源氏物語 第14帖 澪標(8)
人々の処遇と新しい宮廷
源氏は五節を忘れられず、東の院にこうした人々を集めようと考える。朧月夜は源氏に心を許さなくなった。朱雀院は譲位後のどかに過ごし、承香殿女御は東宮の母として栄える。藤壺は太上天皇に準じる待遇を受け、自由に参内できるようになり、大后は世を恨む。源氏は兵部卿宮には冷たくあたる。権中納言(頭中将)の娘が入内し、兵部卿宮も娘の入内を望むが、源氏は快く思わない。

- 1かやうかやうかようののの序序ついでにににもももかのかのかの五節五節ごせちをををおぼしおぼしおぼし忘忘わすれれれずずず、、、又又また見見みてててしがしがしがなななととと心心こころにににかけかけかけ給給たまへへえれれれどどど、、、いといといとかたきかたきかたき事事ことにてにてにてえええまぎれまぎれまぎれ給給たまははわずずず。。。女女おんなははは物思物思ものおもひひい絕絕たえええぬぬぬををを親親おやはははよろづよろづよろずににに思思おもひひいいふいふいうことことこともももあれあれあれどどど、、、世世よににに經經へむむんことことことををを思思おもひひい絕絕たえええたりたりたり。。。
- 2心心こころやすきやすきやすき殿殿とのづくりづくりずくりしししてててはははかやうかやうかようののの人人ひとつどへつどへつどえてててももも思思おもふふうさまさまさまにににかしづきかしづきかしずき給給たまふふうべきべきべき人人ひともももいでいでいでものものものししし給給たまははわゞゞばさるさるさる人人ひとののの後見後見うしろみにににもももとととおぼすおぼすおぼす。。。かのかのかの院院いんのののつくりつくりつくりざまざまざまなかなかなかなかなかなか見見み所所どころ多多おおくくく今今いまめいめいめいたりたりたり。。。よしよしよしあるあるあるずりやうずりやうずりょうなどなどなどをををえりえりえりてててあてあてあてあてあてあてににに催催もよおししし給給たまふふう。。。
- 3ないしのかんのないしのかんのないしのかんの君君きみををを猶猶なおえええ思思おもひひい放放はなちちち聞聞きこえええ給給たまははわずずず。。。こりずまこりずまこりずまににに立立たちちちかへるかへるかえる御心御心こころばへばへばえもももあれあれあれどどど、、、女女おんなはははうきうきうきにににこりこりこり給給たまひひいててて昔昔むかしのののやうやうようにににもももあひしらへあひしらへあいしらえ聞聞きこえええ給給たまははわずずず。。。なかなかなかなかなかなか所所ところせうせうしょうさうざうしうさうざうしうそうぞうしゅう世世よののの中中なかをををおぼさおぼさおぼさるるる。。。
- 4院院いんはははのどやかのどやかのどやかにににおぼしおぼしおぼしなりなりなりててて、、、時々時々ときどきにににつけつけつけてててをかしきをかしきおかしき御御おん遊遊あそびなどなどなど好好このましげましげましげにににおはしますおはしますおわします。。。女御女御にょうご更衣更衣こうい皆皆みな例例れいのののごとごとごと侍侍さぶらひひい給給たまへへえどどど、、、春宮春宮とうぐうののの御御おん母母はは女御女御にょうごのみのみのみぞぞぞとりとりとり立立たてゝてゝてて時時ときめきめきめき給給たまふふうことことこともももなくなくなく、、、
- 5かんのかんのかんの君君きみののの御御おんおぼえおぼえおぼえにににおしおしおしけたけたけたれれれ給給たまへへえりりりしししををを、、、かくかくかくひきひきひきたがへたがへたがえめでたきめでたきめでたき御御おんさいはひさいはひさいわいにてにてにて離離はなれれれ出出いでででゝゝて宮宮みやにににそひそひそい奉奉たてまつりりり給給たまへへえるるる。。。このこのこのおとゞおとゞおとどののの御御おんとのゐどころとのゐどころとのいどころははは昔昔むかしのののなりなりなり。。。梨壺梨壺なしつぼににに春宮春宮とうぐうはははおはしませおはしませおわしませばばば、、、ちかちかちかどなりどなりどなりののの御御おん心心こころよせよせよせににに何事何事なにごとをををももも聞聞きこえええ通通かよひひいててて宮宮みやをををもももうしろみうしろみうしろみ奉奉たてまつりりり給給たまふふう。。。
- 6入道入道にゅうどうきさいきさいきさいののの宮宮みや御御おん位位くらいををを又又また改改あらためめめ給給たまふふうべきべきべきならならならねねねばばば太上天皇太上天皇だいじょうてんのうににになずらへなずらへなずらえててて賜賜たまばりばりばり、、、ゐんじゐんじいんじともともともなりなりなりててて、、、さまさまさまことことことにににいつくしういつくしういつくしゅう、、、御御おん行行おこなひひいくどくくどくくどくのののことことことををを常常つねののの御御おんいとなみいとなみいとなみにてにてにておはしますおはしますおわします。。。
- 7年比年比としごろ世世よにににはゞかりはゞかりはばかりててていでいりいでいりいでいりもももかたくかたくかたく見見み奉奉たてまつりりり給給たまははわぬぬぬをををいぶせくいぶせくいぶせくおぼしおぼしおぼしけるけるけるにににおぼすおぼすおぼすさまさまさまににに參參まいりりりまかでまかでまかで給給たまふふうもももいといといとめでたけれめでたけれめでたければばば、、、大后大后おおきさきはははうきうきうきものものものははは世世よなりなりなりけりけりけりとととおぼしおぼしおぼしなげくなげくなげく。。。
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- 11兵部卿兵部卿ひょうぶきょうののの宮宮みやののの中中なかののの君君きみもももさやうさやうさようににに心心こころざしざしざしてててかしづきかしづきかしずき給給たまふふう名名な高高だかきききををを、、、大臣大臣おとどははは人人ひとよりよりよりまさりまさりまさり給給たまへへえとととしもしもしもおぼさおぼさおぼさずずずなむなむなんありありありけるけるける。。。いかゞいかゞいかがししし給給たまははわむむんとととすすすらむらむらん。。。
現代語訳
このような折にも、源氏はあの五節をお忘れにならず、また会いたいものだと心にかけていらっしゃるけれど、たいそう難しいことで、人目を忍んでお出かけになることもできない。女(五節)は物思いが絶えないのを、親は何かと縁談を勧めることもあるけれど、結婚することは思い切っていた。源氏は、気楽な邸を造って、こういう人々を集めて、思いどおりに大切に育てたい子でも生まれたら、その人の世話役にもとお考えになる。あの東の院の造りは、かえって見どころが多く、当世風である。風流な受領などを選んで、それぞれに割り当ててお造らせになる。
尚侍の君(朧月夜)を、やはりお忘れになれない。懲りずにまた言い寄るお心もあるけれど、女はつらい目に懲りて、昔のようにもお相手申し上げなさらない。源氏はかえって窮屈で物足りなく、世の中をお思いになる。
院(朱雀院)はのんびりとしたお気持ちになって、季節ごとに趣のある管絃の遊びなどを好ましげに催していらっしゃる。女御や更衣は皆、在位中と同じようにお仕えしていらっしゃるが、東宮の御母の女御(承香殿女御)だけは、とりたててご寵愛を受けることもなく、尚侍の君のご寵愛に圧倒されていらっしゃったのが、こうして打って変わってめでたいご幸運で、院のもとを離れ出て、東宮に付き添っていらっしゃる。この源氏の大臣の宿直所は、昔の淑景舎(桐壺)である。梨壺に東宮はいらっしゃるので、近隣のよしみで、何事も申し上げ通わして、東宮のお世話もなさる。
入道の后の宮(藤壺)は、御位をまた改めなさるわけにもいかないので、太上天皇に準じて御封を賜り、院司なども任じられて、格別に威儀を整え、ご勤行や功徳のことを日々のお勤めにしていらっしゃる。長年、世間をはばかって、宮中への出入りも難しく、帝にお会いになれないのを気詰まりにお思いになっていたので、思いどおりに参内したり退出したりなさるのも、たいそうめでたいので、大后は、つらいものは世の中であったとお嘆きになる。源氏の大臣は、何かにつけてたいそう気恥ずかしくなるほど大后にお仕えし、好意をお寄せ申し上げなさるのも、かえって大后には気の毒なようなのを、世間の人も穏やかでなく申し上げた。
兵部卿の宮(紫の上の父)が、長年のお心づかいが冷たく思いがけなく、ただ世間の評判ばかりをはばかっていらっしゃったことを、源氏の大臣はつらいものとお思いになって、昔のようにも親しくなさらない。世間一般には誰に対してもすばらしいお心であるけれど、この宮のあたりには、かえって情のない仕打ちも交えなさるので、入道の宮(藤壺)は気の毒で残念なこととご覧になる。
世の中の政治は、ただ半分ずつに分けて、太政大臣とこの源氏の大臣との思いのままである。権中納言の御娘は、その年の八月に入内なさる。祖父の太政大臣が自ら世話をして、儀式などもたいそう申し分ない。兵部卿の宮の中の君も、同じように入内させようと心がけて大切に育てていらっしゃるという評判が高いのを、源氏の大臣は、ほかの人より優れてほしいともお思いにならないのであった。どうなさるおつもりなのだろう。
意訳
源氏は、五節など縁のある女性たちを東の院に集めようと考える。朧月夜は、つらい経験に懲りて、源氏に心を許さなくなった。
朱雀院は譲位後のどかに過ごし、承香殿女御は東宮の母として栄える。藤壺は太上天皇に準じる待遇を受け、自由に参内できるようになり、大后は世を恨む。源氏は、須磨流謫の時に冷たかった兵部卿宮を冷遇する。権中納言の娘が入内し、兵部卿宮も娘の入内を望むが、源氏はそれを快く思わない。
語釈・文法注
- しげいさ
- 淑景舎(しげいしゃ)。後宮の殿舎の一つで、庭に桐が植えられていたので桐壺ともいう。源氏の母、桐壺の更衣の局であった。
- みふ
- 御封(みふ)。朝廷から与えられる封戸(ふこ)。その戸からの租税の一部が収入となった。藤壺は太上天皇に準じる待遇を受けた。
文法
- 願望の「てしがな」(又見てしがな)
- 「また会いたいものだ」。
- 推量の「らむ」(いかゞし給はむとすらむ)
- 「どうなさるおつもりなのだろう」。語り手が今後の展開を読者に予告する草子地。
解説
冷泉帝の即位によって、宮廷の勢力図は大きく塗り替えられる。藤壺は太上天皇に準じる待遇を受け、大后(弘徽殿)は失意の中にある。源氏は大后にもかえって丁重に仕えるが、それがかえって大后には屈辱となる。
兵部卿宮への冷遇は、源氏の人間的な一面を示す。源氏が須磨に退去した時、兵部卿宮は世間をはばかって紫の上を見舞わなかった。その恨みが、のちに兵部卿宮の娘(王女御)の入内をめぐる対立にもつながっていく。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、292–295頁(コマ149–150)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日