源氏物語 第19帖 薄雲(6)
太政大臣の死と天変
そのころ太政大臣(もとの左大臣)が亡くなり、帝も世の人も嘆く。源氏は政務を一身に担うことになり、心細く思う。その年は天変地異が続き、源氏だけは心中にその理由を思い当たる。春から病んでいた藤壺は、三月に重態となり、冷泉帝が見舞いに行幸する。藤壺は三十七歳の厄年であった。藤壺は、ことさらに厄除けもしなかったことを弱々しく語り、帝は母の衰えを悲しむ。

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現代語訳
そのころ、太政大臣がお亡くなりになった。世の重鎮でいらっしゃった方なので、帝もお嘆きになる。しばらく引き籠もっていらっしゃった間でさえ、天下の騒ぎであったので、まして悲しいと思う人が多い。源氏の大臣も、たいそう残念で、何事もお任せ申し上げていたからこそ暇もあったのに、心細く、仕事も多くなるとお思いになって、嘆いていらっしゃる。
帝は、お年のわりにはこの上なく大人びていらっしゃって、世の政治も心配申し上げるようなことではないけれど、またとりたててご後見をなさるはずの人もいないので、源氏は、誰に譲って静かな出家の本意もかなえようかとお思いになると、たいそう不満で残念である。法事などにも、ご子息や孫たち以上に、細やかにお見舞いしお世話申し上げなさった。
その年は、だいたい世の中が騒がしくて、朝廷に関わる物のさとしがしきりで穏やかでなく、天空にも、例と違った月や日や星の光が見え、雲の様子も異様だとばかり世の人が驚くことが多くて、諸道の勘文を奉るのにも、不思議な、世に並々でないことが交じっていた。内大臣(源氏)だけが、お心の中に、思い当たって気にかかることがあった。
入道の后の宮(藤壺)は、春の初めからずっとご病気で、三月にはたいそう重くおなりになったので、行幸などがある。帝は、父院にお別れ申し上げなさった時はたいそう幼くて、深くもお感じにならなかったが、今はひどくお嘆きになっているご様子なので、宮もたいそう悲しくお思いになる。
「今年は必ず逃れられない年と思っておりましたが、それほど大げさな気分でもございませんでしたので、命の終わりを知っているような顔をしておりますのも、人がいやに大げさだと思うだろうと遠慮して、功徳のことなども、わざわざ例年より特別にすることもいたしませんでした。参内して、のんびりと昔のお話もなどと思いながら、気分のしっかりした折が少なくて、残念で気がふさいで過ごしてしまいました」と、たいそう弱々しく申し上げなさる。三十七歳でいらっしゃった。それでもたいそう若く、盛りでいらっしゃる様子を、帝は惜しく悲しいとご覧になる。
帝は「お慎みにならなければならないお年なのに、すっきりしないまま何か月もお過ごしになることさえ嘆いておりましたのに、ご謹慎なども、いつもより特別になさらなかったとは」と、ひどくお思いになった。ただこのごろになって驚いて、さまざまな祈祷をおさせになる。何か月もの間は、いつものご病気とばかり油断していたのを、源氏の大臣も深くお心にかけていらっしゃる。帝は、決まりがあるので、ほどなくお帰りになるのも、悲しいことが多い。
意訳
太政大臣が亡くなり、源氏は政務を一身に担うことになる。その年は天変地異が続き、源氏だけは心中にその理由(冷泉帝の出生の秘密)を思い当たる。
春から病んでいた藤壺は、三月に重態となり、冷泉帝が見舞いに行幸する。藤壺は三十七歳の厄年で、ことさらに厄除けもしなかったことを弱々しく語り、帝は母の衰えを悲しむ。
語釈・文法注
- 三十七
- 三十七歳は女性の厄年とされた。藤壺は、厄年であることを知りながら、ことさらに祈祷などをしなかったことを語っている。
文法
- 「こそ…つる」の逆接(おし讓りきこえてこそ暇もありつるを)
- 「お任せしていたからこそ暇もあったのに」。
- 反語の「かは…む」(誰に讓りてかは…かなはむ)
- 「誰に譲って本意をかなえようか、いや、誰もいない」。
解説
太政大臣の死と天変地異は、藤壺の死へと続く不吉な予兆として描かれる。源氏が「御心の中に煩はしく覺し知らるゝ事」があるのは、天変地異が冷泉帝の出生の秘密に対する天の戒めではないかと恐れているからである。
藤壺は、自らの死期を悟りながらも、ことさらに騒ぎ立てずに静かに過ごしていた。その控えめな態度は、生涯秘密を抱えて生きた藤壺の人柄を表している。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、356–357頁(コマ181)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日