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源氏物語 第10帖 賢木(3)

御息所の参内と桐壺院の遺言

登場人物:六条御息所・秋好中宮・朱雀帝・光源氏・桐壺院・冷泉帝・藤壺・弘徽殿大后

十四歳の斎宮の美しさに朱雀帝は心を動かし、別れの櫛を挿す。斎宮の一行が二条院の前を通ると、源氏は歌を贈り、翌日、御息所から返歌が届く。十月、桐壺院の病が重くなり、見舞いに訪れた朱雀帝に、東宮の後見と源氏を重んじることを遺言する。院は東宮や藤壺にも別れを告げ、まもなく崩御する。

病床の桐壺院が、枕元にかしこまる若い朱雀帝に、東宮と源氏の後見について言い置いている場面(AI生成)
病床の桐壺院が、枕元にかしこまる若い朱雀帝に、東宮と源氏の後見について言い置いている場面
  1. 1「「「そのかみそのかみそのかみををを今日けふ今日けふきょうはははかけかけかけじじじととと忍しの忍しのしのぶれぶれぶれどどど心こころ心こころこころのののうちうちうちにににものものものぞぞぞかなしきかなしきかなしき」」」齋宮さいぐう齋宮さいぐうさいぐうははは十四じふし十四じふしじゅうしにににぞぞぞなりなりなり給たま給たまたまひひいけるけるける。。。いといといと美うつく美うつくうつくしうしうしゅうおはするおはするおわするさまさまさまをををうるはしううるはしううるわしゅうしししたてたてたて奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまへへえるるるぞぞぞいといといとゆゝしきゆゝしきゆゆしきまでまでまで見み見みみえええ給たま給たまたまふふうををを、、、帝みかど帝みかどみかど御心みこころ御心みこころみこころ動うご動うごうごきききててて別わか別わかわかれれれののの御おん御おんおん櫛くし櫛くしくし奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまふふう。。。いといといとあはれあはれあわれにてにてにてしほたれしほたれしおたれさせさせさせ給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。
  2. 2出い出いいででで給たま給たまたまふふうををを待ま待ままちちち奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるとととてててににに立た立たたててて續つづ續つづつづけけけたるたるたるいだしいだしいだし車ぐるま車ぐるまぐるまどもどもどもののの袖口そでぐち袖口そでぐちそでぐち色いろ色いろいろあひあひあいももも目め目めめ慣な慣ななれれれぬぬぬさまさまさまににに心こころ心こころこころ憎にく憎にくにくききき氣色けしき氣色けしきけしきなれなれなればばば、、、殿上人てんじやうびと殿上人てんじやうびとてんじょうびとどもどもどもゝゝも私わたくし私わたくしわたくしのののわかれわかれわかれ惜をし惜をしおしむむむ多おほ多おほおおかりかりかり。。。
  3. 3闇くら闇くらくろううう出い出いいででで給たま給たまたまひひいててて、、、二條にでう二條にでうにじょうよりよりよりとうゐとうゐとういののの大路おほぢ大路おほぢおおじををを折を折をおれれれ給たま給たまたまふふうほどほどほど二條院にでうのゐん二條院にでうのゐんにじょういんののの前まへ前まへまえなれなれなればばば大將だいしやう大將だいしやうだいしょうののの君きみ君きみきみいといといとあはれあはれあわれにににおぼさおぼさおぼされれれててて、、、榊さかき榊さかきさかきにににさしさしさしててて、、、「「「ふりふりふりすてゝすてゝすてて今日けふ今日けふきょうははは行ゆ行ゆゆくくくともともとも鈴鹿川すずかがは鈴鹿川すずかがはすずかがわやそせやそせやそせのののなみなみなみににに袖そで袖そでそではははぬれぬれぬれじじじややや」」」ととと聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまへへえれれれどどど、、、
  4. 4いといといと闇くら闇くらくろううう物もの物ものもの騷さわ騷さわさわがしきがしきがしき程ほど程ほどほどなれなれなればばばまたまたまたののの日ひ日ひひ關せき關せきせきのののあなたあなたあなたよりよりよりぞぞぞ御おん御おんおん返かへ返かへかえしししあるあるある、、、「「「鈴鹿川すずかがは鈴鹿川すずかがはすずかがわ八十瀨やそせ八十瀨やそせやそせののの浪なみ浪なみなみにににぬれぬれぬれぬれぬれぬれずずずいせいせいせまでまでまでたれたれたれかかか思おも思おもおもひひいおこせおこせおこせむむん」」」
  5. 5ことことことそぎそぎそぎててて書か書かかききき給たま給たまたまへへえるるるしもしもしも御手て御手てていといといとよしよししくよしよししくよしよししくなまめきなまめきなまめきたるたるたるにににあはれあはれあわれなるなるなるけけけををを少すこ少すこすこししし添そ添そそへへえ給たま給たまたまへへえらららましかましかましかばばばとととおぼすおぼすおぼす。。。霧きり霧きりきりいたういたういとう降ふ降ふふりりりてててたゞたゞただならならならぬぬぬ朝あさ朝あさあさけけけにににうちうちうちながめながめながめてててひとりごちひとりごちひとりごちおはすおはすおわす。。。「「「行ゆ行ゆゆくくくかたかたかたをををながめながめながめもももやらやらやらむむんこのこのこの秋あき秋あきあきははは逢坂山あふさかやま逢坂山あふさかやまおうさかやまをををきりきりきりなななへだてへだてへだてそそそ」」」。。。
  6. 6西にし西にしにしののの對たい對たいたいにににももも渡わた渡わたわたりりり給たま給たまたまははわででで人ひと人ひとひとやりやりやりならならならずずず物もの物ものもの淋さび淋さびさびしげしげしげににに眺なが眺ながながめめめ暮くら暮くらくらししし給たま給たまたまふふう。。。ましてましてまして旅たび旅たびたびののの空そら空そらそらはははいかにいかにいかに御心みこころ御心みこころみこころづくしづくしづくしなるなるなる事こと事ことこと多おほ多おほおおかりかりかりけむけむけん。。。
  7. 7院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおん惱なや惱なやなやみみみ神無月かんなづき神無月かんなづきかんなづきににになりなりなりてててはははいといといと重おも重おもおもくくく坐おは坐おはおわしますしますします。。。世よ世よよののの中なか中なかなかににに惜をし惜をしおしみみみ聞きこ聞きこきこえええぬぬぬ人ひと人ひとひとなしなしなし。。。內うち內うちうちにににももも覺おぼ覺おぼおぼししし嘆なげ嘆なげなげきききててて行幸ぎやうかう行幸ぎやうかうぎょうこうありありあり。。。
  8. 8弱よわ弱よわよわききき御おん御おんおん心地ここち心地ここちここちにににももも春宮とうぐう春宮とうぐうとうぐうののの御おん御おんおん事こと事ことことをををかへすかへすかへすかへすかえすかえす聞きこ聞きこきこえええさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて次つぎ次つぎつぎにににははは大將だいしやう大將だいしやうだいしょうののの御おん御おんおん事こと事ことこと「「「侍はべ侍はべはべりりりつるつるつる世よ世よよにににかはらかはらかわらずずず大小だいせう大小だいせうだいしょうののの事こと事ことことををを隔へだ隔へだへだてててずずず、、、何事なにごと何事なにごとなにごとももも御おん御おんおんうしろみうしろみうしろみとととおぼせおぼせおぼせ。。。
  9. 9齡よはひ齡よはひよわいののの程ほど程ほどほどよりよりよりももも代よ代よよをををまつりごたまつりごたまつりごたむむんにににもももをさをさをさをさおさおさはゞかりはゞかりはばかりあるあるあるまじうまじうまじゅうなむなむなん見み見みみ給たま給たまたまふるふるうる。。。必かなら必かならかならずずず世よ世よよののの中なか中なかなか保たも保たもたもつつつべきべきべき相さう相さうそうあるあるある人ひと人ひとひとなりなりなり、、、さるさるさるににによりよりよりててて煩わづら煩わづらわずらはしさはしさわしさにににみこみこみこにににもももなさなさなさずずずたゞたゞただ人びと人びとびとにてにてにておほやけおほやけおおやけののの御おん御おんおん後見うしろみ後見うしろみうしろみをををせせせさせさせさせむむんととと思おも思おもおもひひい給たま給たまたまへへえしししなりなりなり。。。そのそのその心こころ心こころこころ違たが違たがたがへへえさせさせさせ給たま給たまたまふふうななな」」」
  10. 10とととあはれあはれあわれなるなるなる御おん御おんおんゆゐごんゆゐごんゆいごんどもどもども多おほ多おほおおかりかりかりけれけれけれどどど、、、女をんな女をんなおんなのののまねぶまねぶまねぶべきべきべき事こと事ことことにににしししあらあらあらねねねばばばこのこのこの片端かたはし片端かたはしかたはしだにだにだにかたはらいたしかたはらいたしかたわらいたし。。。帝みかど帝みかどみかどもももいといといと悲かな悲かなかなしししとととおぼしおぼしおぼしててて更さら更さらさらににに違たが違たがたがへへえ聞きこ聞きこきこえええさすさすさすまじきまじきまじきよしよしよしをををかへすがへすかへすがへすかえすがえす聞きこ聞きこきこえええさせさせさせ給たま給たまたまふふう。。。
  11. 11御おん御おんおんかたちかたちかたちもももいといといと淸きよ淸きよきよらららにににねびねびねびまさらまさらまさらせせせ給たま給たまたまへへえるるるををを嬉うれ嬉うれうれしくしくしく賴たの賴たのたのもしくもしくもしく見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららせせせ給たま給たまたまふふう。。。限かぎり限かぎりかぎりあれあれあればばば急いそ急いそいそぎぎぎ還かへ還かへかえらららせせせ給たま給たまたまふふうにににもももなかなかなかなかなかなかなるなるなる事こと事ことこと多おほ多おほおおくくくなむなむなん。。。
  12. 12春宮とうぐう春宮とうぐうとうぐうもももひとたびひとたびひとたびにににとととおぼしおぼしおぼし召め召めめしししけれけれけれどどど物もの物ものものさわがしきさわがしきさわがしきににによりよりより日ひ日ひひををを更か更かかへへへててて渡わた渡わたわたらららせせせ給たま給たまたまへへえりりり。。。御おん御おんおん年とし年としとしののの程ほど程ほどほどよりよりよりはははおとなびおとなびおとなび美うつく美うつくうつくしきしきしき御おん御おんおんさまさまさまにてにてにて戀こひ戀こひこいしししととと思おも思おもおもひひい聞きこ聞きこきこえええさせさせさせ給たま給たまたまひひいけるけるけるつもりつもりつもりににに、、、何なに何なになに心ごころ心ごころごころもももなくなくなく嬉うれ嬉うれうれしししとととおぼしおぼしおぼしててて見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまふふう御おん御おんおん氣色けしき氣色けしきけしきいといといとあはれあはれあわれなりなりなり。。。
  13. 13中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうははは淚なみだ淚なみだなみだににに沈しづ沈しづしずみみみ給たま給たまたまへへえるるるををを、、、見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららせせせ給たま給たまたまふふうにににもももさまざまさまざまさまざま御心みこころ御心みこころみこころ亂みだ亂みだみだれれれててておぼしおぼしおぼし召め召めめさささるるる。。。萬よろづ萬よろづよろずののの事こと事ことことををを聞きこ聞きこきこえええ知し知ししらせらせらせ給たま給たまたまへへえどどどいといといと物もの物ものものはかなきはかなきはかなき御おん御おんおんほどほどほどなれなれなればばばうしろめたくうしろめたくうしろめたく悲かな悲かなかなしうしうしゅう見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららせせせ給たま給たまたまふふう。。。
  14. 14大將だいしやう大將だいしやうだいしょうにににもももおほやけおほやけおおやけににに仕つか仕つかつこうううまつりまつりまつり給たま給たまたまふふうべきべきべき御おん御おんおん心こころ心こころこころづかひづかひづかいこのこのこの宮みや宮みやみやののの御おん御おんおん後見うしろみ後見うしろみうしろみししし給たま給たまたまふふうべきべきべきことことことををを返かへ返かへかえすすす返がへ返がへがえすすすのたまはすのたまはすのたまわす。。。夜よ夜よよ更ふ更ふふけけけてててぞぞぞ歸かへ歸かへかえらららせせせ給たま給たまたまふふう。。。殘のこ殘のこのこるるる人ひと人ひとひとなくなくなく仕つか仕つかつこうううまつりまつりまつりてててのゝしるのゝしるののしるさまさまさま行幸ぎやうかう行幸ぎやうかうぎょうこうににに劣おと劣おとおとるるるけぢめけぢめけじめなしなしなし。。。
  15. 15飽あ飽ああかかかぬぬぬ程ほど程ほどほどにてにてにて還かへ還かへかえらららせせせ給たま給たまたまふふうをををいみじういみじういみじゅうおぼしおぼしおぼし召め召めめすすす。。。おほきさきおほきさきおおきさきももも參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまははわむむんとととするするするををを中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうのののかくかくかく添そ添そそひひいおはするおはするおわするににに御心みこころ御心みこころみこころ置お置おおかかかれれれててておぼしおぼしおぼしやすらふやすらふやすらう程ほど程ほどほどににに、、、おどろおどろしきおどろおどろしきおどろおどろしきさまさまさまにににもももおはしまさおはしまさおわしまさでででかくれかくれかくれさせさせさせ給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

御息所は「そのかみ(昔)のことを、今日は心にかけまいとこらえるけれど、心の中はもの悲しいことだ」。斎宮は十四歳におなりだった。たいそうかわいらしくていらっしゃるのを、きちんと装束をお着せ申し上げなさったのが、不吉なほど美しくお見えになるので、帝はお心が動いて、別れの御櫛を挿してさしあげなさる。たいそうしみじみとして、涙をお流しになった。

斎宮のご退出を待ち申し上げるために、八省院に立て並べた出し車の袖口や色合いも、見慣れない趣で奥ゆかしい様子なので、殿上人たちも、個人的な別れを惜しむ者が多かった。暗くなってご出発になって、二条から洞院の大路へ曲がりなさる時、二条院の前なので、大将の君はたいそうしみじみとお思いになって、榊にさして、「私を振り捨てて今日は行っても、鈴鹿川の多くの瀬の波に、袖が濡れないことがあろうか」と申し上げなさったが、

たいそう暗く騒がしい時なので、翌日、逢坂の関の向こうからご返事がある。「鈴鹿川の多くの瀬の波に、私の袖が濡れるか濡れないか、伊勢まで誰が思いやってくれるでしょう」。簡略にお書きになっているが、かえって筆跡はたいそう趣深く優美で、これにしみじみとした情を少し添えてくださったらとお思いになる。

霧がひどく立ちこめて、ただならぬ朝ぼらけに、物思いにふけって独り言をおっしゃる。「あの人の行く方を眺めやろう。この秋は、逢坂山を霧よ隔てないでおくれ」。西の対にもおいでにならないで、自分から求めたことながら、何となく寂しそうに物思いにふけって日をお暮らしになる。まして旅の空の御息所は、どんなにか心を尽くされることが多かったことだろう。

院のご病気は、十月になってからは、たいそう重くていらっしゃる。世の中に惜しみ申し上げない人はない。帝もお嘆きになって行幸がある。院は弱ったご気分ながらも、東宮のことを繰り返し申し上げなさって、次には大将のことを、「私が在世していた時と変わらず、大小の事を隔てず、何事もご後見役とお思いなさい。年齢のわりに、政治を執るにもまったく差し支えないと見ております。必ず天下を治めるはずの相がある人です。そのために、かえって面倒なことになると思って親王にもせず、臣下として朝廷の後見をさせようと思ったのです。その心に背きなさるな」と、

しみじみとしたご遺言が多かったが、女の身で語り伝えるべきことではないので、このほんの一端を書くのさえ気がひける。帝もたいそう悲しいとお思いになって、決してお言葉に背かない旨を、繰り返し申し上げなさる。帝のご容貌もたいそう美しく成人なさったのを、院はうれしく頼もしく拝見なさる。決まりがあるので急いでお帰りになるにつけても、かえって心残りなことが多い。

東宮も、同じ時にとお思いになったが、騒がしいので、日を改めておいでになった。お年のわりには大人びて、かわいらしいご様子で、院を恋しいと思い申し上げていらっしゃった積もる思いから、無邪気にうれしいとお思いになって拝見なさるご様子は、たいそうあわれである。中宮(藤壺)が涙に沈んでいらっしゃるのをご覧になるにつけても、院はさまざまにお心が乱れてお思いになる。いろいろなことをお教え申し上げなさるが、たいそう頼りないご年齢なので、気がかりで悲しくご覧になる。

大将にも、朝廷にお仕えなさる心構えや、この東宮のご後見をなさるべきことを、繰り返しおっしゃる。夜が更けてからお帰りになる。残る人なくお供して騒ぐ様子は、行幸に劣るところがない。名残の尽きないうちにお帰りになるのを、院はたいそう悲しくお思いになる。大后も参上しようとなさるが、中宮がこうして付き添っていらっしゃるのに気がねなさって、ためらっていらっしゃるうちに、院はそれほどひどいご様子でもなく、お隠れになった。

意訳

斎宮は十四歳。朱雀帝はその美しさに心を動かし、別れの櫛を挿す。斎宮の一行が二条院の前を通ると、源氏は歌を贈る。御息所は、昔を思いながら伊勢へと旅立っていく。

十月、桐壺院の病が重くなる。院は朱雀帝に、東宮を大切にすること、源氏を政治の後見役として重んじることを遺言する。源氏が親王にならず臣下となったのは、院の深い考えによるものだった。院は東宮や藤壺に別れを告げ、まもなく崩御する。

語釈・文法注

はせう
八省(はっしょう)。八省院のこと。大内裏の正庁で、斎宮の発遣の儀式が行われた。

文法

禁止の「な…そ」(きりなへだてそ)
「霧よ隔てないでおくれ」。
反実仮想の「ましかば」(添へ給へらましかば)
「もし添えてくださったら(よかったのに)」。後半が省略されている。

和歌

そのかみを今日はかけじと忍ぶれど心のうちにものぞかなしき

詠者
六条御息所
状況
斎宮とともに宮中に参った御息所が、東宮妃だった昔を思って詠んだ歌。そのかみ(昔)のことを、今日は心にかけまいとこらえるけれど、心の中はもの悲しいことだ。

ふりすてゝ今日は行くとも鈴鹿川やそせのなみに袖はぬれじや

詠者
光源氏
状況
伊勢へ向かう一行が二条院の前を通る時、源氏が榊にさして贈った歌。私を振り捨てて今日は行っても、鈴鹿川の多くの瀬の波に、袖が濡れないことがあろうか(後悔の涙を流すだろう)。

修辞

縁語
「ふり」は鈴を「振る」に通じ、「鈴鹿川」と縁語になる。

鈴鹿川八十瀨の浪にぬれぬれずいせまでたれか思ひおこせむ

詠者
六条御息所
状況
翌日、逢坂の関の向こうから届いた返歌。鈴鹿川の多くの瀬の波に、私の袖が濡れるか濡れないか、伊勢まで誰が思いやってくれるでしょう。

修辞

掛詞
「いせ」に地名の「伊勢」を詠み込み、遠く離れていく身の上を嘆く。

行くかたをながめもやらむこの秋は逢坂山をきりなへだてそ

詠者
光源氏
状況
御息所の返歌を見た後、霧の朝に源氏が独り言のように詠んだ歌。あの人の行く方を眺めやろう。この秋は、逢坂山を霧よ隔てないでおくれ。

解説

斎宮の発遣の儀式で、帝が別れの櫛を挿す時に「京の方に赴きたまふな」と言うのが習いであった。帝が斎宮の美しさに心を動かしたという描写は、のちに斎宮(秋好中宮)が冷泉帝に入内する時、朱雀院が未練を残す伏線となる。

桐壺院の遺言は、物語全体にとって重要である。源氏を臣下に下したのは、才能があまりに優れているため、親王のままでは政争に巻き込まれると考えたからだった。しかし院の死後、右大臣家の権勢のもとで、源氏は苦しい立場に追い込まれていく。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、198–201頁(コマ101–102)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日