源氏物語 第22帖 玉鬘(8)
初瀬への徒歩の旅
続いて一行は、仏の中では初瀬の観音が霊験あらたかだと聞いて、姫君を初瀬に詣でさせる。わざわざ徒歩で行くことにしたので、慣れない姫君はたいそう苦しむ。姫君は、母がこの世にいなくても、自分をあわれと思うならそばに誘ってほしい、生きているなら顔を見せてほしいと、仏に祈りながら歩く。四日目の昼ごろ、ようやく椿市に着くが、足の裏が痛んで動けなくなり、宿で休む。一行はわずかな供人で、ひっそりと忍んでいる。

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- 2殊殊こと更更さらにににかちかちかちよりよりよりととと定定さだめめめたりたりたり。。。ならはならはならわぬぬぬ心地心地ここちにににいといといと侘侘わびしくしくしく苦苦くるしけれしけれしけれどどど人人ひとのののいふいふいうまゝまゝままににに物物ものもももおぼえおぼえおぼえででで步步あゆみみみ給給たまふふう。。。
- 3「「「いかなるいかなるいかなる罪罪つみ深深ふかききき身身みにてにてにてかゝるかゝるかかる世世よにににさすらふさすらふさすらうらむらむらん。。。我我わががが親親おや世世よににになくなくなくなりなりなり給給たまへへえりりりともともとも我我われをををあはれあはれあわれととと覺覺おぼさささばばばおはすおはすおわすらむらむらん所所ところにににさそひさそひさそい給給たまへへえもしもしもし世世よにににおはせおはせおわせばばば御御おん顏顏かお見見みせせせ給給たまへへえ」」」ととと佛佛ほとけををを念念ねんじじじつゝつゝつつ
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- 5步步あゆむむむともともともなくなくなくとかくとかくとかくつくろひつくろひつくろいたれたれたれどどど足足あしのののうらうらうら動動うごかかかれれれずずず侘侘わびしけれしけれしければばばせむせむせむ方方かたなくなくなくててて休休やすみみみ給給たまふふう。。。
- 6このこのこのたのもしたのもしたのもし人人ひとなるなるなるすけすけすけ、、、弓弓ゆみ矢矢や持持もちちちたるたるたる人人ひと二人二人ふたり、、、さてさてさてはははしもしもしもなるなるなるものものものわらはわらはわらわなどなどなどみたりみたりみたりよたりよたりよたり、、、女女おんなばらばらばらあるあるあるかぎりかぎりかぎり三三み人人たり、、、つぼつぼつぼさうぞくさうぞくそうぞくしししてててひすましひすましひすましめくめくめくものものものふるきふるきふるきげすげすげす女女おんなふたりふたりふたりばかりばかりばかりとととぞぞぞあるあるある、、、いといといとかすかかすかかすかににに忍忍しのびびびたりたりたり。。。おほみおほみおおみあかしあかしあかしのののことことことなどなどなどこゝこゝここにてにてにてしししくはへくはへくわえなどなどなどするするするほどほどほどににに日日ひ暮暮くれれれぬぬぬ。。。
現代語訳
続いて、「仏の中では、初瀬の観音が、日本の中では霊験あらたかなご利益をお示しになると、唐土にまで聞こえているそうです。まして、わが国の中では、遠い国の境にいらしたとしても、長年過ごしていらっしゃったのですから、わが君をなおさらお恵みくださるでしょう」と言って、出発させ申し上げる。
わざわざ徒歩でと決めた。慣れない気持ちに、たいそうつらく苦しいけれど、人の言うままに、無我夢中で歩いていらっしゃる。
「どのような罪深い身で、このような世にさすらっているのだろう。私の母がこの世にいらっしゃらなくなっていても、私をかわいそうとお思いなら、いらっしゃる所に誘ってください。もしこの世にいらっしゃるなら、お顔を見せてください」と仏に祈りながら、
母の生前の様子さえ覚えていないので、ただ母が生きていらっしゃったらとばかりの悲しさを嘆き続けていらっしゃったが、こうして差し迫って身のつらさのままに、改めてひどく悲しく思われて、やっとのことで椿市という所に、四日目の巳の刻ごろに、生きた心地もせずにたどり着きなさった。
歩くともなく、あれこれと手当てをしたけれど、足の裏が動かずつらいので、どうしようもなくてお休みになる。
この頼もしい人である豊後介と、弓矢を持った者が二人、そのほかは下仕えの者や童などが三、四人、女たちは全部で三人、壺装束をして、樋洗めいた古参の下女が二人ほどというところで、たいそうひっそりと忍んでいる。御明かしのことなどを、ここで準備し加えたりしているうちに日が暮れた。
意訳
一行は、霊験あらたかな初瀬の観音に姫君を詣でさせる。わざわざ徒歩で行くことにしたので、慣れない姫君はたいそう苦しみながら、母に会わせてほしいと仏に祈って歩く。
四日目の昼ごろ、ようやく椿市に着くが、姫君は足の裏が痛んで動けなくなり、宿で休む。一行はわずかな供人で、ひっそりと忍んでいる。
語釈・文法注
- はつせ
- 初瀬(長谷寺)。奈良県桜井市にある真言宗の寺。本尊の十一面観音は霊験あらたかとして、平安時代の貴族たちの信仰を集めた。
- つばいち
- 椿市(海柘榴市)。初瀬詣での人々が宿をとった市。長谷寺の手前、三輪山の麓にあった。
文法
- 伝聞の「なる」(聞えあなる)
- 「あるなる」の撥音便「あんなる」の撥音無表記。「聞こえているそうだ」。
- 反実仮想の「ましかば」(親おはせましかば)
- 「母が生きていらっしゃったら(どんなによかっただろう)」。
解説
徒歩での参詣は、観音への信心の深さを示すためのものであった。慣れない姫君が足を痛めながら歩く姿には、母を求める切実な祈りが込められている。
姫君の祈りは、亡き母に会いたいというものであったが、観音の導きは、母の侍女であった右近との再会という形で実現することになる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、422–423頁(コマ215)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日