源氏物語 第33帖 藤裏葉(12)
六条院行幸
十月二十日過ぎ、紅葉の盛りに、冷泉帝が六条院に行幸し、朱雀院も招かれて、世にも珍しいことと人々は驚く。巳の刻に到着し、馬場殿で左右の馬寮の馬を引き並べ、午後には南の寝殿に移る。東の池では鵜飼が鵜を放ち、西の町の紅葉が見事なので、廊の壁を崩して見せる。源氏の座を帝の座と同格に直させる宣旨があるが、帝はなお礼を尽くしきれないと思う。池の魚や鷹狩りの鳥を調理して献上し、日暮れには楽人を召して、殿上童が舞う。太政大臣の十歳ほどの子が賀王恩を見事に舞い、帝が衣を与える。朱雀院は、昔の紅葉の賀の青海波を思い出して「色まさる」と詠み、太政大臣は、同じ舞を源氏と舞ったことを思い出して、やはりこの方は格別だと思う。源氏は「紫の雲に」と返す。夜の管弦の遊びとなり、帝と源氏は、ただ一つのものと見えるほど似ていて、夕霧もそっくりで、やはりそうあるべき親子の縁なのだろう。

- 1神神かみ無無な月月ずきののの二十日二十日はつかあまりあまりあまりののの程程ほどににに六條院六條院ろくじょういんににに行幸行幸みゆきありありあり。。。紅葉紅葉もみじののの盛盛さかりりりにてにてにてけうけうきょうあるあるあるべきべきべきたびたびたびのののみゆきみゆきみゆきなるなるなるににに、、、すざくすざくすざく院院いんにににももも御御おんせうそこせうそこしょうそこありありありててて、、、院院いんさへさへさへ渡渡わたりりりおはしますおはしますおわしますべけれべけれべければばば、、、世世よににに珍珍めずらしくしくしくありがたきありがたきありがたきことことことにてにてにて世世よののの人人ひとももも心心こころをををおどろかすおどろかすおどろかすあるじあるじあるじののの院院いんがたがたがたももも御心御心みこころをををつくしつくしつくしめめめもももあやあやあやなるなるなる御御おん心心こころまうけまうけもうけをををせせせさせさせさせ給給たまふふう。。。
- 2巳巳みののの時時ときににに行幸行幸みゆきありありありてててまづまづまずうまうまうま塲塲ばののの殿殿おとどににに左左さ右右ゆうのののつかさつかさつかさののの御御おん馬馬うまひきひきひきならべならべならべててて、、、左左さ右右ゆうののの近衛近衛このえ立立たちちち添添そひひいたるたるたる作法作法さほう、、、五月五月さつきのののせちせちせちにににあやめあやめあやめわかれわかれわかれずずず通通かよひひいたりたりたり。。。未未ひつじくだるくだるくだるほどほどほどににに南南みなみののの寢寢しん殿殿でんににに移移うつりりりおはしますおはしますおわします。。。道道みちののの程程ほどそりそりそりはしはしはし渡殿渡殿わたどのにににははは錦錦にしきををを敷敷しきききあらはあらはあらわなるなるなるべきべきべき所所ところにににはははせじやうせじやうせじょうをををひきひきひき、、、いつくしういつくしういつくしゅうしなさしなさしなさせせせ給給たまへへえりりり。。。
- 3東東ひんがしののの池池いけににに船船ふねどもどもども浮浮うけけけててて御御おん厨厨ず子子し所所どころののの鵜鵜う飼飼かいのののをさをさおさ、、、院院いんののの鵜鵜う飼飼かいををを召召めしししならべならべならべててて鵜鵜うをををおろさおろさおろさせせせ給給たまへへえりりり。。。ちひさきちひさきちいさき鮒鮒ふなどもどもどもくひくひくいたりたりたり。。。わざとわざとわざとののの御覽御覽ごらんとととはははなけれなけれなけれどどど、、、過過すぎぎぎさせさせさせ給給たまふふう道道みちののの興興きょうばかりばかりばかりににになむなむなん。。。山山やまののの紅葉紅葉もみじはははいづいづいず方方かたももも劣劣おとらららねねねどどど西西にしののの御御おんまへまへまえははは心心こころことことことなるなるなるををを、、、中中なかののの廊廊ろうののの壁壁かべをををくづしくづしくずし中中ちゅう門門もんををを開開ひらきききててて、、、きりきりきりののの隔隔へだてててなくなくなくててて御覽御覽ごらんぜぜぜさせさせさせ給給たまふふう。。。
- 4御御おん座座ざふたつふたつふたつよそひよそひよそいてててあるじあるじあるじののの御御おん座座ざはははくだれくだれくだれるるるををを宣宣せん旨旨じありありありてててなほさなほさなおさせせせ給給たまふふう程程ほどめでたくめでたくめでたく見見みえええたれたれたれどどど、、、みかどみかどみかどはははなほなほなお限限かぎりあるあるあるゐやゐやしさゐやゐやしさいやいやしさをををつくしつくしつくしててて見見みせせせ奉奉たてまつりりり給給たまははわぬぬぬことことことをををなむなむなんおぼしおぼしおぼしけるけるける。。。池池いけののの魚魚うおををを左左ひだりののの少將少將しょうしょうとりとりとり、、、藏人藏人くろうど所所どころののの鷹鷹たか飼飼がいののの北北きた野野のにににかりかりかり仕仕つかうまつれうまつれうまつれるるる鳥鳥とりひとひとひとつがひつがひつがいををを右右みぎのののすけすけすけ捧捧ささげげげててて寢寢しん殿殿でんのののひんがしひんがしひんがしよりよりよりおまへおまへおまえににに出出いでででゝゝてみはしみはしみはしのののひだりひだりひだり右右みぎににに膝膝ひざをををつきつきつきててて奏奏そうすすす。。。
- 5おほきおほきおおきおとゞおとゞおとど仰言仰言おおせごと給給たまひひいててて調調ちょうじじじててて御御おんものものものにににまゐるまゐるまいる。。。みこみこみこ達達たち上達部上達部かんだちめなどなどなどののの御御おんまうけまうけもうけももも珍珍めずらしきしきしきさまさまさまににに常常つねのののことゞもことゞもことどもをををかへかへかへててて仕仕つかうまつらうまつらうまつらせせせ給給たまへへえりりり。。。皆皆みな御御おんゑひゑひえいににになりなりなりててて暮暮くれれれかゝるかゝるかかる程程ほどにににがくそがくそがくそののの人人ひと召召めすすす。。。わざとわざとわざとのののおほおほおおがくがくがくにににはははあらあらあらずずず。。。なまめかしきなまめかしきなまめかしきほどほどほどににに殿殿てん上上じょうのののわらはべわらはべわらわべ舞舞まひひい仕仕つかうまつるうまつるうまつる。。。朱朱す雀雀ざく院院いんののの紅葉紅葉もみじののの賀賀がののの例例れいのののふるふるふる事事ことおぼしおぼしおぼし出出いでででらるらるらる。。。賀賀が王王おう恩恩おんととといふいふいうををを奏奏そうするするするほどほどほどにににおほきおほきおおきおとゞおとゞおとどののの御御おんをとこをとこおとこのののとをとをとをばかりばかりばかりなるなるなるせちせちせちにににおもしろうおもしろうおもしろう舞舞まふふう。。。うちうちうちのののみかどみかどみかど御御おんぞぞぞぬぎぬぎぬぎてててたまふたまふたまう。。。おほきおほきおおきおとゞおとゞおとどおりおりおりててて舞舞ぶ蹈蹈とうしししたまふたまふたまう。。。
- 6あるじあるじあるじのののゐんゐんいんきくきくきくををを折折おらららせせせたまひたまひたまいててて靑靑せい海海がい波波はのののをりをりおりおぼしおぼしおぼしいづいづいず。。。「「「色色いろまさるまさるまさるまがきまがきまがきののの菊菊きくももも折々折々おりおりににに袖袖そでうちうちうちかけかけかけししし秋秋あきををを戀戀こふふうらしらしらし」」」。。。おとゞおとゞおとどそのそのそのをりをりおりははは同同おなじじじ舞舞まいににに立立たちちちならびならびならび聞聞きこえええ給給たまひひいしししををを、、、われわれわれももも人人ひとにににはははすぐれすぐれすぐれ給給たまへへえるるる身身みながらながらながら、、、猶猶なおこのこのこのきはきはきわゝゝはこよなかりこよなかりこよなかりけるけるける程程ほどおぼしおぼしおぼし知知しらららるるる。。。時雨時雨しぐれをりをりおり知知しりりりがほがほがおなりなりなり。。。「「「紫紫むらさきののの雲雲くもにににまがへまがへまがえるるるきくきくきくののの花花はなにごりにごりにごりなきなきなき世世よのののほしほしほしかかかとととぞぞぞ見見みるるる。。。時時ときこそこそこそありありありけれけれけれ」」」ととと聞聞きこえええ給給たまふふう。。。
- 7夕夕ゆう風風かぜ吹吹ふきききしくしくしく紅葉紅葉もみじのののいろいろいろいろいろいろ濃濃こききき薄薄うすききき錦錦にしきををを敷敷しきききたるたるたる渡殿渡殿わたどのののの上上うえ見見みえええまがふまがふまがう。。。庭庭にわののの面面おもにににかたちかたちかたちをかしきをかしきおかしきわらはべわらはべわらわべのののやんごとなきやんごとなきやんごとなき家家いえののの小小こ供供どもなどなどなどにてにてにて、、、靑靑あおききき赤赤あかきききしらつるばみしらつるばみしらつるばみ蘇蘇す芳芳おうえびえびえび染染ぞめなどなどなど常常つねのののづとづとずと例例れいのののみづらみづらみずらにににひたひひたひひたいばかりばかりばかりののの氣色氣色けしきををを見見みせせせててて、、、短短みじかきききものものものどもどもどもをををほのかほのかほのかににに舞舞まひひいつゝつゝつつ紅葉紅葉もみじののの影影かげににに歸歸かえりりり入入いるるるほどほどほど、、、日日ひののの暮暮くるゝるゝるるもももいとほしげいとほしげいとおしげなりなりなり。。。
- 8がくそがくそがくそなどなどなどおどろおどろしくおどろおどろしくおどろおどろしくはははせせせずずず。。。うへうへうえののの御御おん遊遊あそびはじまりはじまりはじまりてててふんふんふんのののつかさつかさつかさののの御御おんことことことどもどもども召召めすすす。。。物物ものののの興興きょうせちせちせちなるなるなるほどほどほどににに御前御前おまえににに皆皆みな御御おんことことことどもどもどもまゐれまゐれまいれりりり。。。宇宇う陀陀だののの法法ほう師師しのののかはらかはらかわらぬぬぬ聲聲こえももも、、、朱朱す雀雀ざく院院いんはははいといといとめづらしくめづらしくめずらしくあはれあはれあわれににに聞聞きこししし召召めすすす。。。「「「秋秋あきをををへへへててて時雨時雨しぐれふりふりふりぬるぬるぬる里里さと人人びともももかゝるかゝるかかるもみぢもみぢもみじののの折折おりをををこそこそこそ見見みねねね」」」。。。うらめしげうらめしげうらめしげにににぞぞぞおぼしおぼしおぼしたるたるたるややや。。。みかどみかどみかど、、、「「「世世よのののつねつねつねののの紅葉紅葉もみじとととややや見見みるるるいにしへいにしへいにしえのののためしためしためしにににひけひけひけるるる庭庭にわののの錦錦にしきををを」」」ととと聞聞きこえええ知知しらせらせらせ給給たまふふう。。。
- 9御御おんかたちかたちかたちいよいよいよいよいよいよねびねびねびとゝのほりとゝのほりととのおり給給たまひひいててて唯唯ただひとつひとつひとつものものものととと見見みえええさせさせさせ給給たまふふうををを、、、中納言中納言ちゅうなごんのののさぶらひさぶらひさぶらい給給たまふふうがががことことことごとごとごとならならならぬぬぬこそこそこそめざましかめざましかめざましかめれめれめれ。。。あてあてあてにににめてたきめてたきめてたきけはひけはひけわいややや思思おもひひいなしなしなしににに劣劣おとりりりまさらまさらまさらむむん。。。あざやかあざやかあざやかににに匂匂におはしきはしきわしき所所ところははは添添そひひいてててさへさへさへ見見みゆゆゆ。。。笛笛ふえ仕仕つかうまつりうまつりうまつりたまふたまふたまういといといとおもしろしおもしろしおもしろし。。。さうがさうがそうがののの殿上人殿上人てんじょうびとみはしみはしみはしにににさぶらふさぶらふさぶらう中中なかににに辨辨べんののの少將少將しょうしょうののの聲聲こえすぐれすぐれすぐれたりたりたり。。。猶猶なおさるべきさるべきさるべきにににこそこそこそととと見見みえええたるたるたる御御おんなからひなからひなからいなななめりめりめり。。。
現代語訳
十月二十日過ぎの頃に、六条院に行幸がある。紅葉の盛りで、興趣のあるはずの行幸であるので、朱雀院にもお便りがあって、院までもお渡りになるはずなので、世に珍しくめったにないことで、世の人も心を驚かせている。主人の院(源氏)の方でも、心を尽くして、目もまばゆいほどの御準備をおさせになる。
巳の刻に行幸があって、まず馬場殿に、左右の馬寮の御馬を引き並べて、左右の近衛が立ち添っている作法は、五月の節会に区別がつかないほど似通っている。未の刻を過ぎる頃に、南の寝殿にお移りになる。道筋の反り橋や渡殿には錦を敷き、外から見えるはずの所には軟障を引いて、厳かに整えさせなさった。
東の池に舟を浮かべて、御厨子所の鵜飼の長と、院の鵜飼を召し並べて、鵜を下ろさせなさった。小さな鮒などをくわえている。特別のご覧というわけではないけれど、お通りになる道中の興としてである。山の紅葉はどちらも劣らないけれど、西の町の御前は格別なので、中の廊の壁を崩し、中門を開いて、霧の隔てもなくご覧に入れなさる。
御座を二つ設けて、主人の院の御座が下にしてあるのを、宣旨があって、同じ高さに直させなさるのも、すばらしく見えたけれど、帝は、やはり限りある礼儀を尽くして、父としての敬意をお見せ申し上げられないことを、残念にお思いになった。池の魚を左近の少将が取り、蔵人所の鷹飼が北野で狩りをしてお仕えした鳥一つがいを、右近の次官が捧げて、寝殿の東から御前に出て、御階の左右に膝をついて奏上する。
太政大臣が仰せ言をなさって、調理して御膳に差し上げる。親王たちや上達部などへのおもてなしも、珍しい様子に、普段のことを変えてお仕えさせなさった。皆酔って、日が暮れかかる頃に、楽所の人々を召す。わざわざの大がかりな舞楽ではない。優雅な程度に、殿上童が舞をお仕えする。朱雀院の紅葉の賀の昔のことが思い出される。賀王恩という曲を演奏する時に、太政大臣の御子の、十歳ほどの男の子が、たいそう趣深く舞う。帝が御衣を脱いでお与えになる。太政大臣が庭に下りて、拝舞なさる。
主人の院は、菊を折らせなさって、青海波を舞った折をお思い出しになる。朱雀院が「色まさるまがきの菊も折々に袖うちかけし秋を戀ふらし(色の深まった籬の菊も、折々に袖を打ちかけて舞った昔の秋を恋しく思っているようだ)」。太政大臣は、その折は同じ舞を源氏と並んで舞い申し上げなさったが、自分も人にはすぐれた身ながら、やはりこの方の格はこの上ないものであったと、思い知らされなさる。時雨が、折を知り顔に降っている。源氏は「紫の雲にまがへるきくの花にごりなき世のほしかとぞ見る(紫の雲と見まがう菊の花は、濁りのない御代の星かと見ることです)。時節がまさにありました」と申し上げなさる。
夕風が吹き散らした紅葉の、色とりどりの濃い薄いのが、錦を敷いた渡殿の上と見まがうほどである。庭の上に、容貌の美しい童たちが、高貴な家の子どもなどで、青や赤の白橡、蘇芳、葡萄染などの、いつものように角髪に結い、額の様子だけを見せて、短い曲などをほのかに舞いながら、紅葉の陰に帰り入る時、日が暮れるのも惜しいほどである。
楽所の楽なども、大げさにはしない。帝の御前の管弦の遊びが始まって、書司の御琴などをお取り寄せになる。物の興がたけなわになる頃に、御前に皆御琴などが差し上げられた。宇陀の法師の変わらない音色も、朱雀院はたいそう珍しく、しみじみとお聞きになる。「秋をへて時雨ふりぬる里人もかゝるもみぢの折をこそ見ね(秋を重ねて時雨に古びた里人〈私〉も、このような紅葉の折は見たことがない)」。恨めしそうにお思いになっているようだ。帝は、「世のつねの紅葉とや見るいにしへのためしにひける庭の錦を(世の常の紅葉と御覧になるのでしょうか。昔の例にならって引き広げた、この庭の錦を)」と、とりなし申し上げなさる。
帝のご容貌は、いよいよ成熟なさって、源氏とただ一つのものとお見えになるのを、中納言(夕霧)がお仕えしていらっしゃるのが、また別のものとは見えないのこそ、目を見張るようである。気高くすばらしい様子は、思いなしか劣りまさりがあるだろうか。鮮やかに華やかなところは、夕霧の方がまさってさえ見える。笛をお吹きになるのが、たいそう趣深い。唱歌の殿上人が御階に控えている中で、弁少将の声がすぐれている。やはり、そうなるべき宿縁なのだろうと見える、ご一族の間柄であるようだ。
意訳
紅葉の盛りに、冷泉帝と朱雀院がそろって六条院に行幸し、源氏は心を尽くしてもてなす。帝は源氏の座を自分と同格に直させる。
殿上童が舞い、朱雀院と源氏は昔の紅葉の賀を思い出して歌を交わす。帝と源氏と夕霧は、ただ一つのものと見えるほど似ている。
語釈・文法注
文法
- 推量の「らし」(秋を戀ふらし)
- 根拠のある推定。「恋しく思っているようだ」。
- 係り結び「こそ…めれ」(ことごとならぬこそめざましかめれ)
- 「めざましかるめれ」の撥音便無表記。「こそ」の結び。
解説
六条院行幸は、源氏の栄華の頂点を示す場面である。冷泉帝と朱雀院がそろって臣下の邸を訪れることは前代未聞であり、源氏の准太上天皇としての地位を世に示すものである。
朱雀院と太政大臣が、紅葉の賀で源氏が青海波を舞った昔を思い出す場面は、紅葉賀の巻と響き合う。帝と源氏と夕霧が「唯ひとつもの」と見えるという結びは、冷泉帝が源氏の実子であるという秘密を、読者にだけ思い起こさせる。物語の第一部は、この栄華の極みで幕を閉じる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、582–584頁(コマ296–297)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日