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源氏物語 第16帖 関屋(1)

逢坂の関での行き会い

登場人物:光源氏・空蟬・常陸介・右衛門佐

伊予介は常陸介となって任国に下り、空蟬も同行していた。源氏が帰京した翌年の秋、常陸介一行は上京するが、逢坂の関に入る日、ちょうど源氏が石山寺に参詣するのと行き会う。常陸介一行は車を下ろして木陰に控え、源氏の一行をやり過ごす。源氏は、かつての小君(今の右衛門佐)を呼んで空蟬に言葉を伝え、空蟬も車の中で人知れず昔を思い、歌を詠む。

九月末、紅葉と霜枯れの草に彩られた逢坂の関で、杉の木陰に控える常陸介一行の女車の前を、簾を下ろした源氏の車が通り過ぎていく場面(AI生成)
九月末、紅葉と霜枯れの草に彩られた逢坂の関で、杉の木陰に控える常陸介一行の女車の前を、簾を下ろした源氏の車が通り過ぎていく場面
  1. 1伊豫いよ伊豫いよいよののの介すけ介すけすけととといひいひいいしししははは故院こゐん故院こゐんこいんかくれかくれかくれさせさせさせ給たま給たまたまひひいてててまたまたまたののの年とし年としとし常陸ひたち常陸ひたちひたちににになりなりなりててて下くだ下くだくだりりりしかしかしかばばば、、、かのかのかの箒木ははきぎ箒木ははきぎははきぎもももいざなはいざなはいざなわれれれにににけりけりけり。。。須磨すま須磨すますまののの御おん御おんおんたびゐたびゐたびいももも遙はるか遙はるかはるかににに聞き聞きききききててて人ひと人ひとひとしれしれしれずずず思おも思おもおもひひいやりやりやり聞きこ聞きこきこえええぬぬぬにににしもしもしもあらあらあらざりざりざりしかしかしかどどど、、、
  2. 2傳つた傳つたつたへへえ聞きこ聞きこきこゆゆゆべきべきべきよすがよすがよすがだにだにだになくなくなくててて筑波嶺つくばね筑波嶺つくばねつくばねののの山やま山やまやまををを吹ふ吹ふふききき越こ越ここすすす風かぜ風かぜかぜももも浮う浮ううきききたるたるたる心地ここち心地ここちここちしししててて聊いささか聊いささかいささかのののつたへつたへつたえだにだにだになくなくなくててて年月としつき年月としつきとしつきかさなりかさなりかさなりにににけりけりけり。。。限かぎ限かぎかぎれれれるるる事こと事ことこともももなかりなかりなかりししし御おん御おんおんたびゐたびゐたびいなれなれなれどどど京きやう京きやうきょうににに歸かへ歸かへかえりりり住す住すすみみみ給たま給たまたまひひいててて又また又またまたののの年とし年としとしののの秋あき秋あきあきぞぞぞ常陸ひたち常陸ひたちひたちはははのぼりのぼりのぼりけるけるける。。。
  3. 3入い入いいるるる日ひ日ひひしもしもしもこのこのこの殿との殿とのとの石山いしやま石山いしやまいしやまににに御おん御おんおんぐわんぐわんがんはたしはたしはたしにににまうでまうでもうで給たま給たまたまひひいけりけりけり。。。京きやう京きやうきょうよりよりよりかのかのかの紀き紀ききののの守かみ守かみかみなどなどなどいひいひいいししし子こ子ここどもどもども迎むかへ迎むかへむかえににに來き來ききたるたるたる人々びと人々びとびと「「「このこのこの殿との殿とのとのかくかくかくまうでまうでもうで給たま給たまたまふふうべしべしべし」」」ととと告つ告つつげゝれげゝれげければばば道みち道みちみちのののほどほどほどさわがしかりさわがしかりさわがしかりなななむむんものものものぞぞぞとととてててまだまだまだ曉あかつき曉あかつきあかつきよりよりより急いそ急いそいそぎぎぎけるけるけるををを、、、をんなをんなおんな車ぐるま車ぐるまぐるま多おほ多おほおおくくく所ところ所ところところせうせうしょうゆるぎゆるぎゆるぎくるくるくるににに日ひ日ひひたけたけたけぬぬぬ。。。
  4. 4うちいでうちいでうちいでののの濱はま濱はまはまくるくるくるほどほどほどににに殿との殿とのとのははは粟田山あはたやま粟田山あはたやまあわたやま越こ越ここえええ給たま給たまたまひひいぬぬぬとととてててごぜんごぜんごぜんののの人々びと人々びとびと道みち道みちみちもももさりあへさりあへさりあえずずずきききこみこみこみぬれぬれぬればばば、、、せきせきせき山やま山やまやまににに皆みな皆みなみなおりおりおり居ゐ居ゐいてててこゝかしここゝかしこここかしこののの杉すぎ杉すぎすぎのののしたしたしたににに車くるま車くるまくるまどもどもどもかきかきかきおろしおろしおろしこがくれこがくれこがくれににに居ゐ居ゐいかしこまりかしこまりかしこまりててて過す過すすぐしぐしぐし奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。
  5. 5車くるま車くるまくるまなどなどなどかたへかたへかたえはははおくらかしおくらかしおくらかし先さき先さきさきにににたてたてたてなどなどなどしししたれたれたれどどど猶なほ猶なほなおるゐるゐるいひろくひろくひろく見み見みみゆゆゆ。。。車くるま車くるまくるま十とを十とをとおばかりばかりばかりぞぞぞ袖口そでぐち袖口そでぐちそでぐち物もの物ものものののの色いろ色いろいろあひあひあいなどもなどもなども漏も漏ももりりり出い出いいでででゝゝて見み見みみえええたるたるたる。。。田舍ゐなか田舍ゐなかいなかびびびずずずよしよしよしありありありててて齋宮さいぐう齋宮さいぐうさいぐうののの御おん御おんおんくだりくだりくだり何なに何なになにぞぞぞやうやうようののの折をり折をりおりののの物見車ものみぐるま物見車ものみぐるまものみぐるまおぼしおぼしおぼし出い出いいでででらるらるらる。。。
  6. 6殿との殿とのとのもももかくかくかく世よ世よよににに榮さか榮さかさかえええ出い出いいででで給たま給たまたまふふう珍めづら珍めづらめずらしさしさしさににに數かず數かずかずもももなきなきなきごぜんごぜんごぜんどもどもども皆みな皆みなみな目め目めめとゞめとゞめとどめたりたりたり。。。ながつきながつきながつきつごもりつごもりつごもりなれなれなればばば紅葉もみぢ紅葉もみぢもみじのののいろいろいろいろいろいろこきこきこきまぜまぜまぜ霜しも霜しもしもがれがれがれののの草くさ草くさくさむらむらむらむらむらむらをかしうをかしうおかしゅう見み見みみえええ渡わた渡わたわたるるるににに、、、關屋せきや關屋せきやせきやよりよりよりさとさとさとはづれはづれはずれ出い出いいでででたるたるたる旅姿たびすがた旅姿たびすがたたびすがたどもどもどものののいろいろいろいろいろいろのののあをあをあおのののつきづきしきつきづきしきつきずきしき縫物ぬひもの縫物ぬひものぬいものくゝりぞめくゝりぞめくくりぞめのののさまさまさまもももさるさるさるかたかたかたにににをかしうをかしうおかしゅう見み見みみゆゆゆ。。。
  7. 7御おん御おんおん車くるま車くるまくるまははは簾垂すだれ簾垂すだれすだれおろしおろしおろし給たま給たまたまひひいてててかのかのかの昔むかし昔むかしむかしののの小君こぎみ小君こぎみこぎみ今いま今いまいまははは右衛門うゑもん右衛門うゑもんうえもんののの介すけ介すけすけなるなるなるををを召め召めめししし寄よ寄よよせせせててて「「「今日けふ今日けふきょうののの御おん御おんおん關せき關せきせきむかへむかへむかえはははえええ思おも思おもおもひひいすてすてすて給たま給たまたまははわじじじ」」」などなどなどののの給たま給たまたまふふう。。。御心みこころ御心みこころみこころののの中うち中うちうちいといといとあはれあはれあわれにににおぼしおぼしおぼし出い出いいづるづるずることことこと多おほ多おほおおかれかれかれどどど、、、おほざうおほざうおおぞうにてにてにてかひかひかいなしなしなし。。。
  8. 8女をんな女をんなおんなももも人ひと人ひとひと知し知ししれれれずずず昔むかし昔むかしむかしのののことことこと忘わす忘わすわすれれれねねねばばばとりとりとり返かへ返かへかえしししててて物もの物ものものあはれあはれあわれなりなりなり。。。「「「行ゆ行ゆゆくくくとととくとくとくとせきせきせきとめとめとめがたきがたきがたき淚なみだ淚なみだなみだをををややや絕た絕たたえええぬぬぬ淸水しみづ淸水しみづしみずととと人ひと人ひとひとははは見み見みみるるるらむらむらん」」」。。。えええしりしりしり給たま給たまたまははわじじじかしかしかしとととおもふおもふおもうにににいといといとかひかひかいなしなしなし。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

伊予介といった人は、故院がお亡くなりになった翌年、常陸介になって任国に下ったので、あの帚木(空蟬)も一緒に連れて行かれたのだった。源氏の須磨でのお住まいも遠く伝え聞いて、人知れずお思いやり申し上げないわけではなかったけれど、お便りを差し上げるつてさえなくて、筑波嶺の山を吹き越す風にことづてるのも頼りない気がして、少しのお便りもないまま年月が重なった。

期限の決まっていない源氏のお住まいだったけれど、京にお帰りになって住んでいらっしゃるその翌年の秋に、常陸介は上京してきた。逢坂の関に入るその日に、ちょうどこの源氏の殿が石山寺に御願ほどきに参詣なさった。京から、あの紀伊守などといった子どもたちで迎えに来た人々が、「この殿がこのように参詣なさる」と告げたので、道中が混み合うだろうと思って、まだ夜明け前から急いだのだが、女車が多くて、窮屈にゆるゆると進んでくるうちに日が高くなった。

打出の浜に来るころに、殿は粟田山をお越えになったと言って、御前駆の人々が、道も避けきれないほど込み入ってきたので、関山で皆車から降りて、あちらこちらの杉の下に車を下ろし、木陰に控えて、お通りをやり過ごし申し上げる。車なども一部は後に残し、一部は先に立てたりしたけれど、それでもやはり一族が大勢に見える。車十台ほどから、袖口や着物の色合いなどもこぼれ出て見えている。田舎びておらず品があって、源氏は斎宮の御下向か何かの折の物見車を思い出しなさる。

殿がこのように世に栄えてお出ましになる珍しさに、数知れない御前駆の者たちも皆目をとめている。九月の末なので、紅葉の色とりどりに、霜枯れの草がまだらに、趣深く見渡されるところに、関屋からさっと現れ出た旅姿の者たちの色とりどりの襖(あお)の、ふさわしい刺繍や絞り染めの様子も、それなりに趣深く見える。

源氏のお車は簾を下ろしなさって、あの昔の小君で、今は右衛門佐である者をお呼び寄せになって、「今日のお関迎えは、まさかお見捨てにはなるまい」などとおっしゃる。お心の中では、たいそうしみじみと思い出しなさることが多いけれど、ありきたりの伝言では、かいがない。女(空蟬)も、人知れず昔のことを忘れていないので、思い返してしみじみと悲しい。「行く時も来る時も、せき止めがたく流れる私の涙を、絶えることのない関の清水だと、人は見ているのでしょうか」。あの方はご存じないだろうと思うと、たいそうかいがない。

意訳

常陸介となった伊予介とともに任国に下っていた空蟬は、源氏が帰京した翌年の秋に上京する。逢坂の関に入る日、ちょうど石山寺に参詣する源氏の一行と行き会い、常陸介一行は木陰に控えて源氏の一行をやり過ごす。

源氏は、かつての小君(今の右衛門佐)を呼んで空蟬に言葉を伝える。空蟬も車の中で人知れず昔を思い、涙を関の清水にたとえた歌を詠む。

語釈・文法注

關
逢坂の関。山城と近江の国境にあった関所。「逢ふ」をかけて、人と人とが出会う場所として和歌に詠まれた。関の清水も歌枕として名高い。

文法

打消推量の「じ」(え思ひすて給はじ)
「まさかお見捨てにはなるまい」。
現在推量の「らむ」(人は見るらむ)
「人は見ているのだろうか」。

和歌

行くとくとせきとめがたき淚をや絕えぬ淸水と人は見るらむ

詠者
空蟬
状況
逢坂の関で源氏の一行をやり過ごしながら、車の中でひそかに詠んだ歌。行く時も来る時も、せき止めがたく流れる私の涙を、絶えることのない関の清水だと、人は見ているのでしょうか。

修辞

掛詞
「せき」に「関」と「堰き」をかける。
縁語
「せき」「淸水」は逢坂の関の縁語。逢坂の関の清水は歌枕として名高い。

解説

関屋の巻は、空蟬の物語の後日談である。帚木・空蟬の巻で源氏を拒んだ空蟬が、逢坂の関という「逢ふ」の名を持つ場所で源氏と行き会うという設定は、二人の縁の不思議さを感じさせる。

空蟬は、源氏の栄華を目の当たりにしながら、ひそかに涙を流す。源氏を拒みながらも心では思い続けてきた空蟬の複雑な心情が、関の清水の歌に込められている。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、318–321頁(コマ162–163)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日