源氏物語 第35帖 若菜下(8)
住吉の神前
明石の尼君は、もともと栄えていた人々よりも、すばらしい宿縁がはっきりとわかる身の上である。十月二十日なので、住吉の社の玉垣の葛も色づき、松の下の紅葉も美しい。仰々しい高麗楽や唐楽よりも、東遊の耳慣れた調べが、波風の音に響き合って趣深い。山藍で摺った衣の竹の節模様は松の緑と見まがい、挿頭の花の色々は秋の草と区別がつかない。求子の舞の終わりに、若い上達部が肩脱ぎをして庭に下り、黒い袍の下から蘇芳襲や葡萄染の袖を引き出し、紅の衵の袂が時雨に濡れて紅葉のように見える。白く枯れた荻を挿頭にして一度だけ舞って入る姿は、いつまでも見飽きない。源氏は、須磨に沈んだ昔を思い出し、それを語り合える人として、致仕の大臣を恋しく思う。源氏が「誰かまた」と詠んで尼君の車に贈ると、尼君は明石の浦での別れを思い出し、「住の江を」と返し、さらに「昔こそ」と独り言を言う。一晩中遊び明かし、二十日の月が澄んで海面を照らし、霜が白く置いて、趣深さと哀れさが入り混じる。

- 1さるべきさるべきさるべきにてにてにてもとよりもとよりもとよりかくかくかく匂匂におひひい給給たまふふう御御おん身身みどもどもどもよりよりよりもももいみじかりいみじかりいみじかりけるけるけるちぎりちぎりちぎりあらはあらはあらわににに思思おもひひい知知しらららるゝるゝるる人人ひとののの御御おん有樣有樣ありさまなりなりなり。。。十十かん月月なずき中中なかののの十十とお日日かなれなれなればばば神神かみのののいがきいがきいがきにににはふはふはうくずくずくずももも色色いろかはりかはりかわりててて松松まつののの下下したもみぢもみぢもみじなどなどなどおとおとおとにににのみのみのみ秋秋あきををを聞聞きかかかぬぬぬかほかほかおなりなりなり。。。ことごとしきことごとしきことごとしきこまこまこまもろこしもろこしもろこしのののがくがくがくよりよりよりもももあづまあづまあずまあそびあそびあそびののの耳耳みみなれなれなれたるたるたるはははなつかしくなつかしくなつかしくおもしろくおもしろくおもしろく浪浪なみ風風かぜののの聲聲こえににに響響ひびきききあひあひあいてててさるさるさる小小こ高高だかききき松松まつ風風かぜににに吹吹ふききき立立たてててたるたるたる笛笛ふえのののねねねももも外外ほかにてにてにて聞聞きくくくしらべしらべしらべにににははは變變かわりりりててて身身みにににしみしみしみ、、、琴琴ことにににうちうちうち合合あわせせせたるたるたるひやうしひやうしひょうしもももつゞみつゞみつづみををを離離はなれれれてててとゝのへとゝのへととのえとりとりとりたるたるたる方方かたおどろおどろしからおどろおどろしからおどろおどろしからぬぬぬもももなまめかしくなまめかしくなまめかしくすごうすごうすごうおもしろくおもしろくおもしろく所所ところからからからはははましてましてまして聞聞きこえええけりけりけり。。。やまやまやまあゐあゐあいにににすれすれすれるるる竹竹たけのののふしふしふしははは松松まつののの綠綠みどりににに見見みえええまがひまがひまがいかざしかざしかざしののの花花はなのののいろいろいろいろいろいろははは秋秋あきののの草草くさにににことことことなるなるなるけぢめけぢめけじめ分分わかれれれででで何事何事なにごとにににももも目目めのみのみのみまがひまがひまがいいろふいろふいろう。。。もとめこもとめこもとめこはつるはつるはつる末末すえににに若若わかやかやかやかなるなるなる上達部上達部かんだちめはははかたかたかたぬぎぬぎぬぎててておりおりおり給給たまふふう。。。にほひにほひにおいもももなくなくなく黑黑くろききき上上うえのののきぬきぬきぬにににすあうすあうすおうがさねがさねがさねえびぞめえびぞめえびぞめののの袖袖そでををを俄俄にわかににに引引ひきききほころばしほころばしほころばしたるたるたるににに、、、紅紅くれない深深ふかきききあこめあこめあこめののの袂袂たもとのののうちうちうちまぐれまぐれまぐれたるたるたるににに氣色氣色けしきばかりばかりばかりぬれぬれぬれたるたるたる松松まつはらはらわらをををばばば忘忘わすれれれててて紅紅もみ葉葉じののの散散ちるるるににに思思おもひひいわたるわたるわたる。。。見見みるるるかひかひかい多多おおかるかるかるすかたすかたすかたどもどもどもにににいといといと白白しろくくくかれかれかれたるたるたる荻荻おぎををを高高たかやかやかやかにににかざしかざしかざしててて唯唯ただ一一ひと返返かえりりりまひまひまいててて入入いりりりぬるぬるぬるはははいといといとおもしろくおもしろくおもしろく飽飽あかかかずずずぞぞぞありありありけるけるける。。。
- 2おとゞおとゞおとど昔昔むかしのののことことことおぼしおぼしおぼし出出いでででられられられ中中なか比比ごろしづみしづみしずみ給給たまひひいししし世世よのののありさまありさまありさまももも目目めののの前前まえのののやうやうようにににおぼさおぼさおぼさるゝるゝるるににに、、、そのそのそのよよよのののことことことうちうちうち亂亂みだれれれ語語かたりりり給給たまふふうべきべきべき人人ひともももなけれなけれなければばば、、、ちじちじちじのののおとゞおとゞおとどをををぞぞぞ戀戀こいしくしくしく思思おもひひい聞聞きこえええ給給たまひひいけるけるける。。。入入いりりり給給たまひひいててて二二にののの車車くるまににに忍忍しのびびびててて、、、「「「誰誰たれかかかまたまたまた心心こころををを知知しりりりてててすみよしすみよしすみよしののの神神かみ世世よををを經經へたるたるたる松松まつにににことことことゝふゝふとう」」」。。。御御おんたゝうたゝうたとうがみがみがみににに書書かききき給給たまへへえりりり。。。尼尼あま君君ぎみうちうちうちしをれしをれしおれたるたるたるかゝるかゝるかかる世世よををを見見みるるるにににつけつけつけてててもももかのかのかのうらうらうらにてにてにて今今いまはははととと別別わかれれれ給給たまひひいしししほどほどほど女御女御にょうごののの君君きみのののおはせおはせおわせししし有樣有樣ありさまなどなどなど思思おもひひい出出いづるづるずるもももいといといとかたじけなかりかたじけなかりかたじけなかりけるけるける身身みのののすくせすくせすくせののの程程ほどををを思思おもふふう。。。世世よををを背背そむききき給給たまひひいししし人人ひとももも戀戀こいしくしくしくさまざまさまざまさまざまににに物物もの悲悲かなしきしきしきをををかつはかつはかつはゆゝしゆゝしゆゆしとととことことこといみいみいみしししててて、、、「「「すみのえすみのえすみのえをををいけるいけるいけるかひかひかいあるあるある渚渚なぎさとととははは年年とし經經ふるるるあまあまあまももも今今け日日きょうややや知知しるるるらむらむらん」」」。。。おそくおそくおそくはははびんなからびんなからびんなからむむんとととたゞたゞただうちうちうち思思おもひひいけるけるけるまゝまゝままなりなりなりけりけりけり。。。「「「昔昔むかしこそこそこそまづまづまず忘忘わすららられれれねねねすみよしすみよしすみよしののの神神かみのののしるししるししるしををを見見みるるるにににつけつけつけてててももも」」」とととひとりごちひとりごちひとりごちけりけりけり。。。よよよひとよひとよひとよ遊遊あそびびび明明あかししし給給たまふふう。。。二十日二十日はつかののの月月つき遙遙はるかにににすみすみすみててて海海うみのののおもておもておもておもしろくおもしろくおもしろく見見みえええわたるわたるわたるににに霜霜しものののいといといとこちたうこちたうこちとうおきおきおきててて松松まつ原原ばらももも色色いろまがひまがひまがいててて、、、よろづよろづよろずののの事事ことそゞろそゞろそぞろ寒寒さむくくくおもしろさおもしろさおもしろさももも哀哀あわれさささももも立立たちちち添添そひひいたりたりたり。。。
現代語訳
尼君は、しかるべき因縁で、もとからこのように栄えていらっしゃる方々よりも、すばらしかった宿縁がはっきりと思い知らされる人のご様子である。十月二十日なので、神社の玉垣に這う葛も色が変わって、松の下紅葉なども、風の音だけで秋を知るのではない様子である。仰々しい高麗楽や唐楽よりも、東遊の耳慣れた調べは、親しみやすく趣深く、波風の音に響き合って、あのような小高い松風に吹き立てた笛の音も、ほかで聞く調べとは違って身にしみ、和琴に合わせた拍子も、鼓を用いずに整えたところが、大げさでないのも優美で、ぞっとするほど趣深く、場所柄、いっそう感じ深く聞こえた。山藍で摺った衣の竹の節模様は松の緑と見まがい、挿頭の花のいろいろは秋の草と区別がつかず、何もかも目移りするばかりである。求子の舞の終わりに、若々しい上達部は肩脱ぎをして庭にお下りになる。光沢もなく黒い袍に、蘇芳襲や葡萄染の袖を急に引き出したところに、紅の深い衵の袂が時雨に少し濡れたのが、松原であることを忘れて、紅葉が散るのかと思われる。見るかいの多い姿の人々が、たいそう白く枯れた荻を高く挿頭にして、ただ一度舞って入っていったのは、たいそう趣深く、いつまでも見飽きなかった。
大臣(源氏)は、昔のことが思い出されて、途中で須磨に沈んでいらっしゃった頃の世の様子も、目の前のようにお思いになるが、その頃のことを打ち解けて語り合いなさるような人もいないので、致仕の大臣(かつての頭中将)を恋しくお思い申し上げなさった。お入りになって、二の車にそっと、「誰かまた心を知りてすみよしの神世を經たる松にことゝふ(私のほかに、誰がまた昔の心を知って、神代を経た住吉の松に語りかけるだろうか)」。御畳紙に書きなさった。尼君は涙にくれて、このような御代を見るにつけても、あの明石の浦で、もうこれまでと源氏がお別れになった時、女御の君がお腹にいらっしゃったご様子などを思い出すにつけても、たいそう恐れ多かったわが身の宿縁のほどを思う。世を捨てた人(入道)も恋しく、さまざまにもの悲しいのを、一方では縁起でもないと言葉を慎んで、「すみのえをいけるかひある渚とは年經るあまも今日や知るらむ(住吉が、生きていたかいのある渚だとは、年を経た尼〈海人〉も今日こそ知るのでしょう)」。遅くなっては具合が悪いだろうと、ただ思ったままを詠んだのだった。「昔こそまづ忘られねすみよしの神のしるしを見るにつけても(昔のことこそまず忘れられません。住吉の神のご利益を見るにつけても)」と、独り言を言った。一晩中、遊び明かしなさる。二十日の月がはるかに澄んで、海の面が趣深く見渡されるところに、霜がたいそうびっしりと置いて、松原も霜の色に見まがい、何もかもぞくぞくと寒く、趣深さも哀れさも加わっている。
意訳
十月の住吉の社で東遊が奏され、若い上達部たちが紅葉のような袖をひるがえして舞う。
源氏は須磨の昔を思い、尼君と歌を交わし、一晩中遊び明かす。
語釈・文法注
文法
- 「もとめこ」(もとめこはつる末に)
- 求子。東遊の曲名の一つ。
- 掛詞「あま」(年經るあまも今日や知るらむ)
- 「尼」と「海人」を掛ける。
- 「こといみ」(かつはゆゝしとこといみして)
- 言忌み。縁起の悪い言葉を避けること。
解説
住吉の社での東遊の描写は、色彩と音の美しさに満ちている。松の緑、紅葉の赤、白い荻、海に映る月、白い霜と、自然と人の装いとが溶け合う。この華やかな夜は、源氏の栄華の最後の頂点として描かれている。
源氏が須磨の昔を語り合える人として、致仕の大臣(かつての頭中将)を思うのは、須磨に源氏を訪ねてきたのが頭中将ひとりであったからである。栄華の中で、源氏は昔を共にした友を恋しく思う。尼君の歌もまた、明石の浦での苦労を思い起こし、生きていたかいを噛みしめるものである。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、660–663頁(コマ41–42)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日