源氏物語 第29帖 行幸(11)
大宮からの祝いの品
裳着の日は、二月十六日の彼岸の初日に決まる。源氏は玉鬘に、内大臣に打ち明けたいきさつを詳しく話し、心得を教える。玉鬘は、実の親でもこれほどではないだろうと、源氏の心遣いをうれしく思う。源氏は夕霧にも事情を知らせ、夕霧は、思い当たることがあって納得し、玉鬘への思いもよらなかった気持ちに戸惑うが、すぐに思い直す。当日、三条宮の大宮から、御髪の箱などの祝いの品と、「玉匣」を詠み込んだ歌が届く。源氏は、大宮の筆跡が年老いて震えているのを見て、「玉くしげ」にこだわった歌だと、ひそかに笑う。

- 1斯斯かくくくのたまふのたまふのたまうははは、、、月月つきついたちついたちついたち頃頃ごろなりなりなりけりけりけり。。。十十じゅう六六ろく日日にち彼彼ひののの始始はじめにてにてにていといといとよきよきよき日日ひなりなりなりけりけりけり。。。近近ちこううう又又またよきよきよき日日ひなしなしなしとととかうがへかうがへこうがえ申申もうしししけるけるける內內うちににに、、、宜宜よろしうしうしゅうおはしませおはしませおわしませばばば急急いそぎぎぎ立立たちちち給給たまひひいててて、、、例例れいののの渡渡わたりりり給給たまひひいててておとゞおとゞおとどににに申申もうしししあらはしゝあらはしゝあらわししさまさまさまなどなどなどいといといと細細こまかかかにににあべきあべきあべき事事ことどもどもども敎敎おしへへへ聞聞きこえええ給給たまへへえばばば、、、哀哀あわれなるなるなる御心御心みこころははは親親おやととと聞聞きこえええながらながらながらももも有有ありりりがたからがたからがたからむむんをををととと覺覺おぼすすすものものものからからから、、、いといといとなむなむなん嬉嬉うれしかりしかりしかりけるけるける。。。
- 2斯斯かくくくててて後後のちははは中將中將ちゅうじょうののの君君きみにににももも忍忍しのびびびててて斯斯かかるかるかる事事ことののの心心こころをををのたまひのたまひのたまい知知しらせらせらせてててけりけりけりあやしあやしあやしののの事事ことどもどもどもややや、、、うべうべうべなりなりなりけりけりけりととと思思おもひひい合合あわするするする事事ことどもどもどもゝゝもあるあるあるににに、、、かのかのかのつれなきつれなきつれなき人人ひとののの御御おん有樣有樣ありさまよりよりよりももも猶猶なおもももあらあらあらずずず思思おもひひい出出いでででられられられててて、、、思思おもひひい寄寄よらららざりざりざりけるけるける事事ことよよよとととしれじれしきしれじれしきしれじれしき心地心地ここちすすす。。。されどされどされど有有あるるるまじうまじうまじゅうねぢけねぢけねじけたるたるたるべきべきべき程程ほどなりなりなりけりけりけりととと思思おもひひい返返かえすすす事事ことこそこそこそははは有有ありがたきりがたきりがたきまめまめしさまめまめしさまめまめしさなななめれめれめれ。。。
- 3斯斯かくくくてててそのそのその日日ひににになりなりなりててて三條三條さんじょうののの宮宮みやよりよりより忍忍しのびやかびやかびやかににに御御おん使使つかいありありあり。。。御御おんぐしぐしぐしののの箱箱はこなどなどなど俄俄にわかなれなれなれどどど、、、事事ことどもどもどもいといといと淸淸きよらららにににししし給給たまひひいててて「「「聞聞きこえええむむんにににもももいまいましきいまいましきいまいましき有樣有樣ありさまををを、、、今日今日きょうははは忍忍しのびびび籠籠こめめめ侍侍はべれれれどどど、、、さるさるさる方方かたにてにてにてももも長長ながきききためしためしためしばかりばかりばかりををを覺覺おぼししし許許ゆるすすすべうべうびょうやややとてとてとてなむなむなん。。。哀哀あわれににに承承うけたまわりりりあきらめあきらめあきらめたるたるたるすぢすぢすじをををかけかけかけ聞聞きこえええざらざらざらむむんもももいかゞいかゞいかが御御おん氣色氣色けしきににに隨隨したがひひいてててなむなむなん。。。二二ふた方方かたににに言言いひひいもてもてもて行行ゆけけけばばば玉玉たま匣匣くしげ我我わががが身身み離離はなれれれぬぬぬ懸懸かけなりなりなりけりけりけり」」」ととといといといとふるめかしうふるめかしうふるめかしゅうわなゝきわなゝきわななき書書かいいい給給たまへへえるるるををを、、、
- 4殿殿とのもももこなたこなたこなたにににおはしましおはしましおわしましててて事事ことどもどもども御覽御覽ごらんじじじ定定さだむるむるむる程程ほどなれなれなればばば、、、見見み給給たもうううててて「「「古古こ代代だいなるなるなる御御おん文文ふみがきがきがきなれなれなれどどど、、、いたしいたしいたしやややこのこのこの御御おん手手てよよよ。。。昔昔むかしははは上手上手じょうずににに物物ものししし給給たまひひいけるけるけるををを、、、年年としににに添添そへへえてててあやしくあやしくあやしく老老おいいい行行ゆくくく物物ものにににこそこそこそありありありけれけれけれ。。。いといといとかくかくかく御御おん手手てふるひふるひふるいにににけりけりけり」」」などなどなどうちうちうち返返かえししし見見み給給たまひひいててて、、、「「「能能よくくくももも玉玉たまくしげくしげくしげにににまつはれまつはれまつわれたるたるたるかなかなかな。。。三三み十十そ一一ひと字字もじのののなかなかなかにににことことこともじもじもじははは少少すくなくなくなく、、、添添そへへえたるたるたる事事ことののの難難かたきききなりなりなり」」」ととと忍忍しのびびびててて笑笑わらひひい給給たまふふう。。。
現代語訳
このようにおっしゃったのは、二月の初めごろであった。十六日が彼岸の初めで、たいそうよい日であった。近いうちにほかによい日はないと、陰陽師が占って申し上げたうえに、大宮のご病気もよくなっていらっしゃるので、源氏は急いで準備をなさって、いつものように西の対にお渡りになって、大臣に打ち明けた様子などをたいそう詳しく、心得るべきことなどを教え申し上げなさると、玉鬘は、しみじみとしたお心遣いは、実の親と申し上げても、めったにないことだろうとお思いになるものの、たいそううれしかった。
こうして後は、中将の君(夕霧)にも、ひそかにこのような事情をおっしゃって知らせておしまいになった。夕霧は、不思議なことであったよ、もっともなことだったと思い合わせることもあるので、あのつれない人(雲居雁)のご様子よりも、やはりそれにまさって思い出されて、思いもよらなかったことよと、ぼんやりした気持ちがする。けれども、あってはならないひねくれた考えをするべきところだったと思い返すのは、めったにない誠実さであるようだ。
こうしてその日になって、三条宮から忍びやかにお使いがある。御髪の箱など、急なことではあるけれど、さまざまなものをたいそう美しく整えなさって、「お祝いを申し上げるにも、尼の身では縁起の悪い有様なので、今日は控えておりますが、そういう者としても、長生きの例だけはお許しくださるかと思いまして。しみじみと事情を承り知ったことを、口に出して申し上げないのもいかがかと、あなたのご意向に従いまして。二方に言ひもて行けば玉匣我が身離れぬ懸子なりけり(どちらの方から言っても、あなたは、玉匣の懸子のように、私の身から離れない孫なのでした)」と、たいそう古風に震える手でお書きになっているのを、
殿(源氏)もこちらにいらっしゃって、さまざまなことをご覧になってお決めになっているところだったので、ご覧になって、「古風なお手紙の書きぶりだが、痛々しいことよ、このご筆跡は。昔は上手でいらっしゃったのに、年とともに、妙に老いていくものだなあ。たいそうこのようにお手が震えてしまったことよ」などと、繰り返しご覧になって、「よくも玉くしげにこだわったものだ。三十一文字の中に、ほかの文字は少なく、縁語を添えたことが難しいのだ」と、ひそかにお笑いになる。
意訳
裳着の日は二月十六日に決まる。源氏は玉鬘に事情を話し、夕霧にも知らせる。夕霧は、思いもよらなかったことに戸惑うが、すぐに思い直す。
当日、大宮から祝いの品と「玉匣」の歌が届く。源氏は、大宮の筆跡が年老いて震えているのを見て、ひそかに笑う。
語釈・文法注
- 彼岸
- 春分・秋分を中日とする七日間。仏事を行う期間で、吉日とされた。
- 懸子
- 箱の縁にかけて、中にはめ込むように作った浅い箱。玉匣(櫛箱)の「身」(本体)を離れないものとして、どちらから見ても大宮の孫である玉鬘をたとえた。
文法
- 「もこそ」の類(かけ聞えざらむもいかゞ)
- 「申し上げないのもいかがなものか」。ためらいを表す。
- 詠嘆の「けり」(懸子なりけり)
- 気づきの詠嘆。「懸子なのでした」。
解説
大宮の歌は、「玉匣」「身」「懸子」「二(蓋)」などの縁語を連ねた技巧的なもので、源氏はそれを「玉くしげにまつはれたる」と評して笑う。孫娘を思う大宮の素朴な愛情と、それを冷静に評する源氏との対比が、ほほえましい。
夕霧は、玉鬘が実の姉ではないと知って心が揺れるが、すぐに思い直す。夕霧の「まめまめしさ」は、ここでも強調されている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、516–517頁(コマ263)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日