源氏物語 第16帖 関屋(2)
右衛門佐を介した文
石山から帰る源氏を、右衛門佐(昔の小君)が迎えに参上する。右衛門佐は、源氏の須磨退去の時に世間をはばかって常陸に下ったので、源氏はわだかまりを持ちながらも、表には出さずに家人として扱う。一方、右近将監は源氏に従って須磨に下ったので、取り立てられていた。源氏は右衛門佐を介して空蟬に文を送り、空蟬も迷いながら返歌をする。

- 1石山石山いしやまよりよりより出出いででで給給たまふふう御御おんむかへむかへむかえににに右衛門右衛門うえもんののの介介すけ參參まいれれれりりり。。。ひとひひとひひとひまかりまかりまかり過過すぎぎぎしししかしこまりかしこまりかしこまりなどなどなど申申もうすすす。。。
- 2むかしむかしむかしわらはわらはわらわにてにてにていといといとむつましうむつましうむつましゅうらうたきらうたきろうたきものものものにににししし給給たまひひいしかしかしかばばば、、、かうぶりかうぶりこうぶりなどなどなど得得えしししまでまでまでこのこのこの御御おん德德とくににに隱隱かくれれれたりたりたりしししををを、、、おぼえおぼえおぼえぬぬぬ世世よのののさわぎさわぎさわぎありありありしししころころころ物物ものののの聞聞きこえええににに憚憚はばかりりりててて常陸常陸ひたちにににくだりくだりくだりしししをををぞぞぞ少少すこししし御心御心みこころおきおきおきててて年比年比としごろはははおぼしおぼしおぼしけれけれけれどどど色色いろにににももも出出いだししし給給たまははわずずず。。。昔昔むかしのののやうやうようにににこそこそこそあらあらあらねねねどどど猶猶なお親親したしきしきしき家人家人けにんののの內內うちにににはははかぞへかぞへかぞへ給給たまひひいけりけりけり。。。
- 3紀紀きののの守守かみととといひいひいいしししももも今今いまははは河內河內こうちののの守守かみにににぞぞぞなりなりなりにににけるけるける。。。そのそのその弟弟おとうとののの右近右近うこんののの解解とけけけててて御供御供ともにににくだりくだりくだりしししをををぞぞぞとりわきてとりわきてとりわきてなしなしなし出出いででで給給たまひひいけれけれければばばそれそれそれにににぞぞぞ誰誰たれももも思思おもひひい知知しりりりててて、、、などなどなどててて少少すこしししももも世世よににに從從したがふふう心心こころをををつかひつかひつかいけむけむけんなどなどなど思思おもひひい出出いでででけるけるける。。。
- 4介介すけ召召めししし寄寄よせせせててて御御おんせうそこせうそこしょうそこありありあり。。。今今いまはははおぼしおぼしおぼし忘忘わすれれれぬぬぬべきべきべきことことことををを心心こころ長長ながくくくもももおはするおはするおわするかなかなかなととと思思おもひひい居居いたりたりたり。。。
- 5「「「一日一日ひとひはははちぎりちぎりちぎり知知しららられれれじじじをををさささはははおぼしおぼしおぼし知知しりりりけむけむけんややや。。。わくらばわくらばわくらばににに行行ゆきききあふあふあう道道みちをををたのみたのみたのみしししもももなほなほなおかひかひかいなしなしなしやややしほしほしおならならならぬぬぬ海海うみ。。。關守關守せきもりのののさもさもさもうらやましくうらやましくうらやましく目目めざましかりざましかりざましかりしししかなかなかな」」」とととありありあり。。。
- 6「「「年比年比としごろのののとだえとだえとだえもももうひうひしくうひうひしくういういしくなりなりなりにににけれけれけれどどど心心こころにににはははいついついつとととなくなくなく只今只今ただいまののの心心ここちちちするするするならひならひならいににになむなむなん。。。すきずきしうすきずきしうすきずきしゅういとゞいとゞいとどにくまにくまにくまれれれむむんややや」」」とととててて賜賜たまへへえれれればばばかたじけなくかたじけなくかたじけなくてててもてもてもていきいきいきててて
- 7「「「なほなほなお聞聞きこえええたまへたまへたまえ。。。昔昔むかしにににははは少少すこしししおぼしおぼしおぼしのくのくのくことことことあらあらあらむむんととと思思おもひひい給給たまふるふるうるににに、、、同同おなじじじやうやうようなるなるなる御心御心みこころのののなつかしさなつかしさなつかしさなむなむなんいとゞいとゞいとどありがたきありがたきありがたき。。。すさびすさびすさびことことことぞぞぞようようようなきなきなきことことことゝゝと思思おもへへえどどど、、、えええこそこそこそすくよかすくよかすくよかににに聞聞きこえええかへさかへさかえさねねね。。。女女おんなにてにてにてはははまけまけまけ聞聞きこえええ給給たまへへえらむらむらんににに罪罪つみ許許ゆるささされれれぬぬぬべしべしべし」」」などなどなどいふいふいう。。。
- 8今今いまはははましてましてましていといといと耻耻はずかしうしうしゅうよろづよろづよろずのののことことことうひうひしきうひうひしきういういしき心地心地ここちすれすれすれどどど、、、めづらしきめづらしきめずらしきにににややや、、、えええ忍忍しのばばばれれれざりざりざりけむけむけん。。。「「「あふさかあふさかあうさかののの關關せきやややいかなるいかなるいかなるせきせきせきなれなれなればばばしげきしげきしげきなげきなげきなげきののの中中なかをををわくわくわくらむらむらん。。。夢夢ゆめのののやうやうようににになむなむなん」」」ととと聞聞きこえええたりたりたり。。。
- 9あはれあはれあわれもももつらさつらさつらさももも忘忘わすれれれぬぬぬふしふしふしとととおぼしおぼしおぼし置置おかかかれれれたるたるたる人人ひとなれなれなればばば折々折々おりおりはははなほなほなおのののたまひたまひたまいうごかしうごかしうごかしけりけりけり。。。
現代語訳
石山寺からお帰りになる源氏のお迎えに、右衛門佐が参上した。先日、素通りして参上しなかったおわびなどを申し上げる。昔、童として、たいそう親しくかわいいものとしてお使いになっていたので、五位の位などを得るまで、源氏のお蔭をこうむっていたのに、思いがけない世の騒ぎがあったころ、世間の評判をはばかって常陸に下ったのを、源氏は少しわだかまりをお持ちになって、長年はお思いになっていたけれど、顔色にもお出しにならない。昔のようではないけれど、やはり親しい家人のうちには数えていらっしゃった。
紀伊守といった人も、今は河内守になっていた。その弟の右近将監で、官職を解かれて源氏のお供として須磨に下った者を、源氏はとりわけ取り立てなさったので、それによって誰もが思い知って、どうして少しでも世の中におもねる心を持ったのだろうなどと思い出すのだった。
源氏は右衛門佐を呼び寄せて、空蟬へのお手紙を託しなさる。右衛門佐は、今ではお忘れになってもよいはずのことを、気長にお思い続けになっているものだなと思っていた。「先日は、前世からの縁を知らされたのを、そうお感じになったでしょうか。たまたま行き会った近江路での出会いを頼みにしたけれど、やはりかいのないことでした。潮のない淡海では貝がないように。関守が、たいそううらやましく、憎らしく思われたことですよ」とある。
「長年のご無沙汰も、何だかぎこちなくなってしまいましたが、心ではいつも、たった今のことのように思われるのが習いでして。浮気めいたことと、ますます憎まれるでしょうか」と言ってお渡しになったので、右衛門佐は畏れ多く思って、持っていって、「やはりお返事を差し上げなさい。昔よりは少しお心が離れていらっしゃるだろうと思っておりましたのに、同じようなお心の慕わしさは、いっそうめったにないことです。浮気めいたことはつまらないことと思いますが、とても無愛想にお返し申し上げることはできません。女の身としては、根負けしてお返事申し上げなさっても、罪は許されることでしょう」などと言う。
空蟬は、今ではましてたいそう恥ずかしく、何事も気後れする気持ちがするけれど、珍しいお手紙だったからか、こらえきれなかったのだろう。「逢坂の関とは、いったいどういう関なので、深い嘆きの中を分けて行かせるのでしょう。夢のようでございます」と申し上げた。源氏は、しみじみとした思いもつらさも忘れられない人とお思いになっている人なので、折々はやはりお便りをして、心を動かそうとなさった。
意訳
石山から帰る源氏を、右衛門佐(昔の小君)が迎えに参上する。須磨退去の時に常陸に下った右衛門佐に、源氏はわだかまりを持ちながらも、家人として扱う。一方、源氏に従って須磨に下った右近将監は取り立てられていた。
源氏は右衛門佐を介して空蟬に文を送る。右衛門佐に勧められ、空蟬も迷いながら返歌をする。その後も源氏は、折々に空蟬に便りをする。
語釈・文法注
- 右近のざう
- 右近将監(うこんのじょう)。紀伊守の弟で、須磨の巻で源氏に従って須磨に下った人物。官職を解かれていたが、源氏の帰京後に取り立てられた。
文法
- 「こそ…ね」(昔のやうにこそあらねど)
- 「昔のようではないけれど」。「こそ」の結びの已然形「ね」に「ど」が続き、逆接となる。
- 「え…ね」(えこそすくよかに聞えかへさね)
- 「とても無愛想にお返しすることはできません」。「え」は打消と呼応して不可能を表し、「こそ」の結びで「ず」が已然形「ね」となる。
和歌
わくらばに行きあふ道をたのみしもなほかひなしやしほならぬ海
- 詠者
- 光源氏
- 状況
- 右衛門佐を介して空蟬に送った歌。たまたま行き会った近江路での出会いを頼みにしたけれど、やはりかいのないことでした。潮のない淡海(近江の湖)では貝がないように。
修辞
- 掛詞
- 「あふ」に「逢ふ」と「近江(あふみ)」、「かひ」に「甲斐」と「貝」をかける。「しほならぬ海」は琵琶湖のこと。
あふさかの關やいかなるせきなればしげきなげきの中をわくらむ
- 詠者
- 空蟬
- 状況
- 源氏への返歌。逢坂の関とは、いったいどういう関なので、茂った木々の間を分けて行くように、深い嘆きの中を分けて行かせるのでしょう。
修辞
- 掛詞
- 「あふさか」に「逢ふ」、「なげき」に「嘆き」と「投げ木(木)」をかける。
解説
右衛門佐と右近将監の対比は、源氏の須磨退去の際に人々がどのような態度をとったかが、その後の処遇に反映されていることを示す。源氏は表には出さないが、人の心の誠実さを見ている。
空蟬は、かつて源氏を拒み続けたが、今は源氏の文に返歌をする。年月を経て、空蟬の心にも変化が生じていることがうかがえる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、320–323頁(コマ163–164)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日