源氏物語 第22帖 玉鬘(7)
都での心細い暮らし
都に着いた一行は、九条の知人の家に身を寄せるが、そこは身分の低い商人たちの住む界隈だった。秋になっても頼るあてはなく、豊後介は水鳥が陸に上がったような心地で途方に暮れる。従ってきた者たちも次々に逃げ去り、乳母は嘆く。豊後介は、自分の身はどうなってもよいと母を慰め、神仏の導きを頼んで、まず石清水八幡宮に姫君を詣でさせる。

- 1九條九條くじょうににに昔昔むかし知知しれれれりりりけるけるける人人ひとののの殘殘のこりりりたりたりたりけるけるけるをををとぶらひとぶらひとぶらい出出いでででゝゝてそのそのそのやどりやどりやどりをををしめしめしめおきおきおきててて都都みやこのののうちうちうちととといへいへいえどもどもどもはかばかしきはかばかしきはかばかしき人人ひとののの住住すみみみたるたるたるわたりわたりわたりにににもももあらあらあらずずず。。。あやしきあやしきあやしきいちめいちめいちめあきびとあきびとあきびとのののなかなかなかにてにてにていぶせくいぶせくいぶせく世世よののの中中なかををを思思おもひひいつゝつゝつつ秋秋あきにににもももなりなりなり行行ゆくくくまゝまゝままにににきききししし方方かた行行ゆくくくさきさきさき悲悲かなしきしきしき事事こと多多おおかりかりかり。。。
- 2豐後豐後ぶんごののの介介すけととといふいふいうたのもしたのもしたのもし人人ひともももたゞたゞただ水水みず鳥鳥どりのののくがくがくがににに惑惑まどへへえるるる心地心地ここちしししてててつれづれつれづれつれずれにににならはならはならわぬぬぬありありあり樣樣さまのののたつきたつきたつきなきなきなきををを思思おもふふうににに、、、歸歸かえらららむむんにににもももはしたなくはしたなくはしたなく心心こころをさなくをさなくおさなく出出いででで立立たちちちにににけるけるけるををを思思おもふふうににに、、、從從したがひひい來來きたりたりたりしししものものものどもどもどもゝゝもるゐるゐるいにににふれふれふれててて逃逃にげげげ去去さりりりもともともとののの國國くにににに歸歸かえりりり散散ちりりりぬぬぬ。。。
- 3住住すみみみつくつくつくべきべきべきやうやうようもももなきなきなきををを母母ははおとゞおとゞおとどあけくれあけくれあけくれ歎歎なげきききいとほしがれいとほしがれいとおしがればばば、、、「「「何何なにかかかこのこのこの身身みはははいといといと安安やすくくく侍侍はべりりり、、、人人ひとひとりひとりひとりののの御御おん身身みにににかへかへかへ奉奉たてまつりりりててていづちいづちいずちもももいづちいづちいずちももも罷罷まかりりりうせうせうせなむなむなんにににとがとがとがあるあるあるまじまじまじ。。。我我われ等等らいみじきいみじきいみじき勢勢いきおいににになりなりなりてててもももわがわがわが君君きみをををさるさるさるものものものゝゝのなかなかなかにににはふらかしはふらかしはふらかし奉奉たてまつりりりてててははは何何なに心心ここちちちかかかせせせましましまし」」」ととと語語かたらひらひらい慰慰なぐさめめめててて
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現代語訳
九条に、昔の知り合いで生き残っていた人を訪ね出して、その家を宿と定めておいたが、都の中とはいっても、しっかりした人の住んでいるあたりでもない。みすぼらしい市女や商人の中で、気の晴れない思いで世の中を思いながら、秋になっていくにつれて、過ぎた日々もこれから先も、悲しいことが多い。
豊後介という頼もしい人も、ただ水鳥が陸に上がって迷っているような気持ちがして、所在なく慣れない生活の頼りなさを思うにつけ、筑紫に帰るのもきまりが悪く、考えもなく出発してしまったことを思うにつけて、従ってきた者たちも、縁故を頼って逃げ去り、もとの国に帰って散り散りになってしまった。
住みつけそうもないのを、母(乳母)が明け暮れ嘆いて気の毒がるので、「何の、この身はたいそう気楽です。姫君お一人のお身に代わり申し上げて、どこへなりとも行って死んでしまっても、何の咎めもありますまい。私たちがたいへんな勢力を得ても、わが君をあのような者の中に放り出し申し上げては、どんな気持ちがするでしょう」と話して慰めて、
「神仏こそは、しかるべき方へもお導きくださるでしょう。近い所に八幡の宮と申し上げるのは、あちらでも参詣してお祈り申し上げなさった松浦や箱崎と同じ社です。あの国をお離れになるときも、たくさんの願を立て申し上げなさいました。
今、都に帰って、このようにご利益を得て上ってまいりましたと、早く申し上げなさいませ」と言って、八幡に参詣させ申し上げる。そのあたりを知っている人に尋ねて、五師といって、以前に父が親しくしていた僧で生き残っている者を呼び寄せて、参詣させ申し上げる。
意訳
都に着いた一行は、九条の商人たちの住む界隈に身を寄せるが、頼るあてはない。従ってきた者たちも逃げ去り、豊後介は途方に暮れる。
豊後介は、自分の身はどうなってもよいと母を慰め、神仏の導きを頼んで、筑紫でも祈った神と同じ石清水八幡宮に、姫君を詣でさせる。
語釈・文法注
- やはたの宮
- 石清水八幡宮(京都府八幡市)。筑紫の松浦や箱崎(筥崎宮)と同じく八幡神を祭る。
文法
- 反実仮想の「まし」(何心ちかせまし)
- 「どんな気持ちがするだろうか」。
- 「こそ…め」(導き奉り給はめ)
- 「お導きくださるでしょう」。推量の「む」の已然形で結ぶ。
解説
筑紫から逃げてきた一行は、都に着いても頼るあてがない。豊後介が「水鳥のくがに惑へる心地」と感じる心細さは、地方から都に上った人々の現実をよく伝えている。
神仏への祈りは、頼るものを失った一行に残された唯一の希望であった。この祈りが、やがて初瀬での奇跡的な再会へとつながっていく。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、422–423頁(コマ215)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日