古典ライブラリー

源氏物語 第26帖 常夏(8)

近江の君との対面

登場人物:内大臣(頭中将)・近江の君・五節の君

内大臣は、女御の部屋のついでに近江の君の部屋をのぞく。近江の君は、五節の君という若い女房と双六を打っていて、「小賽、小賽」と早口で叫んでいる。容貌は愛嬌があるが、額が狭く、声の軽々しさに損なわれている。それでも自分に似ているので、内大臣は宿縁を情けなく思う。内大臣が話しかけると、近江の君は早口で、父上の顔をいつも見られないのがつらいと言い、便器の掃除でもお仕えすると言い出して、内大臣を苦笑させる。近江の君は、母が、生まれた時の産屋にいた妙法寺の別当の早口がうつったと嘆いていたと言う。内大臣は、女御のもとで行儀を学ぶよう勧めるが、近江の君は、水を汲んででもお仕えすると調子よくしゃべり続ける。

内大臣邸の北の対で、近江の君が若い女房と向かい合って双六盤の前で手をすり合わせ、賽を振ろうと早口で叫び、内大臣が妻戸の隙間からあきれた顔でのぞいている場面(AI生成)
内大臣邸の北の対で、近江の君が若い女房と向かい合って双六盤の前で手をすり合わせ、賽を振ろうと早口で叫び、内大臣が妻戸の隙間からあきれた顔でのぞいている場面
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引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

そのまま、この女御の御方のついでに、たたずんでいらっしゃって、近江の君の部屋をおのぞきになると、簾を高く押し張って、五節の君という気のきいた若い女房がいるのと、双六を打っていらっしゃる。

手をたいそう熱心にすり合わせて、「小賽、小賽」と言う声が、たいそう早口であることよ。ああいやだとお思いになって、御供の人が先払いをするのも手で制しなさって、なお妻戸の細めに開いたところから、襖の開いている向こうをのぞきなさる。

この相手の女房も、また調子づいていて、「お返し、お返し」と筒をひねりながら、すぐには賽を振り出さない。内心には思うところがあるのだろうか、たいそうはしたない様子をしている。

近江の君の容貌は、ずんぐりとしているが、それでも愛嬌のある方で、髪も美しく、罪のなさそうな様子だが、額がたいそう狭いのと、声の軽々しさとに損なわれているようだ。取り立ててよいというわけではないが、他人だと言い争えるほどでもない。鏡に映る自分の顔に思い合わせられなさるので、たいそう宿縁が情けない。

「こうしていらっしゃるのは、なじめず落ち着かないことなどはありませんか。忙しいことばかりで、訪ねて来ることもできませんでした」とおっしゃると、例のたいそう早口で、「こうしておりますので、何の物思いがございましょう。長年、お会いしたいと思い申し上げていたお顔を、いつも拝見できないことだけが、双六でよい目が出ないような心地がいたします」と申し上げなさる。

「なるほど、身近に使う人もほとんどいないので、そのようにしてでも、そばでお世話しようとかねては思っていたけれど、とてもそうもいかないことなのです。普通の宮仕えの女房なら、ああもこうも、自然と人に立ち交じって、人の耳も目も必ずしもとめないものだから、気楽でしょう。

それでさえ、誰それの娘、あの人の子などと知られる身分になると、親や兄弟の面目をつぶすような例が多いようです。まして」とおっしゃりかけたご様子の、こちらが気恥ずかしくなるようなのも知らずに、

「何の、それは仰々しく考えて宮仕えいたしますならば窮屈でしょう。御大壺の係にでもお仕えいたしましょう」と申し上げなさるので、こらえきれずにお笑いになって、

「似つかわしくない役目のようだね。このようにたまたま会った親に孝行しようという心があるなら、このおっしゃる声を少しゆっくりにして聞かせてください。そうしたら、私の命も延びるでしょう」と、冗談好きの大臣なので、ほほえんでおっしゃる。

「舌の生まれつきなのでございましょう。幼うございました時でさえ、亡き母がいつも苦にして教えておりました。妙法寺の別当の大徳が、私の生まれた産屋におりましたので、その早口がうつったのだと嘆いておりました。何とかしてこの早口を直しとうございます」と、思い騒いでいるのも、たいそう親孝行の心が深く、いじらしいとご覧になる。

「その近くに入り込んでいたという大徳こそ、困ったものだね。ただ、その人の罪の報いなのだろう。唖や吃りは、大乗経をそしった罪にも数えているようだよ」とおっしゃって、

わが子ながら、気後れするほど立派でいらっしゃる女御のご様子に、この娘をお見せするのは恥ずかしい、どのように決めて、このように怪しい様子も確かめずに迎え寄せたのだろうとお思いになり、女房たちも大勢見ては次々と言い広めるだろうと、思い直しなさるものの、

「女御が里下がりしていらっしゃる間、時々そちらに参上して、人の様子なども見慣れなさい。特にすぐれたところのない人も、自然と人に交じって、それなりの立場になれば、そのままでやっていけるものです。そのつもりで、お目にかかりなさいますか」とおっしゃると、

「たいそううれしいことでございます。ただ、何としても何としても、御方々に数のうちに入れていただくことを。寝ても覚めても、長年、ほかの何事を思っておりましたのでもありません。お許しさえございましたら、水を汲んで頭に載せてでもお仕えいたしましょう」と、たいそう調子よく、もう少し早口にしゃべるので、

大臣は、言っても仕方がないとお思いになって、「それほど身を入れて薪を拾いなさらなくても、参上なさればよいでしょう。ただ、あのあやかったという法師だけは、遠ざけてくれたら」と、冗談めかしておっしゃるのにも気づかない。

同じ大臣と申し上げる中でも、たいそうきれいで重々しく華やかな様子をして、並の人ではお目にかかりにくいご様子にも気づかない。「それでは、いつ女御殿へは参上いたしましょう」と申し上げると、「よい日などを選ぶべきだろうか。いや、仰々しくするには及ばない。そう思うなら、今日にでも」と言い捨てて、お帰りになった。

意訳

内大臣が近江の君の部屋をのぞくと、近江の君は若い女房と双六を打ち、早口で叫んでいる。容貌は愛嬌があるが、額が狭く、声の軽々しさに損なわれていて、内大臣は自分に似ていることに宿縁を情けなく思う。

内大臣が話しかけると、近江の君は早口で、便器の掃除でもお仕えすると言い出して、内大臣を苦笑させる。内大臣は、女御のもとで行儀を学ぶよう勧めるが、近江の君は、水を汲んででもお仕えすると調子よくしゃべり続ける。

語釈・文法注

すぐろく
双六。盤上で白黒の駒を、賽の目に従って進める遊び。賭け事にも使われた。「せうさい(小賽)」は、小さい目が出るように祈る掛け声。
薪拾ひ
「法華経を我が得しことは薪こり菜摘み水汲み仕へてぞ得し」(拾遺集)による。近江の君の「水を汲みいたゞきても」を受けて、内大臣は法華経の故事に引っかけてからかう。
おほみおほつぼ
御大壺。便器のこと。近江の君は、どんな卑しい仕事でもすると言うつもりで、とんでもない役目を口にする。

文法

推量の「らむ」(思ひはありやすらむ)
「思うところがあるのだろうか」。
「ばこそ…め」(まじらひ侍らばこそ所せからめ)
「宮仕えいたしますならば窮屈でしょうが」。

解説

近江の君の登場場面は、源氏物語の中でも際立って滑稽な場面である。早口で、場違いなことを言う近江の君の姿は、貴族社会の作法から外れた人物として描かれる。

内大臣は、自分に似た近江の君の容貌に宿縁を感じながらも、その振る舞いに困り果てる。源氏が引き取った玉鬘の評判の高さと比べて、内大臣の立場はいっそう苦しいものとなる。

関連

出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、486–489頁(コマ248–249)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日