源氏物語 第29帖 行幸(12)
中宮と末摘花の贈り物
秋好中宮からは、白い裳や唐衣、髪上げの道具などと、唐の薫物が贈られる。六条院の女君たちも、それぞれ趣向を凝らした装束や櫛、扇を贈る。二条東院の人々は数に入らないので聞き流していたが、古風で律儀な末摘花は、青鈍の細長や袷の袴、小袿などを贈り、「唐衣」の歌を添える。源氏は、恥ずかしさに顔を赤らめながらも、亡き常陸宮が大切にしていた人だからと、返事を出させる。源氏は自ら「唐衣」を繰り返す戯れの歌で返し、玉鬘は、からかっているようでお気の毒だと苦笑する。

- 1中宮中宮ちゅうぐうよりよりより白白しろききき御御おん裳裳も唐唐からぎぬぎぬぎぬ御御おんさうぞくさうぞくそうぞく御御おんぐしぐしぐし上上あげげげののの具具ぐなどなどなどいといといとににになくなくなくててて、、、例例れいののの壺壺つぼどもどもどもににに唐唐からのののたきたきたき物物もの心心こころことことことににに薰薰かおり深深ふかくくく奉奉たてまつりりり給給たまへへえりりり。。。御御おん方々方々かたがた皆皆みな心々心々こころごころににに御御おんさうぞくさうぞくそうぞく人々人々びとののの料料りょうににに櫛櫛くし扇扇おうぎまでまでまでとりどりとりどりとりどりにににししし出出いででで給給たまへへえるるる有樣有樣ありさま、、、劣劣おとりりり優優まさらららずずず樣々樣々さまざまにににつけつけつけてててさばかりさばかりさばかりののの御御おん心心こころばせばせばせどもどもどもににに挑挑いどみみみ盡盡つくししし給給たまへへえれれればばばをかしうをかしうおかしゅう見見みゆるゆるゆるををを、、、
- 2東東ひんがしののの院院いんののの人々人々びともももかゝるかゝるかかる御御おん急急いそぎぎぎははは聞聞きききき給給たまひひいけれけれけれどもどもどもとぶらひとぶらひとぶらい聞聞きこえええ給給たまふふうべきべきべき數數かずならならならねねねばばば唯唯ただ聞聞きききき過過すぐしぐしぐしたるたるたるににに、、、常陸常陸ひたちののの宮宮みやののの御御おん方方かたあやしうあやしうあやしゅう物物もの麗麗うるはしうはしうわしゅうさるべきさるべきさるべき事事ことののの折折おり過過すぐさぐさぐさぬぬぬ古古こ代代だいののの御心御心みこころにてにてにて、、、いかでいかでいかでかかかこのこのこの御御おん急急いそぎぎぎをををよそよそよそののの事事こととととははは聞聞きききき過過すぐさぐさぐさむむんととと覺覺おぼしししててて、、、かたかたかたのののごとごとごとなむなむなんししし出出いででで給給たまひひいけるけるける。。。哀哀あわれなるなるなる御御おん志志こころざしなりなりなりかしかしかし。。。
- 3靑靑あおにびにびにびののの細細ほそ長長なが一一ひと襲襲かさね、、、とととかかかややや何何なにとととかかかややや昔昔むかしののの人人ひとのののめでたうめでたうめでとうしししけるけるける袷袷あわせののの袴袴はかま一一ひと具具ぐ、、、紫紫むらさきのののしらきりしらきりしらきり見見みゆるゆるゆるあられあられあられ地地じののの御御おん小袿小袿こうちきとととよきよきよきころもころもころもばこばこばこににに入入いれれれててて包包つつみみみいといといと麗麗うるはしうはしうわしゅうててて奉奉たてまつれれれ給給たまへへえりりり。。。御御おん文文ふみにににははは「「「知知しらららせせせ給給たまふふうべきべきべき數數かずにににももも侍侍はべらららねねねばばばつゝましけれつゝましけれつつましけれどどど、、、かゝるかゝるかかる折折おりははは思思おもひひい給給たまへへえ忍忍しのびびび難難がたくくくなむなむなん。。。これこれこれはははいといといとあやしけれあやしけれあやしけれどどど人人ひとにににももも賜賜たまははわせよせよせよ」」」とととおいらかおいらかおいらかなりなりなり。。。
- 4殿殿との御覽御覽ごらんじじじつけつけつけててていといといとあさましうあさましうあさましゅう例例れいのののととと覺覺おぼすすすににに、、、御御おん顏顏かお赤赤あかみみみぬぬぬ。。。「「「あやしきあやしきあやしきふるふるふる人人びとにににこそこそこそあれあれあれ。。。かくかくかく物物ものつゝみつゝみつつみしししたるたるたる人人ひとははは引引ひききき入入いりりり沈沈しずみみみ入入いりりりたるたるたるこそこそこそ善善よけれけれけれ。。。さすがにさすがにさすがに耻耻はちがましちがましちがましややや」」」とてとてとて「「「返返かえりりり事事ごとはははつかはせつかはせつかわせ。。。はしたなくはしたなくはしたなく思思おもひひいなむなむなん。。。父父ちちみこみこみこのののいといといと悲悲かなしうしうしゅうししし給給たまひひいけるけるける思思おもひひい出出いづれづれずればばば、、、人人ひとにににおとさおとさおとさむむんはははいといといと心心こころ苦苦ぐるしきしきしき人人ひとなりなりなり」」」ととと聞聞きこえええ給給たまふふう。。。御御おん小袿小袿こうちきののの袂袂たもとににに例例れいののの同同おなじじじ筋筋すじののの歌歌うたありありありけりけりけり。。。
- 5「「「我我わががが身身みこそこそこそ恨恨うらみみみられられられけれけれけれ唐唐から衣衣ごろも君君きみががが袂袂たもとににに馴馴なれれれずずずととと思思おもへへえばばば」」」。。。御御おん手手てははは昔昔むかしだにだにだにありありありしししををを、、、いといといとわりなうわりなうわりのうしゞかみしゞかみしじかみゑりゑりえり深深ふこううう强强つよううう固固かとううう書書かききき給給たまへへえりりり。。。おとゞおとゞおとどにくきにくきにくきものものものゝゝのをかしさをかしさおかしさをををばばばえええ念念ねんじじじ給給たまははわででで「「「このこのこの歌歌うた詠詠よみみみつつつらむらむらん程程ほどこそこそこそ。。。况况ましてしてして今今いまははは力力ちからなくなくなくててて所所ところせかりせかりせかりつつつらむらむらん」」」ととといとほしがりいとほしがりいとおしがり給給たまふふう。。。
- 6「「「いでいでいでこのこのこの返返かえり事事ごとははは騷騷さわがしくがしくがしくともともとも我我われれれせせせむむん」」」とととのたまひのたまひのたまいててて、、、「「「あやしうあやしうあやしゅう人人ひとののの思思おもひひい寄寄よるるるまじきまじきまじき御御おん心心こころばへばへばえこそこそこそさらさらさらでででももも有有ありりりぬぬぬべきべきべき事事ことなれなれなれ」」」とととにくさにくさにくさににに書書かききき給給たまひひいててて、、、「「「唐唐から衣衣ごろもまたまたまた唐唐から衣衣ごろも唐唐から衣衣ごろも返返かえすすす返返がえすすすももも唐唐から衣衣ごろもなるなるなる」」」とてとてとていといといとまめやかまめやかまめやかににに「「「かのかのかの人人ひとののの立立たてててゝゝて好好このむむむすぢすぢすじなれなれなればばば、、、物物ものしししててて侍侍はべるるるなりなりなり」」」とてとてとて見見みせせせ奉奉たてまつりりり給給たまへへえばばば、、、君君きみいといといと匂匂におひやかひやかいやかににに笑笑わらひひい給給たまひひいててて「「「あなあなあないとほしいとほしいとおし。。。哢哢ろうじじじたるたるたるやうやうようにににももも侍侍はべるるるかなかなかな」」」ととと苦苦くるしがりしがりしがり給給たまふふう。。。由由よし無無なしししごとごとごといといといと多多おおかりかりかりややや。。。
現代語訳
中宮からは、白い御裳、唐衣、御装束、御髪上げの道具などを、たいそうまたとないほど見事に整え、いつものように壺などに唐の薫物を、格別に香り深く入れてお贈りになった。御方々も皆、思い思いに、玉鬘の御装束や女房たちの料として、櫛や扇まで、とりどりに調えなさった有様は、劣りまさりなく、それぞれに、あれほどのお心ばえの方々が競い合っていらっしゃるので、趣深く見えるが、
二条東院の人々も、このようなご準備のことはお聞きになったけれど、お見舞い申し上げなさるような数にも入らないので、ただ聞き流していたところ、常陸宮の御方(末摘花)は、妙に几帳面で、しかるべき事の折を見過ごさない古風なお心で、どうしてこのご準備をよそごととして聞き流せようかとお思いになって、形どおりにお調えになった。しみじみとしたお志であるよ。
青鈍色の細長一襲、落栗色とか何とか、昔の人がすばらしいとした袷の袴一具、紫の白っぽく見える霰地の御小袿を、立派な衣箱に入れて、包み方もたいそうきちんとしてお贈りになった。お手紙には、「お知らせいただけるような数にも入りませんので気が引けますが、このような折は、黙っていられなくて。これはたいそう粗末ですが、女房にでもお与えください」と、おっとりしている。
殿(源氏)はご覧になって、たいそうあきれて、いつものことだとお思いになると、お顔が赤くなった。「妙な古風な人だ。このように引っ込み思案な人は、引きこもって沈んでいるのがよいのに。さすがに恥ずかしいことだ」と言って、「お返事はお出しなさい。体裁悪く思うでしょう。父宮がたいそうかわいがっていらっしゃったことを思い出すと、人より軽く扱うのは、たいそう気の毒な人です」と申し上げなさる。御小袿の袂に、いつもの同じ趣向の歌があった。
「我が身こそ恨みられけれ唐衣君が袂に馴れずと思へば(わが身こそ恨めしく思われます。唐衣があなたの袂に馴れ親しまないように、あなたのおそば近くにいられないと思うと)」。ご筆跡は、昔でさえそうだったのに、たいそうひどく縮こまって、彫りつけたように深く、強く固くお書きになっていた。大臣は、憎らしいもののおかしさをこらえきれずに、「この歌を詠んだ時の苦労といったら。まして今は、力がなくて窮屈だっただろう」と、気の毒がりなさる。
「いや、この返事は、忙しくても私がしよう」とおっしゃって、「妙に、人の思いもよらないようなお心遣いこそ、なくてもよいことなのに」と、憎らしさのあまりお書きになって、「唐衣また唐衣唐衣返す返すも唐衣なる(唐衣、また唐衣、唐衣、繰り返し繰り返し唐衣ですね)」と言って、たいそうまじめな顔で、「あの人がとりわけ好む趣向なので、そのようにしたのです」と言ってお見せ申し上げなさると、玉鬘はたいそう華やかにお笑いになって、「まあお気の毒に。からかっているようでございますね」と困っていらっしゃる。つまらないことがたいそう多いことよ。
意訳
秋好中宮や六条院の女君たちは、玉鬘の裳着に趣向を凝らした祝いの品を贈る。古風で律儀な末摘花も、古めかしい装束に「唐衣」の歌を添えて贈る。
源氏は恥ずかしさに顔を赤らめ、自ら「唐衣」を繰り返す戯れの歌で返す。玉鬘は、からかっているようでお気の毒だと苦笑する。
語釈・文法注
- おちぐり
- 落栗色。熟して落ちた栗の皮のような、黒みがかった赤茶色。当時すでに古風な色とされた。
文法
- 係り結び「こそ…けれ」(我が身こそ恨みられけれ)
- 「こそ」に応じて已然形「けれ」で結ぶ。
- 推量の「つらむ」(所せかりつらむ)
- 完了の「つ」+現在推量の「らむ」。「窮屈だっただろう」。
解説
末摘花は、いつも「唐衣」を詠み込んだ歌を贈ることで知られる(末摘花の巻、玉鬘の巻)。源氏の「唐衣また唐衣唐衣」の歌は、それを茶化したもので、物語の中でも屈指の滑稽な場面である。
それでも源氏は、末摘花を見捨てることなく、亡き常陸宮への義理から丁重に扱う。源氏の誠実さと、末摘花の律儀さが、ほほえましく描かれている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、516–519頁(コマ263–264)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日