源氏物語 第35帖 若菜下(22)
源氏の女性回想
源氏は、多くの女性を見てきたが、本当におっとりと落ち着いた心ばえの人はめったにいないと語り、かつての女性たちを振り返る。夕霧の母の葵の上は、幼い頃に結婚して大切な人と思っていたが、いつも仲がよくなく、隔てがあるまま終わってしまったのが、今思えば気の毒で悔やまれる。自分の過ちばかりでもなかったと思う。葵の上は端正で重々しく、不満なところはなかったが、あまりに乱れたところがなく、きまじめで少し賢すぎたのだろうか、頼もしくはあったが、打ち解けにくい人だった。秋好中宮の母の六条御息所は、格別に心深く優美な人の例としてまず思い出されるが、付き合いにくく苦しい人だった。恨むのももっともなことを、長く思いつめて深く恨まれたのがつらかった。気を許せず、こちらが気後れして、朝夕親しくするには気づまりで、打ち解けては見下されるかと取り繕っているうちに隔たってしまった。浮き名が立って身が軽々しくなった嘆きを深く思いつめていたのが気の毒で、その罪滅ぼしに、娘の中宮を世の非難も顧みずに後見したので、あの世からも見直してくれただろうと語る。

- 1「「「多多おおくくくはははあらあらあらねねねどどど、、、人人ひとののの有樣有樣ありさまのののとりどりとりどりとりどりににに口惜口惜くちおしくしくしくはははあらあらあらぬぬぬををを、、、見見み知知しりりりゆくゆくゆくまゝまゝままににに誠誠まことののの心心こころばせばせばせのののおいらかおいらかおいらかにににおちゐおちゐおちいたるたるたるこそこそこそ、、、いといといと難難かたきききわざわざわざなりなりなりけれけれけれとととなむなむなん思思おもひひいはてはてはてにににたるたるたる。。。大大だい將將しょうののの母母はは君君ぎみををを幼幼おさなかりかりかりししし程程ほどににに見見みそめそめそめててて、、、やんごとなくやんごとなくやんごとなくさらさらさらぬぬぬすぢすぢすじにににははは思思おもひひいしししををを、、、常常つねににになかなかなかよからよからよからずずず隔隔へだてあるあるある心地心地ここちしししててて止止やみみみにににしししこそこそこそ、、、今今いま思思おもへへえばばばいとほしくいとほしくいとおしくくやしくくやしくくやしくもももあれあれあれ。。。又又また我我わがががあやまちあやまちあやまちにににのみのみのみもももあらあらあらざりざりざりけりけりけりなどなどなど心心こころひとつひとつひとつににになむなむなん思思おもひひい出出いづるづるずる。。。うるはしくうるはしくうるわしくおもりかおもりかおもりかにてにてにてそのそのそのことことことののの飽飽あかかかぬぬぬかなかなかなととと覺覺おぼゆるゆるゆることことこともももなかりなかりなかりききき。。。唯唯ただいといといとあまりあまりあまり亂亂みだれれれたるたるたる所所ところなくなくなく、、、すくすくしくすくすくしくすくすくしく少少すこしししさかしさかしさかしとととやややいふいふいうべかりべかりべかりけむけむけんととと思思おもふふうにににはははたのもしくたのもしくたのもしく見見みるるるにににははは煩煩わずらはしかりはしかりわしかりししし人人ひとざまざまざまににになむなむなん。。。
- 2中中ちゅう宮宮ぐうののの御御おん母母はは御御み息息やす所所どころなむなむなんさまさまさまことことことににに心心こころ深深ふかくくくなまめかしきなまめかしきなまめかしきためしためしためしにににはははまづまづまず思思おもひひい出出いでででらるれらるれらるれどどど、、、人人ひと見見みえええにくゝにくゝにくく苦苦くるしかりしかりしかりしししさまさまさまににになむなむなんありありありししし。。。怨怨うらむむむべきべきべきふしふしふしぞぞぞげにげにげにことわりことわりことわりととと覺覺おぼゆるゆるゆるふしふしふしををを、、、やがてやがてやがて長長ながくくく思思おもひひいつめつめつめててて深深ふかくくくゑんぜゑんぜえんぜられられられしししこそこそこそいといといと苦苦くるしかりしかりしかりしかしかしか。。。心心こころゆるびゆるびゆるびなくなくなくはづかしくはづかしくはずかしくてててわれわれわれももも人人ひともももうちうちうちたゆみたゆみたゆみ朝朝あさ夕夕ゆうのののむつびむつびむつびをををかはさかはさかわさむむんにににははは、、、いといといとつゝましきつゝましきつつましき所所ところのののありありありしかしかしかばばば、、、打打うちちちとけとけとけてててははは見見みおとさおとさおとさるゝるゝるることことことやややなどなどなどあまりあまりあまりつくろひつくろひつくろいししし程程ほどにににやがてやがてやがて隔隔へだたりたりたりししし中中なかぞぞぞかしかしかし。。。いといといとあるあるあるまじきまじきまじき名名なをををたちたちたちててて身身みのののあはあはしくあはあはしくあわあわしくなりなりなりぬるぬるぬるなげきなげきなげきををを、、、いみじくいみじくいみじく思思おもひひいしめしめしめ給給たまへへえしししがががいとほしくいとほしくいとおしく、、、實實げににに人人ひとがらがらがらををを思思おもひひいしししももも我我わががが罪罪つみあるあるある心地心地ここちしししててて止止やみみみにににしししなぐさめなぐさめなぐさめににに中中ちゅう宮宮ぐうをををかくかくかくさるべきさるべきさるべき御御おん契契ちぎりとととはははいひいひいいながらながらながら、、、取取とりりりたてたてたてゝゝて世世よのののそしりそしりそしり人人ひとのののうらみうらみうらみをををももも知知しらららずずず心心こころよせよせよせ奉奉たてまつるるるををを、、、あのあのあの世世よながらながらながらももも見見みなほさなほさなおされれれぬぬぬらむらむらん。。。
現代語訳
「多くはないけれど、女の人々の様子が、それぞれに悪くはないのを、見知っていくにつれて、本当の気立てがおっとりと落ち着いていることこそ、たいそう難しいことだったのだと、思い至るようになった。大将の母君(葵の上)を、私が幼かった頃に結婚して、大切な、離れられない妻とは思っていたが、いつも仲がよくなく、隔てがある気持ちのまま終わってしまったのが、今思えば気の毒で悔やまれることだ。また、自分の過ちばかりでもなかったのだなどと、心の中で思い出す。端正で重々しくて、その点で不満だなあと思われることもなかった。ただ、たいそうあまりにも乱れたところがなく、きまじめで、少し賢すぎると言うべきだったろうかと思うと、頼もしくはあるが、一緒にいるには気づまりな人柄だった。
中宮(秋好中宮)の母の御息所(六条御息所)は、格別に心深く優美な例としては、まず思い出されるけれど、付き合いにくく、苦しい様子の人だった。恨むべき点が、なるほどもっともだと思われる点を、そのまま長く思いつめて、深く恨まれたのがたいそうつらかった。気を許すこともできず、こちらが恥ずかしくなって、自分も相手も気を緩めて朝夕親しく交わろうとするには、たいそう気づまりなところがあったので、打ち解けては見下されることもあろうかなどと、あまり取り繕っていたうちに、そのまま隔たってしまった仲だよ。たいそうあってはならない浮き名が立って、身が軽々しくなってしまった嘆きを、ひどく思いつめていらっしゃったのが気の毒で、本当に人柄を思っても、自分に罪がある気がして終わってしまった、その慰めに、中宮を、こうなる宿縁とは言いながら、取り立てて世の非難や人の恨みも顧みずに後見申し上げているのを、あの世からでも見直してくださっただろう。
意訳
源氏は、本当におっとりと落ち着いた女性はめったにいないと語り、葵の上は端正だが打ち解けにくい人だったと振り返る。
六条御息所は心深く優美だったが、深く恨む人で、源氏はその償いに娘の秋好中宮を後見したと語る。
語釈・文法注
文法
- 「さらぬすぢ」(やんごとなくさらぬすぢには思ひしを)
- 避けられない間柄、離れられない妻。
- 「すくすくし」(すくすくしく少しさかしとやいふべかりけむ)
- 生真面目で、そっけない。
- 推量の「らむ」(あの世ながらも見なほされぬらむ)
- 現在推量。「あの世からでも見直してくださっただろう」。
解説
源氏が紫の上に過去の女性たちを語るこの場面は、源氏が自らの恋愛の歴史を振り返る重要な場面である。葵の上は「すくすくしく少しさかし」、六条御息所は「人見えにくゝ苦しかりし」と評される。源氏は自分の過ちも認めながら、相手の性格にも原因があったと語る。
源氏が六条御息所について「あの世ながらも見なほされぬらむ」と語るのは、皮肉な伏線となっている。この語りの直後に紫の上は倒れ、やがて六条御息所の死霊が現れて、源氏が紫の上に自分を悪く言ったことを恨むのである。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、678–681頁(コマ50–51)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日