源氏物語 第29帖 行幸(3)
雉の贈答と宮仕えの勧め
大原野に着くと、源氏は物忌みを理由に供奉しなかったが、六条院から酒や菓子を献上する。帝は蔵人を使いとして、雉一枝とともに「雪深き」の歌を源氏に贈り、源氏も「をしほ山」の歌で返す。翌日、源氏は玉鬘に、帝を拝見して宮仕えの気持ちになったかと手紙を送る。玉鬘は、朝曇りでよく見えなかったと返す。源氏は紫の上に、中宮や女御への遠慮から玉鬘は迷っているが、帝を見れば宮仕えを思わない若い女はいないだろうと話し、玉鬘に重ねて宮仕えを勧める。

- 1斯斯かくくくててて野野のにににおはしましおはしましおわしまし着着つきききててて御御おん輿輿こしとゞめとゞめとどめ上達部上達部かんだちめのののひらばりひらばりひらばりにににものものもの參參まいりりり御御おんさうぞくさうぞくそうぞくどもどもどもなほしなほしなおし、、、狩狩かりののの御御おんよそひよそひよそいなどなどなどににに改改あらためめめ給給たまふふう程程ほどににに、、、六條院六條院ろくじょういんよりよりより御御おんみきみきみき御御おんくだものくだものくだものなどなどなど奉奉たてまつらららせせせ給給たまへへえりりり。。。今日今日きょうははは仕仕つかうまつらうまつらうまつらせせせ給給たまふふうべくべくべくかねてかねてかねてははは御御おん氣色氣色けしきありありありけれけれけれどどど、、、御御おん物物もの忌忌いみののの由由よしををを奏奏そうせせせさせさせさせ給給たまへへえるるるなりなりなりけりけりけり。。。
- 2藏人藏人くろうどののの左衛門左衛門さえもんののの尉尉じょうををを御御おん使使つかいにてにてにて雉子雉子きじ一一ひと枝枝えだ奉奉たてまつらららせせせ給給たまふふう。。。仰言仰言おおせごとにににははは何何なにとととかかかややや。。。さやうさやうさようののの折折おりののの事事ことまねぶまねぶまねぶににに煩煩わずらはしくはしくわしくなむなむなん。。。「「「雪雪ゆき深深ふかききき小小お鹽鹽しおののの山山やまににに立立たつつつ雉雉きじののの古古ふるききき跡跡あとをををももも今日今日きょうははは尋尋たずねねねよよよ」」」。。。
- 3太政大臣太政大臣だいじょうだいじんののの、、、かゝるかゝるかかる野野のののの行幸行幸みゆきににに仕仕つかうまつりうまつりうまつり給給たまへへえるるるためしためしためしなどなどなどやややありありありけむけむけん。。。大臣大臣おとど御御おん使使つかいををを畏畏かしこまりまりまりもてなさもてなさもてなさせせせ給給たまふふう。。。「「「をしほをしほおしお山山やまみゆきみゆきみゆき積積つもれれれるるる松松まつ原原ばらににに今日今日きょうばかりばかりばかりなるなるなる跡跡あとやややなからなからなからむむん」」」とととそのそのその頃頃ころほひほひおい聞聞ききききしししことことことのののそばそばそばそばそばそば思思おもひひい出出いでででらるゝらるゝらるるははは僻僻ひが事事ごとにににやややあらあらあらむむん。。。
- 4またまたまたののの日日ひおとゞおとゞおとど西西にしののの對對たいににに「「「昨日昨日きのううへうへうえははは見見み奉奉たてまつらららせせせ給給たまひひいきききやややかのかのかのことことことははは覺覺おぼししし靡靡なびきききぬぬぬらむらむらんややや」」」ととと聞聞きこえええ給給たまへへえりりり。。。白白しろききき色紙色紙しきしにににいといといと打打うちちちとけとけとけたるたるたる文文ふみこまやかこまやかこまやかににに氣色氣色けしきばみばみばみてててもももあらあらあらぬぬぬがががをかしきをかしきおかしきををを見見み給給たまひひいててて、、、「「「あいなあいなあいなのののことことことややや」」」ととと笑笑わらひひい給給たまふふうものものものからからから、、、よくよくよくももも推推おししし量量はからららせせせ給給たまふふうものものものかなかなかなとととおぼすおぼすおぼす。。。御御おん返返かえりりりににに「「「昨日昨日きのうははは打打うちちちきらしきらしきらし朝朝あさ曇曇ぐもりりりせせせしししみゆきみゆきみゆきにににはははさやかさやかさやかににに空空そらののの光光ひかりやややははは見見みししし。。。覺束覺束おぼつかなきなきなき御御おん事事ことどもどもどもににになむなむなん」」」とととあるあるあるををを上上うえももも見見み給給たまふふう。。。
- 5「「「しかしかしかしかしかしかののの事事ことをををそゝのかしゝかそゝのかしゝかそそのかししかどどど、、、中宮中宮ちゅうぐうかくかくかくててておはすれおはすれおわすればばばこゝこゝここながらながらながらののの覺覺おぼえええにににはははびんなかるびんなかるびんなかるべしべしべし。。。かのかのかのおとゞおとゞおとどににに知知しららられれれてててももも女御女御にようごかくかくかくててて又又また侍侍さぶらひひい給給たまへへえばばばなどなどなど思思おもひひい亂亂みだるるるめりめりめりししし筋筋すじなりなりなり。。。若若わか人人うどのののさささももも馴馴なれれれ仕仕つかうまつらうまつらうまつらむむんににに憚憚はばかるるる思思おもいなからなからなからむむんははは、、、上上うえをををほのほのほの見見み奉奉たてまつりりりててて、、、えええ懸懸かけけけ離離はなれれれててて思思おもふふうはははあらあらあらじじじ」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、
- 6「「「あなあなあなうたてうたてうたて。。。めでたしめでたしめでたしととと見見み奉奉たてまつるるるとととももも心心こころもてもてもて宮宮みやづかへづかへづかえ思思おもひひいたゝたゝたたむむんこそこそこそいといといとさしさしさし過過すぎぎぎたるたるたる心心こころならならならめめめ」」」とてとてとて笑笑わらひひい給給たまふふう。。。「「「いでいでいで、、、そこそこそこにににしもしもしもぞぞぞめでめでめで聞聞きこえええ給給たまははわむむん」」」などなどなどのたまひのたまひのたまいててて、、、又又また御御おん返返かえりりり、、、「「「あかねさすあかねさすあかねさす光光ひかりははは空空そらににに曇曇くもらららぬぬぬをををなどなどなどてててみゆきみゆきみゆきににに目目めをををきらしきらしきらしけむけむけん。。。猶猶なお覺覺おぼしししたてたてたて」」」などなどなど絕絕たえずえずえず進進すすめめめ給給たまふふう。。。
現代語訳
こうして大原野にお着きになって、御輿を止め、上達部は平張の幕舎で食事を召し上がり、御装束を直して、狩の御装いなどに改めなさるころに、六条院から御酒や御菓子などを献上なさった。源氏は今日お供申し上げなさるよう、前もって帝のご意向があったけれど、御物忌みであるということを奏上させなさったのであった。
帝は、蔵人の左衛門尉を御使いにして、雉一枝を源氏にお贈りになる。仰せ言には何とあったのだろうか。そのような折のことをそのまま語るのは、わずらわしいことで。「雪深き小鹽の山に立つ雉の古き跡をも今日は尋ねよ(雪深い小塩山に飛び立つ雉の古い足跡のように、古い先例をも、今日は訪ねてほしかった)」。
太政大臣が、このような野の行幸にお供申し上げなさった先例などがあったのだろうか。大臣(源氏)は御使いを恐縮しておもてなしなさる。「をしほ山みゆき積れる松原に今日ばかりなる跡やなからむ(小塩山の深雪の積もった松原に、今日ほどの行幸の跡は、昔もなかったでしょう)」と、その頃聞いたことのところどころが思い出されるのは、聞き違いであろうか。
翌日、大臣は西の対に、「昨日、帝を拝見なさいましたか。あのことは、その気になられたでしょうか」と申し上げなさった。白い色紙に、たいそう打ち解けた手紙を、細やかに、意味ありげでもなく書いてあるのが趣深いのをご覧になって、「つまらないことを」とお笑いになるものの、よくも推し量っていらっしゃることだとお思いになる。お返事に、「昨日は打ちきらし朝曇りせしみゆきにはさやかに空の光やは見し(昨日は、雪が降って朝曇りしていたので、行幸の折に、はっきりと空の光〈帝のお姿〉を見たでしょうか)。はっきりしないことばかりで」とあるのを、紫の上もご覧になる。
源氏は「これこれのことを勧めたのですが、中宮がこうしていらっしゃるので、こちらの娘という扱いでは具合が悪いだろう。あの大臣に知られても、女御がこうしてお仕えしていらっしゃるのでなどと、思い乱れているようだ。若い女で、そのように親しくお仕えすることに遠慮する気持ちのない者は、帝をほのかに拝見して、宮仕えを思い離れることはないだろう」とおっしゃると、
紫の上は「まあ嫌な。すばらしいと拝見したとしても、自分から宮仕えを思い立つのは、たいそう出過ぎた心でしょう」と言ってお笑いになる。源氏は「いや、あなたこそ帝をおほめ申し上げなさるでしょう」などとおっしゃって、また玉鬘にお返事を、「あかねさす光は空に曇らぬをなどてみゆきに目をきらしけむ(照り輝く日の光は空に曇りなくさしていたのに、どうして雪のせいで目を曇らせたのでしょう)。やはり決心なさい」などと、絶えずお勧めになる。
意訳
物忌みで行幸に供奉しなかった源氏に、帝は雉と歌を贈り、源氏も歌を返す。
翌日、源氏は玉鬘に、帝を拝見して宮仕えの気持ちになったかと尋ね、紫の上とも話しながら、玉鬘に重ねて宮仕えを勧める。
語釈・文法注
文法
- 反語の「やは」(さやかに空の光やは見し)
- 「はっきりと見たでしょうか、いや、見なかった」。
- 推量の「けむ」(目をきらしけむ)
- 過去の原因推量。「どうして目を曇らせたのでしょう」。
解説
帝の歌の「古き跡」は、源氏の祖先が太政大臣として行幸に供奉した先例を指すとも、昔の嵯峨天皇の芹川の行幸の先例を指すともいう。源氏に行幸への供奉を求める帝の気持ちが込められている。
玉鬘の歌は、宮仕えへの気持ちをはぐらかしたものである。源氏はそれを見抜いて、さらに宮仕えを勧める。紫の上との会話には、源氏と紫の上の打ち解けた関係が表れている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、506–509頁(コマ258–259)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日