源氏物語 第12帖 須磨(8)
須磨の住まいと都への文
須磨での暮らしが落ち着くと、長雨のころ、源氏は都の人々に文を送る。藤壺や朧月夜、紫の上に歌を贈る。二条院の紫の上は、源氏の残した品々を見ては泣き暮らし、源氏の夜具などを調えて送る。藤壺は、源氏が秘密を守り通してくれたことをしみじみと思う。紫の上からの心のこもった返事に、源氏は紫の上を迎えたいと思うが、思い直して勤行に励む。

- 1やうやうやうやうようよう事事ことしづまりしづまりしずまり行行ゆくくくににに長雨長雨ながあめののの頃頃ころににになりなりなりててて京京きょうののの事事ことどもどもどもおぼしおぼしおぼしやらやらやらるゝるゝるるににに戀戀こいしきしきしき人人ひと多多おおくくく女君女君おんなぎみのののおぼしおぼしおぼしたりたりたりしししさまさまさま春宮春宮とうぐうののの御御おんことことこと、、、若君若君わかぎみののの何何なに心心ごころもももなくなくなく紛紛まぎれれれ給給たまひひいしししなどなどなどをををはじめはじめはじめ、、、此處彼處此處彼處ここかしこ思思おもひひいやりやりやり聞聞きこえええ給給たまふふう。。。
- 2京京きょうへへへ人人ひと出出いだしだしだしたてたてたて給給たまふふう。。。二條院二條院にじょういんへへへ奉奉たてまつりりり給給たまふふうととと、、、入道入道にゅうどうののの宮宮みやとととはははかきかきかきもももやりやりやり給給たまははわずずずくらさくらさくらされれれ給給たまへへえりりり。。。
- 3宮宮みやにににははは「「「松島松島まつしまのののあまあまあまのののとまやとまやとまやもももいかならいかならいかならむむんすますますまののの浦人浦人うらびとしほたるゝしほたるゝしおたるるころころころ。。。いついついつととと侍侍はべらららぬぬぬ中中なかにににもももきしかたきしかたきしかた行行ゆくくくさきさきさきかきかきかきくらしくらしくらし、、、みぎはみぎはみぎわまさりまさりまさりてててなむなむなん」」」。。。
- 4ないしのかみないしのかみないしのかみののの御許御許もとににに例例れいののの中納言中納言ちゅうなごんののの君君きみののの私事私事わたくしごとのののやうやうようにてにてにて中中なかなるなるなるににに「「「つれづれつれづれつれづれととと過過すぎぎぎにににししし方方かたののの思思おもううう給給たまへへえ出出いでででらるゝらるゝらるるにににつけつけつけてててももも、、、こりずまこりずまこりずまののの浦浦うらのののみるめみるめみるめもももゆかしきゆかしきゆかしきををを鹽鹽しお燒燒やくくくあまあまあまやややいかゞいかゞいかが思思おもははわむむん」」」。。。
- 5さまざまさまざまさまざま書書かききき盡盡つくししし給給たまふふう言言ことののの葉葉は思思おもひひいやるやるやるべしべしべし。。。大殿大殿おおとのにににももも宰相宰相さいしょうののの乳母乳母めのとにににももも、、、仕仕つこううう奉奉まつるるるべきべきべき事事ことなどなどなどももも書書かきききつかはすつかはすつかわす。。。京京きょうにににはははこのこのこの御御おん文文ふみ所々所々ところどころににに見見み給給たまひひいつゝつゝつつ御心御心みこころ亂亂みだれれれ給給たまふふう人々人々びとのみのみのみおほかりおほかりおおかり。。。
- 6二條院二條院にじょういんののの君君きみはははそのそのそのまゝまゝままににに起起おきききもももあがりあがりあがり給給たまははわずずず盡盡つきききせせせぬぬぬさまさまさまににに覺覺おぼしししこがるれこがるれこがるればばば、、、侍侍さぶらふふう人々人々びともももこしらへこしらへこしらえわびわびわびつゝつゝつつ心心こころ細細ぼそううう思思おもひひいあへあへあえりりり。。。
- 7もてもてもてならしならしならし給給たまひひいししし御御おん調度調度ちょうどどもどもども彈彈ひききき鳴鳴ならししし給給たまひひいししし御御おん琴琴ことぬぎぬぎぬぎ捨捨すててて給給たまへへえるるる御御おんぞぞぞのののにほひにほひにおいなどなどなどにににつけつけつけてててももも、、、今今いまはははととと世世よににになくなくなくなりなりなりたらたらたらむむん人人ひとのののやうやうようにににのみのみのみおぼしおぼしおぼしたれたれたればばば、、、かつはかつはかつわゆゝしうゆゝしうゆゆしゅうててて少納言少納言しょうなごんははは僧都僧都そうずににに御御おんいのりいのりいのりののの事事ことなどなどなど聞聞きこゆゆゆ。。。
- 8二二ふたかたかたかたにににみずみずみず法法ほうなどなどなどせせせさせさせさせ給給たまふふう。。。かつはかつはかつわかくかくかくおぼしおぼしおぼし歎歎なげくくく御心御心みこころををを靜靜しずめめめ給給たまひひいてててなぐさめなぐさめなぐさめ又又またもともともとののの如如ごとくくくににに返返かえりりり給給たまふふうべきべきべきさまさまさまににになどなどなど、、、心苦心苦こころぐるしきしきしきまゝまゝままににに祈祈いのりりり申申もうししし給給たまふふう。。。
- 9旅旅たびののの御御おん殿居物殿居物とのいものなどなどなど調調ちょうじじじててて奉奉たてまつりりり給給たまふふう。。。ののの御御おん直衣直衣のうし指貫指貫さしぬきさまさまさま變變かわりりりたるたるたる心地心地ここちするするするもももいみじきいみじきいみじきににに、、、さらさらさらぬぬぬ鏡鏡かがみとととのたまひのたまひのたまいししし面影面影おもかげのののげにげにげに身身みににに添添そひひい給給たまへへえるるるもももかひかひかいなしなしなし。。。
- 10出出いででで入入いりりり給給たまひひいしししかたかたかた、、、寄寄よりりり居居い給給たまひひいししし眞木柱眞木柱まきばしらなどなどなどををを見見み給給たまふふうにににももも胸胸むねのみのみのみふたがりふたがりふたがりててて、、、物物ものをををとかうとかうとこう思思おもひひいめぐらしめぐらしめぐらし世世よにににしほじみしほじみしおじみぬるぬるぬる齡齡よわいののの人人ひとだにだにだにありありあり、、、
- 11ましてましてまして馴馴なれれれむつびむつびむつび聞聞きこえええ父母父母ちちははににになりなりなりつゝつゝつつあつかひあつかひあつかい聞聞きこえええおほしおほしおおし立立たてててならはしならはしならわし給給たまへへえれれればばば、、、俄俄にわかににに引引ひききき別別わかれれれててて戀戀こいしうしうしゅう思思おもひひい聞聞きこえええ給給たまへへえるるることわりことわりことわりなりなりなり。。。
- 12ひたすらひたすらひたすら世世よににになくなくなくなりなりなりなななむむんははは言言いははわむむん方方かたなくなくなくててていふかひいふかひいうかいなきなきなきにてにてにてもももやうやうやうやうようよう忘草忘草わすれぐさももも生生おひひいやややすすすらむらむらん、、、聞聞きくくく程程ほどははは近近ちかけれけれけれどどどいついついつまでまでまでととと限限かぎりあるあるある御御おん別別わかれにににもももあらあらあらぬぬぬをををおぼすおぼすおぼすにににつきせつきせつきせずずずなむなむなん。。。
- 13入道入道にゅうどうののの宮宮みやにににももも春宮春宮とうぐうののの御御おん事事ことににによりよりよりおぼしおぼしおぼし歎歎なげくくくさまさまさまいといといとさらさらさらなりなりなり。。。御御おん宿世宿世すくせののの程程ほどをををおぼすおぼすおぼすにににはははいかゞいかゞいかが淺淺あさくくくはははおぼさおぼさおぼされれれむむん。。。
- 14年比年比としごろははは唯唯ただ物物ものののの聞聞きこえええなどなどなどのののつゝましさつゝましさつつましさににに少少すこしししなさけなさけなさけあるあるある氣色氣色けしき見見みせせせばばば、、、それそれそれにににつけつけつけててて人人ひとののの咎咎とがめめめ出出いづるづるずる事事こともももこそこそこそとととのみのみのみ偏偏ひとえにににおぼしおぼしおぼし忍忍しのびびびつゝつゝつつあはれあはれあわれをををももも多多おおううう御覽御覽ごらんじじじすぐしすぐしすぐしすくすくしうすくすくしうすくすくしゅうもてなしもてなしもてなし給給たまひひいしししををを、、、
- 15かばかりかばかりかばかりににに浮世浮世うきよののの人言人言ひとごとなれなれなれどどどかけかけかけてててもももこのこのこの方方かたにににははは言言いひひい出出いづるづるずる事事ことなくなくなくててて止止やみみみぬるぬるぬるばかりばかりばかりののの人人ひとののの御御おんおもむけおもむけおもむけももも、、、あながちあながちあながちなりなりなりししし心心こころののの引引ひくくく方方かたににに任任まかせせせずずず、、、かつはかつはかつわめやすくめやすくめやすくもてもてもて隱隱かくしししつるつるつるぞぞぞかしかしかしとととあはれあはれあわれににに戀戀こいしうしうしゅうもももいかゞいかゞいかがおぼしおぼしおぼし出出いでででざらざらざらむむん。。。
- 16御御おん返返かえりりりももも少少すこしししこまやかこまやかこまやかにてにてにて「「「このこのこのころころころはははいとゞいとゞいとど、、、しほたるゝしほたるゝしおたるることことことをををやくやくやくにてにてにて松島松島まつしまににに年年としふるふるふるあまあまあまもももなげきなげきなげきをををぞぞぞつむつむつむ」」」
- 17かんのかんのかんの君君きみののの御御おんかへりかへりかえりにににははは、、、「「「浦浦うらにににたくたくたくあまあまあまだにだにだにつゝむつゝむつつむ戀戀こいなれなれなればばばくゆるくゆるくゆるけぶりけぶりけぶりよよよ行行ゆくくくかたかたかたぞぞぞなきなきなき。。。さらさらさらなるなるなる事事ことどもどもどもはははえええなむなむなん」」」とととばかりばかりばかり、、、いさゝかいさゝかいささかにてにてにて中納言中納言ちゅうなごんののの君君きみののの中中なかにににありありあり。。。おぼしおぼしおぼし歎歎なげくくくさまさまさまなどなどなどいみじくいみじくいみじくいひいひいいたりたりたり。。。あはれあはれあわれととと思思おもひひい聞聞きこえええ給給たまふふうふしぶしふしぶしふしぶしもももあれあれあればばばうちうちうち歎歎なげかかかれれれ給給たまひひいぬぬぬ。。。
- 18姫君姫君ひめぎみののの御御おん文文ふみははは心心こころ殊殊ことににに細細こまやかやかやかなりなりなりししし御御おん返返かえりりりなれなれなればばばあはれあはれあわれなるなるなる事事こと多多おおくくくててて、、、「「「うらうらうら人人びとのののしほくむしほくむしおくむ袖袖そでにににくらべくらべくらべ見見みよよよなみぢなみぢなみじへだつるへだつるへだつる夜夜よのののころもころもころもををを」」」物物ものののの色色いろししし給給たまへへえるるるさまさまさまなどなどなどいといといと淸淸きよらららなりなりなり。。。
- 19何事何事なにごともももらうらうしうらうらうしうろうろうしゅう物物ものししし給給たまふふうををを思思おもふふうさまさまさまにてにてにて、、、今今いまははは殊殊ことににに心心こころあわたゞしうあわたゞしうあわただしゅう行行ゆきききかゝづらふかゝづらふかかずらう方方かたもももなくなくなくまめやかまめやかまめやかにてにてにてあるあるあるべきべきべきものものものをををとととおぼすおぼすおぼすににに、、、いみじういみじういみじゅう口惜口惜くちおしうしうしゅうよるよるよるひるひるひる面影面影おもかげにににおぼえおぼえおぼえててて堪堪たへへえ難難がたくくく思思おもひひい出出いでででられられられ給給たまへへえばばば、、、猶猶なお忍忍しのびびびてててややや迎迎むかへへえましましましとととおぼすおぼすおぼす。。。
- 20又又またうちうちうち返返かえししし、、、なぞなぞなぞやややかくかくかく浮世浮世うきよににに罪罪つみをををだにだにだに失失うしなははわむむんとととおぼせおぼせおぼせばばば、、、やがてやがてやがて御御おんにてにてにて明暮明暮あけくれ行行おこなひひいててておはすおはすおわす。。。
- 21大殿大殿おおとのののの若君若君わかぎみののの御御おん事事ことなどなどなどあるあるあるにににもももいとゞいとゞいとど悲悲かなしけれしけれしけれどどど、、、おのづからおのづからおのずから逢逢あひひい見見みてててむむん、、、たのもしきたのもしきたのもしき人々人々びと物物ものししし給給たまへへえばばば後後うしろめたうめたうめとうはははあらあらあらずずずとととおぼしおぼしおぼしなさなさなさるゝるゝるるははは、、、なかなかなかなかなかなかこのこのこの道道みちははは惑惑まどははわれれれ給給たまははわぬぬぬにににやややあらあらあらむむん。。。
現代語訳
だんだん生活が落ち着いていくと、長雨のころになって、京のことが思いやられるにつけても、恋しい人が多く、女君(紫の上)が思い沈んでいた様子、東宮のこと、若君が無心に遊び回っていらっしゃったことなどをはじめとして、あちこちに思いをはせなさる。
京へ使いを出しなさる。二条院へ差し上げなさる手紙と、入道の宮へのものとは、涙で書き終えることもできず、目の前が暗くなっていらっしゃった。入道の宮には、「松島の尼の苫屋は、どうしていらっしゃるでしょう。須磨の浦人が、涙に濡れて暮らしているこのごろ。いつということもなく悲しい中でも、過去も未来も真っ暗になって、涙の水かさがまさっております」。
尚侍の君のもとには、いつものように中納言の君への私信のようにして、その中に入れたものに、「所在なく、過ぎ去った日々のことが思い出されるにつけても、懲りもせずに須磨の浦の海松布、あなたに会うことが恋しく思われますが、塩を焼く海人はどう思っているでしょう」。さまざまに書き尽くしなさった言葉は、想像してほしい。
左大臣邸にも、宰相の乳母にも、若君のお世話の事などを書き送りなさる。京では、このお手紙を方々でご覧になって、お心を乱される人々ばかりが多い。二条院の君は、そのまま起き上がりもなさらず、尽きることなく恋い焦がれていらっしゃるので、お仕えする女房たちも慰めかねて、心細く思い合っている。
源氏が使い慣れていらっしゃった御調度や、弾き鳴らしていらっしゃった御琴、脱ぎ捨てていかれたお召し物の香りなどにつけても、今はもう亡くなってしまった人のようにばかりお思いになっているので、一方では縁起でもないと、少納言は僧都にご祈祷のことなどを頼み申し上げる。両方の無事を祈って御修法などをおさせになる。
一方では、このようにお嘆きになる紫の上のお心を静めて慰め、また源氏が元のように都に帰っていらっしゃるようにと、気の毒なあまりに祈り申し上げなさる。紫の上は、旅の宿直用の夜具などを作って差し上げなさる。固織りの絹の御直衣や指貫が、様子が変わった気持ちがするのも悲しいうえに、「さらぬ鏡」とおっしゃった面影が、本当に身に添っていらっしゃるのも、かいのないことである。
源氏が出入りなさった戸口や、寄りかかっていらっしゃった真木柱などをご覧になるにつけても、胸がふさがるばかりで、物事をあれこれと思いめぐらし、世の中の経験を積んだ年齢の人でさえこうなのだから、まして、慣れ親しみ申し上げ、父母のようにお世話をして、育て上げてくださったのだから、急に別れて恋しく思い申し上げなさるのは、もっともである。
ひたすら亡くなってしまったのなら、言いようもなく、どうしようもないことでも、だんだんと忘れ草も生えてくるだろうが、聞けば須磨は近いけれど、いつまでと期限のあるお別れでもないことをお思いになると、悲しみが尽きない。
入道の宮も、東宮のことによってお嘆きになる様子は、言うまでもない。源氏との宿縁のほどをお思いになると、どうして浅くお思いになれようか。長年は、ただ世間の噂などをはばかって、少しでも情けある様子を見せたら、それにつけて人がとがめ立てすることもあるだろうと、ひたすら忍んで、源氏の思いをも多く見過ごして、そっけなくふるまっていらっしゃったが、
これほど浮き世の人の噂が多いのに、まったくこのこと(藤壺とのこと)については言い出されることなく終わったほどの、源氏のお心配りも、無理を通した恋心の向くままに任せず、一方では体裁よく隠し通してくれたのだと、しみじみと恋しくも、どうして思い出しなさらないことがあろうか。ご返事も少し細やかで、「涙に濡れることを務めとして、松島に年を経る尼の私も、嘆きを積み重ねています」。
尚侍の君のご返事には、「浦で塩を焼く海人でさえ人目を包む恋なので、くすぶる煙のように、私の思いは行き場がありません。言うまでもないことは、とても書けません」とだけ、ほんの少し、中納言の君の手紙の中にあった。中納言の君は、尚侍の君が嘆いていらっしゃる様子などを、たいそう書き綴っていた。源氏は、しみじみと思い申し上げなさる節々もあるので、ため息をつかずにはいらっしゃれなかった。
姫君(紫の上)のお手紙は、格別に心をこめた源氏のお手紙へのご返事なので、しみじみとしたことが多くて、「須磨の浦人が潮を汲む袖と比べてみてください。波路を隔てて独り寝をする、私の夜の衣を」。夜具の染め色の様子なども、たいそう美しい。
何事も巧みにこなしていらっしゃるのが理想どおりで、今は特に、ほかの女性に心を移すこともなく、落ち着いて暮らしていけたはずなのにとお思いになると、たいそう残念で、夜も昼も面影に浮かんで、耐えがたく思い出されなさるので、やはりこっそりと迎えようかとお思いになる。
また思い返して、いやいや、このようにつらい世の中で、せめて罪だけでも消そうとお思いになるので、すぐに精進して、明け暮れ勤行をしていらっしゃる。左大臣家の若君のお便りなどがあるにつけても、いっそう悲しいけれど、いずれは自然と会えるだろう、頼もしい人々がついていらっしゃるのだから、気がかりなことはないと思いなされるのは、かえってこの子を思う道には、お迷いにならないのだろうか。
意訳
須磨での暮らしが落ち着くと、源氏は都の人々に歌を送る。藤壺には尼となった身を思いやり、朧月夜には懲りもせず逢いたいと詠む。
紫の上は、源氏の残した品々を見ては泣き暮らし、源氏のために夜具を調えて送る。藤壺は、源氏が二人の秘密を守り通してくれたことを、しみじみとありがたく思う。源氏は、紫の上の心のこもった返事に、紫の上を迎えたいと思うが、罪を償うために勤行に励む。
語釈・文法注
- かとり
- 固織(かとり)。目を細かく固く織った絹。旅の衣服に用いた。
- さうじん
- 精進(そうじん)。肉食を断ち、身を清めて仏道に励むこと。
文法
- 反語の「いかゞ…む」(いかゞおぼし出でざらむ)
- 「どうして思い出しなさらないことがあろうか、いや、思い出しなさる」。
- 危惧の「もこそ」(咎め出づる事もこそ)
- 「とがめ立てすることもあっては困る」。
和歌
松島のあまのとまやもいかならむすまの浦人しほたるゝころ
- 詠者
- 光源氏
- 状況
- 出家した藤壺に送った歌。松島の海人(尼)の苫屋は、どうしていらっしゃるでしょう。須磨の浦人(私)が、涙に濡れて暮らしているこのごろ。
修辞
- 掛詞
- 「あま」に「海人」と「尼」をかけ、尼となった藤壺をさす。「しほたるゝ」は潮に濡れることと涙に濡れることをかける。
こりずまの浦のみるめもゆかしきを鹽燒くあまやいかゞ思はむ
- 詠者
- 光源氏
- 状況
- 朧月夜に送った歌。懲りもせずに、須磨の浦の海松布(見る目)、あなたに会うことが恋しく思われますが、塩を焼く海人(あなた)はどう思っているでしょう。
修辞
- 掛詞
- 「こりずま」に「懲りずま(懲りもせず)」と「須磨」、「みるめ」に「海松布」と「見る目(逢うこと)」をかける。
しほたるゝことをやくにて松島に年ふるあまもなげきをぞつむ
- 詠者
- 藤壺
- 状況
- 源氏への返歌。涙に濡れることを務めとして、松島に年を経る尼の私も、嘆きを積み重ねています。
修辞
- 掛詞
- 「やく」に「役」と「焼く」、「なげき」に「嘆き」と「投げ木(薪)」をかける。
浦にたくあまだにつゝむ戀なればくゆるけぶりよ行くかたぞなき
- 詠者
- 朧月夜
- 状況
- 源氏への返歌。浦で塩を焼く海人でさえ人目を包む恋なので、くすぶる煙のように、私の思いは行き場がありません。
修辞
- 掛詞
- 「くゆる」に煙が「燻る」と、思い悩む「悔ゆる」をかける。
うら人のしほくむ袖にくらべ見よなみぢへだつる夜のころもを
- 詠者
- 紫の上
- 状況
- 夜具に添えて源氏に送った歌。須磨の浦人が潮を汲む袖と比べてみてください。波路を隔てて独り寝をする、私の夜の衣(の涙の濡れよう)を。
解説
須磨の源氏と都の女性たちとの文の贈答は、それぞれの女性の個性をよく表している。藤壺は尼としての身を嘆き、朧月夜は人目を忍ぶ恋の苦しさを訴え、紫の上は独り寝の悲しみを率直に伝える。
藤壺が、源氏が二人の秘密を守り通してくれたことに感謝する場面は重要である。源氏の失脚の原因は朧月夜との件とされたが、藤壺との密通は誰にも知られることがなかった。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、240–245頁(コマ123–125)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日