大和物語 第26章(第168段)
良少将の出家
仁明天皇に寵愛された良少将(良岑宗貞)は、帝の崩御の夜に姿を消し、出家して諸国をめぐる。初瀬寺で妻が自分のために祈る声を聞きながら名のり出られずに血の涙を流し、帝の一周忌には「苔の袂よ乾きだにせよ」の歌を届け、五条の后の使いや小野小町の問いかけからも逃れ続けた。のちの僧正遍昭と、その子の素性・由性の話。『大和物語』で最も長い段。
- 1草草くさののの帝帝みかどととと申申もうしけるしけるしける御時御時おおんとき、、、といふといふという人人ひといみじきいみじきいみじき時時ときにてありけりにてありけりにてありけり。。。いといろごのみになむありけるいといろごのみになむありけるいといろごのみになむありける。。。忍忍しのびてびてびて時々時々ときどきあひけるあひけるあいける女女おんな同同おなじうちにありけりじうちにありけりじゅうちにありけり。。。
- 2今宵今宵こよい必必かならずずず逢逢あはむとはむとわむと契契ちぎりたるりたるりたる夜夜よありけりありけりありけり。。。女女おんないたうけさうじていたうけさうじていとうけそうじて待待まつにつにつに音音おともせずもせずもせず。。。目目めをををさましてさましてさまして、、、夜夜よややや更更ふけぬらむとけぬらむとけぬらむと思思おもふふう程程ほどににに、、、時時ときまうすまうすもうす音音おとのしければのしければのしければ、、、聞聞きくにくにくに、、、みつとみつとみつと申申もうしけるしけるしけるををを聞聞ききてきてきて、、、男男おとこのもとにのもとにのもとにふとふとふと言言いひやりけるひやりけるいやりける、、、
- 3「「「人人ひと心心こころうしみつうしみつうしみつ今今いまはははたのまじよたのまじよたのまじよ」」」
- 4といひやりたりけるにといひやりたりけるにといいやりたりけるに驚驚おどろきてきてきて、、、
- 5「「「夢夢ゆめににに見見みゆやとねぞゆやとねぞゆやとねぞ過過すぎにけるぎにけるぎにける」」」
- 6とぞつけてやりけるとぞつけてやりけるとぞつけてやりける。。。暫暫しばしとしとしと思思おもひてひていてうちうちうち休休やすみけるみけるみける程程ほどににに寢寢ね過過すぎたるになむありけるぎたるになむありけるぎたるになむありける。。。かくてかくてかくて世世よにもらうあるものににもらうあるものににもろうあるものに仕仕つこうまつるうまつるうまつる。。。帝帝みかど限限かぎりなくなくなく思思おぼされてあるされてあるされてある程程ほどににに、、、このこのこの帝帝みかどうせたまふうせたまふうせたまう。。。
- 7御御おんののの夜夜よ御供御供おおんともににに皆人皆人みなひと仕仕つこうまつりけるうまつりけるうまつりける中中なかににに、、、そのそのその夜夜よよりこのよりこのよりこの良少將良少將よしのしょうしょううせにけりうせにけりうせにけり。。。友友ともだちだちだち、、、めもいかならむとてめもいかならむとてめもいかならむとて、、、暫暫しばしししはははこゝかしここゝかしこここかしこ求求もとむれどもむれどもむれども音音おと耳耳みみにもにもにも聞聞きこえずえずえず。。。
- 8法師法師ほうしにやなりにけむにやなりにけむにやなりにけむ、、、身身みをやをやをや投投なげてけむげてけむげてけむ、、、法師法師ほうしになりたらばさてなむあるともになりたらばさてなむあるともになりたらばさてなむあるとも聞聞きこえなむえなむえなむ、、、猶猶なお身身みををを投投なげたるなるべしとげたるなるべしとげたるなるべしと思思おもふにふにうに、、、世世よののの中中なかにもいみじうにもいみじうにもいみじゅう哀哀あわれがりがりがり、、、めこどもめこどもめこどもははは更更さらにもいはずにもいはずにもいわず、、、夜晝夜晝よるひるひひひをををしてせけんのしてせけんのしてせけんの神佛神佛かみほとけににに願願がんををを立立たててて惑惑まどへどへどえど音音おとにもにもにも聞聞きこえずえずえず。。。
- 9めめめははは三人三人みたりなむありけるなむありけるなむありけるををを、、、「「「よろしくよろしくよろしく思思おもひけるにひけるにいけるにははは猶猶なお世世よににに經經へじとなむじとなむじとなむ思思おもふふう」」」ととと二人二人ふたりにににはははいひけるいひけるいいける。。。限限かぎりなくなくなく思思おもひてひていて子子こどもなどあるめにどもなどあるめにどもなどあるめにははは塵塵ちりばかりもさるばかりもさるばかりもさる氣色氣色けしきももも見見みせざりけりせざりけりせざりけり。。。
- 10このこのこの事事ことをををかけてもいはゞかけてもいはゞかけてもいわば女女おんなもいみじともいみじともいみじと思思おもふべしふべしうべし、、、我我わもえかくなるまじきもえかくなるまじきもえかくなるまじき心心こころちのしければちのしければちのしければ寄寄よりだにこでりだにこでりだにこで俄俄にわかになむになむになむ失失うせにけるせにけるせにける。。。ともかくもなれともかくもなれともかくもなれ、、、かくなむかくなむかくなむ思思おもふともいはざりけるふともいはざりけるうともいわざりける事事ことののの、、、いみじきいみじきいみじき事事ことををを思思おもひてひていて泣泣なききき入入いられてられてられて、、、寺寺でらにこのめにこのめにこのめ詣詣もうでにけりでにけりでにけり。。。
- 11このこのこの少將少將しょうしょうははは法師法師ほうしになりてになりてになりて一一ひとつつつをををうちきてうちきてうちきて、、、せけんせかいせけんせかいせけんせかいををを行行おこなひありきてひありきていありきて、、、初瀨初瀨はつせのみのみのみ寺寺でらににに行行おこなふふう程程ほどになむありけるになむありけるになむありける。。。あるあるある局局つぼね近近ちこううう居居いててて行行おこなへばこのへばこのえばこの女女おんな、、、にいふやうにいふやうにいうよう「「「このこのこの人人ひとかくなりにたるかくなりにたるかくなりにたるををを、、、生生いきてきてきて世世よににに在在あるものならばるものならばるものならば今一今一いまひと度度たびあひあひあい見見みせせせ給給たまへへえ。。。身身みをををなげなげなげ死死しにたるものならばそのにたるものならばそのにたるものならばその道道みちなしなしなし給給たまへへえ。。。さてなむさてなむさてなむ死死しにたるともにたるともにたるとも、、、このこのこの人人ひとのあらむやうのあらむやうのあらむようををを夢夢ゆめにてもにてもにても現現うつつにてもにてもにても聞聞きききき見見みせせせ給給たまへへえ」」」といひてといひてといいて、、、我我わがさうぞくがさうぞくがそうぞく、、、かみしもかみしもかみしも、、、おびおびおび、、、たちまでたちまでたちまで皆皆みな。。。
- 12みづからもみづからもみずからも申申もうしもやらずしもやらずしもやらず泣泣なきけりきけりきけり。。。始始はじめははは何人何人なにびとののの詣詣もうでたるならむとでたるならむとでたるならむと聞聞きききき居居いたるにたるにたるに、、、我我わががが上上うえをををかくかくかく申申もうしつゝしつゝしつつ、、、我我わがさうぞくなどかくずきやうにするがさうぞくなどかくずきやうにするがそうぞくなどかくずきょうにするををを見見みるにるにるに、、、心心こころももも肝肝きももなくもなくもなく悲悲かなしきことしきことしきこと物物ものににに似似にずずず。。。
- 13走走はしりやりやりや出出いでなましとでなましとでなましと千千せん度度たびおもひけれどおもひけれどおもいけれど、、、思思おもひかへしひかへしいかえし思思おもひかへしひかへしいかえし居居いててて、、、よよよ一夜一夜ひとよ泣泣なききき明明あかしてあしたにしてあしたにしてあしたに見見みればればれば、、、簑簑みのももも何何なにももも淚淚なみだのかゝりたるのかゝりたるのかかりたる所所ところはははののの淚淚なみだにてなむありけるにてなむありけるにてなむありける。。。
- 14「「「いみじういみじういみじゅう泣泣なけばけばけば血血ちののの涙涙なみだといふものといふものというものはははあるあるある物物ものになむありけるになむありけるになむありける」」」とぞいひけるとぞいひけるとぞいいける。。。「「「そのそのそのをををりなむりなむりなむ走走はしりもりもりも出出いでぬべきでぬべきでぬべき心心こころちせしちせしちせし」」」とぞとぞとぞ後後のちににに言言いひけるひけるいける。。。
- 15かゝれどかゝれどかかれど猶猶なおえええ聞聞きかずかずかず。。。はははてになりててになりててになりて御御おんぶくぬぎにぶくぬぎにぶくぬぎに萬萬よろずののの殿上人殿上人てんじょうびと河原河原かわらににに出出いでたるにでたるにでたるに童童わらわのことやうなるなむかしのことやうなるなむかしのことようなるなむかしはははににに書書かきたるきたるきたる文文ふみをもをもをもててて來來きたるたるたる。。。取取とりてりてりて見見みればればれば、、、
- 16「「「皆人皆人みなひとははは花花はなのころもになりぬなりのころもになりぬなりのころもになりぬなりのたもとよかわきだにせよのたもとよかわきだにせよのたもとよかわきだにせよ」」」
- 17とありとありとあり。。。見見みればこのればこのればこの良少將良少將よしのしょうしょうののの手手てににに見見みなしつなしつなしつ。。。「「「いづらいづらいずら」」」ととと言言いひてもてこしひてもてこしいてもてこし人人ひとををを世界世界せかいにもとむれどなしにもとむれどなしにもとむれどなし。。。法師法師ほうしになりたるべしとになりたるべしとになりたるべしとはははこれにてなむこれにてなむこれにてなむ皆人皆人みなひと知知しりにけるりにけるりにける。。。
- 18されどいづちにかあらむといふされどいづちにかあらむといふされどいずちにかあらむという事事ことさらにえさらにえさらにえ知知しらずらずらず。。。かくてかくてかくて世世よののの中中なかにありといふにありといふにありという事事ことををを聞聞きこしめしてしめしてしめして、、、のきさいののきさいののきさいの宮宮みやよりよりよりうどねりうどねりうどねりををを御使御使みつかいにてにてにて山々山々やまやまたづねさせたづねさせたずねさせ給給たもうけるうけるうける。。。
- 19こゝにありとこゝにありとここにありと聞聞ききていけばきていけばきていけばうせぬうせぬうせぬ。。。かしこにありとかしこにありとかしこにありと聞聞ききてきてきて尋尋たずぬればぬればぬれば又又またうせぬうせぬうせぬ。。。えあはずえあはずえあわず。。。辛辛からうじてうじてうじて隱隱かくれたるれたるれたる所所ところにゆくりもなくいにけりにゆくりもなくいにけりにゆくりもなくいにけり。。。
- 20えええ隱隱かくれあへでれあへでれあえで逢逢あひにけりひにけりいにけり。。。「「「宮宮みやよりよりより御使御使みつかいになむになむになむ參參まいりりり來來きつるつるつる」」」とてとてとて「「「仰事仰事おおせごとにににははは、、、かうかうこう帝帝みかどもおはしまさずもおはしまさずもおわしまさず。。。睦睦むつましくしくしく思思おぼしめしゝしめしゝしめしし人人ひとをををかたみとかたみとかたみと思思おもふべきにふべきにうべきに、、、かくかくかく世世よににに失失うせせせ隱隱かくれれれ給給たまひにければいとなむかなしきひにければいとなむかなしきいにければいとなむかなしき。。。などかなどかなどか山林山林さんりんににに行行おこなひひい給給たまふともこゝにだにせうそこしふともこゝにだにせうそこしうともここにだにしょうそこし給給たまはぬはぬわぬ。。。御御おん里里さととありしとありしとありし所所ところにもにもにも音音おともしもしもし給給たまはざなればいとはざなればいとわざなればいと哀哀あわれになむになむになむ泣泣なききき侘侘わぶなるぶなるぶなる。。。いかなるいかなるいかなる御心御心みこころにてにてにて、、、かうかうこうははは物物ものししし給給たまふらむとふらむとうらむと聞聞きこえよとてなむえよとてなむえよとてなむ仰仰おおせられつるせられつるせられつる。。。こゝかしここゝかしこここかしこ尋尋たずねねね奉奉たてまつりてなむりてなむりてなむ參參まいりりり來來きつるつるつる」」」といふといふという。。。
- 21少將少將しょうしょう大大だいとくうちなきてとくうちなきてとくうちなきて「「「仰事仰事おおせごと長長ながまりてまりてまりて承承うけたまわりぬりぬりぬ。。。帝帝みかどかくれかくれかくれ給給たもうてかしこきうてかしこきうてかしこき御蔭御蔭かげににに習習ならひておはしまさぬひておはしまさぬいておわしまさぬ世世よににに暫暫しばしもありふべきしもありふべきしもありうべき心心こころちもしちもしちもし侍侍はべらざりしかばらざりしかばらざりしかば、、、かゝるかゝるかかる山山やまののの末末すえににに籠籠こもりりり侍侍はべりてりてりて死死しなむなむなむをををごにてとごにてとごにてと思思おもううう給給たまふるふるうるををを、、、又又またなむかくなむかくなむかく怪怪あやしきしきしき事事ことははは生生いきめぐらひきめぐらひきめぐらい侍侍はべるるる。。。いともいともいとも畏畏かしこくくく問問とはせはせわせ給給たまへるへるえる事事こと、、、わらわらわらはべのはべのはべの侍侍はべることることることははは更更さらににに忘忘わすれれれ侍侍はべるるる時時ときもももはべらずはべらずはべらず」」」とてとてとて、、、
- 22「「「かぎりなきかぎりなきかぎりなき雲雲くもゐのよそにゐのよそにいのよそに別別わかるともるともるとも人人ひとにこゝろにこゝろにこころをををおくらさむやおくらさむやおくらさむやははは」」」
- 23となむとなむとなむ申申もうしつるとけいししつるとけいししつるとけいし給給たまへへえ」」」ととと言言いひけるひけるいける。。。このこのこの大大だいとくのとくのとくの顏顏かおかたちすがたかたちすがたかたちすがたををを見見みるにるにるに悲悲かなしきことしきことしきこと物物ものににに似似にずずず。。。そのそのその人人ひとにもあらずにもあらずにもあらず、、、影影かげののの如如ごとくになりてくになりてくになりて唯唯ただ簑簑みのをををのみなむきたりけるのみなむきたりけるのみなむきたりける。。。
- 24少將少將しょうしょうにてありしにてありしにてありし時時ときのさまのいとのさまのいとのさまのいと淸淸きよげなりしげなりしげなりしををを思思おもひひい出出いでゝでゝでて涙涙なみだももも留留とどまらざりけりまらざりけりまらざりけり。。。悲悲かなしとてもしとてもしとても片時片時かたとき人人ひとのゐるべくもあらぬのゐるべくもあらぬのいるべくもあらぬ山山やまののの奥奥おくなりければなりければなりければ泣泣なくくく泣泣なくくく「「「さらばさらばさらば」」」ととと言言いひてひていて歸歸かえりりり來來きててて、、、このこのこの大大だいとくとくとく尋尋たずねねね出出いでゝありつるよしでゝありつるよしでてありつるよしをををかんのくだりけいせさせけりかんのくだりけいせさせけりかんのくだりけいせさせけり。。。
- 25きさいのきさいのきさいの宮宮みやもいといたうもいといたうもいといとう泣泣なきたまふきたまふきたまう。。。さぶらふさぶらふさぶらう人々人々ひとびともいらなくなむもいらなくなむもいらなくなむ泣泣なききき哀哀あわれがりけるれがりけるれがりける。。。宮宮みやののの御御おんかへりもかへりもかえりも人々人々ひとびとのせうそこもいひつけてのせうそこもいひつけてのしょうそこもいいつけて又又またやれりければやれりければやれりければ、、、ありしありしありし所所ところにもにもにも又又またなくなりにけりなくなりにけりなくなりにけり。。。
- 26ののの小町小町こまちといふといふという人人ひとむむむ月月つきににに水水みずににに詣詣もうでにけりでにけりでにけり。。。おこなひなどしておこなひなどしておこないなどして聞聞きくにくにくに怪怪あやしうしうしゅうたふとたふととうとききき法師法師ほうしののの聲聲こえにてどきやうしにてどきやうしにてどきょうし、、、讀讀よむむむ。。。このこのこの小野小野おのののの小町小町こまち怪怪あやしがりてつれなきしがりてつれなきしがりてつれなきやうにてやうにてようにて人人ひとをやをやをやりてりてりて見見みせければせければせければ「「「簑簑みの一一ひとつつつをををきたるきたるきたる法師法師ほうしののの腰腰こしににになどゆひつけたるなむなどゆひつけたるなむなどゆいつけたるなむ居居いたるたるたる」」」ととと言言いひけりひけりいけり。。。
- 27かくてかくてかくて猶猶なお聞聞きくにくにくに聲聲こえいといといとたふとたふととうとくめでたうくめでたうくめでとう聞聞きこゆればたゞなるゆればたゞなるゆればただなる人人ひとにににはははよもあらじよもあらじよもあらじ、、、もしもしもし少將少將しょうしょう大大だいとくにやあらむととくにやあらむととくにやあらむと思思おもひけりひけりいけり。。。いかゞいふとていかゞいふとていかがいうとて「「「このこのこの御寺御寺みてらになむになむになむはべるはべるはべる。。。いといといと寒寒さむきにきにきに、、、御御おんぞぞぞひとつかしひとつかしひとつかし給給たまへへえ」」」とてとてとて、、、
- 28「「「いいいはははのののうへのうへのうえの旅寢旅寢たびねをををすればいとすればいとすればいと寒寒さむししし苔苔こけのころものころものころもををを我我わにかさなむにかさなむにかさなむ」」」
- 29といひやりたりけるといひやりたりけるといいやりたりける、、、返返かえりごとにりごとにりごとに、、、
- 30「「「世世よをををそむくそむくそむく苔苔こけののの衣衣ころもはははたゞたゞただひとへひとへひとえかさねばかさねばかさねばうとしうとしうとしいざいざいざふたりふたりふたりねむねむねむ」」」
- 31といひたるにといひたるにといいたるに、、、更更さらににに少將少將しょうしょうなりけりとなりけりとなりけりと思思おもひてひていて、、、たゞにもたゞにもただにも語語かたらひしらひしらいし中中なかなりければなりければなりければ、、、逢逢あひてひていて物物ものもいはむともいはむともいわむと思思おもひていきければひていきければいていきければ、、、かいかいかい消消けつやうにつやうにつように失失うせにけりせにけりせにけり。。。
- 32ひとひとひと寺求寺求てらもとめさすれどめさすれどめさすれど更更さらににに逃逃にげてげてげて失失うせにけりせにけりせにけり。。。かくてかくてかくて失失うせにけるせにけるせにける大大だいとくなむとくなむとくなむまでなりてまでなりてまでなりて山山やまといふといふという寺寺でらににに住住すみみみ給給たもうけりうけりうけり。。。俗俗ぞくにいますかりけるにいますかりけるにいますかりける時時ときののの子子こどもありけりどもありけりどもありけり。。。
- 33太郞太郞たろうははは左近左近さこんののの監監けんにてにてにて、、、殿上殿上てんじょうしてありけるしてありけるしてありける。。。かくかくかく世世よにいますかりとにいますかりとにいますかりと聞聞きくくく時時ときだにとてだにとてだにとて、、、母母ははもやりければもやりければもやりければ、、、いきたりければいきたりければいきたりければ、、、法師法師ほうしののの子子こははは法師法師ほうしなるぞよきとてなるぞよきとてなるぞよきとて、、、これもこれもこれも法師法師ほうしになしてけりになしてけりになしてけり。。。かくてなむかくてなむかくてなむ、、、
- 34「「「折折おりつればりつればりつればたふさたふさたふさにけがるたてながらみよのにけがるたてながらみよのにけがるたてながらみよの佛佛ほとけににに花花はなたてまつるたてまつるたてまつる」」」
- 35といふもといふもというも、、、ののの御歌御歌みゅうたになむありけるになむありけるになむありける。。。このこのこの子子こをををおしなしたうびけるおしなしたうびけるおしなしとうびける大大だいとくとくとくははは心心こころにもあらでなりたりければにもあらでなりたりければにもあらでなりたりければ親親おやにもにもにも似似にずずず。。。京京きょうにもにもにも通通かよひてなむしありきけるひてなむしありきけるひてなむしありきける。。。
- 36このこのこの大大だいとくのしぞくなりけるとくのしぞくなりけるとくのしぞくなりける人人ひとのむすめののむすめののむすめのうちにうちにうちに奉奉たてまつらむとてかしづきけるらむとてかしづきけるらむとてかしずきけるをををみそかにかたらひけりみそかにかたらひけりみそかにかたらいけり。。。おやおやおや聞聞ききつけてきつけてきつけて、、、男男おとこをもをもをも女女おんなをもをもをもすげなくいみじういひてこのすげなくいみじういひてこのすげなくいみじゅういいてこの大大だいとくとくとくををを寄寄よせずなりにければせずなりにければせずなりにければ、、、山山やまににに坊坊ぼうしてしてして居居いててて、、、ことのことのことの通通かよひもえせざりけりひもえせざりけりひもえせざりけり。。。
- 37いといといと久久ひさしうありてしうありてしゅうありて、、、このこのこの騒騒さわがれしがれしがれし女女おんなのせうとゞもなどなむのせうとゞもなどなむのしょうとどもなどなむ人人ひとのわざしにのわざしにのわざしに山山やまににに登登のぼりたりけるりたりけるりたりける。。。このこのこの大大だいとくのとくのとくの住住すむむむ所所ところににに來來きててて、、、物語物語ものがたりなどしてなどしてなどしてうちうちうち休休やすみたりけるにみたりけるにみたりけるに、、、きぬのくびにかきつけゝるきぬのくびにかきつけゝるきぬのくびにかきつけける、、、
- 38「「「白白しろ雲雲くものやどるのやどるのやどる嶺嶺ねにぞおくれぬるおもひのにぞおくれぬるおもひのにぞおくれぬるおもいの外外ほかにあるにあるにある世世よなりけりなりけりなりけり」」」
- 39ととと書書かきたりけるきたりけるきたりけるををを、、、このせうとのこのせうとのこのしょうとの兵衞兵衞ひょうえののの尉尉じょうははは、、、えええ知知しらでらでらで京京きょうへへへいぬいぬいぬ。。。妹妹いも見見みつけてあはれとやつけてあはれとやつけてあわれとや思思おもひけむひけむいけむ。。。これこれこれははは僧都僧都そうずになりてになりてになりてののの僧都僧都そうずといひてなむいますかりけるといひてなむいますかりけるといいてなむいますかりける。。。
現代語訳
〔第168段〕深草の帝(仁明天皇)と申し上げた御代に、良少将という人が、たいへん時めいていた。たいへん色好みであった。人目を忍んで時々逢っていた女が、同じ内裏にいた。今夜は必ず逢おうと約束した夜があった。女はたいそう化粧をして待っていたが、音沙汰もない。目を覚まして、夜が更けてしまったろうかと思っていると、時刻を告げる声がしたので、聞くと、「丑三つ」と申したのを聞いて、男のもとにすぐに言いやった。
「人の心はつれない(憂し)――丑三つの時刻になりました。もう頼みにはしません」
と言いやったところ、男は驚いて、
「夢であなたに逢えるかと寝たら、子の刻を過ぎて寝過ごしてしまいました」
と付けてやった。少しの間と思ってひと休みしたうちに、寝過ごしてしまったのであった。
こうして、世にも才気のある者としてお仕えしていた。帝がこのうえなく目をかけていらっしゃったうちに、この帝がお亡くなりになった。御葬送の夜、お供に皆がお仕えしていた中で、その夜からこの良少将は姿を消してしまった。友人たちも妻たちも、どうなったのだろうと、しばらくはあちこち探し求めたけれど、うわさにも聞こえない。法師になったのだろうか、身を投げたのだろうか、法師になったのなら、そうしていると聞こえてくるだろう、やはり身を投げたのだろうと思うと、世間でもたいへん悲しがり、妻子たちは言うまでもなく、昼夜精進潔斎をして世間の神仏に願を立てて途方にくれたけれど、うわさにも聞こえない。妻は三人いたが、「それほどでもなく思っていた二人には、「やはりこの世には暮らすまいと思う」と言っていた。限りなく愛して子どもなどもいる妻には、塵ほどもそんな気配を見せなかった。このことを少しでも言ったら、この女もたいそう悲しく思うだろう、自分もこうして出家することはできそうにない気持ちがしたので、立ち寄りさえしないで、急に姿を消してしまったのであった。
どうなるにせよ、こう思っているとも言わなかったことを、ひどいことだと思って、泣き沈んで、この妻は初瀬の御寺に参詣した。この少将は法師になって、簑一つを身にまとって、世間をめぐり歩いて修行し、ちょうど初瀬の御寺で修行しているところであった。ある局の近くにいて修行していると、この女が導師に言うには、「この人がこうなってしまいましたのを、生きてこの世にいるものなら、もう一度会わせてください。身を投げて死んだのなら、その後世の道を成仏させてください。そうして、死んでいるとしても、この人の様子を、夢にでも現実にでも聞かせ、見せてください」と言って、自分の装束、上着も袴も、帯、太刀まで、すべて誦経のお布施にした。自分でも、言い終えることもできずに泣いた。少将は初め、どういう人が参詣しているのだろうと聞いていたが、自分のことをこう申し上げながら、自分の装束などをこうして誦経のお布施にするのを見ると、心も肝もなくなるほど悲しいことは、比べようもない。走り出てしまおうかと千度も思ったけれど、思い返し思い返ししてじっとしていて、一晩じゅう泣き明かして、朝になって見ると、簑も何も、涙のかかった所は血の涙であった。「ひどく泣くと、血の涙というものは本当にあるのだった」と言った。「その時こそ、走り出てしまいそうな気持ちがした」と、のちに言った。
こうしてもなお、行方は知れなかった。帝の一周忌になって、喪服を脱ぐために多くの殿上人が河原に出ていたところに、童の見慣れない者が、柏の葉に書いた手紙を持って来た。取って見ると、
「人々は皆、喪が明けて花やかな衣になったそうだ。わたしの苔の衣の袂よ、せめて乾いてくれ」
とある。見ると、この良少将の筆跡と見えた。「どこだ」と言って、持って来た者をあちこち探させたけれど、いない。法師になったのだろうとは、これで皆が知った。けれども、どこにいるのかということは全く分からない。
こうして、この世にいるということをお聞きになって、五条の后の宮(仁明天皇の后、藤原順子)から内舎人を使いとして、山々を探させなさった。ここにいると聞いて行くといなくなった。あそこにいると聞いて訪ねるとまたいなくなる。会えない。やっとのことで、隠れている所に、思いがけなく行き着いた。少将は隠れきれずに会ってしまった。使いは「宮からの御使いとして参りました」と言って、「おおせごとには、『このように帝もいらっしゃらない。親しくお思いになっていた人を形見と思うべきなのに、こうして世から姿を隠してしまわれたので、たいへん悲しい。どうして、山林で修行なさるにしても、わたしのところにだけでも便りをくださらないのか。ご実家にも便りをなさらないので、たいへん悲しく泣き暮らしているそうだ。どういうお心で、このようになさっているのかと申し上げよ』と、おおせになりました。あちこちお探し申し上げて参りました」と言う。少将大徳は泣いて、「おおせごとを謹んで承りました。帝がお隠れになって、尊いご庇護に慣れておりました身は、帝のいらっしゃらない世にしばらくも生きながらえる心地もいたしませんでしたので、このような山の奥に籠もって、死ぬことを期して、と思っておりましたのに、またこうして不思議なことに生きながらえております。たいそう恐れ多くもお尋ねくださいましたこと、子どものおりますことは、少しも忘れる時はございません」と言って、
「限りない雲の上のよそに別れても、あなたさま(后の宮)に心を後れさせることなどありましょうか」
と申したと、お伝えください」と言った。この大徳の顔かたちや姿を見ると、悲しいことは比べようもない。昔の人とも思えず、影のようになって、ただ簑だけを着ていた。少将であった時の姿のたいへん美しかったのを思い出して、涙も止まらなかった。悲しいといっても、片時も人のいられそうにない山の奥だったので、泣く泣く「それでは」と言って帰って来て、この大徳を探し出して会ったことを、事の次第として后の宮に申し上げさせた。后の宮もたいそうお泣きになる。お仕えする人々も、ひどく泣いて悲しがった。宮の御返事も、人々の便りも言い託して、また使いをやったところ、もとの所にも、またいなくなってしまった。
小野小町という人が、正月に清水寺に参詣した。勤行などをして聞いていると、不思議に尊い法師の声で読経し、陀羅尼を読む。この小野小町は不思議に思って、素知らぬふりで人をやって見させると、「簑一つを着た法師で、腰に火打ち袋などを結びつけた者がいます」と言った。そうしてなおも聞いていると、声がたいへん尊く立派に聞こえるので、ただの人ではまさかあるまい、もしや少将大徳ではないかと思った。何と言うかと思って、「わたしはこの御寺におります。たいへん寒いので、お召し物を一つ貸してください」と言って、
「岩の上の旅寝をしていると、たいへん寒い。苔の衣をわたしに貸してください」
と言いやったところ、その返事に、
「世を背いた者の苔の衣は、ただ一重しかありません。重ねなければよそよそしい――さあ、二人で寝ましょう」
と言ってきたので、いよいよ少将だと思って、普通の仲以上に親しく語り合った間柄なので、会って話もしようと思って行ったところ、かき消すようにいなくなってしまった。寺じゅうを探させたけれど、すっかり逃げて姿を消してしまった。
こうして姿を消した大徳は、僧正にまでなって、花山という寺に住んでいらっしゃった。在俗でいらっしゃった時の子どもがいた。長男は左近将監で、殿上に仕えていた。こうして世にいらっしゃると聞いた時だけでもと、母も行かせたので、長男が行ったところ、「法師の子は法師になるのがよい」と言って、これも法師にしてしまった。こうして、
「折ってしまうと手に穢れる。立てたまま、三世の仏に花をさし上げます」
という歌も、僧正の御歌であった。この子を無理に法師にしてしまわれたその大徳は、自分の心からでもなく出家したので、親にも似ない。京にも通って出歩いていた。この大徳の親族であった人の娘で、内裏にさし上げようと大切に育てていたのを、ひそかに語らった。親が聞きつけて、男も女も情け容赦なくひどく言って、この大徳を寄せつけなくなったので、大徳は山に僧坊を構えて住んで、女への通いもできなかった。たいへん長くたって、この騒がれた女の兄たちなどが、人の法事のために山に登った。この大徳の住む所に来て、話などしてひと休みしていた時に、大徳がその人の着物の襟に書きつけた歌、
「白雲の宿る峰に取り残されてしまった。思いのほかの身の上になったことよ」
と書いたのを、この兄の兵衛尉は、気づかずに京へ帰った。妹が見つけて、しみじみと思ったのだろうか。これはのちに僧都になって、京極の僧都といっていらっしゃった。
意訳
仁明天皇の寵臣で、色好みの良少将(良岑宗貞)。約束を寝過ごして女に「丑三つ」の上の句で責められ、「寝過ごした」と下の句で返す軽妙な連歌に、宮廷の人気者の姿がある。
だが帝の葬送の夜、彼は誰にも告げずに姿を消した。一番愛していた妻にこそ、何も言えなかった。言えば決心が鈍るから――。夫の生死も分からぬ妻は初瀬寺に参り、「生きているならもう一度会わせて、死んだのなら成仏させて」と祈り、自分の衣まで布施に差し出す。そのすぐそばで、簑をまとった夫が聞いていた。何度も飛び出そうとしてこらえ、一晩泣き明かした簑には、血の涙がにじんでいた。この場面は、『大和物語』の中でも最も心を打つ場面の一つである。
帝の一周忌、喪服を脱ぐ人々のもとへ、柏の葉に書かれた歌が届く。「皆は花の衣に着替えるが、わたしの苔の衣よ、せめて乾いてくれ」――出家した者だけは、いつまでも喪が明けない。皇太后の使いがやっと探し当てた宗貞は、影のようにやせ細っていた。
清水寺では、昔なじみの小野小町が、読経の声で宗貞に気づき、「苔の衣を貸して」と歌いかける。宗貞は「一重しかないから、二人で寝よう」と、昔の色好みらしい戯れの歌を返しながら、会いに来た小町からはかき消すように逃げてしまった。のちに僧正遍昭となった宗貞と、出家させられた子の素性、さらにその兄弟の京極の僧都(由性)の恋の話で、段は結ばれる。
語釈・文法注
- 深草の帝
- 仁明天皇(810〜850、在位833〜850)。深草に葬られたのでこう呼ぶ。
- 良少將
- 良岑宗貞(816〜890)。桓武天皇の孫。仁明天皇の崩御とともに出家し、遍昭と名のった。のちに僧正。六歌仙・三十六歌仙の一人。百人一首に「天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよ」がある。
- 丑みつ
- 丑三つ。丑の刻(午前一時から三時)を四つに分けた三番目。午前二時ごろ。
- はうふり
- 葬り。葬送。
- さうじいもひ
- 精進潔斎。肉食などを断ち、身を清めること。
- はつせのみ寺
- 初瀬の長谷寺(奈良県桜井市)。観音信仰で名高い。
- 簑
- 藁などで編んだ雨具。粗末な衣のたとえ。
- 導師
- 法会で中心となって経を読み、祈る僧。
- ずきやう
- 誦経。経を読んでもらうこと、またそのお布施。
- 血の淚
- 激しく泣いて流す涙。
- 御はて
- 一周忌。
- 苔のたもと
- 苔の衣の袂。僧や隠者の粗末な衣。
- 五條のきさいの宮
- 藤原順子(809〜871)。仁明天皇の女御で、文徳天皇の母。五条に住んだ。
- 小野の小町
- 六歌仙の一人。百人一首に「花の色はうつりにけりないたづらに」がある。
- きよ水
- 清水寺。
- だらに
- 陀羅尼。梵語のまま唱える長い呪文。
- ひうちげ
- 火打ち笥。火打ち石などを入れる袋。
- 僧正
- 僧官の最高位。遍昭は仁和元年(885)に僧正となった。
- 花山
- 花山寺(元慶寺)。京都市山科区。遍昭が開いた。
- 左近の將監
- 左近衛府の三等官。遍昭の長男、玄利(はるとし)。出家して素性となった。
- 僧正の御歌
- 「折りつれば」の歌は、『後撰和歌集』に遍昭の歌として入る。
- 京極の僧都
- 遍昭の子、由性(ゆうしょう)か。
文法
- いみじき時にてありけり
- 「時」は時めくこと、羽振りのよいこと。
- 夜や更けぬらむ
- 「や」は疑問、結びは「らむ」。
- 夢に見ゆやとねぞ過ぎにける
- 「ね」に「寝」と、十二支の「子(ね)」を掛ける。「ぞ」の結びで「ける」。
- 法師にやなりにけむ、身をや投げてけむ
- 「や」は疑問、結びは「けむ」。人々の推測。
- 聞えなむ
- 「な」は強意、「む」は推量。
- えかくなるまじき
- 「え…まじ」で、とてもできそうにない。
- ともかくもなれ
- どうなるにせよ。
- 申しもやらず
- 「…やらず」で、最後まで…しきれない。
- 走りや出でなまし
- 「や」は疑問、「な」は強意、「まし」はためらい。
- かわきだにせよ
- 「だに」は最小限の願望。せめて乾いてくれ。
- 死なむをごにて
- 底本の本文。「死なむを期(ご)にて」で、死ぬことを期して、の意に解した。
- おくらさむやは
- 「やは」は反語。
- よもあらじ
- 「よも…じ」で、まさか…ないだろう。
- かさなむ
- 「なむ」は他にあつらえ望む終助詞。貸してほしい。
- おしなしたうびける
- 「おしなす」は無理に…にする。「たうぶ」は「給ぶ」のウ音便。
- あはれとや思ひけむ
- 「や」は疑問、結びは「けむ」。語り手の推測。
和歌
人心 うしみつ今は たのまじよ 夢に見ゆやと ねぞ過ぎにける
- 詠者
- 上の句:内裏の女/下の句:良少将(良岑宗貞)
- 状況
- 約束の夜に来ず、丑三つの時刻を聞いた女が上の句を、驚いた宗貞が下の句を付けた短連歌。
修辞
- 掛詞
- 「うし」に「憂し」と「丑」、「ね」に「寝」と「子(ね)」を掛ける。
- 連歌
- 上の句と下の句を二人で付け合う短連歌。
皆人は 花のころもに なりぬなり 苔のたもとよ かわきだにせよ
- 詠者
- 良岑宗貞(遍昭)
- 状況
- 仁明天皇の一周忌、喪服を脱ぐ人々に、柏の葉に書いて届けた歌。『古今和歌集』哀傷にも入る。
修辞
- 対照
- 「花の衣」と「苔の袂」を対照させる。
かぎりなき 雲ゐのよそに 別るとも 人にこゝろを おくらさむやは
- 詠者
- 良岑宗貞(遍昭)
- 状況
- 五条の后(藤原順子)の使いへの返事として。
修辞
- 掛詞
- 「雲ゐ」に宮中と、帝のいる天上を重ねる。
いはのうへの 旅寢をすれば いと寒し 苔のころもを 我にかさなむ
- 詠者
- 小野小町
- 状況
- 清水寺で、読経の声から宗貞と察して。『後撰和歌集』雑三にも入る。
世をそむく 苔の衣は たゞひとへ かさねばうとし いざふたりねむ
- 詠者
- 良岑宗貞(遍昭)
- 状況
- 小町の歌への返し。『後撰和歌集』雑三にも入る。
修辞
- 掛詞
- 「かさね」に衣を「重ね」と「貸さね(貸さないで)」を響かせる。
折りつれば たふさにけがる たてながら みよの佛に 花たてまつる
- 詠者
- 良岑宗貞(遍昭)
- 状況
- 僧正となってのちの歌。『後撰和歌集』春下にも入る。
修辞
- 掛詞
- 「たて」に花を「立て」と「奉(たてまつ)る」を重ねる。
白雲の やどる嶺にぞ おくれぬる おもひの外に ある世なりけり
- 詠者
- 京極の僧都(遍昭の子)
- 状況
- 仲を裂かれた女の兄の着物の襟に書きつけて。
解説
第168段は『大和物語』で最も長い段で、良岑宗貞(のちの僧正遍昭)の出家をめぐる物語である。宗貞は桓武天皇の孫で、仁明天皇の寵愛を受けたが、嘉祥三年(850)の天皇の崩御とともに出家した。百人一首の「天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよをとめの姿しばしとどめむ」は、出家前の良少将時代の歌である。
この段の中心は、初瀬寺の場面である。夫の行方を案じて祈る妻と、そのすぐそばで名のり出ることもできずに血の涙を流す夫――出家という決断が、残された家族にどれほどの悲しみをもたらすかが、具体的な場面の中で描かれている。「走りや出でなましと千度思ひけれど」という言葉に、世を捨てきれない人間の心の揺れがある。のちの『今昔物語集』や、謡曲などにもこの話は受け継がれた。
清水寺の小野小町との贈答は、『後撰和歌集』にも入っており、色好みの宮廷人と女流歌人の出会いとして、後世よく語られた。この段は、宗貞の出家、小町との再会、僧正となってからの歌、子の素性・由性の話と、一人の人物の生涯を長くたどっており、『大和物語』の歌語りが、伝記的な物語へと広がっていく姿を示している。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部四 雑下(大和物語) 板倉屋書房、明治36年(1903)、68〜72頁(コマ39–41)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日