古典ライブラリー

源氏物語 第12帖 須磨(10)

須磨の秋

登場人物:光源氏・良清・民部大輔(惟光)・前右近将監

秋風が吹き、須磨の浦波の音が身にしみる。眠れぬ夜、源氏は琴を弾き、歌を詠む。供人たちは源氏の悲しみに涙する。源氏は昼は戯れ言で人々を慰め、絵を描いて過ごす。夕暮れ、海を見渡す廊で経を唱える源氏の姿は、この世の人とも思われない。雁の声に供人たちと歌を詠み交わし、十五夜には都の宴や藤壺、朱雀帝を思い出して涙する。

夕暮れの須磨、海を見渡す廊に、白い綾の衣と紫苑色の直衣をしどけなく着た源氏がたたずみ、沖を雁が連なって飛んでいく場面(AI生成)
夕暮れの須磨、海を見渡す廊に、白い綾の衣と紫苑色の直衣をしどけなく着た源氏がたたずみ、沖を雁が連なって飛んでいく場面
  1. 1須磨すま須磨すますまにににはははいとゞいとゞいとど心こころ心こころこころづくしづくしづくしののの秋風あきかぜ秋風あきかぜあきかぜににに、、、海うみ海うみうみははは少すこ少すこすこししし遠とほ遠とほとおけれけれけれどどど行平ゆきひら行平ゆきひらゆきひらののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの、、、關せき關せきせき吹ふ吹ふふききき越こ越ここゆるゆるゆるととといひいひいいけむけむけん浦波うらなみ浦波うらなみうらなみよるよるよるよるよるよるははは、、、げにげにげにいといといと近ちか近ちかちかくくく聞きこ聞きこきこえええててて又また又またまたなくなくなくあはれあはれあわれなるなるなるものものものはははかゝるかゝるかかる所ところ所ところところののの秋あき秋あきあきなりなりなりけりけりけり。。。
  2. 2御おん御おんおんまへまへまえにににいといといと人ひと人ひとひとずくなずくなずくなにてにてにてうちうちうち休やす休やすやすみみみわたれわたれわたれるるるににに、、、一人ひとり一人ひとりひとり目め目めめをををさましさましさましててて枕まくら枕まくらまくらをををそばたてゝそばたてゝそばたてて四方よも四方よもよもののの嵐あらし嵐あらしあらしををを聞き聞ききききき給たま給たまたまふふうににに、、、浪なみ浪なみなみたゞたゞただこゝこゝここもともともとににに立た立たたちちちくるくるくる心地ここち心地ここちここちしししててて淚なみだ淚なみだなみだ落お落おおつつつととともももおぼえおぼえおぼえぬぬぬににに枕まくら枕まくらまくらうくうくうくばかりばかりばかりににになりなりなりにににけりけりけり。。。
  3. 3きんきんきんををを少すこ少すこすこししし搔か搔かかききき鳴なら鳴ならならししし給たま給たまたまへへえるるるががが我わ我わわながらながらながらいといといとすごうすごうすごう聞きこ聞きこきこゆれゆれゆればばばひきひきひきさしさしさし給たま給たまたまひひいててて、、、「「「戀こ戀ここひひいわびわびわびてててなくなくなく音ね音ねねにににまがふまがふまがううらなみうらなみうらなみははは思おも思おもおもふふうかたかたかたよりよりより風かぜ風かぜかぜややや吹ふ吹ふふくくくらむらむらん」」」ととと謠うた謠うたうたひひい給たま給たまたまへへえるるるににに、、、人々びと人々びとびとおどろきおどろきおどろきてててめでたうめでたうめでとうおぼゆるおぼゆるおぼゆるににに忍しの忍しのしのばばばれれれてててあいなうあいなうあいのう起お起おおききき居ゐ居ゐいつゝつゝつつ鼻はな鼻はなはなををを忍しの忍しのしのびやかびやかびやかにににかみかみかみわたすわたすわたす。。。
  4. 4げにげにげにいかにいかにいかに思おも思おもおもふふうらむらむらん、、、我わ我わわががが身み身みみひとつひとつひとつににによりよりより、、、親おや親おやおやはらからはらからはらから片時かたとき片時かたときかたとき立た立たたちちち離はな離はなはなれれれがたくがたくがたく程ほど程ほどほどにににつけつけつけつゝつゝつつ思おも思おもおもふふうらむらむらん家いへ家いへいえををを別わか別わかわかれれれてててかくかくかく惑まど惑まどまどひひいあへあへあえるるるとととおぼすおぼすおぼすにににいみじくいみじくいみじくててて、、、
  5. 5いといといとかくかくかく思おも思おもおもひひい沈しづ沈しづしずむむむさまさまさまををを心こころ心こころこころ細ぼそ細ぼそぼそしししととと思おも思おもおもふふうらむらむらんとととおぼせおぼせおぼせばばば、、、晝ひる晝ひるひるははは何なに何なになにくれくれくれととと戯事たはぶれごと戯事たはぶれごとたわぶれごとうちうちうちのたまひのたまひのたまいまぎらはしまぎらはしまぎらわし、、、徒然つれづれ徒然つれづれつれづれなるなるなるまゝまゝままにににいろいろいろいろいろいろののの紙かみ紙かみかみをををつぎつぎつぎつゝつゝつつ手習てならひ手習てならひてならいをををししし給たま給たまたまふふう。。。
  6. 6珍めづら珍めづらめずらしきしきしきさまさまさまなるなるなるからからからののの綾あや綾あやあやなどなどなどににに樣々さまざま樣々さまざまさまざまののの繪ゑ繪ゑえどもどもどもををを書か書かかきききすさびすさびすさび給たま給たまたまへへえるるる、、、屏風びやうぶ屏風びやうぶびょうぶのののおもておもておもてどもどもどもなどなどなどいといといとめでたくめでたくめでたく見所みどころ見所みどころみどころありありあり。。。人々びと人々びとびとののの語かた語かたかたりりり聞きこ聞きこきこえええししし海うみ海うみうみ山やま山やまやまののの有樣ありさま有樣ありさまありさまををを遙はるか遙はるかはるかにににおぼしおぼしおぼしやりやりやりしししををを、、、御目め御目めめににに近ちか近ちかちかくくくてててはははげにげにげに及およ及およおよばばばぬぬぬ磯いそ磯いそいそのののたゝずまひたゝずまひたたずまい二に二にになくなくなく書か書かかききき集あつ集あつあつめめめ給たま給たまたまへへえりりり。。。
  7. 7このこのこの比ころ比ころころののの上手じやうず上手じやうずじょうずにににすめすめすめるるる千ち千ちちえだえだえだなどなどなど召め召めめしししてててつくりつくりつくり繪ゑ繪ゑえををを仕つか仕つかつこうううまつらまつらまつらせせせばやばやばやととと心こころ心こころこころもとながりもとながりもとながりあへあへあえりりり。。。懷なつか懷なつかなつかしうしうしゅうめでたきめでたきめでたき御おん御おんおん有樣ありさま有樣ありさまありさまににに世よ世よよののの物思ものおもひ物思ものおもひものおもい忘わす忘わすわすれれれててて近ちか近ちかちこううう馴な馴ななれれれ仕つか仕つかつこうううまつるまつるまつるををを嬉うれ嬉うれうれしきしきしきことことことにてにてにて四五人しごにん四五人しごにんしごにんばかりばかりばかりぞぞぞつとつとつと侍さぶら侍さぶらさぶらひひいけるけるける。。。
  8. 8前栽せんざい前栽せんざいせんざいののの花はな花はなはないろいろいろいろいろいろ咲さ咲ささききき亂みだ亂みだみだれれれおもしろきおもしろきおもしろき夕暮ゆふぐれ夕暮ゆふぐれゆうぐれににに、、、海うみ海うみうみ見み見みみやらやらやらるゝるゝるる廊らう廊らうろうににに出い出いいででで給たま給たまたまひひいてててたゝずみたゝずみたたずみ給たま給たまたまふふう御おん御おんおんさまさまさまのののゆゝしうゆゝしうゆゆしゅう淸きよ淸きよきよらららなるなるなることことこと、、、所ところ所ところところからからからはははましてましてましてこのこのこの世よ世よよのののものものものとととももも見み見みみえええ給たま給たまたまははわずずず。。。
  9. 9白しろ白しろしろききき綾あや綾あやあやのののなよゝかなよゝかなよよかなるなるなる紫苑色しをんいろ紫苑色しをんいろしおんいろなどなどなど奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりてててこまやかこまやかこまやかなるなるなる御おん御おんおん直衣なほし直衣なほしのうし帶おび帶おびおびしどけなくしどけなくしどけなくうちうちうち亂みだ亂みだみだれれれ給たま給たまたまへへえるるる御おん御おんおんさまさまさまにてにてにて「「「釋迦牟尼佛弟子しやかむにぶつでし釋迦牟尼佛弟子しやかむにぶつでししゃかむにぶつでし」」」ととと名な名ななのりのりのりてててゆるゝかゆるゝかゆるるかににによみよみよみ給たま給たまたまへへえるるる、、、又また又またまた世よ世よよににに知し知ししらららずずずきこゆきこゆきこゆ。。。
  10. 10沖おき沖おきおきよりよりより船ふね船ふねふねどもどもどもののの唄うた唄うたうたひひい詈ののし詈ののしののしりりりててて漕こ漕ここぎぎぎ行ゆ行ゆゆくくくなどなどなどももも聞きこ聞きこきこゆゆゆ。。。ほのかほのかほのかににに唯ただ唯ただただ小ちひ小ちひちいさきさきさき鳥とり鳥とりとりののの浮うか浮うかうかべべべるるるととと見み見みみやらやらやらるゝるゝるるももも心こころ心こころこころ細ぼそ細ぼそぼそげげげなるなるなるににに、、、雁かり雁かりかりののの連つら連つらつらねねねててて鳴な鳴ななくくく聲こゑ聲こゑこえ梶かぢ梶かぢかじののの音おと音おとおとにににまがへまがへまがえるるるをををうちうちうちながめながめながめ給たま給たまたまひひいててて、、、
  11. 11御おん御おんおん淚なみだ淚なみだなみだのののこぼるゝこぼるゝこぼるるをををかきかきかきはらひはらひはらい給たま給たまたまへへえるるる御手て御手ててつきつきつき黑木くろき黑木くろきくろきののの御おん御おんおんずゞずゞずずにににはえはえはえ給たま給たまたまへへえるるるははは、、、故鄕ふるさと故鄕ふるさとふるさとののの女をんな女をんなおんな戀こひ戀こひこいしきしきしき人々びと人々びとびとのののこゝろこゝろこころ皆みな皆みなみな慰なぐさ慰なぐさなぐさみみみにににけりけりけり。。。
  12. 12「「「はつかりはつかりはつかりははは戀こひ戀こひこいしきしきしき人ひと人ひとひとのののつらつらつらなれなれなれややや旅たび旅たびたびののの空そら空そらそらとぶとぶとぶこゑこゑこえのののかなしきかなしきかなしき」」」とととののの給たま給たまたまへへえばばば、、、良淸よしきよ良淸よしきよよしきよ「「「かきかきかきつらねつらねつらね昔むかし昔むかしむかしのののことことことぞぞぞおもほゆるおもほゆるおもおゆる雁かり雁かりかりはははそのそのそのよよよののの友とも友ともともならならならねねねどもどもども」」」。。。
  13. 13民部大輔みんぶのたいふ民部大輔みんぶのたいふみんぶのたいふ「「「心こころ心こころこころからからからとことことこ世よ世よよををを捨す捨すすてゝてゝててなくなくなくかりかりかりををを雲くも雲くもくものののよそよそよそにににももも思おも思おもおもひひいけるけるけるかなかなかな」」」。。。前さき前さきさきののの右近うこん右近うこんうこんののの丞ぞう丞ぞうぞう「「「常世とこよ常世とこよとこよ出い出いいでゝでゝでてたびたびたびののの空そら空そらそらなるなるなるかりがねかりがねかりがねもももつらつらつらにににおくれおくれおくれぬぬぬ程ほど程ほどほどぞぞぞなぐさむなぐさむなぐさむ。。。友とも友ともともまどはしまどはしまどわしてててはははいかにいかにいかに侍はべ侍はべはべらららましましまし」」」ととといふいふいう。。。
  14. 14親おや親おやおやののの常陸ひたち常陸ひたちひたちににになりなりなりててて下くだ下くだくだりりりしししにににもももさそはさそはさそわれれれででで參まゐ參まゐまいれれれるるるなりなりなりけりけりけり。。。したしたしたにににははは思おも思おもおもひひい碎くだ碎くだくだくくくべかべかべかめれめれめれどどどほこりかほこりかほこりかにににもてなしもてなしもてなしてててつれなきつれなきつれなきさまさまさまにににしししありくありくありく。。。
  15. 15月つき月つきつきのののいといといと花はな花はなはなやかやかやかにににさしさしさし出い出いいでででたるたるたるににに今夜こよひ今夜こよひこよいははは十五夜じふごや十五夜じふごやじゅうごやなりなりなりけりけりけりとととおぼしおぼしおぼし出い出いいでゝでゝでて殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうののの御おん御おんおん遊あそび遊あそびあそびこひしくこひしくこいしく、、、所々ところどころ所々ところどころところどころ眺なが眺ながながめめめたまふたまふたまうらむらむらんかしかしかしととと思おも思おもおもひひいやりやりやり給たま給たまたまふふうにににつけつけつけてててももも月つき月つきつきののの顏かほ顏かほかおのみのみのみまもらまもらまもられれれ給たま給たまたまふふう。。。
  16. 16「「「」」」とととずしずしずし給たま給たまたまへへえるるる、、、例れい例れいれいののの淚なみだ淚なみだなみだもももとゞめとゞめとどめられられられずずず。。。入道にふだう入道にふだうにゅうどうののの宮みや宮みやみやののの「「「霧きり霧きりきりややや隔へだ隔へだへだつるつるつる」」」とととのたまはせのたまはせのたまわせしししほどほどほどいはいはいわむむん方かた方かたかたなくなくなく戀こひ戀こひこいしくしくしく、、、折々をりをり折々をりをりおりおりののの事こと事ことことおもひおもひおもい出い出いいででで給たま給たまたまふふうににによゝよゝよよととと泣な泣ななかかかれれれ給たま給たまたまふふう。。。
  17. 17夜よ夜よよ更ふ更ふふけけけ侍はべ侍はべはべりりりぬぬぬととと聞きこ聞きこきこゆれゆれゆれどどど猶なほ猶なほなお入い入いいりりりたまはたまはたまわずずず。。。「「「見み見みみるるるほどほどほどぞぞぞしばししばししばしなぐさむなぐさむなぐさむめぐりめぐりめぐりあはあはあわむむん月つき月つきつきののの都みやこ都みやこみやこははははるかはるかはるかなれなれなれどもどもども」」」。。。
  18. 18そのそのその夜よ夜よようへうへうえのののいといといとなつかしうなつかしうなつかしゅう昔物語むかしものがたり昔物語むかしものがたりむかしものがたりなどなどなどししし給たま給たまたまひひいししし御おん御おんおんさまさまさまののの院ゐん院ゐんいんににに似に似にに奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまへへえりりりしししももも戀こひ戀こひこいしくしくしく思おも思おもおもひひい出い出いいででで聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまひひいててて、、、「「「恩賜おんし恩賜おんしおんしののの御衣ぎよい御衣ぎよいぎょいははは今いま今いまいまこゝこゝここにににありありありとととずしずしずしつゝつゝつつ入い入いいりりり給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。
  19. 19御おん御おんおんぞぞぞはははまことまことまことににに身み身みみ放はな放はなはなたたたずずずかたはらかたはらかたわらににに置お置おおききき給たま給たまたまへへえりりり「「「うしうしうしとととのみのみのみひとへひとへひとえににに物もの物ものものはははおもほえおもほえおもおえでででひだりひだりひだりみぎみぎみぎにににもももぬるゝぬるゝぬるる袖そで袖そでそでかなかなかな」」」

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

須磨では、いっそう物思いを誘う秋風が吹いて、海は少し遠いけれど、行平の中納言が「関吹き越ゆる」と詠んだという浦波が、夜ごとに、本当にすぐ近くに聞こえて、またとなくしみじみとしたものは、このような所の秋なのであった。

御前には、たいそう人が少なくて、皆寝静まっている時に、源氏はひとり目を覚まして、枕から頭をもたげて、四方の嵐をお聞きになると、波がすぐそこまで立ち寄ってくるような気がして、涙が落ちるとも気づかないうちに、枕が浮くほどになってしまった。

琴を少しかき鳴らしなさったのが、自分ながらたいそうもの寂しく聞こえるので、弾くのをやめなさって、「恋しさに耐えかねて泣く声にまがう浦波の音は、恋しく思う都の方から風が吹くからだろうか」と口ずさみなさると、人々は目を覚まして、すばらしいと思うにつけても、こらえきれなくなって、わけもなく起き上がっては、そっと鼻をかみ合っている。

本当に、この人たちはどう思っているだろう、自分ひとりのために、親や兄弟、片時も離れがたく、それぞれの身分に応じて大切に思っているだろう家を離れて、このように流浪しているのだとお思いになると、たまらなく、自分がこのように思い沈んでいる様子を、心細いと思っているだろうとお思いになるので、

昼は何かと冗談をおっしゃって気をまぎらわし、所在ないままに、色とりどりの紙を継いで手習をなさる。珍しい様子の唐の綾などに、さまざまな絵を描いて慰みになさっているのが、屏風の面などにして、たいそうすばらしく見ごたえがある。

人々が話してお聞かせした海や山の様子を、遠くから思いやっていらっしゃったのを、目の当たりにしてご覧になると、本当に想像も及ばなかった磯のたたずまいを、またとなく見事に描き集めなさった。今の名手だという千枝や常則などを呼んで、彩色をさせたいものだと、人々はじれったがっている。

慕わしく、すばらしいご様子に、世の中の物思いを忘れて、おそば近くお仕えするのを、うれしいことにして、四、五人ほどがいつもおそばに控えていた。

前栽の花が色とりどりに咲き乱れ、趣のある夕暮れに、海の見渡される廊にお出になって、たたずんでいらっしゃるご様子の、不吉なほどの美しさは、場所柄、ましてこの世のものともお見えにならない。

白い綾の柔らかな衣に、紫苑色のものなどをお召しになって、濃い色の御直衣に、帯をしどけなく締めてくつろいでいらっしゃるご様子で、「釈迦牟尼仏弟子」と名のって、ゆっくりと経をお読みになっている声が、また世に比べるものもなく聞こえる。

沖を、いくつもの船が大声で歌いながら漕いでいくのも聞こえる。ほのかに、ただ小さな鳥が浮かんでいるように見えるのも心細そうなところに、雁が連なって鳴く声が、梶の音にまがうのを眺めていらっしゃって、涙がこぼれるのを払いのけなさるお手つきが、黒檀の数珠に映えていらっしゃるのは、故郷の女を恋しく思う供人たちの心も、皆慰められてしまった。

「初雁は、恋しい都の人の仲間なのだろうか。旅の空を飛ぶ声が悲しく聞こえる」とおっしゃると、良清が「次々と昔のことが思い出されます。雁はその昔の友ではないけれど」。民部大輔が「自分から常世を捨てて鳴く雁を、これまでは雲の彼方の、よそごととばかり思っていたことよ」。

前の右近将監が「常世を出て旅の空にある雁も、仲間に遅れずにいる間は、心が慰められることです。仲間を見失ってしまったら、どんなでございましょう」と言う。親が常陸の介になって下ったのにもついて行かずに、お供して参ったのであった。内心では思い悩んでいるようだが、誇らしげにふるまって、平気な様子で過ごしている。

月がたいそう明るくさし出たので、今夜は十五夜だったのだと思い出しなさって、殿上の管絃の遊びが恋しく、あちらこちらで月を眺めていらっしゃるだろうと思いやりなさるにつけても、月の顔ばかりをじっと見つめずにはいらっしゃれない。

「二千里外故人心」と口ずさみなさると、いつものように涙もとめられない。入道の宮が「霧や隔つる」とおっしゃった時のことが、言いようもなく恋しく、折々のことを思い出しなさると、おいおいとお泣きになる。「夜が更けました」と申し上げるが、やはり奥にお入りにならない。

「月を見ている間だけは、しばらく心が慰められる。再びめぐり会うはずの月の都は、はるか遠いけれど」。その夜、帝がたいそう親しく昔話などをなさったご様子が、院に似ていらっしゃったのも恋しく思い出し申し上げなさって、「恩賜の御衣は今此に在り」と口ずさみながら、奥にお入りになった。

帝からいただいた御衣は、本当に身から離さず、おそばに置いていらっしゃった。「帝をただひとえにつらいとばかり思うこともできず、恨めしさと懐かしさの左右どちらにも涙で濡れる袖であることよ」。

意訳

秋風が吹き、須磨の浦波の音が身にしみる。眠れぬ夜、源氏は琴を弾き、歌を詠み、供人たちも涙する。源氏は、自分のために家族と別れた供人たちを思いやり、昼は戯れ言で人々を慰め、絵を描いて過ごす。

夕暮れ、海を見渡す廊で経を唱える源氏の姿は、この世の人とも思われないほど美しい。雁の声に供人たちと歌を詠み交わし、十五夜には、都の宴や藤壺、朱雀帝を思い出して涙する。

語釈・文法注

千えだつねのり
千枝(ちえだ)・常則(つねのり)。当時の名高い宮廷絵師とされる。常則は飛鳥部常則で、村上天皇の時代の実在の画家。
二千里外古人心
白居易の詩「八月十五日夜禁中独直、対月憶元九」の一節「三五夜中新月色、二千里外故人心」による。十五夜の月を見て、二千里の彼方にいる友を思う。
恩賜の御衣は今こゝにあり
菅原道真が大宰府に流された時の詩「恩賜の御衣は今此に在り、捧げ持ちて毎日余香を拝す」による。源氏は、朱雀帝から賜った衣を前に、道真の境遇に自分を重ねる。

文法

疑問の「や…らむ」(風や吹くらむ)
「風が吹くからだろうか」。原因を推量する。
疑問の「なれや」(人のつらなれや)
「仲間なのだろうか」。

和歌

戀ひわびてなく音にまがふうらなみは思ふかたより風や吹くらむ

詠者
光源氏
状況
眠れぬ秋の夜、琴を弾きさして詠んだ歌。恋しさに耐えかねて泣く声にまがう浦波の音は、恋しく思う都の方から風が吹くからだろうか。

はつかりは戀しき人のつらなれや旅の空とぶこゑのかなしき

詠者
光源氏
状況
雁の声を聞いて詠んだ歌。初雁は、恋しい都の人の仲間なのだろうか。旅の空を飛ぶ声が悲しく聞こえる。

修辞

掛詞
「つら」に雁の「列」と、仲間の意の「連(つら)」をかける。

かきつらね昔のことぞおもほゆる雁はそのよの友ならねども

詠者
良清
状況
源氏の歌に続けて詠んだ歌。次々と昔のことが思い出されます。雁はその昔の友ではないけれど。

心からとこ世を捨てゝなくかりを雲のよそにも思ひけるかな

詠者
民部大輔
状況
自分から常世を捨てて鳴く雁を、これまでは雲の彼方の、よそごととばかり思っていたことよ。

常世出でゝたびの空なるかりがねもつらにおくれぬ程ぞなぐさむ

詠者
前右近将監
状況
常世を出て旅の空にある雁も、仲間に遅れずにいる間は、心が慰められることです。

見るほどぞしばしなぐさむめぐりあはむ月の都ははるかなれども

詠者
光源氏
状況
十五夜の月を見て詠んだ歌。月を見ている間だけは、しばらく心が慰められる。再びめぐり会うはずの月の都(京)は、はるか遠いけれど。

うしとのみひとへに物はおもほえでひだりみぎにもぬるゝ袖かな

詠者
光源氏
状況
朱雀帝から賜った御衣をそばに置いて詠んだ歌。帝をただひとえにつらいとばかり思うこともできず、恨めしさと懐かしさの左右どちらにも涙で濡れる袖であることよ。

解説

須磨の秋の場面は、源氏物語の中でももっとも有名な一節の一つである。「須磨にはいとゞ心づくしの秋風に」で始まる文章は、古来名文として親しまれてきた。浦波の音、雁の声、十五夜の月といった秋の景物が、都を離れた源氏の孤独を深く描き出している。

源氏が口ずさむ詩句は、白居易と菅原道真という、左遷・流謫を経験した詩人たちのものである。源氏は、これら先人の境遇に自分を重ね合わせている。

関連

出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、246–249頁(コマ126–127)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日