心に勤行して、ひたすら修行に打ち込んでいらっしゃるそうだ。やはり、大勢の人の様子を見聞きする中で、深く思う点で、それでいて慕わしいことでは、あの人(朧月夜)に並ぶ人さえいなかったなあ。娘を育てることよ、たいそう難しいことだったのだ。宿縁などというものは目に見えないもので、親の心に任せがたい。成長する間の心づかいは、やはり骨を折るべきもののようだ。よくぞ、娘がたくさんいて、あれこれと心を乱さずに済む宿縁だったものだ。年が若かった頃には、子が少なくて寂しいことだと思った。いろいろな子を見られたらと、嘆かわしい折々があった。
若宮(女一の宮)を心してお育て申し上げてください。女御は物事を深くお分かりになる年頃にならないうちに、このように暇のない宮仕えをしていらっしゃるので、何事も心もとない方でいらっしゃるだろう。皇女たちは、やはりこの上なく、人に非難されることがないようにして、世をのどかにお過ごしになるのに、安心できるような心構えを身につけさせたいものだ。限りがあって、あれこれの後見を用意する臣下の娘は、自然とそれにも助けられるのだが」などと申し上げなさると、紫の上は、「しっかりとした後見ではなくても、この世に生きている限りは、お世話申し上げないことはあるまいと思いますが、どうなりますことか」と言って、やはり何となく心細そうで、このように心のままに勤行も滞りなくなさる人々を、うらやましくお思い申し上げていらっしゃった。
源氏は、「尚侍の君(朧月夜)に、尼姿にお変わりになっただろう装束などを、まだ慣れていらっしゃらない間はお見舞いとして差し上げるべきなのだが、袈裟などはどのように縫うものなのか。それを作らせてください。一揃いは六条の東の君(花散里)に頼もう。きちんとした法服めいたものでは、いやに見る目も疎ましいだろう。それでも、その尼の心ばえは見せるように」などと申し上げなさる。紫の上は、青鈍の一揃いをこちらでお作らせになる。源氏は作物所の人を呼んで、ひそかに尼の御調度類で、しかるべき物をはじめ、お命じになる。御褥、上筵、屏風、几帳などのことも、たいそうひそかに、ことさらに急がせなさるのだった。
意訳
源氏は、朝顔の前斎院も朧月夜も出家してしまったと嘆き、娘を育てることの難しさを語って、紫の上に女一の宮の養育を頼む。
紫の上は出家した人々をうらやみ、源氏は朧月夜のために尼の装束や調度をひそかに急いで作らせる。
語釈・文法注
文法
- 「なずらひ」(かの人の御なずらひにだにもあらざりけるかな)
- 並ぶもの、匹敵するもの。
- 「てんつかる」(人にてんつかるまじくて)
- 非難される。点をつけられる。
- 「つくもどころ」(つくもどころの人召して)
- 作物所。宮中の調度品を作る所。
解説
源氏は朧月夜を「深く思ふさまにさすがに懷しきことのかの人の御なずらひにだにもあらざりける」と評価する。朧月夜は、源氏にとって最も深く心ひかれた女性の一人であった。その朧月夜が出家した今、源氏は女三の宮の事件と重ね合わせて、娘を育てることの難しさを語る。
紫の上が出家した人々をうらやむ姿は、紫の上自身の出家の願いがかなわないことの痛みを示している。源氏は朧月夜の尼衣を紫の上に作らせるが、それは紫の上の出家の願いを知りながらの、残酷な依頼でもある。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、706–709頁(コマ64–65)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日