源氏物語 第33帖 藤裏葉(7)
葵祭と藤典侍
明石の姫君の入内は四月二十日過ぎと決まる。紫の上は賀茂神社の御阿礼に参詣し、御方々を誘うが、皆遠慮して控えめな行列となる。祭の日、紫の上は桟敷で見物し、源氏は、かつて六条御息所の車が押しのけられた車争いを思い出し、時勢に驕った振る舞いは情けないと語る。そして、生き残った人々の中で、夕霧は臣下として少しずつ昇進し、秋好中宮は並びない位にいるが、世は定めないので、生きている間は思うままに過ごしたいと言う。近衛府の使いは柏木で、藤典侍(惟光の娘)も使いに立つ。夕霧は、ひそかに通じていた藤典侍の出立の所にも見舞いを贈り、「何とかや」の歌を詠む。藤典侍は、急ぐ中で「かざしても」と返し、夕霧は小憎らしい返事だと思う。夕霧は、この藤典侍とはこの後も縁が切れないようである。

- 1かくかくかくててて六條院六條院ろくじょういんののの御御おんいそぎいそぎいそぎははは廿餘日廿餘日はつかあまりののの程程ほどなりなりなりけりけりけり。。。對對たいののの上上うえにににまうでまうでもうで給給たまふふうとてとてとて例例れいののの御御おん方々方々かたがたいざなひいざなひいざない聞聞きこえええ給給たまへへえどどど、、、中々中々なかなかさしもさしもさしもひきひきひきつゞきつゞきつづきててて心心こころやましきやましきやましきををを覺覺おぼしししててて、、、誰誰たれももも誰誰たれもももとまりとまりとまり給給たまひひいてててことごとしきことごとしきことごとしき程程ほどにににもももあらあらあらずずず。。。御御おん車車くるま二十二十はたちばかりばかりばかりにてにてにて御御おんぜんぜんぜんなどなどなどもももくだくだしきくだくだしきくだくだしき人人ひと數數かず多多おおくくくもももあらあらあらずずず事事ことそぎそぎそぎたるたるたるしもしもしもけはひけはひけわいことことことなりなりなり。。。
- 2祭祭まつりののの日日ひ曉曉あかつきにににまうでまうでもうで給給たまひひいてててかへさかへさかえさにににははは物物もの御覽御覽ごらんずずずべきべきべき御御おんさじきさじきさじきにににおはしますおはしますおわします御御おん方々方々かたがたののの女房女房にょうぼうおのおのおのおのおのおの車車くるまひきひきひきつゞきつゞきつづきててて御御おんまへまへまえ所々所々ところどころしめしめしめたるたるたる程程ほどいかめしういかめしういかめしゅう、、、かれかれかれはははそれそれそれととととほとほとおめめめよりよりよりおどろおどろしきおどろおどろしきおどろおどろしき御御おん勢勢いきおひひいなりなりなり。。。
- 3おとゞおとゞおとどははは中宮中宮ちゅうぐうののの御御おん母母はは御息所御息所みやすどころののの車車くるま押押おししし避避さけけけられられられ給給たまへへえりりりししし折折おりののの事事ことおぼしおぼしおぼし出出いでででゝゝて「「「時時ときににによるよるよる心心こころおごりおごりおごりしししててて、、、さやうさやうさようなるなるなることことことなむなむなんなさけなきなさけなきなさけなきことことことなりなりなりけるけるける。。。こよなくこよなくこよなく思思おもひひいけちけちけちたりたりたりししし人人ひとももも歎歎なげききき負負おふふうやうやうようにてにてにてなくなりなくなりなくなりにににききき」」」とととそのそのその程程ほどはははのたまひのたまひのたまいけちけちけちててて「「「殘殘のこりりりとまれとまれとまれるるる人々人々びとももも中將中將ちゅうじょうはははかくかくかくたゞたゞただ人人びとにてにてにて僅僅わずかににになりなりなりのぼるのぼるのぼるめりめりめり。。。宮宮みやははは並並ならびびびなきなきなきすぢすぢすじにてにてにておはするおはするおわするももも、、、思思おもへへえばばばいといといとこそこそこそ哀哀あわれなれなれなれ。。。すべてすべてすべていといといと定定さだめなきなきなき世世よなれなれなればばばこそこそこそ何事何事なにごとももも思思おもふふうまゝまゝままにてにてにて生生いけるけるける限限かぎりりりののの世世よををを過過すぐさぐさぐさまほしけれまほしけれまほしけれどどど、、、殘殘のこりりり給給たまははわむむん末末すえののの世世よなどなどなどのののたとしへたとしへたとしえなきなきなきおとろへおとろへおとろえなどなどなどをををさへさへさへ思思おもひひいはゞからはゞからはばからるれるれるればばば」」」ととと打打うちちち語語かたらひらひらい給給たまひひいててて、、、上達部上達部かんだちめなどなどなどももも御御おんさじきさじきさじきににに參參まいりりり集集つどひひい給給たまへへえれれればばばそなたそなたそなたににに出出いででで給給たまひひいぬぬぬ。。。
- 4近衛近衛このえづかさづかさずかさののの使使つかいははは頭頭とう中將中將ちゅうじょうなりなりなりけりけりけりかのかのかの大殿大殿おおとのにてにてにて出出いででで立立たつつつ所所ところよりよりよりぞぞぞ人々人々びとははは參參まいりりり給給たまひひいけるけるける。。。とうとうとうないしないしないしのののももも使使つかいなりなりなりけりけりけり。。。おぼえおぼえおぼえことことことにてにてにて內內うち春宮春宮とうぐうよりよりより始始はじめめめ奉奉たてまつりりりててて六條院六條院ろくじょういんなどなどなどよりよりよりももも御御おんとぶらひとぶらひとぶらいどもどもども所所ところせきせきせきまでまでまで御御おん心心こころよせよせよせいといといとめでたしめでたしめでたし。。。
- 5宰相宰相さいしょうののの中將中將ちゅうじょういでたちいでたちいでたちののの所所ところにににさへさへさへとぶらひとぶらひとぶらい給給たまへへえりりり。。。うちうちうち解解とけけけずずずあはれあはれあわれをををかはしかはしかはし給給たまふふう御御おん中中なかなれなれなればばば、、、かくかくかくやんごとなきやんごとなきやんごとなきかたかたかたにににさだまりさだまりさだまり給給たまひひいぬるぬるぬるをををたゞたゞただならならならずずずうちうちうちおもひおもひおもいけりけりけり「「「何何なにとととかかかややや今日今日きょうのののかざしかざしかざしよよよかつかつかつ見見みつゝつゝつつおぼめくおぼめくおぼめく迄迄までもももなりなりなりにににけるけるけるかなかなかな。。。あさましあさましあさまし」」」とととあるあるあるををを、、、をりをりおり過過すぐしぐしぐし給給たまははわぬぬぬばかりばかりばかりををを、、、いかゞいかゞいかが思思おもひひいけむけむけん。。。いといといとものものものさわがしくさわがしくさわがしく、、、くるまくるまくるまににに乘乘のるるるほどほどほどなれなれなれどどど「「「かざしかざしかざしてててもももかつかつかつたどらたどらたどらるゝるゝるる草草くさののの名名なはははかつらかつらかつらををを折折おりりりししし人人ひとややや知知しるるるらむらむらん。。。博博はか士士せならならならでででははは」」」ととと聞聞きこえええたりたりたりはかなけれはかなけれはかなけれどどどねたきねたきねたきいらへいらへいらえとととおぼすおぼすおぼす。。。なほなほなおこのこのこの內侍內侍ないしにににぞぞぞ思思おもひひいはなれはなれはなれずずずはひはひはい紛紛まぎれれれ給給たまふふうべきべきべき。。。
現代語訳
こうして、六条院の姫君の入内のご準備は、四月二十日過ぎ頃であった。対の上(紫の上)が、賀茂の御阿礼に参詣なさるというので、いつものように御方々をお誘い申し上げなさるけれど、かえってそのように後に続いて行くのも気が進まないとお思いになって、誰も誰も残りなさって、大げさなほどでもない。御車二十台ほどで、御前駆なども、こまごまとした人数は多くもなく、簡略にしているのが、かえって趣が格別である。
祭の日には、暁に参詣なさって、還立には見物をなさる予定の御桟敷にいらっしゃる。御方々の女房たちが、それぞれ車を連ねて、御前の所々を占めている様子はいかめしく、あれはあの方だと遠目にも分かるほど、仰々しいご威勢である。
大臣(源氏)は、中宮の御母御息所(六条御息所)の車が押しのけられなさった折のことをお思い出しになって、「時勢に乗った驕りから、そのようなことをするのは、情けないことであった。ひどく見下していた人(葵の上)も、恨みを負うようにして亡くなってしまった」と、そのあたりは言葉を濁しなさって、「生き残っている人々も、中将はこうして臣下として少しずつ昇進していくようだ。中宮は並ぶ者のない位にいらっしゃるのも、思えばたいそうしみじみとしたことだ。すべてたいそう定めのない世の中なので、何事も思いのままに、生きている限りの世を過ごしたいものだけれど、後に残りなさる方々の、末の世のたとえようのない衰えまでも思い遣られるので」とお話しになって、上達部なども御桟敷に参集していらっしゃるので、そちらにお出になった。
近衛府の使いは頭中将(柏木)であった。あの大殿(内大臣邸)で出立する所から、人々は参上なさった。藤典侍も使いであった。評判が格別で、帝や東宮をはじめとして、六条院などからも、お見舞いの品が置き所のないほどで、ご好意はたいそうすばらしい。
宰相の中将(夕霧)は、藤典侍の出立の所にまで、お見舞いを贈りなさった。打ち解けないながらも心を通わせ合っていらっしゃった仲なので、夕霧がこのように高貴な方(雲居雁)にお決まりになったのを、典侍は穏やかでなく思っていた。夕霧は「何とかや今日のかざしよかつ見つゝおぼめく迄もなりにけるかな(何といったか、今日の挿頭の名は。目の前に見ながら、名も分からなくなってしまったよ)。あきれたことだ」とあるのを、折を逃さなかったことだけを、典侍はどう思ったのだろうか。たいそう慌ただしく、車に乗る時であったけれど、「かざしてもかつたどらるゝ草の名はかつらを折りし人や知るらむ(挿頭にしていても、やはりたどたどしい草の名は、桂を折った〈及第した〉人が知っているでしょう)。博士でなくては」と申し上げた。ちょっとしたことだけれど、小憎らしい返事だと夕霧はお思いになる。やはりこの典侍には、思い離れず、忍んで通いなさることだろう。
意訳
紫の上は賀茂の御阿礼に参詣し、源氏は桟敷で、かつての車争いを思い出して、世の定めなさを語る。
近衛府の使いは柏木、藤典侍も使いに立つ。夕霧は、ひそかに通じていた藤典侍に歌を贈り、藤典侍は機知に富んだ返歌をする。
語釈・文法注
- みあれ
- 御阿礼(みあれ)。賀茂祭に先立って、賀茂の神の降臨を迎える神事。女性たちも参詣した。
- とうないしのすけ
- 藤典侍(とうのないしのすけ)。惟光の娘。少女の巻で五節の舞姫を務め、夕霧が心を寄せた。この後も夕霧の妻の一人となる。
文法
- 係り結び「こそ…なれ」(いとこそ哀なれ)
- 「こそ」に応じて已然形「なれ」で結ぶ。
- 推量の「らむ」(かつらを折りし人や知るらむ)
- 現在推量。「桂を折った人が知っているでしょう」。
解説
源氏が車争いを思い出す場面は、葵の巻の悲劇を回想させる。栄華の頂点にある源氏が、世の無常を語ることは、後の若菜の巻以降の物語を予感させる。
夕霧の歌の「かざし」は、葵祭の挿頭の葵(逢ふ日)にかけて、雲居雁と結ばれた今、藤典侍とのことはおぼつかなくなったとからかうものである。藤典侍は、夕霧が文章生として及第したことを「桂を折りし人」と言って、機知に富んだ返しをする。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、576–577頁(コマ293)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日