源氏物語 第21帖 少女(2)
夕霧の元服と源氏の教育方針
源氏は、葵の上の遺児である若君(夕霧)の元服を、大宮の望みに従って三条殿で行う。世間は四位に叙されると思っていたが、源氏はあえて六位の浅葱の袍を着せ、大学で学問をさせる。不満を漏らす大宮に、源氏は、家柄に頼って学問を怠れば時勢が移った後に侮られる、学才を本としてこそ大和魂も世に用いられると説く。

- 1大殿大殿おおとのばらばらばらののの若君若君わかぎみののの御御おんのののことことことおぼしおぼしおぼし急急いそぐぐぐををを二條院二條院にじょういんにてにてにてとととおぼせおぼせおぼせどどど大宮大宮おおみやのののいといといとゆかしげゆかしげゆかしげにににおぼしおぼしおぼしたるたるたるもももことわりことわりことわりににに心苦心苦こころぐるしけれしけれしければばば猶猶なおやがてやがてやがてかのかのかの殿殿とのにてにてにてせせせさせさせさせ奉奉たてまつりりり給給たまふふう。。。
- 2右大將右大將うだいしょう殿殿どのをををはじめはじめはじめ聞聞きこえええててて御御おんをぢをぢおじののの殿殿とのばらばらばら皆皆みな上達部上達部かんだちめのののやんごとなきやんごとなきやんごとなき御御おん覺覺おぼえええことことことにてにてにてのみのみのみ物物ものししし給給たまへへえばばばあるじあるじあるじ方方がたにににもももわれわれわれもももわれわれわれもももとととさるべきさるべきさるべき事事ことどもどもども、、、とりどりとりどりとりどりににに仕仕つかうまつりうまつりうまつり給給たまふふう。。。大大おおかたかたかた世世よゆすりゆすりゆすりててて所所ところせきせきせき御御おんいそぎいそぎいそぎのののいきほひいきほひいきおいなりなりなり。。。
- 3四位四位しいににになしなしなしてててむむんとととおぼしおぼしおぼし、、、世世よののの人人ひともももさささぞぞぞあらあらあらむむんととと思思おもへへえるるるををを、、、まだまだまだいといといときびはきびはきびわなるなるなる程程ほどををを、、、我我わががが心心こころににに任任まかせせせたるたるたる世世よにてにてにて、、、しかしかしかゆくりかなからゆくりかなからゆくりかなからむむんももも、、、なかなかなかなかなかなかめなれめなれめなれたるたるたる事事ことなりなりなりとととおぼしおぼしおぼし留留とどめめめつつつ。。。
- 4にてにてにて殿上殿上てんじょうににに還還かえりりり給給たまふふうををを、、、大宮大宮おおみやははは飽飽あかかかずずずあさましきあさましきあさましきことことことゝゝとおぼしおぼしおぼしたるたるたるぞぞぞことわりことわりことわりにににいとほしかりいとほしかりいとおしかりけるけるける。。。
- 5御御おんたいめんたいめんたいめんありありありてててこのこのこの事事こと聞聞きこえええ給給たまふふうににに「「「只只ただ今今いまかうかうこう强强あながちちちにににしもしもしもまたきまたきまたきににに追追おひひいつかすつかすつかすまじうまじうまじゅう侍侍はべれれれどどど思思おもふふうやうやうよう侍侍はべりりりててて、、、大學大學だいがくののの道道みちにににしばししばししばしならはさならはさならわさむむんのののほいほいほい侍侍はべるるるににによりよりより今今いま二二ふた三三み年年とせををを徒徒いたずらららののの年年としににに思思おもひひいなしなしなしててておのづからおのづからおのずからおほやけおほやけおおやけにににももも仕仕つかうまつりうまつりうまつりぬぬぬべきべきべき程程ほどにににもももならならならばばば今今いまひとゝなりひとゝなりひととなり侍侍はべりりりなむなむなん。。。
- 6みづからみづからみずからははは九重九重ここのえののの內內うちににに生生おひひい出出いででで侍侍はべりりりててて世世よののの中中なかののの有樣有樣ありさまもももしりしりしり侍侍はべらららずずず、、、よるひるよるひるよるひる御御おんまへまへまえにににさぶらひさぶらひさぶらいててて僅僅わずかににになむなむなんはかなきはかなきはかなき文文ふみなどなどなどももも習習ならひひい侍侍はべりりりししし。。。たゞたゞただ畏畏かしこききき御御おん手手てよりよりより傳傳つたへへえ侍侍はべりりりしししだにだにだに何事何事なにごとももも廣廣ひろききき心心こころををを知知しらららぬぬぬ程程ほどはははもんざいもんざいもんざいまねぶまねぶまねぶにににももも琴琴こと笛笛ふえのののしらべしらべしらべにににもももねたらずねたらずねたらず及及およばばばぬぬぬ所所ところののの多多おおくくくなむなむなん侍侍はべりりりけるけるける。。。
- 7はかなきはかなきはかなき親親おやににに賢賢かしこききき子子こののの優優まさるるるためしためしためしはははいといといと難難かたきききことことことににになむなむなん侍侍はべれれればばば、、、ましてましてまして次々次々つぎつぎ傳傳つたはりはりわりつゝつゝつつ隔隔へだたりたりたりゆかゆかゆかむむんほどほどほどののの行行ゆくさきくさきくさきいといといと後後うしろめたきめたきめたきににによりよりよりなむなむなんおもうおもうおもう給給たまへへえおきおきおきててて侍侍はべるるる。。。
- 8たかきたかきたかき家家いえののの子子ことしてとしてとして、、、つかさつかさつかさかうふりかうふりこうぶり心心こころにににかなひかなひかない、、、世世よののの中中なか盛盛さかりににに驕驕おごりりりならひならひならいぬれぬれぬればばば學問學問がくもんなどなどなどににに身身みををを苦苦くるしめめめむむんことことことはははいといといと遠遠とおくくくなむなむなん覺覺おぼゆゆゆべかべかべかめるめるめる。。。
- 9たはぶれたはぶれたわぶれ遊遊あそびををを好好このみみみててて、、、心心こころのののまゝまゝままなるなるなる官官かんじやくじやくじゃくににに上上のぼりりりぬれぬれぬればばば時時ときににに隨隨したがふふう世世よののの人人ひとのののしたしたしたにににははははなまじろきはなまじろきはなまじろきをををしししつゝつゝつつつゐせうつゐせうついしょうししし氣色氣色けしきとりとりとりつゝつゝつつ隨隨したがふふうほどほどほどははは、、、おのづからおのづからおのずから人人ひとととと覺覺おぼえええてててやんごとなきやんごとなきやんごとなきやうやうようなれなれなれどどど時時とき移移うつりりりさるべきさるべきさるべき人人ひとににに立立たちちち後後おくれれれててて世世よ衰衰おとろふるふるうる末末すえにににははは人人ひとにににかるめかるめかるめあなづらあなづらあなずらるゝるゝるるにににかゝりかゝりかかり所所ところなきなきなきことことことににになむなむなん侍侍はべるるる。。。
- 10猶猶なおざえざえざえををを本本もととしてとしてとしてこそこそこそののの世世よににに用用もちゐゐいらららるゝるゝるる方方かたもももつようつようつよう侍侍はべらららめめめ。。。さしあたりさしあたりさしあたりてててははは心心こころもとなきもとなきもとなきやうやうようににに侍侍はべりりりともともともつひつひついののの世世よのののおもしおもしおもしとととなるなるなるべきべきべき心心こころおきておきておきてをををならひならひならいなななばばば、、、侍侍はべらららずずずなりなりなりなむなむなん後後のちももも後後うしろ安安やすかるかるかるべきべきべきににによりよりよりなむなむなん、、、
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- 12うちうちうち歎歎なげききき給給たまひひいててて、、、「「「げにげにげにかくかくかくもももおぼしおぼしおぼしよるよるよるべかりべかりべかりけるけるけるををを、、、このこのこの大將大將だいしょうなどなどなどもももあまりあまりあまりひきひきひき違違たがへへえたるたるたる御御おん事事ことなりなりなりととと傾傾かたぶききき侍侍はべるるるめるめるめるををを、、、このこのこの幼幼おさな心地心地ごこちにににもももいといといと口惜口惜くちおしくしくしく大將大將だいしょう左衛門督左衛門督さえもんのかみののの子子こどもどもどもなどなどなどををを我我われよりよりよりははは下臈下臈げろうととと思思おもひひいおとしおとしおとしたりたりたりしししだにだにだに皆皆みな各各おのおの加階加階かかいしししのぼりのぼりのぼりつゝつゝつつおよすげおよすげおよすげあへあへあえるるるににに淺黃淺黃あさぎをををいといといとからしからしからしととと思思おもははわれれれたるたるたるががが心苦心苦こころぐるしうしうしゅう侍侍はべるるるなりなりなり」」」ととと聞聞きこえええ給給たまへへえばばば
- 13うちうちうち笑笑わらひひい給給たまひひいててて「「「いといといとおよすけおよすけおよすけてててももも恨恨うらみみみ侍侍はべるるるなりなりなりななな。。。いといといとはかなしはかなしはかなしややや。。。このこのこの人人ひとのののほどほどほどよよよ」」」とてとてとて、、、いといといとうつくしうつくしうつくしとととおぼしおぼしおぼしたりたりたり。。。「「「學問學問がくもんなどなどなどしししててて、、、少少すこししし物物ものののの心心こころもももえええ侍侍はべらららばばばそのそのその恨恨うらみはははおのづからおのづからおのずから解解とけけけ侍侍はべりりりなむなむなん」」」ととと聞聞きこえええ給給たまふふう。。。
現代語訳
大殿腹の若君(夕霧)の御元服のことを急いで準備なさるのを、二条院でとお思いになるけれど、大宮がたいそう見たそうにお思いになっているのももっともでお気の毒なので、やはりそのままあちらの殿(三条殿)でおさせ申し上げなさる。
右大将殿をはじめとして、伯父の殿方は皆、上達部の高貴なご信望が格別な方ばかりでいらっしゃるので、主人側でも我も我もと、しかるべきことなどを、それぞれにお世話申し上げなさる。おおよそ世間も大騒ぎして、盛大なご準備の勢いである。
四位にしてしまおうとお思いになり、世の人もきっとそうなるだろうと思っていたが、まだたいそう幼い年頃なのに、自分の思いのままになる世だからといって、そのように唐突なことをするのも、かえってありふれたことだとお思いとどまった。
浅葱の袍(六位)で殿上にお戻りになるのを、大宮は不満で心外なこととお思いになっているのは、もっともでお気の毒なことであった。
ご対面があって、このことを申し上げなさると、「今すぐ、こうして無理に、まだ早いのに大人の位に追いつかせるつもりはございませんが、考えることがございまして、大学の道にしばらく学ばせたいという本意がございますので、もう二、三年を無駄な年と思いなして、自然と朝廷にもお仕え申し上げることができるほどになったら、そのうち一人前になりましょう。
私自身は、宮中で成長いたしまして、世の中の様子も知りませず、昼夜、帝の御前にお仕えして、わずかにちょっとした書物なども習いました。ただ畏れ多い帝のお手から直接お伝えいただいたのでさえ、何事も広い心を知らないうちは、漢詩文を学ぶにも、琴や笛の調べにも、音が十分でなく、及ばないところが多うございました。
平凡な親に賢い子がまさる例はたいそう難しいことでございますので、まして次々と伝わりながら隔たってゆく先々がたいそう心配なので、そう考えておいたのでございます。
高い家の子として、官位が思うままになり、世の中の栄華におごり慣れてしまうと、学問などに身を苦しめることは、たいそう縁遠いことと思われるようです。
遊び戯れを好んで、思いのままの官職に上ってしまうと、時勢に従う世の人が、陰では鼻であしらいながら、お追従をして機嫌をとって従っている間は、自然と一人前に思われて重々しいようだけれど、時勢が移り、頼りになる人に先立たれて、世が衰える末には、人に軽んじられ侮られて、頼るところもないことになるのでございます。
やはり学才を基本としてこそ、大和魂が世に用いられる方面も強うございましょう。さしあたっては心もとないようでございましても、ついには世の重鎮となるべき心構えを学んだならば、私がいなくなった後も安心なはずでございますので、
今は、ぱっとしないながらも、こうして育てておりましたら、貧しい大学の学生だといって、笑い侮る人もまさかございますまいと存じます」などと申し上げてお聞かせになると、
大宮はため息をおつきになって、「本当に、そこまでもお考えになるべきでしたのに、この大将なども、あまりにも常識はずれのご処置だと首をかしげているようですが、この子の幼心にもたいそう残念に、大将や左衛門督の子どもなどを、自分よりは下の身分と見下していたのでさえ、皆それぞれ位が上がって大人びているのに、浅葱をたいそうつらいと思っているのがかわいそうなのです」と申し上げなさると、
源氏はお笑いになって、「たいそう大人びて恨んでいるのですね。まったくたわいないことよ。この子の年頃では」と言って、たいそうかわいらしいとお思いになっている。「学問などをして、少し物の道理もわかるようになりましたら、その恨みは自然と解けましょう」と申し上げなさる。
意訳
源氏は、夕霧の元服を大宮の三条殿で盛大に行う。世間は四位に叙されると思っていたが、源氏はあえて六位とし、大学で学問をさせることにする。
不満を漏らす大宮に、源氏は、家柄に頼って学問を怠れば、時勢が移った後に人に侮られる、学才を本としてこそ大和魂も世に用いられると説く。大宮は、夕霧が浅葱の袍をつらく思っていると訴えるが、源氏は、学問をすればその恨みも解けると答える。
語釈・文法注
- 元服
- 男子の成人式。髪を結い、冠をつけて大人の装束を着る。夕霧はこのとき十二歳。
- 淺黄
- 浅葱色(薄い藍色)の袍。六位の者が着る。源氏の子であれば四位から始めるのが当然と思われていたので、大宮には不満であった。
- 大和魂
- 漢学の知識(才)に対して、実際の世の中で物事を処理する日本人としての知恵や才覚。この語の現存最古の用例とされる。
文法
- 「だに」(傳へ侍りしだに)
- 「お伝えいただいたのでさえ」。程度の軽いものを挙げて、重いものを類推させる。
- 打消推量の「じ」(よも侍らじ)
- 「よも…じ」で「まさか…ないだろう」。
解説
源氏が夕霧に学問をさせる場面は、物語の中でも源氏の思想がまとまって語られる珍しい箇所である。家柄に頼らず、学才を身につけることの大切さを説く源氏の言葉には、作者自身の教養観が反映されていると考えられる。
「大和魂」は、漢学の知識に対して、それを実際の場面で生かす知恵をいう。学才と実践の知恵が両方そろってこそ、政治家として世に用いられるという考え方である。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、382–385頁(コマ194–195)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日