源氏物語 第4帖 夕顔(11)
源氏の病
二条院に帰った源氏は重い病に伏し、帝をはじめ世の人々が心配して、祈祷や修法が絶えず行われる。源氏は右近を呼び寄せてそばに仕えさせ、自分も長くは生きられないだろうと泣く。二十日あまり患った後、九月二十日ごろにようやく回復するが、面やつれして、物思いに沈みがちである。

- 1誠誠まことににに臥臥ふししし給給たまひひいぬるぬるぬるまゝまゝままにににいといといといたくいたくいたく苦苦くるしがりしがりしがり給給たまひひいててて、、、二三日二三日ふつかみかににになりなりなりぬるぬるぬるにににむげにむげにむげに弱弱よわるるるやうやうようにににししし給給たまふふう。。。うちうちうちにににももも聞聞きこしししめしめしめし歎歎なげくくく事事ことかぎりかぎりかぎりなしなしなし。。。
- 2御御おんいのりいのりいのりかたかたかたかたかたかたににに隙隙ひまなくなくなくのゝじるのゝじるののじる。。。まつりまつりまつりはらへはらへはらえずほふずほふずほうなどなどなど、、、言言いひひい盡盡つくすすすべくべくべくもももあらあらあらずずず。。。
- 3世世よににに類類たぐいなくなくなくゆゝしきゆゝしきゆゆしき御御おん有樣有樣ありさまなれなれなればばば「「「世世よににに長長ながくくくおはしますおはしますおわしますまじきまじきまじきにににややや」」」ととと、、、天天あめののの下下したののの人人ひとのののさわぎさわぎさわぎなりなりなり。。。
- 4苦苦くるしきしきしき御御おん心地心地ここちにににもももかのかのかの右近右近うこんををを召召めししし寄寄よせせせててて局局つぼねなどなどなど近近ちかくくく給給たまはりはりわりててて侍侍さぶらははわせせせ給給たまふふう。。。
- 5惟光惟光これみつ心地心地ここちももも騷騷さわぎぎぎ惑惑まどへへえどどど、、、思思おもひひいのどめのどめのどめてててこのこのこの人人ひとのののたづきたづきたずきなしなしなしととと思思おもひひいたるたるたるをををもてなしもてなしもてなし助助たすけけけつゝつゝつつ侍侍さぶらははわすすす。。。
- 6君君きみははは聊聊いささかひまひまひまありありありててておぼさおぼさおぼさるゝるゝるる時時ときははは、、、召召めししし出出いでゝでゝでて使使つかひひいなどなどなどししし給給たまへへえばばば程程ほどなくなくなく交交まじらひらひらいつきつきつきたりたりたり。。。
- 7いといといと黑黑くろうううしししてててかたちかたちかたちなどなどなどよからよからよからねねねどどど、、、かたはかたはかたわににに見見み苦苦ぐるしからしからしからぬぬぬわかうどわかうどわこうどなりなりなり。。。
- 8「「「あやしうあやしうあやしゅう短短みじかかりかりかりけるけるける御御おん契契ちぎりにににひかさひかさひかされれれててて我我わももも世世よにににえええあるあるあるまじきまじきまじきなななめりめりめり。。。年比年比としごろのののたのみたのみたのみ失失うしなひひいててて心心こころぼそくぼそくぼそく思思おもふふうらむらむらん慰慰なぐさめめめにににももも、、、若若もしししながらへながらへながらへばばば萬萬よろずにににはぐゝまはぐゝまはぐくまむむんとととこそこそこそ思思おもひひいしかしかしか。。。
- 9程程ほどもももなくなくなく又又また立立たちちちそひそひそいぬぬぬべきべきべきがががくちくちくち惜惜おしくしくしくもももあるあるあるべきべきべきかなかなかな」」」とととしのびやかしのびやかしのびやかにににののの給給のたまひひいてててよわげよわげよわげににに泣泣なききき給給たまへへえばばば、、、いふいふいうがががひひひなきなきなき事事ことをををばばばおきおきおきててていみじういみじういみじゅう惜惜おしししととと思思おもひひいきこゆきこゆきこゆ。。。
- 10殿殿とのののの內內うちののの人人ひと、、、足足あしををを空空そらにてにてにて思思おもひひい惑惑まどふふう。。。うちうちうちよりよりより御御おん使使つかい雨雨あめののの脚脚あしよりよりよりもももけにけにけにしげししげししげし。。。覺覺おぼししし歎歎なげきききおはしますおはしますおわしますををを聞聞きききき給給たまふふうにににいといといとかたじけなくかたじけなくかたじけなくてててせめてせめてせめて强强つよくくく覺覺おぼしししなるなるなる。。。
- 11大殿大殿おおとのもももいみじくいみじくいみじくけいめいけいめいけいめいししし給給たまひひいててて日々日々ひびにににわたりわたりわたり給給たまひひいつゝつゝつつさまざまさまざまさまざまののの事事ことをををせせせさせさせさせたまふたまふたまうしるししるししるしにににややや、、、廿廿はつかよよよ日日ひいといといとおもくおもくおもくわづらひわづらひわずらい給給たまへへえれれれどどど異異ことなるなるなる名殘名殘なごりのこらのこらのこらずずずをこたりをこたりおこたりざまざまざまににに見見みえええ給給たまふふう。。。
- 12けがらひけがらひけがらい忌忌いみみみ給給たまひひいしししもももひとつひとつひとつににに滿滿みちちちぬるぬるぬるよよよなれなれなればばば覺束覺束おぼつかながらながらながらせせせ給給たまふふう。。。御心御心みこころわりなくわりなくわりなくてててうちうちうちののの御御おんとのゐどころとのゐどころとのいどころににに參參まいりりり給給たまひひいなどなどなどすすす。。。
- 13大大おおとのとのとの我我わががが御御おん車車くるまにてにてにて迎迎むかへへえ奉奉たてまつりりり給給たまひひいててて、、、御御おん物忌物忌ものいみなにやかやなにやかやなにやかやとととむつかしうむつかしうむつかしゅう愼愼つつしままませせせ奉奉たてまつりりり給給たまふふう。。。我我わにににもももあらあらあらずずずあらあらあらぬぬぬ世世よににに歸歸かえりりりたるたるたるやうやうようにににしばししばししばしははは覺覺おぼえええ給給たまふふう。。。
- 14ながつきながつきながつき廿日廿日はつかのののほどほどほどにににぞぞぞをこたりをこたりおこたりはてはてはて給給たまひひいててて、、、いといといと痛痛いとうううおもおもおも痩痩やせせせ給給たまへへえれれれどどどなかなかなかなかなかなかいみじういみじういみじゅうなまめかしうなまめかしうなまめかしゅうててて、、、詠詠ながめめめがちがちがちにににねねねをををのみのみのみ泣泣なききき給給たまふふう。。。見見み奉奉たてまつりりり咎咎とがむるむるむる人人ひともももありありありててて「「「御御おんものものものゝゝのけけけなななめりめりめり」」」などなどなどいふいふいうもももありありあり。。。
現代語訳
本当にそのまま寝ついてしまわれて、たいそうひどくお苦しみになって、二、三日たつと、すっかり衰弱したようなご様子になる。帝もお聞きになってお嘆きになることは限りがない。ご祈祷があちらこちらで、絶え間なく大騒ぎで行われる。祭り、祓え、修法など、言い尽くすこともできない。
世にたぐいなく、不吉なほど美しいご様子なので、「この世に長くはいらっしゃらないのではないか」と、天下の人々の騒ぎである。苦しいご気分の中でも、源氏はあの右近を呼び寄せて、部屋なども近くにお与えになってお仕えさせなさる。
惟光は気持ちも動転して取り乱しているが、心を落ち着けて、この右近が頼るところもないと思っているのを、世話をし助けながらお仕えさせる。源氏は、少し気分のよい時は、右近を呼び出して用事を言いつけたりなさるので、右近はほどなく邸の人々に溶けこんだ。喪服をたいそう黒く染めて、容貌などはよくないが、見苦しくはない若い女房である。
源氏は「不思議なほど短かったあの人との縁に引かれて、私もこの世に生きていられそうにないようだ。長年頼りにしていた主人を失って、心細く思っているだろうその慰めにも、もし私が生きながらえたら、何かと面倒を見ようと思っていたのに。ほどなく私もあの人の後を追ってしまいそうなのが、残念なことだ」と、ひそやかにおっしゃって、弱々しくお泣きになるので、右近は、言っても仕方のない主人のことはさておいて、源氏のことをたいそうもったいないとお思い申し上げる。
二条院の中の人々は、足も地につかないほど思い乱れている。宮中からのお使いは、雨脚よりもいっそう頻繁である。帝がお嘆きになっていらっしゃるのをお聞きになると、たいそう恐れ多くて、源氏はつとめて気を強く持とうとなさる。
左大臣も熱心にお世話をなさって、毎日お見舞いにおいでになっては、さまざまな祈祷をおさせになった効験だろうか、二十日あまり重く患っていらっしゃったが、特に後に残る名残もなく、快方に向かうようにお見えになる。穢れを慎んでいらっしゃった期間もちょうど満ちる夜なので、帝が気がかりにお思いになっている。源氏はお心がやむにやまれず、宮中の宿直所に参上なさったりする。
左大臣がご自分のお車でお迎えに参上なさって、御物忌だの何だのと、うるさいほどに慎ませ申し上げなさる。源氏は、我にもなく、別の世に生き返ったように、しばらくはお感じになる。九月二十日ごろには、すっかり回復なさって、たいそうひどく面やつれしていらっしゃるが、かえってたいそう優美で、物思いにふけりがちに、声をあげてお泣きになるばかりである。それを拝見して不審に思う人もいて、「物の怪がついているのだろう」などと言う者もいる。
意訳
夕顔を失った源氏は、二十日あまり重い病に伏す。帝をはじめ、世の人々が源氏の身を案じ、祈祷や修法が絶えず行われる。
源氏は右近を二条院に引き取り、そばに仕えさせる。右近は、夕顔のことを知る唯一の人である。源氏は、自分も夕顔の後を追うのではないかと弱気になりながら、右近の行く末を気にかけている。
九月二十日ごろ、源氏はようやく回復する。面やつれした姿は、かえって優美に見える。しかし、物思いに沈んで泣いてばかりいる源氏を見て、物の怪のせいではないかと噂する人もいる。
語釈・文法注
- ぶく
- 服(ぶく)。喪服。右近は主人の夕顔の喪に服して、濃い色の喪服を着ている。
文法
- 打消推量の「まじ」(おはしますまじきにや)
- 「…ないだろう」。下に「あらむ」などが省略されている。
- 過去の「き」の已然形「しか」(思ひしか)
- 係助詞「こそ」の結び。「こそ…しか」で、逆接の意味を含み、「思っていたのに」となる。
解説
源氏の病は、夕顔の死の衝撃によるものとして描かれる。当時は、病は物の怪のしわざと考えられることが多く、祈祷や修法が盛んに行われた。最後に「御もののけなめり」と噂する人がいるのも、そうした考え方による。
源氏が右近を二条院に引き取ったことは、のちの玉鬘の巻につながる。夕顔の遺児である玉鬘を、右近が見つけ出して源氏のもとへ導くことになる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、79–80頁(コマ41)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日