源氏物語 第14帖 澪標(6)
五十日の祝い
源氏は、姫君の五十日の祝いの日を数えて、明石に使いを送り、心のこもった贈り物と歌を届ける。入道は感激して泣き、乳母は都の話をして明石の君を慰める。明石の君は、姫君の行く末を頼む返歌を送る。源氏がその手紙を見て嘆息するのを、紫の上は横目で見て恨み、源氏は手紙の上包みだけを見せる。

- 1五月五月さつき五日五日いつかにににぞぞぞにににははは當當あたるるるらむらむらんととと人人ひと知知しれれれずずず數數かぞへへへ給給たまひひいててて、、、ゆかしうゆかしうゆかしゅうあはれあはれあわれにににおぼしおぼしおぼしやるやるやる。。。何事何事なにごともももいかにいかにいかにかひかひかいあるあるあるさまさまさまにににもてなしもてなしもてなし嬉嬉うれしからしからしからましましまし、、、口惜口惜くちおしししのののわざわざわざややや、、、さるさるさる所所ところにににしもしもしも心苦心苦こころぐるしきしきしきさまさまさまにてにてにて出出いででで來來きたるたるたるよよよとととおぼすおぼすおぼす。。。
- 2男君男君おとこぎみならならならましかましかましかばばばかうかうこうしもしもしも御心御心みこころにににかけかけかけ給給たまふふうまじきまじきまじきををを、、、かたじけなうかたじけなうかたじけのういとほしういとほしういとおしゅう我我わががが御御おん宿世宿世すくせもももこのこのこの御御おん事事ことにににつけつけつけてててぞぞぞかたほかたほかたほなりなりなりけるけるけるとととおぼさるゝおぼさるゝおぼさるる。。。御御おん使使つかい出出いだししし立立たてててらるらるらる。。。
- 3「「「必必かならずずずそのそのその日日ひ違違たがへへえずずず罷罷まかりりりつけつけつけ」」」とととのののたまへたまへたまえばばば、、、五日五日いつかにににいきいきいきつきつきつきぬぬぬ。。。おぼしおぼしおぼしやるやるやることことこともももありがたうありがたうありがとうめでたきめでたきめでたきさまさまさまにてにてにてまめまめしきまめまめしきまめまめしき御御おんとぶらひとぶらひとぶらいもももありありあり。。。
- 4「「「うみうみうみ松松まつややや時時ときぞぞぞともともともなきなきなきかげかげかげににに居居いててて何何なにのののあやめあやめあやめもももいかにいかにいかにわくわくわくらむらむらん。。。心心こころのののあくがるゝあくがるゝあくがるるまでまでまでなむなむなん。。。猶猶なおかくかくかくてててははは得得え過過すぐすぐすぐすまじきまじきまじきををを思思おもひひい立立たちちち給給たまひひいねねね。。。さりともさりともさりとも後後うしろめたきめたきめたきことことことはははよもよもよも」」」ととと書書かいいい給給たまへへえりりり。。。
- 5入道入道にゅうどう例例れいののの喜喜よろこびびびなきなきなきしししててて居居いたりたりたり。。。かゝるかゝるかかるをりをりおりははは生生いけけけるるるかひかひかいももも作作つくりりり出出いでででたるたるたることわりことわりことわりなりなりなりととと見見みゆゆゆ。。。こゝこゝここにににもももよろづよろづよろず所所ところせきせきせきまでまでまで思思おもひひい設設もうけけけたりたりたりけれけれければばば、、、このこのこの御御おん使使つかいなくなくなくばばば闇闇やみののの夜夜よにてにてにてこそこそこそ暮暮くれれれぬぬぬべかりべかりべかりけれけれけれ。。。
- 6めのとめのとめのともももこのこのこの女君女君おんなぎみのののあはれあはれあわれににに思思おもふふうやうやうようなるなるなるをををかたらひかたらひかたらい人人ひとにてにてにて世世よのののなぐさめなぐさめなぐさめにににしししけりけりけり。。。をさをさをさをさおさおさ劣劣おとらららぬぬぬ人人ひともももるゐるゐるいにににふれふれふれてててむかへむかへむかえ取取とりりりてててあらすれあらすれあらすれどどど、、、こよなくこよなくこよなく衰衰おとろへへえたるたるたる宮仕人宮仕人みやづかえびとなどなどなどのののいはほいはほいわおのののなかなかなか尋尋たずぬるぬるぬるががが落落おちちちとまれとまれとまれるるるなどなどなどこそこそこそあれあれあれ。。。
- 7これこれこれはははこよなうこよなうこよのうこめきこめきこめき思思おもひひいあがれあがれあがれりりり聞聞きききき所所ところあるあるある世世よののの物語物語ものがたりなどなどなどしししててて、、、おとゞおとゞおとどののの君君きみののの御御おん有樣有樣ありさま世世よにににかしづかかしづかかしずかれれれ給給たまへへえるるる御御おんおぼえおぼえおぼえののの程程ほどももも女女おんな心地心地ここちににに任任まかせせせててて限限かぎりなくなくなく語語かたりりり盡盡つくせせせばばば、、、げにげにげにかくかくかくおぼしおぼしおぼしいづいづいずばかりばかりばかりののの名殘名殘なごりとゞめとゞめとどめたるたるたる身身みもももいといといとたけくたけくたけくやうやうやうやうようよう思思おもひひいなりなりなりけりけりけり。。。
- 8御御おん文文ふみ諸共諸共もろともににに見見みててて心心こころのののうちうちうちににに、、、あはれあはれあわれかうかうこうこそこそこそ思思おもいののの外外ほかにににめでたきめでたきめでたき宿世宿世すくせはははありありありけれけれけれ、、、うきうきうきものものものははは我我わががが身身みにににこそこそこそありありありけれけれけれととと思思おもひひいつゞけゝれつゞけゝれつづけけれどどど、、、「「「めのとめのとめのとののの事事ことはははいかにいかにいかに」」」などなどなどこまやかこまやかこまやかにににとぶらはとぶらはとぶらわせせせ給給たまへへえるるるもももかたじけなくかたじけなくかたじけなく何事何事なにごとももも慰慰なぐさめめめけりけりけり。。。
- 9御御おん返返かえしししにににははは、、、「「「かずかずかずならならならぬぬぬみしまみしまみしまがくれがくれがくれににに鳴鳴なくくくたづたづたずをををけふけふけうもももいかにいかにいかにととと訪訪とふふう人人ひとぞぞぞなきなきなき。。。よろづよろづよろずににに思思おもひひい給給たまへへえむすぼゝるゝむすぼゝるゝむすぼおるるありさまありさまありさまをををかくかくかくたまさかたまさかたまさかののの御御おんなぐさめなぐさめなぐさめにににかけかけかけ侍侍はべるるる。。。命命いのちのののほどほどほどもももはかなくはかなくはかなくなむなむなん。。。げにげにげに後後うしろやすくやすくやすく思思おもひひい給給たまへへえ置置おくくくわざわざわざもがなもがなもがな」」」とととまめやかまめやかまめやかににに聞聞きこえええたりたりたり。。。
- 10うちうちうちかへしかへしかえし見見み給給たまひひいつゝつゝつつあはれあはれあわれととと長長ながやかやかやかにににひとりごちひとりごちひとりごち給給たまふふうををを、、、女君女君おんなぎみしりめしりめしりめににに見見みおこせおこせおこせててて、、、「「「浦浦うらよりよりよりをちをちおちにににこぐこぐこぐ船船ふねのののととと忍忍しのびやかびやかびやかにににひとりごちひとりごちひとりごちながめながめながめ給給たまふふうををを、、、
- 11「「「誠誠まことにににかくかくかくまでまでまでとりなしとりなしとりなしたまふたまふたまうよよよ。。。こここはははたゞたゞただかばかりかばかりかばかりのののあはれあはれあわれぞぞぞややや。。。所所ところのののさまさまさまなどなどなどうちうちうち思思おもひひいやるやるやる時々時々ときどききしきしきしかたかたかたのののことことこと忘忘わすれれれ難難がたきききひとりごとひとりごとひとりごとををを、、、ようようようこそこそこそ聞聞ききききすぐいすぐいすぐい給給たまははわねねね」」」などなどなど恨恨うらみみみ聞聞きこえええ給給たまひひいててて、、、うはつゝみうはつゝみうわつつみばかりばかりばかりををを見見みせせせ奉奉たてまつらららせせせ給給たまふふう。。。手手てなどなどなどのののいといといとゆゑづきゆゑづきゆえづきてててやんごとなきやんごとなきやんごとなき人人ひと苦苦くるしししげげげなるなるなるををを、、、かゝれかゝれかかればばばなめりなめりなめりとととおぼすおぼすおぼす。。。
現代語訳
五月五日が五十日の祝いに当たるだろうと、源氏は人知れず数えなさって、会いたく、しみじみと思いやりなさる。どんなことでも、都でならどんなにかいのあるようにお祝いして、うれしいことだったろうに、残念なことよ、よりによってあんな所で、気の毒な様子で生まれてきたことよとお思いになる。男の子であったら、こうまでお心にかけなさらないだろうが、畏れ多く気の毒で、自分のご宿運もこの姫君のことにつけて不完全だったのだとお思いになる。お使いを出立させなさる。
「必ずその日を違えずに着け」とおっしゃるので、五日に到着した。源氏のお心遣いも、めったにないほどすばらしく、実用的なお見舞いの品々もある。「海松が時の区別もない海の陰にあるように、いつも変わらぬ暮らしの中にいて、今日が節句だということも、どうして見分けられるだろうか。心が体から抜け出してしまうほどに思っています。やはり、このままでは過ごせそうにないので、上京を決心なさい。いくら何でも、心配なことはまさかありますまい」とお書きになっていた。
入道はいつものように喜び泣きをしていた。こういう時は、生きていたかいもあると泣きべそをかくのも、もっともだと見える。こちらでも、何かと場所も狭いほど準備していたので、このお使いがなかったら、闇夜のような気持ちで暮れてしまったことだろう。乳母も、この女君(明石の君)が、しみじみと理想的な人なのを話し相手にして、世の憂さの慰めにしていた。乳母に劣らない身分の女房も、縁故をたどって迎えて住まわせていたが、ひどく落ちぶれた宮仕えの女房などで、岩の中に住む所を求めるような者が、ここに落ちとどまっているくらいである。
この乳母は、このうえなく都風で気位が高く、聞きごたえのある世間の話などをして、源氏の大臣のご様子や、世間で大切にされていらっしゃるご声望のほども、女心にまかせて限りなく語り尽くすので、明石の君は、なるほど、このように思い出していただけるほどの名残をとどめた身も、たいそうたいしたものだと、だんだん思うようになった。乳母は、お手紙を一緒に見て、心の中で、ああ、こんなにも思いがけずすばらしい宿運もあったのだ、つらいのは自分の身であったと思い続けたが、「乳母のことはどうか」などと、細やかにお尋ねくださるのも畏れ多く、何もかも慰められた。
明石の君のご返事には、「人数にも入らない身で、島陰に隠れて鳴く鶴を、今日はどうしているかと訪ねてくれる人は、ほかにはおりません。何かと思い悩んでふさぎこんでいる様子を、このようにたまのお慰めにすがっております。命のほどもはかないことです。本当に、姫君のことを安心して思っておけるようにしていただきたいものです」と、心を込めて申し上げた。
源氏は繰り返しご覧になりながら、「ああ」と長々とひとり言をおっしゃるのを、女君(紫の上)は横目で見やって、「浦から遠くへ漕いでいく船のように」と小声でひとり言を言って物思いに沈んでいらっしゃるので、源氏は「本当にこうまで悪くお取りになるのですね。これはただこれだけのしみじみとした気持ちなのですよ。あの土地の様子などを思いやる時々に、過ぎたことの忘れがたいひとり言を、よくも聞き過ごしてくださらないのですね」などと恨み申し上げなさって、手紙の上包みだけをお見せになる。筆跡などがたいそう由緒ありげで、高貴な人も気後れしそうなほどなので、紫の上は、こうだからなのだろうとお思いになる。
意訳
源氏は、姫君の五十日の祝いの日に明石に使いを着かせ、贈り物と歌を届けて、上京を勧める。入道は感激して泣き、都から来た乳母は、源氏の評判を語って明石の君を慰める。
明石の君は、姫君の将来を頼む返歌を送る。源氏がその手紙に嘆息すると、紫の上は古歌を口ずさんで恨む。源氏は手紙の上包みだけを見せ、紫の上はその見事な筆跡に、源氏の心が引かれる理由を知る。
語釈・文法注
- いか
- 五十日(いか)の祝い。子が生まれて五十日目に行う祝い。父親か外祖父が餅を子の口に含ませる儀式を行った。
- 浦よりをちにこぐ船の
- 「み熊野の浦よりをちにこぐ船の我をばよそに隔てつるかな」(古今和歌六帖)による。私をよそに隔ててしまったことよ、という意を紫の上がほのめかす。
文法
- 反実仮想の「ましかば…まじ」(男君ならましかば…まじきを)
- 「男の子であったら、こうまでお心にかけなさらないだろうが」。
- 願望の「もがな」(思ひ給へ置くわざもがな)
- 「安心して思っておけるようにしていただきたいものです」。
和歌
うみ松や時ぞともなきかげに居て何のあやめもいかにわくらむ
- 詠者
- 光源氏
- 状況
- 五十日の祝いに明石の君へ送った歌。海松(みる)が時の区別もない海の陰にあるように、いつも変わらぬ暮らしの中にいて、今日が五月五日の節句だということも、どうして見分けられるだろうか。
修辞
- 掛詞
- 「あやめ」に「菖蒲」と「文目(区別)」をかける。「うみ松」は海松(みる)で、「見る」をひびかせる。
かずならぬみしまがくれに鳴くたづをけふもいかにと訪ふ人ぞなき
- 詠者
- 明石の君
- 状況
- 源氏への返歌。人数にも入らない身で、島陰に隠れて鳴く鶴(姫君)を、今日はどうしているかと訪ねてくれる人は、あなたのほかにはおりません。
修辞
- 掛詞
- 「みしま」に「身」と「島」、「いか」に「いかに」と「五十日」をかける。
解説
源氏が五十日の祝いの日に使いを着かせようとするのは、姫君を正式な子として扱おうとする意志の表れである。女の子であるからこそ心にかけるという源氏の思いには、后がねとしての姫君への期待がこめられている。
紫の上が古歌の一節で恨みをほのめかし、源氏が手紙の上包みだけを見せる場面は、二人の微妙な心理の駆け引きを描いている。明石の君の筆跡の見事さは、紫の上にとっても無視できない存在であることを示している。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、290–293頁(コマ148–149)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日