源氏物語 第10帖 賢木(4)
桐壺院の崩御
桐壺院の崩御に、人々は悲しみ、若い朱雀帝と性急な右大臣の世を案じる。源氏は喪服姿で法事を営む。四十九日が過ぎ、后妃たちは院の御所から退出していく。十二月二十日、藤壺も三条宮へ移る。源氏が藤壺のもとを訪れ、雪に折れた五葉の松を見て、兵部卿宮・源氏・王命婦がそれぞれ院をしのぶ歌を詠む。

- 1足足あしををを空空そらににに思思おもひひい惑惑まどふふう人人ひと多多おおかりかりかり。。。御御おん位位くらいををを去去さらららせせせ給給たまふふうととといふいふいうばかりばかりばかりにににこそこそこそあれあれあれ、、、世世よののの政政まつりごとをををしづめしづめしずめさせさせさせ給給たまへへえるるることことことももも我我わががが御世御世みよののの同同おなじじじごとごとごとにてにてにておはしまいおはしまいおわしまいつるつるつるををを、、、
- 2帝帝みかどはははいといといと若若わこうううおはしますおはしますおわします、、、おほぢおほぢおおじおとゞおとゞおとどいといといと急急きゅうにににさがなうさがなうさがのうおはしおはしおわしてててそのそのその御御おんまゝまゝままににになりなりなりなななむむん世世よをををいかならいかならいかならむむんととと、、、上達部上達部かんだちめ殿上人殿上人てんじょうびと皆皆みな思思おもひひいなげくなげくなげく。。。
- 3中宮中宮ちゅうぐう大將殿大將殿だいしょうどのなどなどなどはははましてましてましてすぐれすぐれすぐれててて物物ものもももおぼしおぼしおぼしわかわかわかれれれずずず。。。後々後々のちのちののの御御おんわざわざわざなどなどなどけうじけうじきょうじ仕仕つこうううまつりまつりまつり給給たまふふうさまさまさまもももそこらそこらそこらののの御子御子みこたちたちたちののの御御おん中中なかにににすぐれすぐれすぐれ給給たまへへえるるるをををことわりことわりことわりながらながらながらいといといとあはれあはれあわれににに世世よののの人人ひとももも見見み奉奉たてまつるるる。。。
- 4藤藤ふじののの御御おんぞぞぞにににやつれやつれやつれ給給たまへへえるるるにににつけつけつけてててももも限限かぎりなくなくなく淸淸きよらららににに心心こころ苦苦ぐるしげしげしげなりなりなり。。。こぞこぞこぞ今年今年ことしとととうちうちうちつゞきつゞきつづきかゝるかゝるかかることことことををを見見み給給たまふふうににに世世よもももいといといとあぢきなうあぢきなうあじきのうおぼさるれおぼさるれおぼさるればばば、、、かかるかかるかかる序序ついでにににもももまづまづまずおぼしおぼしおぼし立立たたたたるゝるゝるることことことはははあれあれあれどどど又又また樣々樣々さまざまののの御御おんほだしほだしほだしおほかりおほかりおおかり。。。
- 5御御おんまでまでまでははは女御女御にょうごみやすみやすみやす所所どころたちたちたち皆皆みな院院いんににに集集つどひひい給給たまへへえりりりつるつるつるををを、、、過過すぎぎぎぬれぬれぬればばばちりぢりちりぢりちりじりにににまかでまかでまかでたまふたまふたまう。。。十二月十二月しわすののの二十日二十日はつかなれなれなればばば大方大方おおかたののの世世よののの中中なかとぢむるとぢむるとじむる空空そらののの氣色氣色けしきにににつけつけつけてててもももましてましてまして晴晴はるゝるゝるる世世よなきなきなき中宮中宮ちゅうぐうののの御心御心みこころのののうちうちうちなりなりなり。。。
- 6おほきさきおほきさきおおきさきののの御心御心みこころをををももも知知しりりり給給たまへへえれれればばば心心こころににに任任まかせせせ給給たまへへえらららむむん世世よのののはしたなくはしたなくはしたなく住住すみみみ憂憂うからからからむむんをををおぼすおぼすおぼすよりよりよりももも馴馴なれれれ聞聞きこえええ給給たまへへえるるる年比年比としごろののの御御おん有樣有樣ありさまををを思思おもひひい出出いででで聞聞きこえええ給給たまははわぬぬぬ時時ときのののまままなきなきなきににに、、、
- 7かくかくかくてててもももおはしますおはしますおわしますまじうまじうまじゅう皆皆みなほかほかほかほかほかほかへへへととと出出いででで給給たまふふう程程ほどににに、、、悲悲かなしきしきしき事事ことかぎりかぎりかぎりなしなしなし。。。宮宮みやははは三條三條さんじょうののの宮宮みやににに渡渡わたりりり給給たまふふう。。。御御おんむかへむかへむかえににに兵部卿兵部卿ひょうぶきょうののの宮宮みや參參まいりりり給給たまへへえりりり。。。
- 8雪雪ゆきうちうちうち散散ちりりり風風かぜ烈烈はげしうしうしゅうててて院院いんののの內內うちやうやうやうやうようよう人人ひとめめめかれかれかれゆきゆきゆきてててしめやかしめやかしめやかなるなるなるににに、、、大將殿大將殿だいしょうどのこなたこなたこなたににに參參まいりりり給給たまひひいててて舊舊ふるききき御御おん物語物語ものがたりきこえきこえきこえ給給たまふふう。。。
- 9おまへおまへおまえののの五葉五葉ごようののの雪雪ゆきにににきをれきをれきおれててて下枝下枝しずえ枯枯かれれれたるたるたるををを見見み給給たまひひいててて、、、みこみこみこ「「「かげかげかげひろみひろみひろみたのみたのみたのみししし松松まつややや枯枯かれれれにににけむけむけん下葉下葉したば散散ちりりりゆくゆくゆく年年としのののくれくれくれかなかなかな」」」何何なにばかりばかりばかりのののことことことにににもももあらあらあらぬぬぬににに折折おりからからから物物ものあはれあはれあわれにてにてにて、、、大將大將だいしょうののの御御おん袖袖そでいたういたういとうぬれぬれぬれぬぬぬ。。。
- 10池池いけのののひまひまひまなうなうのうこほれこほれこおれるるるににに、、、「「「さえさえさえわたるわたるわたる池池いけののの鏡鏡かがみのののさやけきさやけきさやけきににに見見みなれなれなれしししかげかげかげををを見見みぬぬぬぞぞぞかなしきかなしきかなしき」」」とととおぼすおぼすおぼすまゝまゝままにににあまりあまりあまり若々若々わかわかしうしうしゅうぞぞぞあるあるあるややや。。。
- 11王命婦王命婦おうみょうぶ、、、「「「年年とし暮暮くれれれててて岩井岩井いわいののの水水みずもももこほりこほりこおりとぢとぢとじ見見みししし人人ひとかげかげかげのののあせあせあせももも行行ゆくくくかなかなかな」」」そのそのそのついでついでついでにににいといといと多多おおかれかれかれどどどさささのみのみのみ書書かききき續續つづくくくべきべきべきことことことかかかははは。。。
現代語訳
院の崩御に、あわてふためいて思い惑う人が多かった。ご退位なさったというだけで、世の政治を鎮めていらっしゃったことも、ご在位の時と同じでいらっしゃったのに、帝はたいそうお若くていらっしゃる。外祖父の大臣(右大臣)はたいそう性急で意地悪くいらっしゃって、その思いのままになるだろう世の中はどうなるだろうと、上達部や殿上人は皆嘆いている。
中宮や大将殿などは、まして人並み以上に悲しまれて、何もわからないほどでいらっしゃる。後々のご法事などを供養申し上げなさる様子も、大勢の皇子たちの中でもすぐれていらっしゃるのを、もっともなことながら、たいそうしみじみと世の人も拝見する。
藤色の喪服にやつれていらっしゃるにつけても、この上なく美しく、痛々しい。去年今年と続いてこうした不幸をご覧になるので、世の中もたいそうつまらなくお思いになるので、この機会にも出家をとまず思い立たれることはあるが、またさまざまなご絆が多い。
四十九日までは、女御や御息所たちが皆、院の御所に集まっていらっしゃったが、過ぎてしまうと散り散りに退出なさる。十二月二十日なので、世の中一般の、年の終わりの空の様子につけても、まして心の晴れる時のない中宮のお心の内である。
大后のお心もご存じなので、大后の思いのままになるだろう世の中が居心地悪く住みにくいだろうことをお思いになるよりも、親しくお仕え申し上げた長年の院のご様子を思い出し申し上げなさらない時の間もないのに、こうしてここにいらっしゃるわけにもいかず、皆それぞれの里へと出ていかれる時には、悲しいことこの上ない。中宮は三条の宮にお移りになる。お迎えに兵部卿宮が参上なさった。
雪が散り、風が激しく吹いて、院の御所の内はだんだん人も少なくなって、ひっそりとしているところに、大将殿が中宮の方に参上なさって、昔のお話を申し上げなさる。御前の五葉の松が雪にたわみ折れて、下枝が枯れているのをご覧になって、兵部卿宮が「陰が広いので頼りにしていた松が枯れてしまったのだろうか。下葉が散っていく年の暮れであることよ」。
たいしたことでもないのに、折が折なのでしみじみとして、大将のお袖はひどく濡れてしまった。池が一面に凍っているのを見て、「一面に冷え凍った池の鏡が澄み切っているのに、見慣れた院のお姿が映らないのが悲しい」と、思うままに詠みなさるのも、あまりに幼稚なことであるよ。王命婦が「年が暮れて、岩井の水も凍って閉ざされ、見慣れた人の影が薄れていくことよ」。そのついでに、歌はたいそう多かったが、そうばかり書き続けるべきことでもない。
意訳
桐壺院が崩御し、人々は、若い朱雀帝と性急な右大臣のもとで、世の中がどうなるかと案じる。源氏は喪服姿で法事を営み、出家も考えるが、絆が多くて思いとどまる。
四十九日が過ぎると、后妃たちは院の御所から散り散りに退出し、藤壺も三条宮へ移る。雪に折れた五葉の松を見て、兵部卿宮・源氏・王命婦が、院をしのぶ歌を詠む。
語釈・文法注
- なゝなぬか
- 七七日(なななぬか)。死後四十九日目の法要。
文法
- 疑問の「や…けむ」(松や枯れにけむ)
- 「松が枯れてしまったのだろうか」。過去の事柄を推量する。
- 反語の「かは」(書き續くべきことかは)
- 「書き続けるべきことであろうか、いや、そうではない」。
和歌
かげひろみたのみし松や枯れにけむ下葉散りゆく年のくれかな
- 詠者
- 兵部卿宮
- 状況
- 雪に折れた五葉の松を見て、兵部卿宮が詠んだ歌。陰が広いので頼りにしていた松(桐壺院)が枯れてしまったのだろうか。下葉(院に仕えた人々)が散っていく年の暮れであることよ。
修辞
- 比喩
- 「松」を桐壺院に、「下葉」を院のもとに集っていた人々にたとえる。
さえわたる池の鏡のさやけきに見なれしかげを見ぬぞかなしき
- 詠者
- 光源氏
- 状況
- 凍った池を見て源氏が詠んだ歌。一面に冷え凍った池の鏡が澄み切っているのに、見慣れた院のお姿が映らないのが悲しい。
年暮れて岩井の水もこほりとぢ見し人かげのあせも行くかな
- 詠者
- 王命婦
- 状況
- 藤壺に仕える王命婦が詠んだ歌。年が暮れて、岩井の水も凍って閉ざされ、見慣れた人の影が薄れていくことよ。
解説
桐壺院の崩御は、物語の大きな転換点である。院の在世中は、退位したとはいえ実際の政治は院が支えていた。若く気弱な朱雀帝のもとで、右大臣と弘徽殿大后の一派が実権を握り、源氏や藤壺の立場は危うくなっていく。
五葉の松の歌は、院を「松」に、院に仕えた人々を「下葉」にたとえて、院の死によって散り散りになっていく人々の姿を描いている。語り手が最後に「さのみ書き續くべきことかは」と筆をおさめるのは、源氏物語によく見られる語りの工夫である。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、200–203頁(コマ102–103)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日