源氏物語 第9帖 葵(7)
葵の上の死
秋の司召の夜、源氏や左大臣たちが参内して邸が手薄になった間に、葵の上は急に苦しみだし、そのまま息を引き取る。左大臣夫妻の嘆きは深く、数日の後、鳥辺野で葬送が行われる。源氏は喪服をまとって、亡き妻を悼む歌を詠み、ありし日の葵の上へのつれない仕打ちを悔やむ。残された若君だけが慰めである。

- 1秋秋あきのののあるあるあるべきべきべき定定さだめめめにてにてにて大大おおとのとのとのももも參參まいりりり給給たまへへえばばば、、、君君きんだちだちだちもももいたはりいたはりいたわり望望のぞみみみ給給たまふふうことことことどもどもどもありありありててて殿殿とのののの御御おんあたりあたりあたり離離はなれれれ給給たまははわねねねばばば皆皆みな引引ひきききつゞきつゞきつづき出出いででで給給たまひひいぬぬぬ。。。
- 2殿殿とののののうちうちうち人人ひとずくなずくなずくなにににしめやかしめやかしめやかなるなるなるほどほどほどににに、、、俄俄にわかににに例例れいののの御御おん胸胸むねをををせきせきせきあげあげあげててていといといといたういたういとう惑惑まどひひい給給たまふふう。。。內內うちににに御御おんせうそこせうそこしょうそこ聞聞きこえええ給給たまふふう程程ほどもももなくなくなく絕絕たえええ入入いりりり給給たまひひいぬぬぬ。。。
- 3足足あしをををそらそらそらにてにてにて誰誰たれももも誰誰たれもももまかでまかでまかで給給たまひひいぬれぬれぬればばば、、、除目除目じもくののの夜夜よなりなりなりけれけれけれどどどかくかくかくわりなきわりなきわりなき御御おんさはりさはりさわりなれなれなればばば皆皆みな事事こと破破やぶれれれたるたるたるやうやうようなりなりなり。。。
- 4のゝしりのゝしりののしり騷騷さわぐぐぐ程程ほどににによなかよなかよなかばかりばかりばかりなれなれなればばば山山やまのののざすざすざす何何なにくれくれくれののの僧僧そうたちたちたちもももえええさうじさうじそうじあへあへあえ給給たまははわずずず。。。今今いまはははさりともさりともさりともととと思思おもひひいたゆみたゆみたゆみたりたりたりつるつるつるにににあさましけれあさましけれあさましければばば殿殿とのののの內內うちののの人人ひと、、、ものものものにににぞぞぞあたりあたりあたり惑惑まどふふう。。。
- 5所々所々ところどころののの御御おんとぶらひとぶらひとぶらいののの使使つかいなどなどなど立立たちちちこみこみこみたれたれたれどどどえええ聞聞きこえええつがつがつがずずずゆすりゆすりゆすりみちみちみちててていみじきいみじきいみじき御御おん心心こころ惑惑まどひひいどもどもどもいといといと恐恐おそろしきしきしきまでまでまで見見みえええ給給たまふふう。。。
- 6御御おんものゝけものゝけもののけのののたびたびたびたびたびたびとりとりとりいれいれいれ奉奉たてまつりりりしししをををおぼしおぼしおぼしててて御御おん枕枕まくらなどなどなどもももさながらさながらさながら二三日二三日ふつかみか見見み奉奉たてまつりりり給給たまへへえどどどやうやうやうやうようようかはりかはりかわり給給たまふふう事事ことどもどもどものののあれあれあればばば限限かぎりりりとととおぼしおぼしおぼしはつるはつるはつる程程ほど誰誰たれももも誰誰たれもももいといといといみじいみじいみじ。。。
- 7大將殿大將殿だいしょうどのははは悲悲かなしきしきしきことことことににに事事ことををを添添そへへえててて世世よののの中中なかをををいといといとうきうきうきものものものににに思思おもししししみしみしみぬれぬれぬればばば、、、たゞたゞただならならならぬぬぬ御御おんあたりあたりあたりのののとぶらひとぶらひとぶらいどもどもどもゝゝも心心こころうううしししとととのみのみのみぞぞぞなべてなべてなべておぼさるゝおぼさるゝおぼさるる。。。
- 8院院いんにににおぼしおぼしおぼしなげきなげきなげきとぶらひとぶらひとぶらい聞聞きこえええさせさせさせ給給たまふふうさまさまさま、、、かへりてかへりてかえりておもだゝしげおもだゝしげおもだたしげなるなるなるををを嬉嬉うれしきしきしきふしふしふしもももまじりまじりまじりててておとゞおとゞおとどははは御御おん淚淚なみだのののいとまいとまいとまなしなしなし。。。
- 9人人ひとののの申申もうすすすににに隨隨したがひひいててていかめしきいかめしきいかめしきことことことゞゞどもももををを生生いきききやややかへりかへりかえり給給たまふふうとととさまざまさまざまさまざま殘殘のこるるることことことなくなくなくかつかつかつ損損そこなはれはれわれ給給たまふふう事事ことどもどもどものののあるあるあるををを見見みるるる見見みるるるもももつきせつきせつきせずずずおぼしおぼしおぼし惑惑まどへへえどどど、、、かひかひかいなくなくなくててて日頃日頃ひごろににになれなれなればばばいかゞいかゞいかがはははせせせむむんとととてててにににゐゐいててて奉奉たてまつるるるほどほどほどいみじげいみじげいみじげなるなるなる事事こと多多おおかりかりかり。。。
- 10此方此方こなた彼方彼方かなたののの御御おん送送おくりののの人人ひとどもどもども寺々寺々てらでらのののねんぶつねんぶつねんぶつののの僧僧そうなどなどなどそこらそこらそこら廣廣ひろききき野野のににに所所ところもももなしなしなし。。。院院いんをををばばば更更さらにににももも申申もうさささずずずきさいきさいきさいののの宮宮みや春宮春宮とうぐうなどなどなどののの御御おん使使つかい、、、さらさらさらぬぬぬ所々所々ところどころのののももも參參まいりりりちがひちがひちがいててて飽飽あかかかずずずいみじきいみじきいみじき御御おん弔弔とぶらひひいををを聞聞きこえええ給給たまふふう。。。
- 11おとゞおとゞおとどはははえええ立立たちちちもももあがりあがりあがり給給たまははわずずず、、、かゝるかゝるかかる齡齡よわいののの末末すえににに若若わかくくく盛盛さかりののの子子こににに後後おくれれれ奉奉たてまつりりりててて、、、もこようもこようもこよう事事ことととと耻耻はぢぢじ泣泣なききき給給たまふふうをををこゝらこゝらここらののの人人ひと悲悲かなしうしうしゅう見見み奉奉たてまつるるる。。。
- 12よもすがらよもすがらよもすがらいみじういみじういみじゅうのゝしりのゝしりののしりつるつるつる儀式儀式ぎしきなれなれなれどどど、、、いといといともももはかなきはかなきはかなき御御おんかばねかばねかばねばかりばかりばかりををを御御おん名殘名殘なごりにてにてにて曉曉あかつき深深ふかくくくかへりかへりかえり給給たまふふう。。。常常つねののの事事ことなれなれなれどどど人人ひとひとりひとりひとりかかか、、、あまたあまたあまたしもしもしも見見み給給たまははわぬぬぬ事事ことなれなれなればばばにににやややたぐひたぐひたぐいなくなくなくおぼしおぼしおぼしこがれこがれこがれたりたりたり。。。
- 13八月八月はづき廿日廿日はつか餘餘あまりののの有明有明ありあけなれなれなればばば空空そらののの氣色氣色けしきももも哀哀あわれすくなからすくなからすくなからぬぬぬにににおとゞおとゞおとどのののやみやみやみににに暮暮くれれれ惑惑まどひひい給給たまへへえるるるさまさまさまををを見見み給給たまふふうもももことわりことわりことわりにににいみじけれいみじけれいみじければばば空空そらのみのみのみながめながめながめられられられ給給たまひひいててて、、、「「「のぼりのぼりのぼりぬるぬるぬる煙煙けぶりはははそれそれそれとととわかわかわかねねねどもどもどもなべてなべてなべて雲居雲居くもいののの哀哀あわれなるなるなるかなかなかな」」」。。。
- 14殿殿とのにににおはしおはしおわしつきつきつきてててももも露露つゆまどろままどろままどろまれれれ給給たまははわずずず。。。年比年比としごろののの御御おん有樣有樣ありさまをををおぼしおぼしおぼし出出いでででつゝつゝつつなどなどなどてててつひにつひについにはははおのづからおのづからおのずから見見み直直なおししし給給たまひひいてててむむんとととのどかのどかのどかににに思思おもひひいててて等閑等閑なおざりのののすさびすさびすさびにににつけつけつけてててもももつらしつらしつらしととと覺覺おぼえええられられられ奉奉たてまつりりりけむけむけん。。。
- 15世世よををを經經へててて疎疎うとくくく耻耻はずかしきしきしきものものものににに思思おもひひいててて過過すぎぎぎはてはてはて給給たまひひいぬるぬるぬるなどなどなど悔悔くやしきしきしき事事こと多多おおくくくおぼしおぼしおぼし續續つづけけけらるれらるれらるれどどどかひかひかいなしなしなし。。。
- 16にばめるにばめるにばめる御御おんぞぞぞ奉奉たてまつれれれるるるももも夢夢ゆめののの心地心地ここちしししててて我我わさきだゝさきだゝさきだたましかましかましかばばば深深ふかくくくそめそめそめ給給たまははわましましましとととおぼすおぼすおぼすさへさへさへ、、、「「「限限かぎりりりあれあれあればばばうすゞみうすゞみうすずみ衣衣ごろもあさけれあさけれあさけれどどど淚淚なみだぞぞぞ袖袖そでをををふちふちふちとととなしなしなしけるけるける」」」とととてててねんずねんずねんずししし給給たまへへえるるるさまさまさまいとゞいとゞいとどなまめかしさなまめかしさなまめかしさまさりまさりまさりててて
- 17經經きょう忍忍しのびやかびやかびやかににに讀讀よみみみ給給たまひひいつゝつゝつつとととうちうちうちのたまへのたまへのたまえるるる行行おこなひひい馴馴なれれれたるたるたる法師法師ほうしよりよりよりはははけなりけなりけなり。。。
- 18若君若君わかぎみををを見見み奉奉たてまつりりり給給たまふふうにににももも、、、何何なにににに老老おいのののぶぶぶととといとゞいとゞいとど露露つゆけゝれけゝれけけれどどどかゝるかゝるかかるかたみかたみかたみさへさへさへなからなからなからましかましかましかばばばとととおぼしおぼしおぼし慰慰なぐさむむむ。。。
- 19宮宮みやはははまづまづまずみみみ入入いりりりてててそのそのそのまゝまゝままににに起起おききき上上あがりりり給給たまははわずずず、、、危危あやうげげげににに見見みえええ給給たまふふうををを、、、またまたまたおぼしおぼしおぼし騷騷さわぎぎぎててて御御おん祈祈いのりなどなどなどせせせさせさせさせ給給たまふふう。。。はかなくはかなくはかなく過過すぎぎぎ行行ゆけけけばばば、、、御御おんわざわざわざののの急急いそぎぎぎなどなどなどせせせさせさせさせ給給たまふふうももも、、、おぼしおぼしおぼしかけかけかけざりざりざりしししことことことなれなれなればばばつきせつきせつきせずずずいみじういみじういみじゅうなむなむなん。。。
- 20なのめなのめなのめにににかたほかたほかたほなるなるなるをををだにだにだに人人ひとののの親親おやはははいかゞいかゞいかが思思おもふふうめるめるめる。。。ましてましてましてことわりことわりことわりなりなりなり。。。又又またたぐひたぐひたぐい坐坐おわせせせぬぬぬだにだにだにさうざうしくさうざうしくそうぞうしくおぼしおぼしおぼしつるつるつるににに、、、袖袖そでののの上上うえののの玉玉たまののの碎碎くだけけけたりたりたりけむけむけんよりよりよりももも淺淺あさましげましげましげなりなりなり。。。
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現代語訳
秋の司召が行われる予定で、大臣も参内なさるので、ご子息たちも、それぞれ昇進を望みなさることがあって、大臣のおそばを離れなさらないので、皆続いてお出かけになった。邸内は人が少なくひっそりとしている時に、葵の上はにわかに、いつものように胸をせき上げて、たいそうひどくお苦しみになる。宮中にお知らせ申し上げなさる間もなく、息絶えておしまいになった。
皆、足も地につかない様子で、誰も彼も退出なさったので、除目の夜であったが、こうしたやむを得ない差し障りなので、すべて取りやめになったようである。大騒ぎをしているうちに夜中ごろになったので、比叡山の座主や誰彼という僧たちも、お呼びすることができない。今はもう大丈夫だろうと油断していたところに、あきれるようなことなので、邸の内の人々は、物にぶつかってうろたえている。
あちらこちらからのお見舞いの使者などが立てこんでいるが、取り次ぐこともできず、邸中が大騒ぎで、ひどい取り乱しようは、たいそう恐ろしいほどに見えなさる。物の怪がたびたび息を止め申し上げたことをお思いになって、お枕などもそのままにして、二、三日ご様子を見守り申し上げなさるが、だんだんとお顔などが変わりなさることがあるので、もうこれまでと思い切りなさる時、誰も彼もたいそう悲しい。
大将殿は、悲しいことに加えて、あの生霊の一件もあって、世の中をたいそうつらいものと思いしみてしまったので、ゆかりのある方々からのお悔やみも、つらいとばかり、すべてお思いになる。院がお嘆きになってお悔やみを申し上げなさる様子が、かえって面目を施すことになるので、うれしい気持ちもまじって、大臣は涙の乾く暇がない。
人の申すことに従って、仰々しい祈祷などを、生き返りなさるかと、さまざまに残すところなく試みて、一方では御遺骸が損なわれていかれることなどがあるのを見ながらも、限りなく思い惑いなさるが、そのかいもなく日数がたったので、どうしようもないと、鳥辺野にお連れ申し上げる時には、悲しいことが多かった。
あちらこちらからの野辺送りの人々や、寺々の念仏の僧などで、あれほど広い野にもすき間もない。院は申し上げるまでもなく、大后の宮や東宮などのお使い、そのほかの方々のお使いも行き交って、限りなく心のこもったお悔やみを申し上げなさる。大臣は立ち上がることもおできにならず、「こんな老いの果てに、若い盛りの子に先立たれて、這いずり回ることよ」と恥じてお泣きになるのを、大勢の人が悲しく拝見する。
一晩中たいそう騒がしく行われた儀式であったが、まことにはかない御遺骨だけを名残として、まだ暗い明け方にお帰りになる。人の死は世の常のことだが、源氏は、ただ一人か二人の死しかご覧になったことがないからだろうか、比べるもののないほど恋い焦がれていらっしゃった。
八月二十日過ぎの有明の月のころなので、空の様子もたいそうしみじみとしているうえに、大臣が悲しみの闇に暮れ惑っていらっしゃる様子をご覧になるのも、もっともなことで、たいそう悲しいので、空ばかりを眺めずにはいらっしゃれなくて、「立ちのぼっていった煙は、どれが妻のものかわからないけれど、空一面の雲がすべてしみじみと悲しく思われることだ」。
邸にお帰りになっても、少しもお眠りになれない。長年のご様子を思い出しなさりながら、どうして、いずれは自然と私を見直してくださるだろうと気長に思って、いいかげんな浮気心につけても、つらいと思われ申し上げたのだろう。最後まで、私を打ち解けにくく気づまりな者と思ったまま、亡くなっておしまいになったことなど、悔やまれることが多く、思い続けなさるが、どうしようもない。
鈍色の喪服をお召しになるのも夢のような気持ちがして、もし私が先に死んでいたら、妻はもっと濃く染めて喪に服しただろうにとお思いになることまでも悲しく、「妻の喪には決まりがあるので、薄墨色の喪服は色が浅いけれど、涙は袖を深い淵のように濡らしたことだ」と詠んで、念誦していらっしゃる様子は、いっそう優美さがまさって、お経を小声でお読みになりながら、「法界三昧普賢大士」とお唱えになるのは、勤行に慣れた法師よりもすぐれている。
若君を拝見なさるにつけても、「何に老いの延ぶの」(何のために生きながらえるのか)と、いっそう涙がちになるが、こうした形見さえなかったならばとお思いになって、お慰めになる。大宮は悲しみに沈んで、そのまま起き上がりもなさらず、危なそうにお見えになるので、またお騒ぎになってご祈祷などをおさせになる。
あっけなく日が過ぎていくので、法事の準備などをおさせになるのも、思いもかけなかったことなので、限りなく悲しい。人並みで不十分な子でさえ、人の親はどんなにかわいく思うものだろうか。まして、こんな娘を失った嘆きはもっともである。ほかに娘がいらっしゃらないのさえ物足りなくお思いだったのに、袖の上の玉が砕けてしまったというよりも、あきれるほどの悲しさである。
大将の君は、二条院にさえ、ちょっとの間もお帰りにならず、しみじみと心深く嘆き悲しんで、勤行を熱心になさりながら、日々を明かし暮らしていらっしゃる。あちこちの女性たちには、お手紙だけを差し上げなさる。
意訳
秋の司召の夜、源氏や左大臣たちが参内した間に、葵の上は急に苦しみだし、息を引き取る。人々は生き返ることを願って祈祷を続けるが、かいもなく、鳥辺野で葬送が行われる。
源氏は、立ちのぼる煙を見て亡き妻を悼み、生前の葵の上に打ち解けなかったことを悔やむ。左大臣は老いて娘に先立たれた悲しみに泣き崩れ、大宮も病み伏す。残された若君だけが、人々の慰めである。
語釈・文法注
- 司召
- 司召(つかさめし)。京官の任命を行う儀式。秋に行われる除目で、昇進を望む貴族たちにとっては一大事であった。
- 鳥野邊
- 鳥辺野(とりべの)。京の東山にあった葬送の地。
- 法界三昧普賢大士
- 法華経の普賢菩薩を念じて唱える言葉。
- 何に老のぶの
- 「しかりとて背かれなくに事しあればまづ嘆かれぬあな憂世の中」などの古歌による表現とされる。何のために老い先を延ばすのか、という嘆き。
文法
- 反実仮想の「ましかば…まし」(我さきだゝましかば深くそめ給はまし)
- 「もし私が先に死んでいたら、濃く染めて喪に服しただろうに」。
- 疑問の「など…けむ」(などて…覺えられ奉りけむ)
- 「どうして…と思われ申し上げたのだろうか」。過去の行為への後悔を表す。
和歌
のぼりぬる煙はそれとわかねどもなべて雲居の哀なるかな
- 詠者
- 光源氏
- 状況
- 葬送からの帰途、有明の空を眺めて詠んだ歌。立ちのぼっていった煙は、どれが妻のものかわからないけれど、空一面の雲がすべてしみじみと悲しく思われることだ。
限りあればうすゞみ衣あさけれど淚ぞ袖をふちとなしける
- 詠者
- 光源氏
- 状況
- 喪服を着て詠んだ歌。妻の喪には決まりがあるので、薄墨色の喪服は色が浅いけれど、涙は袖を深い淵のように濡らしたことだ。
修辞
- 対比
- 喪服の色の「浅さ」と、涙の「淵」の深さを対比させる。妻の喪服は夫の喪服より色が薄いという決まりをふまえる。
解説
葵の上の死は、六条御息所の生霊によるものと読める。しかし物語は、それをはっきりとは語らない。人々が除目で邸を空けた隙に、葵の上は誰にも看取られるまもなく息絶える。そのあっけなさが、かえって悲劇の深さを感じさせる。
源氏は、葵の上の死によって初めて、妻への愛情と、自分のつれなさを悔やむ。「おのづから見直し給ひてむ」と気長に構えていたことが、取り返しのつかない後悔となる。夫婦が心を通わせかけた矢先の死であった。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、174–177頁(コマ89–90)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日