源氏物語 第31帖 真木柱(10)
真木柱の歌
北の方の兄弟の中将、侍従、民部大輔が、車三台で迎えに来る。女房たちは泣き合い、狭い宮邸に大勢は仕えられないと、それぞれ里へ荷物を運び出す。北の方は子どもたちを呼び寄せ、つらい運命を見届けた今は、この世に跡をとどめるつもりもない、姫君は自分と一緒に来るように、男の子たちは父のもとに通っても冷たくされるだろうと泣く。日も暮れ、雪が降りそうな夕暮れに、迎えの君達がせかす。父を慕う姫君は、父に会わずに行くのはつらいと、うつ伏して動こうとしない。いつも寄りかかっていた東面の柱を人に譲る気持ちがして、姫君は檜皮色の紙に歌を書き、柱の割れ目に笄の先で押し入れる。「今はとて」の歌に、母君も「なれきとは」と返し、女房たちも泣く。

- 1御御おんせうとせうとしょうとののの君達君達きんだち、、、兵兵ひょう衛衛え督督かみははは上達部上達部かんだちめにににおはすれおはすれおわすればばば、、、ことごとしことごとしことごとしとてとてとて、、、中將中將ちゅうじょう、、、侍從侍從じじゅう、、、民民みん部部ぶ大輔大輔たいふなどなどなど、、、御御おん車車くるま三三みつつつばかりばかりばかりしししててておはしおはしおわしたりたりたり。。。さささこそこそこそはははあべかあべかあべかめれめれめれとととかねてかねてかねて思思おもひひいつるつるつる事事ことなれなれなれどどど、、、さしさしさしあたりあたりあたりててて今日今日きょうををを限限かぎりととと思思おもへへえばばば侍侍さぶらふふう人々人々びともももほろほろほろほろほろほろととと泣泣なきききあへあへあえりりり。。。
- 2「「「年年とし頃頃ごろならひならひならい給給たまははわぬぬぬ旅旅たび住住ずみみみにににせばくせばくせばくはしたなくはしたなくはしたなくてててはははいかでいかでいかでかかかあまたあまたあまたはははさぶらはさぶらはさぶらわむむん、、、かたへかたへかたえはははおのおのおのおのおのおの里里さとにににまかでまかでまかでゝゝてしづまらしづまらしずまらせせせ給給たまひひいなむなむなんににに」」」などなどなどさゝめくさゝめくささめく。。。人々人々びとおのおのおのがががじゝじゝじしはかなきはかなきはかなきものものものどもどもどもなどなどなど里里さとににに運運はこびびびやりやりやりつゝつゝつつ亂亂みだれれれ散散ちるるるべしべしべし。。。御御おん調度調度ちょうどどもどもどもさるべきさるべきさるべきははは皆皆みなしたゝめしたゝめしたため置置おきききなどなどなどするするするまゝまゝままにににかみかみかみしもしもしも泣泣なききき騷騷さわぎぎぎたるたるたるはははいといといとゆゝしくゆゝしくゆゆしく見見みゆゆゆ。。。
- 3君達君達きんだちははは何何なに心心こころもももなくなくなくてててありきありきありき給給たまふふうををを母母はは君君きみ皆皆みな呼呼よびびびすゑすゑすえ給給たまひひいててて「「「みづからみづからみずからはははかくかくかく心心こころうきうきうき宿宿すく世世せ今今いまははは見見みはてはてはてつれつれつればばばこのこのこの世世よににに跡跡あととむとむとむべきべきべきにににもももあらあらあらずずず。。。ともかくもともかくもともかくもさすらへさすらへさすらえなむなむなん。。。生生おひひい先先さきとほうとほうとおうてててさすがにさすがにさすがにちりぼひちりぼひちりぼい給給たまははわむむん有樣有樣ありさまどもどもどもののの悲悲かなしうしうしゅうもももあべいあべいあべいかなかなかな。。。姫君姫君ひめぎみはははとととなるなるなるともともともかうかうこうなるなるなるともともともおのれおのれおのれににに添添そひひい給給たまへへえ。。。なかなかなかなかなかなかをとこをとこおとこ君達君達きんだちはははえええさらさらさらずずずまうでまうでもうで通通かよひひい見見みえええ奉奉たてまつらららむむんににに人人ひとののの心心こころとゞめとゞめとどめ給給たまふふうべくべくべくもももあらあらあらずずず、、、はしたなうはしたなうはしたのうてててこそこそこそたゞよはたゞよはただよわめめめ。。。
- 4宮宮みやのののおはせおはせおわせむむん程程ほどかたかたかたのののやうやうようにににまじらひまじらひまじらいをををすすすともともとも、、、かのかのかのおとゞおとゞおとどたちたちたちののの御心御心みこころにににかゝれかゝれかかれるるる世世よにてにてにてかくかくかく心心こころおくおくおくべきべきべきわたりわたりわたりぞぞぞとととさすがにさすがにさすがにもらもらもられれれててて、、、人人ひとにににもももなりなりなり立立たたたたむむんことことこと難難かたししし。。。さりとてさりとてさりとて山山やまはやしはやしわやしにににひきひきひき入入いりりりつゝつゝつつまじらまじらまじらむむんことことこと後後のちののの世世よまでまでまでいみじきいみじきいみじきことことこと」」」ととと泣泣なききき給給たまふふうににに、、、皆皆みな深深ふかききき心心こころははは思思おもひひいわかわかわかねねねどどど、、、うちうちうちひそみひそみひそみててて泣泣なきききおはさうずおはさうずおわそうず。。。
- 5「「「昔昔むかし物語物語ものがたりなどなどなどををを見見みるるるにににもももよよよののの常常つねののの志志こころざしふかさふかさふかさ親親おやだにだにだに時時ときにににうつろひうつろひうつろい人人ひとにににえええたがへたがへたがえばばばおろかおろかおろかにににのみのみのみこそこそこそなりなりなりけれけれけれ。。。ましてましてましてかたかたかたのののやうやうようにてにてにて見見みるるる前前まえにににだにだにだに名殘名殘なごりなきなきなき御心御心みこころはははかゝりかゝりかかり所所どころありありありてててももももてないもてないもてない給給たまははわじじじ」」」ととと御御おんめのとめのとめのとどもどもどもさしさしさし集集つどひひいてててのたまひのたまひのたまいなげくなげくなげく日日ひももも暮暮くれれれ雪雪ゆき降降ふりりりぬぬぬべきべきべき空空そらののの氣色氣色けしきももも心心こころぼそうぼそうぼそう見見みゆるゆるゆる夕夕ゆうべなりなりなり。。。「「「いたういたういとうあれあれあれ侍侍はべりりりなむなむなん。。。はやうはやうはよう」」」ととと御御おん迎迎むかえののの君達君達きんだちそゝのかしそゝのかしそそのかし聞聞きこえええててて御御おん目目めおしおしおしのごひのごひのごいつゝつゝつつながめながめながめおはすおはすおわす。。。
- 6姫君姫君ひめぎみははは殿殿とのいといといと悲悲かなしうしうしゅうししし奉奉たてまつりりり給給たまふふうならひならひならいににに見見み奉奉たてまつらららででではははいかでいかでいかでかかかあらあらあらむむん。。。今今いまなどなどなどももも聞聞きこえええでででまたまたまたあひあひあい見見みぬぬぬやうやうようもももこそこそこそあれあれあれとととおぼすおぼすおぼすにににうつぷしうつぷしうつぷしふしふしふしてててえええ渡渡わたるるるまじまじまじとととおぼしおぼしおぼしたるたるたるををを、、、「「「かくかくかくおぼしおぼしおぼしたるたるたるなむなむなんいといといと心心こころうきうきうき」」」などなどなどこしらへこしらへこしらえ聞聞きこえええ給給たまふふう。。。只今只今ただいまももも渡渡わたりりり給給たまははわなむなむなんととと待待まちちち聞聞きこえええ給給たまへへえどどど、、、かくかくかくくれくれくれなむなむなんににに、、、まさにまさにまさに動動うごききき給給たまひひいなむなむなんややや常常つねににによりよりより居居い給給たまふふうひんがしひんがしひんがしおもておもておもてののの柱柱はしらををを人人ひとににに讓讓ゆずるるる心地心地ここちししし給給たまふふうももも哀哀あわれにてにてにて、、、
- 7姫君姫君ひめぎみひはだひはだひわだ色色いろののの紙紙かみのののかさねかさねかさね唯唯ただいさゝかいさゝかいささかにににかきかきかきててて柱柱はしらのののひわれひわれひわれたるたるたるはざまはざまはざまににに笄笄こうがいのののさきさきさきしししててておしおしおし入入いれれれ給給たまふふう「「「今今いまはははとてとてとてやどやどやどかれかれかれぬぬぬともともともなれなれなれ來來きつるつるつるののの柱柱はしらははは我我われれれををを忘忘わするるるななな」」」。。。えええももも書書かきききやらやらやらでででなきなきなき給給たまふふう。。。母母はは君君きみいでやいでやいでやとてとてとて、、、「「「なれなれなれきききとととははは思思おもひひいいづいづいずともともとも何何なにににによりよりより立立たちちちとまるとまるとまるべきべきべきまきまきまきののの柱柱はしらぞぞぞ」」」。。。御前御前おまえなるなるなる人々人々びともももさまざまさまざまさまざまににに悲悲かなしくしくしく、、、さしもさしもさしも思思おもははわぬぬぬ木木き草草くさのののもともともとさへさへさへ戀戀こいしからしからしからむむんことことことゝゝと目目めとゞめとゞめとどめててて鼻鼻はなすゝりすゝりすすりあへあへあえりりり。。。
現代語訳
北の方のご兄弟の君達のうち、兵衛督は上達部でいらっしゃるので大げさだというので、中将、侍従、民部大輔などが、御車三台ほどでいらっしゃった。そうなるだろうと前から思っていたことだけれど、差し当たって今日が最後だと思うと、お仕えする女房たちもぽろぽろと泣き合っている。
「長年慣れていらっしゃらない仮住まいで、狭くて不便では、どうして大勢がお仕えできましょう。一部の者はそれぞれ里に退出して、北の方が落ち着かれてから」などとささやく。女房たちはそれぞれ、ちょっとした身の回りの物などを里に運ばせては、散り散りになるようだ。御調度なども、しかるべき物は皆、片付けておいたりするうちに、上の者も下の者も泣き騒いでいるのは、たいそう不吉に見える。
君達は何心もなく歩き回っていらっしゃるのを、母君が皆呼び寄せて座らせなさって、「私は、このようにつらい運命を今は見届けてしまったので、この世に跡をとどめるつもりもありません。どうなるにしてもさすらいましょう。あなたたちが、先の長い身で、それでも散り散りになっていく有様が、悲しいことでしょう。姫君は、どうなるにしても私と一緒にいらっしゃい。男君たちは、かえって、どうしても父のもとに参上してお目にかかることになるでしょうが、父はあなたたちに心をおとめになりそうもなく、きまり悪い思いでさまようことでしょう。
宮(式部卿宮)がご存命の間は、形どおりに宮仕えをしても、あの大臣たち(源氏や内大臣)のお心次第の世の中で、このように心隔てを置くべき家の者だと、さすがに知られて、出世することは難しいでしょう。かといって、山林に入って出家するのは、後の世までもつらいことです」とお泣きになると、子どもたちは皆、深い事情は分からないけれど、べそをかいて泣いていらっしゃる。
御乳母たちが集まって、「昔物語などを見ても、世間並みの愛情の深い親でさえ、時勢に流され、人に心を移せば、子どもにも冷たくなるものでした。まして、形ばかりの父として、目の前でさえこれほど名残もないお心では、頼る所があってもお世話はなさらないでしょう」と言い嘆くうちに、日も暮れ、雪が降りそうな空の様子も心細く見える夕暮れである。「ひどく荒れそうです。早く」と、お迎えの君達がお促し申し上げて、北の方は目をぬぐいながらぼんやりと眺めていらっしゃる。
姫君は、殿(髭黒)がたいそうかわいがり申し上げなさっていたので、お会いしないではどうしていられようか、今も別れの挨拶もしないで、二度と会えないこともあるかもしれないとお思いになって、うつ伏して、とても行けないとお思いになっているのを、北の方は「そんなふうにお思いになるのが、たいそう情けない」などとなだめ申し上げなさる。姫君は、今すぐにでも父君がいらっしゃればよいとお待ち申し上げなさるけれど、こんなに日が暮れてしまっては、どうしていらっしゃるだろうか。いつも寄りかかっていらっしゃった東面の柱を、人に譲る気持ちがなさるのも哀れで、
姫君は、檜皮色の紙を重ねたものに、ほんの少し書いて、柱の干割れた隙間に、笄の先で押し入れなさる。「今はとてやどかれぬともなれ來つるまきの柱は我れを忘るな(今はもうこれまでと、この家を離れて行っても、慣れ親しんできた真木の柱よ、私を忘れないでおくれ)」。最後まで書くこともできずにお泣きになる。母君は「いやもう」と言って、「なれきとは思ひいづとも何により立ちとまるべきまきの柱ぞ(慣れ親しんできたと思い出しても、何を頼りに、この真木の柱が私たちをとどめてくれようか)」。御前の女房たちもさまざまに悲しく、それほど思わない木や草のもとまでも、恋しくなるだろうと目をとめて、鼻をすすり合っている。
意訳
北の方の兄弟たちが迎えに来て、女房たちは泣きながら荷物を運び出す。北の方は子どもたちに、姫君は自分と一緒に来るよう言い、行く末を案じて泣く。
父を慕う姫君は、いつも寄りかかっていた柱の割れ目に、「真木の柱は我を忘るな」と歌を書いた紙を押し入れて、泣きながら家を去る。
語釈・文法注
- まきの柱
- 真木柱。真木(杉や檜などの良材)で作った柱。巻名はこの歌による。姫君は、この歌から「真木柱」と呼ばれる。
文法
- 禁止の「な」(我れを忘るな)
- 「私を忘れないでおくれ」。
- 反語の「べき…ぞ」(何により立ちとまるべきまきの柱ぞ)
- 「何によって、とどまることができようか、いや、できない」。
解説
真木柱の巻の名の由来となった場面である。幼い姫君が、父を慕い、住み慣れた家に別れを告げる姿は、読む者の涙を誘う。柱の割れ目に歌を押し入れるという行為には、子どもらしい一途さが表れている。
母君の返歌は、娘の歌の哀れさを受け止めつつ、もはやこの家に頼るものはないという諦めを詠む。母と娘の歌の対比が、二人の心の違いを鮮やかに描いている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、542–543頁(コマ276)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日