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源氏物語 第35帖 若菜下(5)

冷泉帝の譲位

登場人物:冷泉帝・光源氏・太政大臣・鬚黒・夕霧・明石の女御・秋好中宮

そうして二年ほどが過ぎ、蛍兵部卿宮と真木柱はそれなりの夫婦として過ごす。年月が過ぎ、冷泉帝は即位して十八年になる。跡継ぎの皇子がいないので、世の中をはかなく思い、親しい人々と気楽に過ごしたいと願っていたが、重い病にかかり、急に譲位する。東宮が即位し、太政大臣は辞職し、鬚黒が右大臣となって政治を執る。承香殿の女御は、わが子の即位を見ずに亡くなっていた。明石の女御の生んだ一の宮が東宮となり、夕霧は大納言兼左大将となる。源氏は、冷泉院に跡継ぎがないことを、心の中で残念に思う。罪は隠れて露見しなかったが、自分の子の血筋が伝わらないのは、宿縁であろうと思う。明石の女御は多くの皇子を生み、源氏の家筋から続けて后が立つことを世の人は不満に思う。冷泉院の后(秋好中宮)は、源氏が強く自分を后に立ててくれたことを思い、ますます源氏に感謝する。

内裏で、冷泉帝の譲位にかかわる儀式が厳かに行われている場面(AI生成)
内裏で、冷泉帝の譲位にかかわる儀式が厳かに行われている場面
  1. 1さささいひいひいいつゝつゝつつもももふたふたふたとせとせとせばかりばかりばかりににになりなりなりぬれぬれぬればばばかゝるかゝるかかるかたかたかたにににめめめなれなれなれててて唯ただ唯ただたださるさるさるかたかたかたののの御おん御おんおん中なか中なかなかにてにてにてすぐしすぐしすぐし給たま給たまたまふふう。。。はかなくはかなくはかなくててて年とし年としとし月つき月つきつきももも重かさな重かさなかさなりりりててて內うち內うちうちのののみかどみかどみかど御おん御おんおん位くらゐ位くらゐくらいにににつかつかつかせせせ給たま給たまたまひひいててて十じふ十じふじゅう八はち八はちはち年ねん年ねんねんにににならならならせせせ給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。次つぎ次つぎつぎののの君きみ君きみきみとととならならならせせせ給たま給たまたまふふうべきべきべき御み御みみ子こ子ここおはしまさおはしまさおわしまさずずず。。。物もの物ものもののののはえはえはえなきなきなきににに世よ世よよののの中なか中なかなかはかなくはかなくはかなく覺おぼ覺おぼおぼゆるゆるゆるををを心こころ心こころこころ安やす安やすやすくくく思おも思おもおもふふう人々ひとびと人々ひとびとひとびとにににももも對たい對たいたい面めん面めんめんしししわたくしわたくしわたくしざまざまざまににに心こころ心こころこころをををやりやりやりてててのどかのどかのどかにににすぐさすぐさすぐさまほしくまほしくまほしくなむなむなんととと、、、年とし年としとし比ごろ比ごろごろおぼしおぼしおぼしのたまはせのたまはせのたまわせつるつるつるををを、、、日ひ日ひひ比ごろ比ごろごろいといといと重おも重おもおもくくく惱なや惱なやなやままませせせ給たま給たまたまふふうことことことありありありててて俄にはか俄にはかにわかにににおりゐおりゐおりいさせさせさせ給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。世よ世よよののの人ひと人ひとひとあかあかあかずずずさかりさかりさかりののの御おん御おんおん世よ世よよをををかくかくかくのがれのがれのがれ給たま給たまたまふふうことことことゝゝと惜をし惜をしおしみみみ歎なげ歎なげなげけけけどどど春宮とうぐう春宮とうぐうとうぐうもももおとなびおとなびおとなびさせさせさせ給たま給たまたまひひいにににたれたれたればばばうちうちうちつぎつぎつぎててて世よ世よよののの中なか中なかなかのののまつりごとまつりごとまつりごとなどなどなど殊こと殊ことことににに變かは變かはかわるるるけぢめけぢめけじめもももなかりなかりなかりけりけりけり。。。おほきおほきおおきおとゞおとゞおとどちじちじちじののの表へう表へうひょう奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりてててこもりこもりこもり居ゐ居ゐい給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。世よ世よよののの中なか中なかなかののの常つね常つねつねなきなきなきににによりよりより、、、かしこきかしこきかしこきみかどみかどみかどののの君きみ君きみきみももも位くらゐ位くらゐくらいををを去さ去ささりりり給たま給たまたまひひいぬるぬるぬるににに、、、年とし年としとしふかきふかきふかき身み身みみのののかうぶりかうぶりこうぶりをををかけかけかけむむん何なに何なになにかかか惜を惜をおしからしからしからむむんとととおぼしおぼしおぼしのたまひのたまひのたまいててて左さ左ささ大だい大だいだい將しやう將しやうしょう右う右うう大だい大だいだい臣じん臣じんじんににになりなりなり給たま給たまたまひひいてててぞぞぞ世よ世よよののの中なか中なかなかのののまつりごとまつりごとまつりごとつかうまつりつかうまつりつこうまつり給たま給たまたまひひいけるけるける。。。女御にようご女御にようごにょうごののの君きみ君きみきみはははかゝるかゝるかかる御おん御おんおん世よ世よよをををももも待ま待ままちちちつけつけつけ給たま給たまたまははわでででうせうせうせ給たま給たまたまひひいにににけれけれければばば限かぎり限かぎりかぎりあるあるある御おん御おんおん位くらゐ位くらゐくらいををを得え得ええ給たま給たまたまへへえれれれどどど物もの物ものもののののうしろうしろうしろのののこゝちこゝちここちしししてててかひかひかいなかりなかりなかりけりけりけり。。。六ろく六ろくろく條でう條でうじょうののの女御にようご女御にようごにょうごののの御おん御おんおん腹はら腹はらはらののの一いち一いちいちののの宮みや宮みやみやばうばうぼうににに居ゐ居ゐい給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。さるべきさるべきさるべきことことことかねてかねてかねて思おも思おもおもひひいしかしかしかどどどさしさしさしあたりあたりあたりてててははは猶なほ猶なほなおめでたくめでたくめでたく目め目めめ驚おどろ驚おどろおどろかかかるゝるゝるるわざわざわざなりなりなりけりけりけり。。。右う右うう大だい大だいだい將しやう將しやうしょうののの君きみ君きみきみ大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんににになりなりなり給たま給たまたまひひいててて例れい例れいれいののの左ひだり左ひだりひだりににに移うつ移うつうつりりり給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。いよいよいよいよいよいよあらまほしきあらまほしきあらまほしき御おん御おんおんなからひなからひなからいなりなりなり。。。
  2. 2六ろく六ろくろく條でう條でうじょう院ゐん院ゐんいんはははおりおりおり居ゐ居ゐい給たま給たまたまひひいぬるぬるぬる冷れい冷れいれい泉ぜい泉ぜいぜい院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおんつぎつぎつぎおはしまさおはしまさおわしまさぬぬぬををを飽あ飽ああかかかずずず御心みこころ御心みこころみこころののの中なか中なかなかにににおぼすおぼすおぼす。。。同おな同おなおなじじじすぢすぢすじなれなれなれどどど思おも思おもおもひひいなやましきなやましきなやましき御おん御おんおん事こと事ことことなくなくなくてててすぐしすぐしすぐし給たま給たまたまへへえるるるばかりばかりばかりにににつみつみつみははは隱かく隱かくかくれれれててて末すゑ末すゑすえののの世よ世よよまでまでまではははえええ傳つた傳つたつたふふうまじかりまじかりまじかりけるけるける御おん御おんおんすくせすくせすくせ口惜くちを口惜くちをくちおしくしくしくさうざうしくさうざうしくそうぞうしくおぼせおぼせおぼせどどど人ひと人ひとひとにににのたまひのたまひのたまい合あは合あはあわせせせぬぬぬことことことなれなれなればばばいぶせくいぶせくいぶせくなむなむなん。。。春宮とうぐう春宮とうぐうとうぐうののの女御にようご女御にようごにょうごははは御み御みみ子こ子ここ達たち達たちたちあまたあまたあまた數かず數かずかずそひそひそい給たま給たまたまひひいててて、、、いとゞいとゞいとど御おん御おんおんおぼえおぼえおぼえならびならびならびなしなしなし。。。源氏げんじ源氏げんじげんじのののうちうちうちつゞきつゞきつづききさききさききさきににに居ゐ居ゐい給たま給たまたまふふうべきべきべきことことことををを世よ世よよののの人ひと人ひとひとあかあかあかずずず思おも思おもおもへへえるるるにににつけつけつけてててももも冷れい冷れいれい泉ぜい泉ぜいぜい院ゐん院ゐんいんののの后きさき后きさききさきははは故ゆゑ故ゆゑゆえなくなくなくてててあながちあながちあながちにににかくかくかくしししおきおきおき給たま給たまたまへへえるるる御心みこころ御心みこころみこころをををおぼすおぼすおぼすににに、、、いよいよいよいよいよいよ六ろく六ろくろく條でう條でうじょう院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおんことことことををを年とし年としとし月つき月つきつきにににそへそへそえててて限かぎり限かぎりかぎりなくなくなく思おも思おもおもひひいきこえきこえきこえ給たま給たまたまへへえりりり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

そうは言いながらも、二年ほどになったので、宮もこのような関係に慣れて、ただそれなりの夫婦仲としてお過ごしになる。とりとめもなく年月も重なって、今の帝(冷泉帝)が御位にお就きになって十八年におなりになった。次の帝となられるはずの御子がいらっしゃらない。張り合いがないうえに、世の中がはかなく思われるので、「気楽に思う人々とも対面し、私的に心を慰めて、のんびりと過ごしたい」と、長年お思いになりおっしゃっていたが、このところたいそう重くご病気になることがあって、急にご譲位なさった。世の人は、物足りなく、盛りの御代をこのようにお退きになることよと惜しみ嘆くけれど、東宮も大人になっていらっしゃったので、引き継いで、世の中の政治なども特に変わるところもなかった。太政大臣は辞表を奉って、引きこもっておしまいになった。「世の中が無常なので、恐れ多い帝でさえ位をお去りになったのに、年老いた身が冠をかけて官職にとどまることを、どうして惜しむことがあろうか」とお思いになりおっしゃって。左大将(鬚黒)が右大臣におなりになって、世の中の政治をお執りになった。女御の君(承香殿の女御、今上帝の母)は、このような御代をお待ちになれずにお亡くなりになっていたので、限りのある御位(皇太后)をお受けになったが、日陰の身のような気がして、かいがなかった。六条の女御(明石の女御)のお腹の一の宮が東宮の位にお就きになった。そうなるはずのことと、かねて思っていたけれど、さしあたっては、やはりめでたく、目を見張るようなことであった。右大将の君(夕霧)は大納言におなりになって、例によって左大将にお移りになった。いよいよ申し分のないお二人の間柄(鬚黒と夕霧)である。

六条院(源氏)は、ご退位なさった冷泉院にお跡継ぎがいらっしゃらないのを、心の中で物足りなくお思いになる。「同じ自分の血筋ではあるが、思い悩むようなこともなく過ごしていらっしゃったので、罪は隠れて露見しなかったものの、末の世までは伝えることのできなかった御宿縁が、残念で物足りない」とお思いになるけれど、人に相談なさることでもないので、気が晴れない。東宮の女御(明石の女御)は、御子たちが大勢お増えになって、いよいよご寵愛は並ぶ者がない。源氏の一族から続けて后がお立ちになることを、世の人が不満に思うにつけても、冷泉院の后(秋好中宮)は、源氏が理由もないのに無理にこのように自分を后にしておいてくださったお心をお思いになると、いよいよ六条院のことを、年月とともに、この上なくありがたくお思い申し上げていらっしゃった。

意訳

冷泉帝は跡継ぎのないまま病で譲位し、明石の女御の生んだ一の宮が東宮となり、鬚黒が右大臣、夕霧が大納言となる。

源氏は、冷泉院に跡継ぎがないことを、自分と藤壺の罪の血筋が絶える宿縁として残念に思う。

語釈・文法注

文法

「おりゐ」(俄におりゐさせ給ひぬ)
帝が位を退くこと。譲位。
「ちじの表」(ちじの表奉りて)
致仕の表。官職を辞することを願い出る上表文。
「かうぶりをかけむ」(かうぶりをかけむ何か惜しからむ)
冠を掛ける、つまり官職を辞すること。後漢の逢萌が冠を城門に掛けて去った故事による。

解説

冷泉帝の譲位は、物語の大きな転換点である。冷泉帝は源氏と藤壺の不義の子であるが、跡継ぎがないまま退位した。源氏は「つみは隱れて末の世まではえ傳ふまじかりける御すくせ」と、罪が露見しなかった代わりに、その血筋が絶えることを宿縁として受け止める。

一方、明石の女御の生んだ一の宮が東宮となり、源氏の血筋は明石の一族を通じて皇統につながる。若菜上の巻で明かされた明石の入道の夢が、ここで現実になっていく。藤壺との罪の子の血筋が絶え、明石の君の子孫が栄えるという対照が、物語の構造を形づくっている。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、656–659頁(コマ39–40)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日