源氏物語 第26帖 常夏(2)
撫子の花園
源氏は、内大臣に玉鬘を見せたら軽くは扱えまいと思う。夕方、源氏は西の対に渡り、内大臣の子息たちも送ってくる。源氏は玉鬘に、柏木たちが来たが、夕霧は生まじめで連れて来ない、若者たちは皆、玉鬘に心を寄せているのだと、ささやく。庭には撫子だけが美しく咲き乱れ、若者たちは折り取らずに名残を惜しむ。源氏は、夕霧を嫌う内大臣を恨み、幼い二人が結んだ縁を解かない内大臣の心が恨めしいと嘆く。玉鬘は、実父と源氏の間に隔てがあることを知り、父に知られる日がいつになるかと悲しむ。

- 1かうかうこう聞聞きききき給給たまふふうにににつけつけつけてててももも、、、對對たいののの姫君姫君ひめぎみををを見見みせせせたらたらたらむむん時時とき、、、又又またあなづらはしからあなづらはしからあなずらわしからぬぬぬ方方かたにてにてにてももももてもてもてなさなさなされれれむむんはははややや、、、いといといと物物ものきらきらしくきらきらしくきらきらしくかひかひかいあるあるある所所ところつきつきつき給給たまへへえるるる人人ひとにてにてにて、、、善善よききき惡惡あしきしきしきけぢめけぢめけじめもももけざやかけざやかけざやかにににもてもてもてはやしはやしはやし、、、又又またもてもてもてけちけちけち輕輕かろむるむるむることことことももも人人ひとににに異異ことなるなるなるおとゞおとゞおとどなれなれなればばば、、、
- 2いかにいかにいかにものしものしものしとととおぼすおぼすおぼすともともとも覺覺おぼえええぬぬぬさまさまさまにてにてにて、、、このこのこの君君きみをををさしさしさし出出いでででたらたらたらむむんにににえええ輕輕かろくくくはははおぼさおぼさおぼさじじじかしかしかし、、、いといといときびしうきびしうきびしゅうはははもてもてもてなしなしなしてててむむんとととおぼすおぼすおぼす。。。
- 3夕夕ゆうつけつけつけゆくゆくゆく風風かぜいといといとすゞしくすゞしくすずしくててて、、、かへりかへりかえりうくうくうく若若わかききき人々人々びとははは思思おもひひいたりたりたり。。。「「「心心こころ安安やすくくくうちうちうち解解とけけけ休休やすみみみ凉凉すずまままむむんややや。。。やうやうやうやうようようかやうかやうかようののの中中なかにににももも厭厭いとははわれれれぬぬぬべきべきべきよはひよはひよわいにににもももなりなりなりにににけりけりけりややや」」」とてとてとて、、、西西にしののの對對たいににに渡渡わたりりり給給たまへへえばばば、、、君達君達きんだち皆皆みな御御おん送送おくりににに參參まいりりり給給たまふふう。。。
- 4たそがれたそがれたそがれ時時どきのののおぼおぼしきおぼおぼしきおぼおぼしきににに、、、同同おなじじじなほしなほしなおしどもどもどもなれなれなればばば何何なにとととももも辨辨わきまへへえられられられぬぬぬににに、、、おとゞおとゞおとど、、、「「「姫君姫君ひめぎみををを少少すこしししととといでいでいで給給たまへへえ」」」とてとてとて忍忍しのびびびててて
- 5「「「少將少將しょうしょう侍從侍從じじゅうなどなどなどゐゐいてててまうでまうでもうで來來きたりたりたり。。。いといといとかけりかけりかけりこここまほしげまほしげまほしげににに思思おもへへえるるるををを中將中將ちゅうじょうのののいといといとじはふじはふじほうののの人人ひとにてにてにてゐゐいてててこここぬぬぬ、、、むじんむじんむじんなななめりめりめりかしかしかし。。。このこのこの人々人々びとははは皆皆みな思思おもふふう心心こころなきなきなきならならならじじじ。。。
- 6なほなほしきなほなほしきなおなおしききはきはきわをををだにだにだに窓窓まどののの內內うちなるなるなるほどほどほどはははほどほどほどににに從從したがひひいてててゆかしくゆかしくゆかしく覺覺おぼゆゆゆべかべかべかめるめるめることことことなれなれなればばば、、、このこのこの家家いえのののおぼえおぼえおぼえうちうちうちうちうちうちのののくだくだしきくだくだしきくだくだしき程程ほどよりよりよりはははいといといと世世よににに過過すぎぎぎてててことごとしうことごとしうことごとしゅうなむなむなんいひいひいい思思おもひひいなすなすなすべかべかべかめるめるめる。。。かたがたかたがたかたがたものすものすものすめれめれめれどどどさすがさすがさすがににに人人ひとのののすきごとすきごとすきごといひいひいいよらよらよらむむんにににつきなしつきなしつきなしかしかしかし。。。
- 7かくかくかくててて物物ものししし給給たまへへえばばばいかでいかでいかでかかかさやうさやうさようならならならむむん人人ひとののの氣色氣色けしきののの深深ふかさささ淺淺あささささをををももも見見みむむんなどなどなど、、、さうざうしきさうざうしきそうぞうしきまゝまゝままににに願願ねがひひい思思おもひひいしししををを、、、ほいほいほいなむなむなんかなふかなふかなう心地心地ここちしししけるけるける」」」などなどなどさゝめきさゝめきささめき聞聞きこえええ給給たまふふう。。。
- 8おまへおまへおまえににに亂亂みだりりりがはしきがはしきがわしき前栽前栽せんざいなどなどなどももも植植うゑゑえさせさせさせ給給たまははわずずず。。。なでしこなでしこなでしこののの色色いろをををとゝのへとゝのへととのえたるたるたる、、、唐唐からののの倭倭やまとののの、、、ませませませいといといとなつかしくなつかしくなつかしくゆひゆひゆいなしなしなしててて、、、咲咲さききき亂亂みだれれれたるたるたるゆふばへゆふばへゆうばえいといといといみじういみじういみじゅう見見みゆゆゆ。。。皆皆みな立立たちちちよりよりよりててて心心こころのののまゝまゝままにににももも折折おりりり取取とらららぬぬぬををを飽飽あかかかずずず思思おもひひいつゝつゝつつやすらふやすらふやすらう。。。
- 9「「「有職有職ゆうそくどもどもどもなりなりなりななな。。。心心こころ用用もちゐゐいなどなどなどもももとりどりとりどりとりどりにににつけつけつけてててこそこそこそめやすけれめやすけれめやすけれ。。。右右みぎののの中將中將ちゅうじょうはははましてましてまして少少すこししししづまりしづまりしずまりててて心心こころ恥恥はずかしげさしげさしげさまさりまさりまさりててて、、、いかにいかにいかにぞぞぞ音音おとづれづれずれ聞聞きこゆゆゆややや、、、はしたなくはしたなくはしたなくもももなななさしさしさし放放はなちちち給給たまひひいそそそ」」」などなどなどのたまふのたまふのたまう。。。中將中將ちゅうじょうののの君君きみはははかくかくかくよきよきよき中中なかにににももも勝勝すぐれれれてててをかしげをかしげおかしげににになまめきなまめきなまめき給給たまへへえりりり。。。
- 10「「「中將中將ちゅうじょうををを厭厭いとひひい給給たまふふうこそこそこそおとゞおとゞおとどはははほいほいほいなけれなけれなけれ。。。まじりものまじりものまじりものなくなくなくきらきらしかきらきらしかきらきらしかめるめるめる中中なかににに、、、大君大君おおきみだつだつだつすぢすぢすじにてにてにてかたくなかたくなかたくななりなりなりとととにににややや」」」とととののの給給たまへへえばばば、、、「「「ととといふいふいう人人ひとももも侍侍はべりりりけるけるけるををを」」」ととと聞聞きこえええ給給たまふふう
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- 12さささはははかゝるかゝるかかる御心御心みこころののの隔隔へだてあるあるある御御おん中中なかなりなりなりけりけりけりととと聞聞きききき給給たまふふうにににももも、、、親親おやににに知知しららられれれ奉奉たてまつらららむむんことことことのののいついついつとととなきなきなきををを哀哀あわれにににもももいぶせくいぶせくいぶせくもももおぼすおぼすおぼす。。。
現代語訳
このようにお聞きになるにつけても、対の姫君(玉鬘)を内大臣に見せた時、また軽んじられない扱いをされるだろうか、たいそう物事をはっきりさせて、かいのあるところがおありになる方で、善し悪しの区別もはっきりともてはやし、また無視したり軽んじたりすることも人と違う大臣なので、
どんなに不愉快だとお思いになっても、思いがけない様子で、この君を差し出したら、とても軽くはお思いにならないだろう、たいそう厳しく大切に扱うだろうとお思いになる。
夕方になってゆく風がたいそう涼しくて、帰りたくないと若い人たちは思っている。「気楽にくつろいで休んで涼もうか。だんだんこのような若い人たちの中でも嫌われそうな年齢になってしまったね」と言って、西の対においでになると、君達は皆お送りに参上なさる。
黄昏時のぼんやりとしたころで、同じ直衣姿なので、誰とも区別できないところに、大臣は「姫君に少し端近にお出になってください」と言って、こっそりと、
「少将や侍従などを連れて参りました。たいそう飛んででも来たそうに思っているのを、中将がたいそう生まじめな人なので、連れて来ないのは、思いやりがないようだ。この人たちは皆、思う心がないわけではあるまい。
並の身分の娘でさえ、深窓にいる間は、身分に応じて心ひかれるもののようですから、この家の評判は、内輪の取るに足りない有様よりは、たいそう度を越して大げさに言い、思いなしているようです。方々がいらっしゃるようだけれど、さすがに人が恋心を言い寄るのには似つかわしくないのです。
こうしてあなたがいらっしゃるので、何とかしてそのような人の心の深さ浅さも見ようなどと、退屈なままに願っていたのが、本望がかなう気がしますよ」などと、ささやき申し上げなさる。
御前には、乱雑な前栽なども植えさせなさらない。撫子の色を揃えた、唐撫子や大和撫子を、籬をたいそう好ましく結い巡らして、咲き乱れている夕映えがたいそうすばらしく見える。皆立ち寄って、思うままにも折り取れないのを名残惜しく思いながら、たたずんでいる。
「教養のある者たちだね。心づかいなども、それぞれにつけて感じがよい。右中将(柏木)は、まして少し落ち着いていて、こちらが気後れするほどの様子がまさっている。どうですか、便りを差し上げていますか。きまり悪いほどに突き放してはいけません」などとおっしゃる。中将の君(夕霧)は、このようにすぐれた人たちの中でも、ひときわ美しく優雅でいらっしゃる。
「中将をお嫌いになるとは、内大臣は不本意なことだ。混じりけなく華やかな一族の中に、皇族めいた血筋なので、見苦しいというのだろうか」とおっしゃるので、玉鬘は「『来まさば』という人もございましたのに」と申し上げなさる。
源氏は「いや、その御肴にもてはやされるような扱いは望まない。ただ、幼い者どうしが結んだ心も解かずに、年月を隔てていらっしゃるお心がつらいのです。まだ身分が低い、世間の聞こえも軽いと思われるなら、知らないふりをして、こちらに任せてくださったら、心配なことがあるでしょうか」などと、うめくようにおっしゃる。
玉鬘は、それでは、このようにお心の隔てのあるお仲なのだったとお聞きになるにつけても、実の親に知られ申し上げることがいつとも知れないのを、悲しくも、気が晴れなくもお思いになる。
意訳
源氏は、内大臣に玉鬘を見せたら軽くは扱えまいと思う。夕方、源氏は西の対に渡り、若者たちは皆、玉鬘に心を寄せているとささやく。庭には撫子が美しく咲き乱れ、若者たちは名残を惜しむ。
源氏は、夕霧を嫌う内大臣を恨み、幼い二人の縁を認めない内大臣の心がつらいと嘆く。玉鬘は、実父と源氏の間に隔てがあることを知り、父に知られる日がいつになるかと悲しむ。
語釈・文法注
- きまさば
- 催馬楽「我家(わいへん)」の一節。「我家は、帷帳も垂れたるを、大君来ませ、婿にせむ、御肴に何よけむ、鮑栄螺か、石陰子よけむ」。内大臣の家でも、婿を歓迎する人がいたはずだと、玉鬘は言う。
文法
- 打消推量の「じ」(え輕くはおぼさじかし)
- 「とても軽くはお思いにならないだろうよ」。
- 反語の「や」(後めたうはありなましや)
- 「心配なことがあるでしょうか、いや、ない」。
解説
巻名「常夏」は、撫子(常夏)の花に由来する。撫子は、帚木の巻で頭中将が夕顔との間の娘を「撫子」と呼んだことを思い出させ、玉鬘の素性を象徴する花である。
源氏が内大臣への不満を口にする場面で、玉鬘は、実父と源氏の対立を初めて知る。自分の存在が二人の間でどのように扱われるのか、玉鬘の不安はいっそう深まる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、478–481頁(コマ244–245)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日