源氏物語 第34帖 若菜上(1)
朱雀院の病と女三の宮
六条院への行幸の後から、朱雀院は病がちになり、出家の本意を遂げようと思い立つ。院には東宮のほかに四人の女宮がいるが、中でも、後見もなく亡くなった藤壺の女御の娘である女三の宮を、とりわけかわいがっていた。宮はまだ十三、四歳で、自分が出家した後、誰を頼りに生きていくのかと、院はそればかりを案じる。院は西山の御寺の造営を急がせるとともに、女三の宮の裳着の準備も進め、大切な宝物や調度をこの宮に譲る。

- 1朱朱す雀雀ざく院院いんののの帝帝みかどありしありしありしみゆきみゆきみゆきののの後後のち、、、そのそのそのころほひころほひころおいよりよりより例例れいならならならずずず惱惱なやみみみ渡渡わたらららせせせ給給たまふふう。。。もとよりもとよりもとよりあつしくあつしくあつしくおはしますおはしますおわしますうちうちうちにににこのこのこの度度たびははは物物もの心細心細こころぼそくくくおぼしめさおぼしめさおぼしめされれれててて年年とし比比ごろもももおこなひおこなひおこないのののほいほいほい深深ふかきききをををきさいきさいきさいののの宮宮みやのののおはしましおはしましおわしましつるつるつる程程ほどはははよろづよろづよろず憚憚はばかりりり聞聞きこえええさせさせさせ給給たまひひいててて今今いままでまでまでおぼしおぼしおぼしとゞこほりとゞこほりとどこおりつるつるつるををを、、、猶猶なおそのそのそのかたかたかたににに催催もよおすすすにににやややあらあらあらむむん「「「世世よににに久久ひさしかるしかるしかるまじきまじきまじき心地心地ここちなむなむなんするするする」」」などなどなどのたまはせのたまはせのたまわせてててさるべきさるべきさるべき御御おん心心こころまうけまうけもうけどもどもどもせせせさせさせさせ給給たまふふう。。。
- 2御御み子子こ達達たちははは春宮春宮とうぐうをををおきおきおき奉奉たてまつりりりててて女女おんな宮宮みや達達たちなむなむなん四四よ所所ところおはしましおはしましおわしましけるけるける。。。そのそのその中中なかににに藤藤ふじ壺壺つぼととと聞聞きこえええしししははは先先せん帝帝だいののの源氏源氏げんじにににぞぞぞおはしましおはしましおわしましけるけるける。。。まだまだまだ坊坊ぼうととと聞聞きこえええさせさせさせししし時時とき參參まいりりり給給たまひひいててて高高たかききき位位くらいにににももも定定さだまりまりまり給給たまふふうべかりべかりべかりししし人人ひとののの、、、取取とりりり立立たてててたるたるたる御御おんうしろみうしろみうしろみももも坐坐おわせせせずずず、、、母母はは方方かたもももそのそのそのすぢすぢすじとととなくなくなく物物ものはかなきはかなきはかなき更衣更衣こういばらばらばらにてにてにてものしものしものし給給たまひひいけれけれければばば御御おんまじらひまじらひまじらいののの程程ほどももも心細心細こころぼそげげげにてにてにて、、、大大おお后后きさきののの內內ない侍侍しのののかみかみかみををを參參まいらせらせらせ奉奉たてまつりりり給給たまひひいててて傍傍かたわらにににならぶならぶならぶ人人ひとなくなくなくもてなしもてなしもてなし聞聞きこえええ給給たまひひいなどなどなどせせせしししほどほどほどにににけおさけおさけおされれれててて、、、帝帝みかどももも御心御心みこころののの中中なかにににいとほしきいとほしきいとおしきものものものにににははは思思おもひひい聞聞きこえええさせさせさせ給給たまひひいながらながらながら、、、おりゐおりゐおりいさせさせさせ給給たまひひいにににしかしかしかばばばかひなくかひなくかいなく口惜口惜くちおしくしくしくててて、、、世世よののの中中なかををを怨怨えんみみみたるたるたるやうやうようにてにてにてうせうせうせ給給たまひひいにににししし、、、そのそのその御御おん腹腹はらののの女女おんな三三さん宮宮みやをををあまたあまたあまたののの御御おん中中なかにににすぐれすぐれすぐれててて悲悲かなしきしきしきものものものににに思思おもひひいかしづきかしづきかしずき聞聞きこえええ給給たまふふう。。。
- 3そのそのその程程ほど御御おん年年とし十十じゅう三三さん四四しばかりばかりばかりにににおはすおはすおわす。。。今今いまはははとととそむきそむきそむきすてすてすてやまごもりやまごもりやまごもりしししなむなむなん後後のちののの世世よにににたちたちたちとまりとまりとまりててて誰誰たれをををたのむたのむたのむかげかげかげにてにてにて物物ものししし給給たまははわむむんとととすすすらむらむらんととと、、、唯唯ただこのこのこの御御おん事事ことをををうしろめたくうしろめたくうしろめたくおぼしおぼしおぼしなげくなげくなげく。。。西西にし山山やまなるなるなる御御おん寺寺てら造造つくりりりはてはてはてゝゝて、、、移移うつろはろはろわせせせ給給たまははわむむんほどほどほどののの御御おんいそぎいそぎいそぎをををせせせさせさせさせ給給たまふふうにににそへそへそえててて、、、又又またこのこのこの宮宮みやののの御御おんもぎもぎもぎのののことことことをををおぼしおぼしおぼしいそがいそがいそがせせせ給給たまふふう。。。院院いんののの內內うちにににやんどなくやんどなくやんどなくおぼすおぼすおぼす御御おんたからたからたから物物もの御御み調調ちょう度度どどもどもどもをををばばば更更さらにににもももいはいはいわずずず、、、はかなきはかなきはかなき御御おん遊遊あそび物物ものまでまでまで少少すこしししゆゑゆゑゆえあるあるある限限かぎりをををばばば唯唯ただこのこのこの御御おんかたかたかたにににととと渡渡わたししし奉奉たてまつらららせせせ給給たまひひいててて、、、そのそのそのつぎつぎつぎつぎつぎつぎをををなむなむなんことことことみこみこみこたちたちたちにににははは、、、御御おんそうぶんそうぶんそうぶんどもどもどもありありありけるけるける。。。
現代語訳
朱雀院の帝は、先日の六条院への行幸の後、そのころから、いつもと違ってずっとご病気がちでいらっしゃる。もともとご病弱でいらっしゃるうえに、今度は何となく心細くお思いになって、「長年、仏道修行の本意が深かったのを、母后(弘徽殿の大后)がいらっしゃった間は、何かと遠慮申し上げて、今まで思いとどまっていたが、やはりその方面に心が促されるのであろうか、この世に長くは生きていられないような気がする」などとおっしゃって、出家のためのしかるべきお心づもりをなさる。
御子たちは、東宮をおいては、女宮たちが四人いらっしゃった。その中で、藤壺と申し上げたお方は、先帝の皇子で源氏の姓を賜ったお方の娘でいらっしゃった。院がまだ東宮と申し上げた時に入内なさって、后の位にもお定まりになるはずだった人であるが、取り立てたご後見もいらっしゃらず、母方もそれというほどの家筋でもなく、頼りない更衣の腹でいらっしゃったので、宮仕えのご様子も心細そうで、大后が尚侍(朧月夜)を入内させ申し上げなさって、並ぶ人もないようにお扱い申し上げなさったりしているうちに圧倒されて、帝もお心の中ではかわいそうな者と思い申し上げなさりながら、ご譲位なさってしまったので、そのかいもなく残念で、世の中を恨むような様子でお亡くなりになってしまった。その方のお腹に生まれた女三の宮を、院は大勢の御子の中でもとりわけいとしいものとして、大切にお育て申し上げていらっしゃる。
その頃、宮はお年が十三、四歳ほどでいらっしゃる。「今はこれまでと世を捨てて山籠もりしてしまった後、この世に残って、誰を頼りとしてお過ごしになるのだろうか」と、ただこの宮のことを気がかりにお嘆きになる。西山の御寺の造営が終わって、そちらにお移りになるご準備をおさせになるのに加えて、またこの宮の御裳着のことを急がせなさる。院の中で大切にお思いになる宝物や御調度類はいうまでもなく、ちょっとした御遊び道具まで、少しでも由緒あるものはすべて、ただこの宮の方にとお渡しになって、その次々のものを、ほかの皇女たちにはお分けになった。
意訳
朱雀院は病が重くなり、出家を思い立つが、後見のない女三の宮のことだけが気がかりである。
院は出家の準備とともに女三の宮の裳着を急ぎ、大切な宝物をこの宮に譲る。
語釈・文法注
文法
- 疑問の「にやあらむ」(その方に催すにやあらむ)
- 断定の「なり」の連用形+疑問の係助詞「や」+推量の「む」。「(仏道の方に)促されるのであろうか」。
- 「おりゐ」(おりゐさせ給ひにしかば)
- 帝が位を退くこと。譲位。
- 推量の「らむ」(物し給はむとすらむ)
- 現在推量。「お過ごしになろうとするのだろうか」。
解説
若菜の巻は、源氏物語の第二部の始まりとされる。藤裏葉の巻で頂点に達した源氏の栄華が、女三の宮の降嫁をきっかけに、内側から崩れていく。物語は、源氏ではなく朱雀院の病と、娘を案じる親心から語り始められる。
女三の宮の母は、藤壺の中宮(源氏の継母)の異母妹にあたる。つまり女三の宮は藤壺の中宮の姪であり、「紫のゆかり」に連なる人である。源氏が降嫁を受け入れる心の底には、このゆかりへの関心がある。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、585–587頁(コマ3–4)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日