源氏物語 第12帖 須磨(9)
伊勢との文通と朧月夜の再出仕
伊勢の六条御息所からも、心のこもった文と歌が届き、源氏は使者を二、三日引きとめて伊勢の話を聞き、返歌を送る。花散里からの歌に、源氏は邸の修理を命じる。一方、朧月夜は許されて七月に再び宮中に上がる。朱雀帝は朧月夜を変わらず寵愛しながらも、源氏のいない寂しさを語り、院の遺言に背いたことを悔やむ。朧月夜は帝の優しさに涙する。

- 1まことまことまことややや騷騷さわがしかりしかりしかりししし程程ほどのののまぎれまぎれまぎれににに洩洩もらしらしらしてててけりけりけり。。。かのかのかの伊勢伊勢いせのののへへへももも御御おん使使つかいありありありけりけりけり。。。かれかれかれよりよりよりもももふりはへふりはへふりはえ尋尋たずねねね參參まいれれれりりり。。。淺淺あさからからからぬぬぬ事事ことどもどもども書書かききき給給たまへへえりりり。。。言言ことののの葉葉は筆筆ふでづかひづかひづかいなどなどなどははは人人ひとよりよりより殊殊ことににになまめかしうなまめかしうなまめかしゅういたりいたりいたり深深ふかくくく見見みえええたりたりたり。。。
- 2「「「猶猶なおうつゝうつゝうつつとととははは思思おもひひい給給たまへへえられられられぬぬぬ御御おん住住すまひまひまいをををうけうけうけ給給たまはるはるわるももも明明あけけけぬぬぬ夜夜よののの心心こころ惑惑まどひひいかかかとととなむなむなん。。。さりともさりともさりとも年月年月としつきははは隔隔へだててて給給たまははわじじじととと思思おもひひいやりやりやり聞聞きこえええさするさするさするにににももも罪罪つみ深深ふかききき身身みのみのみのみこそこそこそ又又また聞聞きこえええさせさせさせむむんことことこともももはるかはるかはるかなるなるなるべけれべけれべけれ、、、
- 3うきうきうきめめめかるかるかるいせいせいせをををののの海士海士あまををを思思おもひひいやれやれやれもしほもしほもしおたるたるたるてふてふちょう須磨須磨すまののの浦浦うらにてにてにて。。。萬萬よろずににに思思おもううう給給たまへへえみだるゝみだるゝみだるる世世よののの有樣有樣ありさまももも猶猶なおいかにいかにいかになりなりなりはつはつはつべきべきべきにににかかか」」」とととおほかりおほかりおおかり。。。「「「伊勢島伊勢島いせじまやややしほひしほひしおいのののかたかたかたにににあさりあさりあさりてててもももいふかひいふかひいうかいなきなきなきははは我身我身わがみなりなりなりけりけりけり」」」
- 4物物ものをををあはれあはれあわれとととおぼしおぼしおぼしけるけるけるまゝまゝままにににうちうちうちおきおきおきうちうちうちおきおきおき書書かききき給給たまへへえるるる、、、白白しろきききからからからののの紙紙かみ四五枚四五枚しごまいばかりばかりばかりををを書書かききき續續つづけけけててて墨墨すみつきつきつきなどなどなど見見みどころどころどころありありあり。。。
- 5哀哀あわれににに思思おもひひい聞聞きこえええししし人人ひとをををひとひとひとふしふしふしうしうしうしととと思思おもひひい聞聞きこえええさせさせさせししし心心こころあやまりあやまりあやまりにににこのこのこのみやすみやすみやす所所どころももも思思おもひひいうんじうんじうんじててて別別わかれれれ給給たまひひいにににしししとととおぼせおぼせおぼせばばば、、、今今いまにににいとほしういとほしういとおしゅう忝忝かたじけなきききものものものににに思思おもひひい聞聞きこえええ給給たまふふう。。。
- 6折折おりからからからののの御御おん文文ふみいといといとあはれあはれあわれなれなれなればばば、、、御御おん使使つかいさへさへさへむつましうむつましうむつましゅうててて二三日二三日ふつかみかすゑすゑすえさせさせさせ給給たまひひいててて彼處彼處かしこののの物語物語ものがたりなどなどなどせせせさせさせさせててて聞聞きこしししめすめすめす。。。若若わかやかやかやかににに氣色氣色けしきあるあるあるさぶらひさぶらひさぶらいののの人人ひとなりなりなりけりけりけり。。。
- 7かくかくかくあはれあはれあわれなるなるなる御御おん住住すまひまひまいなれなれなればばば、、、かやうかやうかようののの人人ひともももおのづからおのづからおのずから物物もの遠遠どおからからからでででほのほのほの見見み奉奉たてまつるるる御御おんさまさまさまかたちかたちかたちをををいみじういみじういみじゅうめでたしめでたしめでたしととと淚淚なみだ落落おとしししけりけりけり。。。御御おんかへりかへりかえり書書かききき給給たまふふう言言ことののの葉葉は思思おもひひいやるやるやるべしべしべし。。。
- 8「「「かくかくかく世世よををを離離はなるるるべきべきべき身身みととと思思おもひひい給給たまへへえらららましかましかましかばばばおなじうおなじうおなじゅうはははしたひしたひしたい聞聞きこえええましましましものものものをををなどなどなどなむなむなん。。。つれづれつれづれつれづれににに心心こころぼそきぼそきぼそきまゝまゝままににに伊勢人伊勢人いせびとののの浪浪なみのののうへうへうえ漕漕こぐぐぐ小舟小舟おぶねにににもももうきうきうきめめめはははかれかれかれでででのらのらのらましましましものものものををを。。。
- 9あまあまあまがががつむつむつむなげきなげきなげきののの中中なかにににしほたれしほたれしおたれててていついついつまでまでまで須磨須磨すまののの浦浦うらとととながめながめながめむむん。。。聞聞きこえええさせさせさせむむんことことことのののいついついつとととももも侍侍はべらららぬぬぬこそこそこそ盡盡つきききせせせぬぬぬ心地心地ここちししし侍侍はべれれれ」」」などなどなどぞぞぞありありありけるけるける。。。かやうかやうかようににに何處何處いずくにににももも覺束覺束おぼつかなからなからなからずずず聞聞きこえええかはしかはしかわし給給たまふふう。。。
- 10花散里花散里はなちるさとももも悲悲かなしししとととおぼしおぼしおぼしけるけるけるまゝまゝままにににかきかきかき集集あつめめめ給給たまひひいけるけるける御御おん心々心々こころごころ見見み給給たまふふうににに、、、をかしきをかしきおかしきもももめめめなれなれなれぬぬぬ心地心地ここちしししててていづれいづれいずれもももうちうちうち見見みつゝつゝつつ慰慰なぐさめめめ給給たまひひい、、、かつはかつはかつわ物思物思ものおもひひいのののもよほしもよほしもよおしぐさぐさぐさなななめりめりめり。。。
- 11「「「荒荒あれれれまさるまさるまさる軒軒のきのののしのぶしのぶしのぶをををながめながめながめつゝつゝつつしげくしげくしげくももも露露つゆのののかゝるかゝるかかる袖袖そでかなかなかな」」」とととあるあるあるををを、、、げにげにげに葎葎むぐらよりよりより外外ほかののの後見後見うしろみもももなきなきなきさまさまさまにてにてにておはすおはすおわすらむらむらんとととおぼしおぼしおぼしやりやりやりててて、、、
- 12長雨長雨ながあめににについぢついぢついじ所々所々ところどころ崩崩くずれれれてててなどなどなど聞聞きききき給給たまへへえばばば、、、京京きょうのののけいしけいしけいしののの許許もとににに仰仰おおせせせつかはしつかはしつかわしててて、、、近近ちかききき國々國々くにぐにののの御御おん莊莊そうののの者者ものなどなどなどもよほさもよほさもよおさせせせててて仕仕つこううう奉奉まつるるるべきべきべきよしよしよしのたまはすのたまはすのたまわす。。。
- 13かんのかんのかんの君君きみははは人人ひとわらへわらへわらえにににいみじういみじういみじゅうおぼしおぼしおぼしくづほるゝくづほるゝくずおるるをををおとゞおとゞおとどいといといと悲悲かなしうしうしゅうししし給給たまふふう君君きみにてにてにて、、、せちせちせちににに宮宮みやにににももも申申もうししし內內うちにににももも奏奏そうししし給給たまひひいけれけれければばば、、、限限かぎりあるあるある女御女御にょうごみやすみやすみやす所所どころにににもももおはせおはせおわせずずずおほやけざまおほやけざまおおやけざまののの宮仕宮仕みやづかえとととおぼしおぼしおぼしなせなせなせりりり。。。
- 14又又またかのかのかのにくかりにくかりにくかりししし故故ゆえこそこそこそいかめしきいかめしきいかめしきことことことももも出出いでででこここしかしかしか赦赦ゆるささされれれ給給たまひひいててて參參まいりりり給給たまふふうべきべきべきにににつけつけつけてててももも猶猶なお心心こころにににしみしみしみにににしししことことことのみのみのみぞぞぞあはれあはれあわれにににおぼえおぼえおぼえ給給たまひひいけるけるける。。。
- 15七月七月ふみづきににになりなりなりててて參參まいりりり給給たまふふう。。。いみじかりいみじかりいみじかりししし御御おん思思おもひひいののの名殘名殘なごりなれなれなればばば人人ひとのののそしりそしりそしりもももしろししろししろし召召めささされれれずずず、、、例例れいのののうへうへうえにににつとつとつとさぶらはさぶらはさぶらわせせせ給給たまひひいててて、、、よろづよろづよろずにににうらみうらみうらみかつはかつはかつわあはれあはれあわれににに契契ちぎらららせせせ給給たまふふう。。。御御おんさまさまさまかたちかたちかたちもももいといといとなまめかしうなまめかしうなまめかしゅう淸淸きよらららなれなれなれどどど、、、思思おもひひい出出いづるづるずる事事ことのみのみのみ多多おおかるかるかる心心こころののの內內うちぞぞぞかたじけなきかたじけなきかたじけなき。。。
- 16御御おん遊遊あそびのののついでついでついでににに「「「そのそのその人人ひとなきなきなきこそこそこそいといといとさうざうしけれさうざうしけれそうぞうしけれ。。。如何如何いかにににましてましてましてさささ思思おもふふう人人ひと多多おおからからからむむん。。。何事何事なにごとにににももも光光ひかりなきなきなき心地心地ここちするするするかなかなかな」」」とととのたまはせのたまはせのたまわせててて「「「院院いんのののおぼしおぼしおぼしのたまはせのたまはせのたまわせししし御心御心みこころををを違違たがへへえつるつるつるかなかなかな。。。罪罪つみうらむうらむうらむかしかしかし」」」とととててて淚淚なみだぐまぐまぐませせせ給給たまふふうににに、、、えええ念念ねんじじじ給給たまははわずずず。。。
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- 18ととといといといと懷懷なつかしきしきしき御御おんさまさまさまにてにてにて、、、物物ものをををまことまことまことにににあはれあはれあわれとととおぼしおぼしおぼし入入いりりりてててのたまはするのたまはするのたまわするにににつけつけつけててて、、、ほろほろほろほろほろほろとととこぼれこぼれこぼれ出出いづれづれずればばば「「「さりやさりやさりや、、、いづれいづれいずれにににおつるおつるおつるにににかかか」」」とととのたまはすのたまはすのたまわす。。。
- 19「「「今今いままでまでまでみみみ子子こ達達たちのののなきなきなきこそこそこそさうざうしけれさうざうしけれそうぞうしけれ、、、春宮春宮とうぐうををを院院いんのののののの給給たまはせはせわせしししさまさまさまににに思思おもへへえどどど、、、よからよからよからぬぬぬ事事ことももも出出いでででくくくめれめれめればばば心苦心苦こころぐるしうしうしゅう」」」などなどなど世世よををを御心御心みこころののの外外ほかにににまつりごちまつりごちまつりごちなしなしなし給給たまふふう人々人々びとのののあるあるあるににに、、、若若わかききき御心御心みこころののの强强つよききき所所ところなきなきなき程程ほどにてにてにていとほしいとほしいとおしとととおぼしおぼしおぼしたるたるたる事事ことももも多多おおかりかりかり。。。
現代語訳
そうそう、騒がしかった時の紛れに書き漏らしてしまった。あの伊勢の宮へもお使いがあった。あちらからも、わざわざ使者が訪ねて参上した。浅からぬことなどをお書きになっていた。言葉づかいや筆づかいなどは、人よりも格別に優美で、たしなみ深く見えた。
「やはり現実とは思われないお住まいのことを伺いますにつけても、明けない夜の夢の惑いかと思われます。それでも、長い年月は隔てられないだろうとお察し申し上げますにつけても、罪深い身の私こそ、またお便りを差し上げることもはるか先のことでしょう。浮き海布を刈る伊勢の海人を思いやってください。藻塩たれるという須磨の浦で。何事につけても思い乱れます世の中の有り様も、やはりどうなってしまうのでしょうか」と長々と書いてある。
「伊勢の島の干潟で、あさっても貝がないように、言うかいもないのは私の身の上でした」。しみじみとお思いになるままに、筆をおいてはまた書き続けなさった白い唐の紙、四、五枚ほどを書き継いで、墨の色なども見ごたえがある。
いとしいと思い申し上げていた人を、ひとつのことでいやだと思い申し上げた心の誤りから、この御息所も嫌気がさして別れていかれたのだとお思いになると、今でもお気の毒に、もったいない方と思い申し上げなさる。折も折のお手紙がたいそうしみじみとしているので、お使いの者まで親しく思われて、二、三日引きとめて、伊勢の話などをさせてお聞きになる。
若々しく、たしなみのある侍であった。このようなしみじみとしたお住まいなので、このような身分の者も自然とお近くで、ほのかに拝見するお姿や容貌を、たいそうすばらしいと涙を落とした。ご返事にお書きになった言葉は想像してほしい。
「このように世を離れなければならない身だと存じておりましたならば、同じことなら、あなたのお後を慕ってついて参りましたのに、などと思います。所在なく心細いままに、伊勢の人が波の上を漕ぐ小舟にでも、浮き海布を刈るような憂き目を見ずに乗って、ついて行けばよかったのに。海人が積む投げ木の中で涙に濡れて、いつまで須磨の浦を眺めて暮らすのだろう。お目にかかれる時がいつとも知れませんのが、尽きない悲しみでございます」などと書いてあった。このように、どなたにも気がかりのないようにお便りを交わしなさる。
花散里も、悲しいとお思いになったままに書き集めなさったそれぞれのお心をご覧になると、趣深いものも、見慣れない新鮮な気持ちがして、どれもご覧になりながら慰められるが、一方では物思いを誘う種となるようだ。
「荒れていく軒の忍ぶ草を眺めながら、しきりに涙の露がかかる袖であることよ」とあるのを、本当に、葎のほかには後見もない様子でいらっしゃるのだろうと思いやりなさって、長雨で築地があちこち崩れてなどとお聞きになるので、京の家司のもとに命じて、近くの国々の荘園の者などを呼び集めて、修理をしてさしあげるようにとおっしゃる。
尚侍の君は、世間の物笑いになって、ひどくふさぎこんでいらっしゃるのを、大臣(右大臣)がたいそうかわいがっていらっしゃる娘なので、しきりに大后にも申し上げ、帝にも奏上なさったので、帝も、決まった身分のある女御や御息所でもいらっしゃらず、公的な宮仕えなのだからとお考えになった。
また、あの憎らしかった源氏のせいで、厳しい処分も出たのであるが、許されて参内なさることになるにつけても、やはり心にしみた源氏のことばかりが、しみじみと思われなさるのだった。七月になって参内なさる。たいそう深かったご寵愛の名残なので、人の非難もお気になさらず、いつものように帝のおそばにずっとお仕えさせなさって、何かと恨みごとをおっしゃりながらも、一方ではしみじみと将来をお約束なさる。
帝のお姿やご容貌も、たいそう優美で美しいが、尚侍の君は、源氏のことを思い出すことばかりが多いお心の内が、恐れ多いことである。管絃の遊びのついでに、帝は「あの人がいないのは、たいそう物足りないなあ。まして、そう思う人は多いことだろう。何事にも光がない気持ちがすることよ」とおっしゃって、「院がお心にかけておっしゃったお気持ちに背いてしまったなあ。罪を受けることだろう」と言って涙ぐまれるので、尚侍の君もこらえきれない。
帝は「世の中は、生きているにつけても、つまらないものだと思い知るにつれて、長くこの世に生きていようとはまったく思わない。そうなったら、あなたはどうお思いになるだろう。近ごろ別れた源氏のことより軽く思われるとしたら、くやしいことだ。『生ける世に』とは、本当によくない人が言い残した歌だろう」と、たいそうやさしいご様子で、物事を本当にしみじみと思いつめておっしゃるにつけて、尚侍の君の涙がほろほろとこぼれ出たので、「そらごらん、どちらのために落ちる涙だろうか」とおっしゃる。
「今まで皇子がいないのが物足りないことだ。東宮を院がおっしゃったように大切に思っているが、よくないことも起こるようなので心苦しくて」など、帝のお心とは違うように政治を動かしていく人々があるので、若いお心の強いところのないご性格で、お気の毒にお思いになることも多かった。
意訳
伊勢の六条御息所からも、心のこもった文と歌が届く。源氏は、御息所を疎んじたことを悔やみ、使者を引きとめて伊勢の話を聞き、返歌を送る。花散里からの歌に、源氏は邸の修理を命じる。
朧月夜は右大臣のとりなしで許され、七月に再び宮中に上がる。朱雀帝は朧月夜を変わらず寵愛しながら、源氏のいない寂しさを語り、院の遺言に背いたことを悔やむ。帝のやさしさに、朧月夜は涙する。
語釈・文法注
- 伊勢の宮
- 伊勢の斎宮のもとにいる六条御息所。娘の斎宮とともに伊勢に下っていた。
- 生ける世に
- 「恋ひ死なむ後は何せむ生ける日のためこそ人は見まくほしけれ」(拾遺集)などによる表現とされる。生きている間の逢瀬こそ大切だ、という歌。
文法
- 反実仮想の「ましかば…まし」(思ひ給へらましかば…したひ聞えまし)
- 「もしそう思っていたならば、お慕いしてついて行っただろうに」。
- 疑問の「にか」(いづれにおつるにか)
- 「どちらのために落ちる涙だろうか」。下に「あらむ」が省略されている。
和歌
うきめかるいせをの海士を思ひやれもしほたるてふ須磨の浦にて
- 詠者
- 六条御息所
- 状況
- 伊勢から須磨の源氏に送った歌。浮き海布(つらい目)を刈る伊勢の海人(私)を思いやってください。藻塩たれるという須磨の浦で。
修辞
- 掛詞
- 「うきめ」に「浮き海布」と「憂き目」、「いせを」に「伊勢を」と「伊勢男(海人)」をかける。
伊勢島やしほひのかたにあさりてもいふかひなきは我身なりけり
- 詠者
- 六条御息所
- 状況
- 同じ文に添えた歌。伊勢の島の干潟で、あさっても貝がないように、言うかいもないのは私の身の上でした。
修辞
- 掛詞
- 「かひ」に「貝」と「甲斐」をかける。
伊勢人の浪のうへ漕ぐ小舟にもうきめはかれでのらましものを
- 詠者
- 光源氏
- 状況
- 御息所への返歌。伊勢の人が波の上を漕ぐ小舟にでも、浮き海布を刈るような憂き目を見ずに乗って、ついて行けばよかったのに。
あまがつむなげきの中にしほたれていつまで須磨の浦とながめむ
- 詠者
- 光源氏
- 状況
- 同じく御息所への返歌。海人が積む投げ木(嘆き)の中で涙に濡れて、いつまで須磨の浦を眺めて暮らすのだろう。
修辞
- 掛詞
- 「なげき」に「嘆き」と「投げ木(薪)」、「ながめ」に「眺め」と「長雨」をかける。
荒れまさる軒のしのぶをながめつゝしげくも露のかゝる袖かな
- 詠者
- 花散里
- 状況
- 須磨の源氏に送った歌。荒れていく軒の忍ぶ草を眺めながら、しきりに涙の露がかかる袖であることよ。
修辞
- 掛詞
- 「しのぶ」に「忍ぶ草」と、源氏を「偲ぶ」をかける。
解説
須磨の源氏と伊勢の御息所との文通は、同じく都を離れた者どうしの共感に満ちている。源氏は、御息所を疎んじて伊勢へ去らせたことを悔やむ。
朱雀帝が朧月夜に語る言葉には、帝の優しさと弱さがよく表れている。帝は源氏と朧月夜の関係を知りながら朧月夜を愛し、源氏を追いやったことを悔やんでいる。朧月夜の涙が「いづれにおつるにか」と問う帝の言葉には、深い哀感がある。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、244–247頁(コマ125–126)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日