源氏物語 第35帖 若菜下(18)
源氏の琴の論
源氏は琴(きん)について語る。どの芸道も、極めようとすれば際限がないが、今の世には深く究めた人もいないので、一端でも習得すれば満足できる。しかし琴だけは扱いにくい。昔、その奏法をそのままに習い得た人は、天地を動かし、鬼神の心を和らげ、悲しむ者を喜ばせ、貧しい者を富ませた。この国に伝わった初めの頃は、深く心得た人は、異国で長い年月を過ごし、身を捨ててこれを学ぼうとしても、なかなか習得できなかった。月や星を動かし、時ならぬ霜雪を降らせ、雷を騒がせた例も、昔はあった。その後、中途半端に学んで思いがかなわない者が出て、琴を弾く人には良くないことがあると難をつけられ、今は伝える人もほとんどいない。琴の音を離れては、何を音楽の基準とすればよいのか。とはいえ、唐土や高麗に渡って親子と離れるのは、ひねくれ者と言われよう。せめてこの道に通じる程度の端緒は知っておきたい。自分は若い頃、世にある譜をすべて見合わせて、師とする人もなく習ったが、昔の人には及ぶべくもない、まして後に伝えるべき人もないのが悲しいと源氏が語る。夕霧は恥ずかしく思う。源氏は、皇子たちが成長したら、自分の手を伝えたい、二の宮は今から才能が見えると言い、明石の君は晴れがましく涙ぐむ。

- 1「「「萬萬よろずののの事事こと道道みち々々みちにににつけつけつけててて習習ならひひいまねばまねばまねばゞゞばざえざえざえととといふいふいうものものもの孰孰いずれれれもももきはきはきわなくなくなく覺覺おぼえええつゝつゝつつ、、、我我わががが心心こころにににあくあくあくべきべきべきかぎりかぎりかぎりなくなくなく習習ならひひいとらとらとらむむんとととはははいといといと難難かたけれけれけれどどど、、、何何なにかはかはかはそのそのそのたどりたどりたどり深深ふかききき人人ひとののの今今いまののの世世よにににをさをさをさをさおさおさなけれなけれなければばばかたかたかたはしはしはしをををなだらかなだらかなだらかにににまねびまねびまねびえええたらたらたらむむん人人ひと、、、さるさるさるかたかたかたかどかどかどににに心心こころをををやりやりやりてててもももありありありぬぬぬべきべきべきををを、、、きんきんきんなむなむなん猶猶なお煩煩わずらはしくはしくわしく手手てふれふれふれにくきにくきにくきものものものにににはははありありありけるけるける。。。このこのこの事事ことははは誠誠まことにににあとあとあとのののまゝまゝままににに尋尋たずねねねとりとりとりたるたるたる昔昔むかしののの人人ひとはははあめつちあめつちあめつちをををなびかしなびかしなびかしおにおにおにがみがみがみののの心心こころをををやはらげやはらげやわらげ萬萬よろずののの物物もののののねねねのののうちうちうちににに從從したがひひいてててかなしびかなしびかなしび深深ふかきききものものものもももよろこびよろこびよろこびにににかはりかはりかわり賤賤いやしくしくしく貧貧まずしきしきしきものものものももも高高たかききき世世よにににあらたまりあらたまりあらたまりたからたからたからにににあづかりあづかりあずかり世世よにににゆるさゆるさゆるさるゝるゝるるたぐひたぐひたぐい多多おおかりかりかりけりけりけり。。。このこのこの國國くににににひきひきひき傳傳つたふるふるうる始始はじめつかたつかたつかたまでまでまで深深ふかくくくこのこのこの事事ことををを心得心得こころえたるたるたる人人ひとははは多多おおくくくののの年年としををを知知しらららぬぬぬ國國くににににすぐしすぐしすぐし身身みをををなきなきなきににになしなしなしてててこのこのこのことことことをををまねびまねびまねび取取とらららむむんととと惑惑まどひひいてててだにだにだにもももうるはうるはうるわ難難かたくくくなむなむなんありありありけるけるけるををを、、、げにげにげにはたはたはたあきらかあきらかあきらかににに空空そらののの月月つき星星ほしをををうごかしうごかしうごかし時時ときならならならぬぬぬ霜霜しも雪雪ゆきををを降降ふらせらせらせくもくもくもいかづちいかづちいかずちをををさわがしさわがしさわがしたるたるたるためしためしためし、、、あがりあがりあがりたるたるたる世世よにににはははありありありけりけりけり。。。かくかくかく限限かぎりりりなきなきなきものものものにてにてにてそのそのそのまゝまゝままににに習習ならひひいとるとるとる人人ひとのののありがたくありがたくありがたく世世よののの末末すえなれなれなればばばにににややや、、、いづこいづこいずこのののかたかたかたはしはしはしにににかはかはかはあらあらあらむむん。。。されどされどされど猶猶なおおにおにおにがみがみがみののの耳耳みみとゞめとゞめとどめかたぶきかたぶきかたぶきそめそめそめにににけるけるけるものものものなれなれなればばばにににやややなまなまなまなまなまなまにににまねびまねびまねびててて思思おもひひいかなはかなはかなわぬぬぬたぐひたぐひたぐいありありありけるけるける。。。のちのちのちこれこれこれをををひくひくひく人人ひとににによからよからよからずずずとととかかかいふいふいうなんなんなんをををつけつけつけてててうるさきうるさきうるさきまゝまゝままににに今今いまはははをさをさをさをさおさおさ傳傳つたふるふるうる人人ひとなしなしなしとととかかか。。。いといといと口惜口惜くちおしきしきしきことことことにににこそこそこそあれあれあれ。。。
- 2きんきんきんのののねねねをををはなれはなれはなれてててははは、、、何事何事なにごとをををかかか物物ものをををとゝのへとゝのへととのえしるしるしるしるべしるべしるべとととはははせせせむむん。。。げにげにげに萬萬よろずののの事事こと衰衰おとろふるふるうるさまさまさまははは易易やすくくくなりなりなりゆくゆくゆく世世よののの中中なかににに一一ひと人人り出出いででで離離はなれれれててて心心こころををを立立たてててゝゝてもろこしもろこしもろこしこまこまこまとととこのこのこの世世よににに惑惑まどひひいありきありきありき親親おや子子こををを離離はなれれれむむんことことことははは世世よののの中中なかにににひがめるひがめるひがめるものものものににになりなりなりぬぬぬべしべしべし。。。などなどなどかかかなのめなのめなのめにてにてにて猶猶なおこのこのこの道道みちをををかよはしかよはしかよわししるしるしるばかりばかりばかりのののはしはしはしをををばばば知知しりりりおかおかおかざらざらざらむむん。。。しらべしらべしらべひとつひとつひとつににに手手てをををひきひきひきつくさつくさつくさむむんことことことだにだにだにはかりはかりはかりもももなきなきなきものものものなゝりなゝりななり。。。いはむやいはむやいわむや多多おおくくくのののしらべしらべしらべ煩煩わずらはしきはしきわしきこくこくこく多多おおかるかるかるををを、、、心心こころにににいりいりいりしししさかりさかりさかりにににははは世世よにににありありありとととありありあり、、、こゝこゝここににに傳傳つたはりはりわりたるたるたる譜譜ふととといふいふいうものものものゝゝのかぎりかぎりかぎりををを遍遍あまねくくく見見み合合あわせせせててて、、、後後のち々々のちははは師師しとととすすすべきべきべき人人ひともももなくなくなくてててなむなむなん好好このみみみ習習ならひひいしかしかしかどどど、、、猶猶なおあがりあがりあがりてててののの人人ひとにににははは當當あたるるるべくべくべくもももあらあらあらじじじをををややや。。。ましてましてましてこのこのこの後後のちととといひいひいいてててははは傳傳つたはるはるわるべきべきべき末末すえもももなきなきなき、、、いといといと哀哀あわれとととなむなむなん」」」などなどなどのたまへのたまへのたまえばばば大大だい將將しょうげにげにげにいといといと口惜口惜くちおしくしくしく恥恥はずかしししととと覺覺おぼすすす。。。「「「このこのこの御御み子子こ達達たちののの御御おん中中なかににに思思おもふふうやうやうようにににおひおひおい出出いででで給給たまひひい物物ものししし給給たまははわゞゞばそのそのその世世よににになむなむなんそそそもももさささまでまでまでながらへながらへながらへとまるとまるとまるやうやうようあらあらあらばばばいくばくいくばくいくばくならならならぬぬぬ手手てのののかぎりかぎりかぎりもももとゞめとゞめとどめ奉奉たてまつるるるべきべきべき。。。二二にの宮宮みや今今いまよりよりより氣色氣色けしきありありありててて見見みえええ給給たまふふうををを」」」などなどなどのたまへのたまへのたまえばばば明明あか石石しののの君君きみはははいといといとおもだゝしくおもだゝしくおもだたしく淚淚なみだぐみぐみぐみててて聞聞きききき居居い給給たまへへえりりり。。。
現代語訳
「何事も、それぞれの道について習い学ぶと、才能というものは、どれも際限がなく思われて、自分の心に満足できるまで、限りなく習得しようとするのはたいそう難しいけれど、どうして、その道を深く究めた人が今の世にほとんどいないので、一端だけでもなだらかに学び得たような人は、その方面に一つの才能があると心を満足させてもよいのだが、琴(きん)だけは、やはり面倒で手を触れにくいものなのだ。この琴というものは、本当に伝えのとおりに習得した昔の人は、天地を動かし、鬼神の心を和らげ、すべての楽の音の中で、琴に従って、悲しみの深い者も喜びに変わり、卑しく貧しい者も高い身分に改まって財宝にあずかり、世に認められた例が多かった。この国に弾き伝えた初めの頃までは、深くこの琴を心得た人は、多くの年月を見知らぬ国で過ごし、身を捨ててこれを学び取ろうと苦労してさえ、習得するのは難しかったのだが、なるほど、はっきりと空の月や星を動かし、時ならぬ霜や雪を降らせ、雲や雷を騒がせた例が、昔の世にはあったのだ。このように限りないものなので、そのまま習得する人はめったになく、末の世だからであろうか、どこにその一端でも残っていようか。けれども、やはり鬼神が耳をとめ、心を傾け始めたものだからであろうか、中途半端に学んで、思いがかなわない例があった。その後、これを弾く人には良くないことがあるとかいう難をつけて、煩わしいので、今はほとんど伝える人もいないとか。たいそう残念なことだ。
琴の音を離れては、何を楽の調子を整える基準とすればよいのか。なるほど、何事も衰えていく様子はたやすくなっていく世の中で、一人だけ抜け出して志を立て、唐土や高麗と、この世をさまよい歩いて、親子と離れるようなことは、世の中でひねくれ者になってしまうだろう。どうして、ほどほどに、やはりこの道に通じて知る程度の端緒だけでも、知っておかないことがあろうか。一つの調子に手を弾き尽くすことでさえ、計り知れないもののようだ。まして多くの調子や、面倒な曲が多いのに、私は心に入れて熱心だった盛りの頃には、世にあるだけの、この国に伝わっている譜というものをすべて広く見合わせて、後々は師とすべき人もいないまま、好んで習ったけれど、やはり昔の人には及ぶべくもないだろうよ。まして、この後となっては、伝えるべき子孫もいないのが、たいそう悲しい」などとおっしゃるので、大将はなるほど、たいそう残念で恥ずかしいとお思いになる。「この御子たち(明石の女御の皇子たち)の中で、思いどおりに成長なさるお方があったら、その時まで私がそれほど長生きしていられるようなら、わずかな手でもすべてお伝え申し上げよう。二の宮は、今から才能があるようにお見えになるから」などとおっしゃるので、明石の君は、たいそう晴れがましく、涙ぐんで聞いていらっしゃった。
意訳
源氏は、琴(きん)が天地や鬼神を動かす霊妙な楽器であったが、今は伝える人もいなくなったと嘆く。
源氏は、自分が独学で習った琴を伝える子孫がいないことを悲しみ、皇子たちに伝えたいと言い、明石の君は涙ぐむ。
語釈・文法注
文法
- 「おにがみ」(おにがみの心をやはらげ)
- 鬼神。目に見えない霊的な存在。「古今集」仮名序の「目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」による。
- 「なゝり」(はかりもなきものなゝり)
- 「なるなり」の撥音便「なんなり」を「なゝり」と表記したもの。「計り知れないもののようだ」。
- 「あがりたる世」(あがりたる世にはありけり)
- 上代、昔の世。
解説
源氏の琴論は、物語の中でも特に長い独白の一つである。琴が天地を動かし、鬼神を和らげるという考えは、中国の古典に基づくもので、源氏はそれを日本で独学で習得したことを誇りにしている。同時に、その伝統が自分の代で絶えることを深く悲しんでいる。
源氏が琴を伝えたいと言う「二の宮」は、明石の女御の皇子で、のちの匂宮の兄にあたる。明石の君が涙ぐむのは、自分の孫が源氏の芸を受け継ぐことを晴れがましく思うからである。源氏の芸の継承は、明石の一族を通じて未来へとつながっていく。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、672–675頁(コマ47–48)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日