源氏物語 第7帖 紅葉賀(2)
朱雀院の行幸
朱雀院への行幸の日、紅葉の下で四十人の楽人が奏でる中、源氏は再び青海波を舞う。散りかかる紅葉と時雨の中で舞う源氏の姿は、この世のものとは思えないほどだった。源氏は正三位に昇進する。その頃、藤壺は里に下がり、源氏は会う機会をうかがう。葵の上は、源氏が二条院に女を迎えたと聞いて不快に思う。

- 1行幸行幸ぎょうこうにににはははみこみこみこたちたちたちなどなどなど世世よににに殘殘のこるるる人人ひとなくなくなく仕仕つこうううまつりまつりまつり給給たまへへえりりり。。。春宮春宮とうぐうもももおはしますおはしますおわします。。。例例れいののの樂樂がくののの船船ふねどもどもども漕漕こぎぎぎ廻廻めぐりりりててて唐土唐土もろこし高麗高麗こまとととつくしつくしつくしたるたるたる舞舞まいどもどもどもくさくさくさおほかりおほかりおおかり。。。樂樂がくののの聲聲こえつゞみつゞみつづみののの音音おと世世よをををひゞかすひゞかすひびかす。。。
- 2一日一日ひとひののの源氏源氏げんじののの御御おん夕影夕影ゆうかげゆゝしうゆゝしうゆゆしゅうおぼさおぼさおぼされれれててて、、、みずみずみず經經きょうなどなどなど所々所々ところどころにににせせせさせさせさせ給給たまふふうをををことわりことわりことわりとととあはれがりあはれがりあわれがり聞聞きこゆるゆるゆるににに、、、春宮春宮とうぐうののの女御女御にょうごはははあながちあながちあながちなりなりなりととと憎憎にくみみみ聞聞きこえええ給給たまふふう。。。
- 3などなどなど、、、殿上人殿上人てんじょうびとももも心心こころ殊殊ことなりなりなりととと世世よののの人人ひとににに思思おもははわれれれたるたるたるいうそくいうそくいうそくののの限限かぎりりり整整ととのへへへさせさせさせ給給たまへへえりりり。。。宰相宰相さいしょう二人二人ふたり、、、左衛門督左衛門督さえもんのかみ、、、右衛門督右衛門督うえもんのかみ、、、左右左右さゆうののの樂樂がくののの事事ことををを行行おこなふふう。。。
- 4舞舞まいののの師師しどもどもどもなどなどなど世世よににになべてなべてなべてならならならぬぬぬをををとりとりとりつゝつゝつつ、、、おのおのおのおのおのおの籠籠こもりりり居居いてててなむなむなん習習ならひひいけるけるける。。。
- 5こだかきこだかきこだかき紅葉紅葉もみじのののかげかげかげににに四十人四十人しじゅうにんのののかいしろかいしろかいしろ、、、いひいひいいしらしらしらずずず吹吹ふききき立立たてててたるたるたる物物もののののねねねどもどもどもにににあひあひあいたるたるたる松風松風まつかぜまことまことまことのののみみみ山山やまおろしおろしおろしととと聞聞きこえええててて、、、吹吹ふきききまよひまよひまよいいろいろいろいろいろいろににに散散ちりりりかふかふかう木木こののの葉葉はののの中中なかよりよりより、、、靑海波靑海波せいがいはののの輝輝かかやききき出出いでででたるたるたるさまさまさま、、、いといといと恐恐おそろしきしきしきまでまでまで見見みゆゆゆ。。。
- 6かざしかざしかざしののの紅葉紅葉もみじいたういたういとう散散ちりりりすきすきすきててて顏顏かおのののにほひにほひにおいにににけおさけおさけおされれれたるたるたる心地心地ここちすれすれすればばば、、、おまへおまへおまえなるなるなる菊菊きくををを折折おりりりててて左大將左大將さだいしょうさしさしさしかへかへかえ給給たまふふう。。。
- 7日日ひ暮暮くれれれかゝるかゝるかかるほどほどほどににに氣色氣色けしきばかりばかりばかりうちうちうちしぐれしぐれしぐれててて空空そらののの氣色氣色けしきさへさへさへ見見み知知しりりりがほがほがおなるなるなるににに、、、さるさるさるいみじきいみじきいみじき姿姿すがたににに菊菊きくのののいろいろいろいろいろいろうつろひうつろひうつろいえならえならえならぬぬぬをををかざしかざしかざしててて、、、今日今日きょうはははまたまたまたなきなきなき手手てををを盡盡つくしししたるたるたるのののほどほどほどそゞろそゞろそぞろ寒寒さむくくくこのこのこの世世よののの事事ことともともとも覺覺おぼえええずずず。。。
- 8物物もの見見み知知しるるるまじきまじきまじきしもしもしも人人びとなどなどなどのののこのこのこのもともともと岩岩いわがくれがくれがくれ山山やまののの木木こののの葉葉はにににうづもれうづもれうずもれたるたるたるさへさへさへ少少すこししし物物ものののの心心こころ知知しるるるははは淚淚なみだ落落おとしししけりけりけり。。。
- 9しようきやうしようきやうしょうきょうののの御御おん腹腹はらののの四四しのののみみみ子子こまだまだまだわらはわらはわらわにてにてにて秋風樂秋風樂しゅうふうらく舞舞まひひい給給たまへへえるるるなむなむなんさしつぎさしつぎさしつぎののの見物見物みものなりなりなりけるけるける。。。これらこれらこれらにににおもしろさおもしろさおもしろさののの盡盡つきききにににけれけれければばば異事異事ことごとににに目目めもももうつらうつらうつらずずず、、、かへりかへりかえりてててはははことざましことざましことざましにににやややありありありけむけむけん。。。
- 10そのそのその夜夜よ源氏源氏げんじののの中將中將ちゅうじょう正三位正三位じょうさんみししし給給たまふふう。。。頭中將頭中將とうのちゅうじょうののの加階加階かかいししし給給たまふふう。。。上達部上達部かんだちめははは皆皆みなさるべきさるべきさるべき限限かぎりのののよろこびよろこびよろこびししし給給たまふふうもももこのこのこの君君きみににに引引ひかかかれれれ給給たまへへえるるるなれなれなればばば、、、人人ひとののの目目めをををももも驚驚おどろかしかしかし心心こころをををももも悅悅よろこばばばせせせ給給たまふふう。。。昔昔むかしののの世世よゆかしげゆかしげゆかしげなりなりなり。。。
- 11宮宮みやはははそのそのその頃頃ころまかでまかでまかで給給たまひひいぬれぬれぬればばば例例れいのののひまひまひまもももやややととと窺窺うかがひひいありきありきありき給給たまふふうををを事事ことにてにてにておほいおほいおおい殿殿どのにににはははさわがさわがさわがれれれ給給たまふふう。。。
- 12いとゞいとゞいとどかのかのかの若草若草わかくさ尋尋たずねねね取取とりりり給給たまひひいてててしししををを、、、「「「二條院二條院にじょうのいんにににははは人人ひと迎迎むかへへえ給給たまへへえりりり」」」ととと人人ひとののの聞聞きこえええけれけれければばば、、、いといといと心心こころづきなしづきなしづきなしとととおぼいおぼいおぼいたりたりたり。。。
- 13「「「うちうちうちうちうちうちののの有樣有樣ありさまははは知知しりりり給給たまははわずずずさささもももおぼさおぼさおぼさむむんはははことわりことわりことわりなれなれなれどどど、、、心心こころうつくしううつくしううつくしゅう例例れいののの人人ひとのののやうやうようににに怨怨うらみみみのたまはのたまはのたまわゞゞば我我わもももうらなくうらなくうらなくうちうちうち語語かたりりりててて慰慰なぐさめめめ聞聞きこえええてててむむんものものものををを、、、思思おもははわずずずにににのみのみのみとりとりとりないないない給給たまふふうみみみ心心こころづきなきづきなきづきなきににに、、、さささもももあるあるあるまじきまじきまじきすさびすさびすさび事事ごとももも出出いででで來來きるるるぞぞぞかしかしかし、、、
- 14人人ひとののの御御おん有樣有樣ありさまのののかたほかたほかたほにににそのそのその事事ことののの飽飽あかかかぬぬぬとととおぼゆるおぼゆるおぼゆる疵疵きずもももなしなしなし、、、人人ひとよりよりよりさきさきさきににに見見みそめそめそめてててしかしかしかばばばあはれあはれあわれにににやんごとなきやんごとなきやんごとなきかたかたかたににに思思おもひひい聞聞きこゆるゆるゆる心心こころをををももも知知しりりり給給たまははわぬぬぬ程程ほどこそこそこそあらあらあらめめめ、、、遂遂ついにににはははおぼしおぼしおぼし直直なおささされれれなななむむんととと、、、おだしくおだしくおだしくかるがるしからかるがるしからかるがるしからぬぬぬみみみ心心こころののの程程ほどもももおのづからおのづからおのずからとととたのまたのまたのまるゝるゝるる方方かたははは異異ことなりなりなりけりけりけり。。。
現代語訳
行幸の日には、親王たちなど、世に残る人もなくお供をなさった。春宮もおいでになる。例によって楽を奏でる船が池を漕ぎめぐって、唐楽や高麗楽と、さまざまな舞の種類が多い。楽の声や鼓の音が世の中に響きわたる。帝は、先日の源氏の夕映えの姿を不吉なほどにお思いになって、誦経などをあちこちの寺でおさせになるのを、人々はもっともなことと、しみじみ申し上げているが、春宮の母女御は、度がすぎていると憎らしくお思い申し上げなさる。
垣代など、殿上人も地下人も、格別にすぐれていると世間に思われている名手ばかりをおそろえになった。宰相二人と左衛門督、右衛門督が、左右の楽のことを指揮する。舞の師なども世に並々でない者を選んで、それぞれ籠もって練習したのだった。
高くそびえる紅葉の陰で、四十人の垣代が、言いようもなく見事に吹き立てる楽の音に調子を合わせた松風が、本当の深山おろしのように聞こえて、吹き乱れて色とりどりに散り交う木の葉の中から、青海波の舞人が輝き出た様子は、恐ろしいほど美しく見える。
かざしの紅葉がひどく散って薄くなり、源氏の顔の美しさに気おされたような気がするので、御前の菊を折って、左大将がさし替えなさる。日の暮れかかるころに、ほんの少し時雨が降って、空の様子まで、わかっているような顔つきなので、そのすばらしいお姿に、色とりどりに色の移った菊のえも言われぬ美しさをかざして、今日はまたとない秘術を尽くした入綾のあたりは、ぞっとするほどで、この世のこととも思われない。
物の情趣もわかりそうにない身分の低い者たちで、木の下や岩陰、山の木の葉に埋もれるようにして見ている者でさえ、少し物の心がわかる者は涙を落とした。承香殿女御のお腹の第四皇子が、まだ童の姿で秋風楽をお舞いになったのが、源氏に次ぐ見ものだった。これらで興趣が尽きてしまったので、ほかのものには目も移らず、かえって興ざめだったのではないだろうか。
その夜、源氏の中将は正三位におなりになる。頭中将は正四位下に昇進なさる。上達部はみな、しかるべき人はそれぞれ昇進のお祝いをなさるが、それもこの源氏の君に引かれてのことなので、人の目をも驚かせ、心をも喜ばせなさる。前世の縁が知りたくなるほどである。
藤壺の宮は、そのころ里へ退出なさったので、源氏はいつものように、すきがあろうかとうかがい歩きなさるのに忙しく、左大臣家では恨み言を言われなさる。そのうえ、あの若草(紫の君)を探し出して引き取りなさったのを、「二条院では女をお迎えになったそうです」と人が申し上げたので、葵の上はたいそう不愉快にお思いになっている。
源氏は、内々の事情はご存じなくて、そうお思いになるのはもっともだが、素直に普通の人のように恨みを言ってくだされば、自分も隠しだてなく話してお慰め申し上げるのに、思いもかけないように、ばかりお取りになるのが気に入らないので、自分も、してはならない気まぐれも起こってくるのだ、あの人のご様子には、不十分なところや、その点が物足りないと思われる欠点もない、誰よりも先に結婚したのだから、しみじみと大切な方として思い申し上げている私の心をご存じないうちはしかたがないが、最後には考え直してくださるだろうと、落ち着いた、軽々しくないお心のほどを、自然と信頼できる点では、やはり格別なのだった。
意訳
朱雀院への行幸で、源氏は紅葉と時雨の中、菊をかざして青海波を舞う。その姿は、身分の低い者たちまで涙を流すほどだった。
源氏は正三位に昇進する。一方、藤壺は里に下がり、源氏はまた会う機会をうかがう。葵の上は、源氏が二条院に女を迎えたと聞いて不快に思う。源氏は、葵の上がいずれわかってくれるだろうと、その落ち着いた人柄を信頼してもいる。
語釈・文法注
- かいしろ
- 垣代(かいしろ)。舞楽で、舞人の後ろに垣のように並んで楽を奏でる人々。
- ぢげ
- 地下(じげ)。殿上に昇ることを許されていない身分の官人。
- 入綾
- 舞い終わって退場するときに、もう一度舞いながら引き返す所作。舞の見せ場の一つ。
- しようきやう殿
- 承香殿(しょうきょうでん)の女御。桐壺帝の女御の一人。
- じやうげ
- 正下(しょうげ)。正四位下。
文法
- 過去推量の「けむ」(ことざましにやありけむ)
- 語り手が「…興ざめだったのではないだろうか」と推し量る。
- 強意+推量の「てむ」(慰め聞えてむ)
- 「きっとお慰め申し上げるだろうに」。
解説
朱雀院の行幸の場面は、紅葉賀という巻名の由来である。紅葉の下、時雨の中で青海波を舞う源氏の姿は、王朝の美の極致として描かれている。
華やかな行幸の場面に続いて、葵の上との関係が描かれる。源氏は葵の上の冷たさを恨みながらも、その誠実な人柄を信頼しており、二人の関係は単純なものではない。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、138–141頁(コマ71–72)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日