源氏物語 第9帖 葵(4)
御息所の苦悩と葵の上の物の怪
車争いの屈辱以来、御息所は伊勢に下るか都にとどまるか思い悩み、病みがちになる。一方、懐妊中の葵の上は物の怪に苦しめられる。多くの物の怪が名のり出る中に、どうしても離れない一つの霊があった。御息所の病を聞いた源氏は見舞いに訪れるが、その後は文ばかりで、御息所は恨みの歌を送る。

- 1御息所御息所みやすんどころはははものものものをををおぼしおぼしおぼし亂亂みだるゝるゝるる事事こと年比年比としごろよりよりよりももも多多おおくくく添添そひひいにににけりけりけり。。。つらきつらきつらき方方かたににに思思おもひひいはてはてはて給給たまへへえどどど、、、今今いまはははとととてててふりふりふりはなれはなれはなれくだりくだりくだり給給たまひひいなななむむんはははいといといと心心こころ細細ぼそかりかりかりぬぬぬべくべくべく、、、世世よののの人人ひとぎゝぎゝぎきももも人人ひと笑笑わらへへえにににならならならむむん事事こととととおぼすおぼすおぼす。。。
- 2さりとてさりとてさりとて立立たちちちとまるとまるとまるべくべくべくおもほしおもほしおもおしなるなるなるにににははは、、、かくかくかくこよなきこよなきこよなきさまさまさまににに皆皆みな思思おもひひいくたすくたすくたすべかべかべかめるめるめるもももやすからやすからやすからずずず、、、釣釣つりするするする海士海士あまのののうけうけうけなれなれなれととと、、、おきおきおきふしふしふしおぼしおぼしおぼし煩煩わずらふふうけにけにけにややや御御おん心地心地ここちもももうきうきうきたるたるたるやうやうようにににおぼさおぼさおぼされれれてててなやましうなやましうなやましゅうししし給給たまふふう。。。
- 3大將殿大將殿だいしょうどのにににははは「「「下下くだりりり給給たまははわむむんとととととともてもてもてはなれはなれはなれてててあるあるあるまじきまじきまじき事事こと」」」などなどなどももも妨妨さまたげげげ聞聞きこえええ給給たまははわずずず「「「數數かずならならならぬぬぬ身身みををを見見みままま憂憂うくくくおぼしおぼしおぼし捨捨すてててむむんもももことわりことわりことわりなれなれなれどどど今今いまははは猶猶なおいふかひいふかひいうかいなきなきなきにてにてにてももも、、、御覽御覽ごらんじじじはてはてはてむむんややや淺淺あさからからからぬぬぬにににはははあらあらあらむむん」」」ととと聞聞きこえええかゝづらひかゝづらひかかずらい給給たまへへえばばば定定さだめめめ兼兼かねねね給給たまへへえるるる御心御心みこころもももややや慰慰なぐさむむむととと立立たちちち出出いででで給給たまへへえりりりしししみそぎみそぎみそぎ河河がわののの荒荒あららかりらかりらかりししし瀨瀨せににに、、、いとゞいとゞいとど萬萬よろずいといといとうくうくうくおぼしおぼしおぼしいらいらいられれれたりたりたり。。。
- 4大殿大殿おおいとのにににははは御御おんものゝけものゝけもののけめきめきめきててて痛痛いたくくくわづらひわづらひわずらい給給たまへへえばばば誰誰たれももも誰誰たれもももおぼしおぼしおぼし歎歎なげくくくににに御御おんありきありきありきなどなどなどびんなきびんなきびんなき頃頃ころなれなれなればばば二條院二條院にじょういんにににももも時々時々ときどきぞぞぞわたりわたりわたり給給たまふふう。。。
- 5さささはははいへいへいえどどどやんごとなきやんごとなきやんごとなき方方かたははは殊殊ことににに思思おもひひい聞聞きこえええ給給たまへへえるるる人人ひとののの珍珍めずらしきしきしきことことことさへさへさへ添添そひひい給給たまへへえるるる御御おん惱惱なやみなれなれなればばば心苦心苦こころぐるしうしうしゅう思思おもししし歎歎なげきききててて、、、御修法御修法みずほうややや何何なにやややなどなどなど、、、我我わががが御方御方かたにてにてにて多多おおくくく行行おこなははわせせせ給給たまふふう。。。
- 6ものゝけものゝけもののけ、、、などなどなどいふいふいうものものもの多多おおくくく出出いででで來來きてててさまざまさまざまさまざまののの名名なのりのりのりするするする中中なかににに、、、人人ひとににに更更さらにににうつらうつらうつらずずず唯唯ただ自自みずからららののの御身御身おおんみにににつとつとつと添添そひひいたるたるたるさまさまさまにてにてにて殊殊ことにににおどろおどろしうおどろおどろしうおどろおどろしゅう煩煩わずらはしはしわし聞聞きこゆるゆるゆる事事こともももなけれなけれなけれどどど、、、またまたまた片時片時かたとき離離はなるゝるゝるる折折おりもももなきなきなきものものものひとつひとつひとつありありあり。。。
- 7いみじきいみじきいみじきどもどもどもにににももも從從したがははわずずずしうねきしうねきしゅうねき氣色氣色けしきおぼろけおぼろけおぼろけののの物物ものにににあらあらあらずずずととと見見みえええたりたりたり。。。
- 8大將大將だいしょうののの君君きみののの御御おんかよひかよひかよい所所どころこゝかしここゝかしこここかしことととおぼしおぼしおぼしあつるあつるあつるににに、、、「「「このこのこの御御おんやすやすやす所所どころ二條二條にじょうののの君君きみなどなどなどばかりばかりばかりこそこそこそはははおしおしおしなべなべなべてててのののさまさまさまにににははは思思おもしししたらたらたらざざざめれめれめればばば、、、恨恨うらみののの心心こころももも深深ふかからからからめめめ」」」とととさゝめきさゝめきささめきててて物物ものなどなどなど問問とはははせせせ給給たまへへえどどどさしてさしてさして聞聞きこえええあつるあつるあつることことこともももなしなしなし。。。
- 9ものゝけものゝけもののけとととてててもももわざとわざとわざと深深ふかききき御御おんかたきかたきかたきととと聞聞きこゆるゆるゆるもももなしなしなし。。。すぎすぎすぎにににけるけるける御御おんめのとめのとめのとだつだつだつ人人ひと、、、もしはもしはもしは親親おやののの御方御方かたにににつけつけつけつゝつゝつつ傳傳つたはりはりわりたるたるたるものゝものゝものの、、、よわめよわめよわめににに出出いででで來來きたるたるたるなどなどなどむねむねしからむねむねしからむねむねしからずずず亂亂みだれれれ顯顯あらはるゝはるゝわるる。。。
- 10唯唯ただつくづくつくづくつくづくとととねねねをををのみのみのみ泣泣なききき給給たまひひいててて折々折々おりおりははは胸胸むねをををせきせきせきあげあげあげつゝつゝつついみじういみじういみじゅう堪堪たへへえ難難がたげげげににに惑惑まどふふうわざわざわざをををししし給給たまへへえばばばいかにいかにいかに坐坐おわすすすべきべきべきにににかかかとととゆゝしうゆゝしうゆゆしゅう悲悲かなしうしうしゅうおぼしおぼしおぼしあわてあわてあわてけりけりけり。。。
- 11院院いんよりよりよりももも御御おんとぶらひとぶらひとぶらいひまひまひまなくなくなく御御おん祈祈いのりのののことことことまでまでまでおぼしおぼしおぼしよらよらよらせせせ給給たまふふうさまさまさまのののかたじけなきかたじけなきかたじけなきにににつけつけつけてててももも、、、いとゞいとゞいとど惜惜おしげしげしげなるなるなる人人ひとののの御身御身おおんみなりなりなり。。。世世よののの中中なか普普あまねくくく惜惜おしみみみ聞聞きこゆるゆるゆるををを聞聞きききき給給たまふふうにににももも御御おんやすやすやす所所どころはははたゞたゞただならならならずずずおぼさるおぼさるおぼさる。。。
- 12年頃年頃としごろはははいといといとかくかくかくしもしもしもあらあらあらざりざりざりししし御御おん挑挑いどみみみ心心こころををを、、、はかなかりはかなかりはかなかりししし所所ところののの車車くるま爭爭あらそひひいににに人人ひとののの御心御心みこころののの動動うごきききにににけるけるけるををを、、、かのかのかの殿殿とのにににはははさまさまさまでででももも思思おもしししよらよらよらざりざりざりけりけりけり。。。
- 13かゝるかゝるかかる御御おん物思物思ものおもひひいののの亂亂みだれれれににに御御おん心地心地ここち猶猶なお例例れいならならならずずずのみのみのみおぼさるれおぼさるれおぼさるればばば、、、ほかほかほかにににわたりわたりわたり給給たまひひいててて御修法御修法みずほうなどなどなどせせせさせさせさせ給給たまふふう。。。大將殿大將殿だいしょうどの聞聞きききき給給たまひひいててていかなるいかなるいかなる御御おん心心こころちちちにににかかかととといとほしういとほしういとおしゅうおぼしおぼしおぼし起起おこしししてててわたりわたりわたり給給たまへへえりりり。。。
- 14例例れいならならならぬぬぬたびたびたび所所どころなれなれなればばばいたういたういとう忍忍しのびびび給給たまふふう。。。心心こころよりよりより外外ほかなるなるなるをこたりをこたりおこたりなどなどなど、、、罪罪つみゆるさゆるさゆるされれれぬぬぬべくべくべく聞聞きこえええ續續つづけけけ給給たまひひいててて惱惱なやみみみ給給たまふふう人人ひとののの御御おん有樣有樣ありさまもももうれへうれへうれえ聞聞きこえええ給給たまふふう。。。
- 15「「「自自みずからららはははさしもさしもさしも思思おもひひい入入いれれれ侍侍はべらららねねねどどど親親おやたちたちたちのののいといといとことごとしうことごとしうことごとしゅう思思おもひひい惑惑まどははわるゝるゝるるががが心苦心苦こころぐるしさしさしさにににかゝるかゝるかかる程程ほどををを見見み過過すぐさぐさぐさむむんとととてててなむなむなん。。。萬萬よろずをををおぼしおぼしおぼしのどめのどめのどめたるたるたる御心御心みこころならならならばばばいといといと嬉嬉うれしうしうしゅうなむなむなん」」」などなどなど語語かたらひらひらい聞聞きこえええ給給たまふふう。。。
- 16常常つねよりよりよりももも心心こころ苦苦ぐるしげしげしげなるなるなる御御おん氣色氣色けしきをををことわりことわりことわりににに哀哀あわれととと見見み奉奉たてまつりりり給給たまふふう。。。うちうちうちとけとけとけぬぬぬ朝朝あさぼらけぼらけぼらけににに出出いででで給給たまふふう御御おんさまさまさまのののをかしきをかしきおかしきにににももも猶猶なおふりふりふり離離はなれれれなななむむんとととはははおぼしおぼしおぼしかへさかへさかえさるるる。。。
- 17やんごとなきやんごとなきやんごとなき方方かたにににいとゞいとゞいとど志志こころざし添添そひひい給給たまふふうべきべきべきことことことももも出出いででで來來きにににたれたれたればばば一一ひとつつつ方方かたにににおぼしおぼしおぼし靜靜しずまりまりまり給給たまひひいなななむむんををを、、、かやうかやうかようにににまちまちまち聞聞きこえええつゝつゝつつあらあらあらむむんももも、、、心心こころのみのみのみ盡盡つきききぬぬぬべきべきべきことことことなかなかなかなかなかなか物思物思ものおもひひいののの驚驚おどろかかかさささるゝるゝるる心地心地ここちししし給給たまふふうににに御御おん文文ふみばかりばかりばかりぞぞぞ暮暮くれつつつ方方かたあるあるある。。。
- 18「「「日比日比ひごろ少少すこししし怠怠おこたるるるさまさまさまなりなりなりつるつるつる心地心地ここちののの俄俄にわかにににいといといと苦苦くるしげしげしげににに侍侍はべるるるをををえええ引引ひきききよがよがよがてててなむなむなん」」」とととあるあるあるををを例例れいのののことづけことづけことづけととと見見み給給たまふふうものものものからからから、、、
- 19「「「袖袖そでぬるゝぬるゝぬるるこひぢこひぢこいじとととかつはかつはかつわ知知しりりりながらながらながらおりおりおりたつたつたつ田子田子たごのののみづからみづからみずからぞぞぞうきうきうき。。。山山やまののの井井いののの水水みずもももことわりことわりことわりににに」」」とととぞぞぞあるあるある。。。
- 20御手御手てははは猶猶なおこゝらこゝらここらののの人人ひとののの中中なかににに勝勝すぐれれれたりたりたりかしかしかしとととうちうちうち見見み給給たまひひいつゝつゝつつ如何如何いかにににぞぞぞやややもももあるあるある世世よかなかなかな。。。心心こころもももかたちかたちかたちもももとりどりとりどりとりどりににに捨捨すつつつべきべきべきもももなくなくなくまたまたまた思思おもひひい定定さだむむむべきべきべきもももなきなきなきををを、、、苦苦くるしうしうしゅうおぼさるおぼさるおぼさる。。。
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現代語訳
御息所は、思い乱れなさることが、これまでの年月よりも多く加わった。源氏をつれない人と思い切っていらっしゃるが、今はもうこれまでと源氏を振り捨てて伊勢へ下ってしまわれるのは、たいそう心細いに違いなく、世間の評判でも物笑いになるだろうとお思いになる。
そうかといって、都にとどまろうとお思いになるにつけては、このようにこの上なくさげすまれた様子で、皆が見下すに違いないのも心穏やかでなく、「釣りする海人のうきなれや」(心が定まらない浮きのようだ)と、寝ても覚めても思い悩みなさるせいか、ご気分も上の空のようにお感じになって、病気がちでいらっしゃる。
大将殿(源氏)は、「伊勢へ下りなさるなど、とんでもないことです」などと、お引き止め申し上げることもなさらず、「人数にも入らない私を、見るのもいやだと捨てておしまいになるのももっともですが、今はやはり、つまらない私でも、最後まで見届けてくださるのが、浅くないお気持ちというものでしょう」と、まつわりつくように申し上げなさるので、決めかねていらっしゃるお心も慰められるかと出かけなさった御禊の河の荒々しい瀬(車争い)で、いっそう何もかもがたいそうつらく思い知らされなさった。
左大臣家では、葵の上が物の怪にとりつかれた様子で、ひどく患っていらっしゃるので、誰もが嘆いていらっしゃるうえ、源氏も外出などは不都合な時期なので、二条院にも時々しかお帰りにならない。何といっても、大切な正妻としては格別に思い申し上げていらっしゃる人が、懐妊という珍しいことまで加わってのご病気なので、心苦しくお嘆きになって、御修法や何やかやと、ご自分のお部屋で多くおさせになる。
物の怪や生霊などというものが多く現れて、さまざまに名のる中に、よりましにはまったく移らず、ただ葵の上ご自身にぴったりと寄り添っている様子で、特にひどくお苦しめ申し上げることもないが、また片時も離れる時のない物の怪が一つある。すぐれた験者たちにも従わず、しつこい様子は、並大抵の物ではないと見えた。
大将の君の通い所をあれこれと思い当たってみると、「あの御息所や二条の君(紫の君)などだけは、並一通りの扱いとはお思いでないようだから、恨みの心も深いだろう」とささやいて、占いなどをおさせになるが、はっきりと言い当てることもない。物の怪といっても、特に深い敵だと申し上げるものもない。亡くなった乳母めいた人や、あるいは親の家系に代々とりついているものが、弱り目に現れたのなどが、とりとめもなく乱れ出てくる。
葵の上はただひたすら声をあげてお泣きになって、時々は胸をせき上げながら、ひどく耐えがたそうに苦しまれるので、どうおなりになるのだろうかと、不吉で悲しく、皆があわてていらっしゃった。院からもお見舞いがひっきりなしにあって、ご祈祷のことまで気を配っていらっしゃる様子がもったいないにつけても、いっそう惜しまれる葵の上のお身の上である。
世の中の人が皆惜しみ申し上げるのをお聞きになるにつけても、御息所は穏やかでなくお思いになる。長年は、これほどではなかった張り合う心を、ちょっとした場所の車争いで、御息所のお心が乱れてしまったのを、左大臣家では、そこまでは思いもよらなかった。
こうした物思いの乱れで、ご気分がやはりすぐれないばかりにお感じになるので、御息所はよそへお移りになって、御修法などをおさせになる。大将殿はお聞きになって、どんなご容態なのかと気の毒に思い立って、お訪ねになった。いつもと違う仮住まいなので、たいそう人目を忍んでいらっしゃる。心ならずもご無沙汰したことなどを、許してもらえるように申し上げ続けなさって、病んでいる葵の上のご様子もこぼしなさる。
「私自身はそれほど心配しておりませんが、親たちがひどく大げさに思い惑っていらっしゃるのが気の毒で、こうした時期が過ぎるまでは見届けようと思いまして。何事も大目に見てくださるお心ならば、たいそううれしいのですが」などとお話し申し上げなさる。いつもより苦しそうなご様子を、もっともなことだと、しみじみ拝見なさる。打ち解けないまま明け方にお帰りになる源氏のお姿の美しさにも、御息所は、やはり振り捨てて伊勢へ下るのは考え直しなさる。
大切な正妻の方に、いっそう愛情が加わりそうな出来事(出産)もあったのだから、源氏はそちら一つに落ち着いておしまいになるだろうに、このようにお待ち申し上げているのも、心がすり減るばかりだと、かえって物思いが呼び覚まされるお気持ちでいらっしゃると、お手紙だけが夕方に来る。
「この数日、少しよくなっていた病人の具合が、急にひどく苦しそうになりまして、ほうっておくこともできませんので」とあるのを、いつもの言い訳とご覧になるものの、「袖が濡れる恋路(泥田)と知りながら、そこに下り立つ農夫のように、恋に深入りしてしまうわが身がつらいことです。山の井の水も(浅いとは)もっともなことで」と書いてある。
筆跡はやはり大勢の女性の中でもすぐれているなあとご覧になりながら、どうもままならない世の中だなあ、心も容貌もそれぞれに捨てがたく、かといって一人に決めることもできないのを、苦しくお思いになる。ご返事は、すっかり暗くなってしまったが、「袖だけが濡れるとはどういうことでしょう。お気持ちが深くないからでしょう。あなたは浅いところに下り立っているのでしょうか。私の方は、全身ずぶ濡れになるほど深い恋路にいるのに。並大抵のことでは(伺わないのではありません)。このご返事を直接申し上げないとは」などと書いてある。
意訳
車争いの後、御息所は伊勢へ下るか都にとどまるかで揺れ動き、病みがちになる。一方、懐妊中の葵の上は物の怪に苦しむ。多くの物の怪が名のる中に、葵の上に取りついて離れない正体不明の霊がある。
人々は、御息所か紫の君の恨みではないかとささやく。御息所は、葵の上が世間から惜しまれるのを聞いて、心穏やかでない。
源氏は御息所を見舞うが、葵の上を案じてすぐに帰り、あとは文ばかりである。御息所は、恋路に深入りした自分を嘆く歌を送る。
語釈・文法注
- 釣する海士のうけなれや
- 「伊勢の海に釣する海人のうけなれや心ひとつを定めかねつる」(古今集・恋一)による。釣り糸の浮き(うけ)のように心が定まらない、という意。伊勢へ下るかどうか迷う御息所の心にふさわしい引歌である。
- いきすだま
- 生霊(いきすだま)。生きている人の魂が体から抜け出して、他人に取りついたもの。
- げんざ
- 験者(げんざ)。加持祈祷によって物の怪を退散させる僧や修験者。
文法
- 推量の「べかめる」(思ひくたすべかめる)
- 「べかるめる」の撥音便「べかんめる」の撥音の無表記。「見下すに違いないようだ」。
- 反語の「おぼろけにてや」
- 「並大抵の気持ちでしょうか、いや、そうではない」。
和歌
袖ぬるゝこひぢとかつは知りながらおりたつ田子のみづからぞうき
- 詠者
- 六条御息所
- 状況
- 見舞いの後、文だけを寄こす源氏に、御息所が送った歌。袖が濡れる恋路(泥田)と知りながら、そこに下り立つ農夫のように、恋に深入りしてしまうわが身がつらいことです。
修辞
- 掛詞
- 「こひぢ」に「恋路」と「泥(こひぢ)」、「みづから」に「水」と「自ら」をかける。
- 引歌
- 歌の後の「山の井の水も」は、「くやしくぞ汲みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水」(古今六帖)による。
あさみにや人はおりたつ我がかたは身もそぼつまで深きこひぢを
- 詠者
- 光源氏
- 状況
- 御息所への返歌。あなたは浅いところに下り立っているのでしょうか。私の方は、全身ずぶ濡れになるほど深い恋路にいるのに。
修辞
- 掛詞
- 「こひぢ」に「恋路」と「泥」をかけ、御息所の歌の比喩をそのまま受けて返す。
解説
葵の上に取りついて離れない「ものひとつ」の正体は、まだ明かされない。しかし読者には、車争いで辱められた御息所の霊であることが暗示されている。物語は、御息所自身もそれに気づいていくさまを、次の場面で描く。
御息所と源氏の「こひぢ」の歌の贈答は、表面は機知に富んでいるが、すれ違う二人の心を映している。源氏は、葵の上と御息所の間で揺れ動き、「捨つべきもなく、また思ひ定むべきもなき」と苦しむ。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、168–171頁(コマ86–87)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日