古典ライブラリー

大和物語 第26章(第168段)

良少将の出家

仁明天皇に寵愛された良少将(良岑宗貞)は、帝の崩御の夜に姿を消し、出家して諸国をめぐる。初瀬寺で妻が自分のために祈る声を聞きながら名のり出られずに血の涙を流し、帝の一周忌には「苔の袂よ乾きだにせよ」の歌を届け、五条の后の使いや小野小町の問いかけからも逃れ続けた。のちの僧正遍昭と、その子の素性・由性の話。『大和物語』で最も長い段。

  1. 1草くさ草くさくさののの帝みかど帝みかどみかどととと申まう申まうもうしけるしけるしける御時おほんとき御時おほんときおおんとき、、、といふといふという人ひと人ひとひといみじきいみじきいみじき時とき時ときときにてありけりにてありけりにてありけり。。。いといろごのみになむありけるいといろごのみになむありけるいといろごのみになむありける。。。忍しの忍しのしのびてびてびて時々ときどき時々ときどきときどきあひけるあひけるあいける女をんな女をんなおんな同おな同おなおなじうちにありけりじうちにありけりじゅうちにありけり。。。
  2. 2今宵こよひ今宵こよひこよい必かなら必かならかならずずず逢あ逢ああはむとはむとわむと契ちぎ契ちぎちぎりたるりたるりたる夜よ夜よよありけりありけりありけり。。。女をんな女をんなおんないたうけさうじていたうけさうじていとうけそうじて待ま待ままつにつにつに音おと音おとおともせずもせずもせず。。。目め目めめをををさましてさましてさまして、、、夜よ夜よよややや更ふ更ふふけぬらむとけぬらむとけぬらむと思おも思おもおもふふう程ほど程ほどほどににに、、、時とき時ときときまうすまうすもうす音おと音おとおとのしければのしければのしければ、、、聞き聞ききくにくにくに、、、みつとみつとみつと申まう申まうもうしけるしけるしけるををを聞き聞きききてきてきて、、、男をとこ男をとこおとこのもとにのもとにのもとにふとふとふと言い言いいひやりけるひやりけるいやりける、、、
  3. 3「「「人ひと人ひとひと心こころ心こころこころうしみつうしみつうしみつ今いま今いまいまはははたのまじよたのまじよたのまじよ」」」
  4. 4といひやりたりけるにといひやりたりけるにといいやりたりけるに驚おどろ驚おどろおどろきてきてきて、、、
  5. 5「「「夢ゆめ夢ゆめゆめににに見み見みみゆやとねぞゆやとねぞゆやとねぞ過す過すすぎにけるぎにけるぎにける」」」
  6. 6とぞつけてやりけるとぞつけてやりけるとぞつけてやりける。。。暫しば暫しばしばしとしとしと思おも思おもおもひてひていてうちうちうち休やす休やすやすみけるみけるみける程ほど程ほどほどににに寢ね寢ねね過す過すすぎたるになむありけるぎたるになむありけるぎたるになむありける。。。かくてかくてかくて世よ世よよにもらうあるものににもらうあるものににもろうあるものに仕つか仕つかつこうまつるうまつるうまつる。。。帝みかど帝みかどみかど限かぎり限かぎりかぎりなくなくなく思おぼ思おぼおぼされてあるされてあるされてある程ほど程ほどほどににに、、、このこのこの帝みかど帝みかどみかどうせたまふうせたまふうせたまう。。。
  7. 7御おん御おんおんののの夜よ夜よよ御供おほんとも御供おほんともおおんともににに皆人みなひと皆人みなひとみなひと仕つか仕つかつこうまつりけるうまつりけるうまつりける中なか中なかなかににに、、、そのそのその夜よ夜よよよりこのよりこのよりこの良少將よしのせうしやう良少將よしのせうしやうよしのしょうしょううせにけりうせにけりうせにけり。。。友とも友ともともだちだちだち、、、めもいかならむとてめもいかならむとてめもいかならむとて、、、暫しば暫しばしばしししはははこゝかしここゝかしこここかしこ求もと求もともとむれどもむれどもむれども音おと音おとおと耳みみ耳みみみみにもにもにも聞きこ聞きこきこえずえずえず。。。
  8. 8法師ほふし法師ほふしほうしにやなりにけむにやなりにけむにやなりにけむ、、、身み身みみをやをやをや投な投ななげてけむげてけむげてけむ、、、法師ほふし法師ほふしほうしになりたらばさてなむあるともになりたらばさてなむあるともになりたらばさてなむあるとも聞きこ聞きこきこえなむえなむえなむ、、、猶なほ猶なほなお身み身みみををを投な投ななげたるなるべしとげたるなるべしとげたるなるべしと思おも思おもおもふにふにうに、、、世よ世よよののの中なか中なかなかにもいみじうにもいみじうにもいみじゅう哀あはれ哀あはれあわれがりがりがり、、、めこどもめこどもめこどもははは更さら更さらさらにもいはずにもいはずにもいわず、、、夜晝よるひる夜晝よるひるよるひるひひひをををしてせけんのしてせけんのしてせけんの神佛かみほとけ神佛かみほとけかみほとけににに願ぐわん願ぐわんがんををを立た立たたててて惑まど惑まどまどへどへどえど音おと音おとおとにもにもにも聞きこ聞きこきこえずえずえず。。。
  9. 9めめめははは三人みたり三人みたりみたりなむありけるなむありけるなむありけるををを、、、「「「よろしくよろしくよろしく思おも思おもおもひけるにひけるにいけるにははは猶なほ猶なほなお世よ世よよににに經へ經へへじとなむじとなむじとなむ思おも思おもおもふふう」」」ととと二人ふたり二人ふたりふたりにににはははいひけるいひけるいいける。。。限かぎり限かぎりかぎりなくなくなく思おも思おもおもひてひていて子こ子ここどもなどあるめにどもなどあるめにどもなどあるめにははは塵ちり塵ちりちりばかりもさるばかりもさるばかりもさる氣色けしき氣色けしきけしきももも見み見みみせざりけりせざりけりせざりけり。。。
  10. 10このこのこの事こと事ことことをををかけてもいはゞかけてもいはゞかけてもいわば女をんな女をんなおんなもいみじともいみじともいみじと思おも思おもおもふべしふべしうべし、、、我わ我わわもえかくなるまじきもえかくなるまじきもえかくなるまじき心こころ心こころこころちのしければちのしければちのしければ寄よ寄よよりだにこでりだにこでりだにこで俄にはか俄にはかにわかになむになむになむ失う失ううせにけるせにけるせにける。。。ともかくもなれともかくもなれともかくもなれ、、、かくなむかくなむかくなむ思おも思おもおもふともいはざりけるふともいはざりけるうともいわざりける事こと事ことことののの、、、いみじきいみじきいみじき事こと事ことことををを思おも思おもおもひてひていて泣な泣ななききき入い入いいられてられてられて、、、寺でら寺でらでらにこのめにこのめにこのめ詣まう詣まうもうでにけりでにけりでにけり。。。
  11. 11このこのこの少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうははは法師ほふし法師ほふしほうしになりてになりてになりて一ひと一ひとひとつつつをををうちきてうちきてうちきて、、、せけんせかいせけんせかいせけんせかいををを行おこな行おこなおこなひありきてひありきていありきて、、、初瀨はつせ初瀨はつせはつせのみのみのみ寺でら寺でらでらににに行おこな行おこなおこなふふう程ほど程ほどほどになむありけるになむありけるになむありける。。。あるあるある局つぼね局つぼねつぼね近ちか近ちかちこううう居ゐ居ゐいててて行おこな行おこなおこなへばこのへばこのえばこの女をんな女をんなおんな、、、にいふやうにいふやうにいうよう「「「このこのこの人ひと人ひとひとかくなりにたるかくなりにたるかくなりにたるををを、、、生い生いいきてきてきて世よ世よよににに在あ在ああるものならばるものならばるものならば今一いまひと今一いまひといまひと度たび度たびたびあひあひあい見み見みみせせせ給たま給たまたまへへえ。。。身み身みみをををなげなげなげ死し死ししにたるものならばそのにたるものならばそのにたるものならばその道みち道みちみちなしなしなし給たま給たまたまへへえ。。。さてなむさてなむさてなむ死し死ししにたるともにたるともにたるとも、、、このこのこの人ひと人ひとひとのあらむやうのあらむやうのあらむようををを夢ゆめ夢ゆめゆめにてもにてもにても現うつつ現うつつうつつにてもにてもにても聞き聞ききききき見み見みみせせせ給たま給たまたまへへえ」」」といひてといひてといいて、、、我わ我わわがさうぞくがさうぞくがそうぞく、、、かみしもかみしもかみしも、、、おびおびおび、、、たちまでたちまでたちまで皆みな皆みなみな。。。
  12. 12みづからもみづからもみずからも申まう申まうもうしもやらずしもやらずしもやらず泣な泣ななきけりきけりきけり。。。始はじめ始はじめはじめははは何人なにびと何人なにびとなにびとののの詣まう詣まうもうでたるならむとでたるならむとでたるならむと聞き聞ききききき居ゐ居ゐいたるにたるにたるに、、、我わ我わわががが上うへ上うへうえをををかくかくかく申まう申まうもうしつゝしつゝしつつ、、、我わ我わわがさうぞくなどかくずきやうにするがさうぞくなどかくずきやうにするがそうぞくなどかくずきょうにするををを見み見みみるにるにるに、、、心こころ心こころこころももも肝きも肝きもきももなくもなくもなく悲かな悲かなかなしきことしきことしきこと物もの物ものものににに似に似ににずずず。。。
  13. 13走はし走はしはしりやりやりや出い出いいでなましとでなましとでなましと千せん千せんせん度たび度たびたびおもひけれどおもひけれどおもいけれど、、、思おも思おもおもひかへしひかへしいかえし思おも思おもおもひかへしひかへしいかえし居ゐ居ゐいててて、、、よよよ一夜ひとよ一夜ひとよひとよ泣な泣ななききき明あか明あかあかしてあしたにしてあしたにしてあしたに見み見みみればればれば、、、簑みの簑みのみのももも何なに何なになにももも淚なみだ淚なみだなみだのかゝりたるのかゝりたるのかかりたる所ところ所ところところはははののの淚なみだ淚なみだなみだにてなむありけるにてなむありけるにてなむありける。。。
  14. 14「「「いみじういみじういみじゅう泣な泣ななけばけばけば血ち血ちちののの涙なみだ涙なみだなみだといふものといふものというものはははあるあるある物もの物ものものになむありけるになむありけるになむありける」」」とぞいひけるとぞいひけるとぞいいける。。。「「「そのそのそのをををりなむりなむりなむ走はし走はしはしりもりもりも出い出いいでぬべきでぬべきでぬべき心こころ心こころこころちせしちせしちせし」」」とぞとぞとぞ後のち後のちのちににに言い言いいひけるひけるいける。。。
  15. 15かゝれどかゝれどかかれど猶なほ猶なほなおえええ聞き聞ききかずかずかず。。。はははてになりててになりててになりて御おん御おんおんぶくぬぎにぶくぬぎにぶくぬぎに萬よろづ萬よろづよろずののの殿上人てんじやうびと殿上人てんじやうびとてんじょうびと河原かはら河原かはらかわらににに出い出いいでたるにでたるにでたるに童わらは童わらはわらわのことやうなるなむかしのことやうなるなむかしのことようなるなむかしはははににに書か書かかきたるきたるきたる文ふみ文ふみふみをもをもをもててて來き來ききたるたるたる。。。取と取ととりてりてりて見み見みみればればれば、、、
  16. 16「「「皆人みなひと皆人みなひとみなひとははは花はな花はなはなのころもになりぬなりのころもになりぬなりのころもになりぬなりのたもとよかわきだにせよのたもとよかわきだにせよのたもとよかわきだにせよ」」」
  17. 17とありとありとあり。。。見み見みみればこのればこのればこの良少將よしのせうしやう良少將よしのせうしやうよしのしょうしょうののの手て手ててににに見み見みみなしつなしつなしつ。。。「「「いづらいづらいずら」」」ととと言い言いいひてもてこしひてもてこしいてもてこし人ひと人ひとひとををを世界せかい世界せかいせかいにもとむれどなしにもとむれどなしにもとむれどなし。。。法師ほふし法師ほふしほうしになりたるべしとになりたるべしとになりたるべしとはははこれにてなむこれにてなむこれにてなむ皆人みなひと皆人みなひとみなひと知し知ししりにけるりにけるりにける。。。
  18. 18されどいづちにかあらむといふされどいづちにかあらむといふされどいずちにかあらむという事こと事ことことさらにえさらにえさらにえ知し知ししらずらずらず。。。かくてかくてかくて世よ世よよののの中なか中なかなかにありといふにありといふにありという事こと事ことことををを聞きこ聞きこきこしめしてしめしてしめして、、、のきさいののきさいののきさいの宮みや宮みやみやよりよりよりうどねりうどねりうどねりををを御使みつかひ御使みつかひみつかいにてにてにて山々やまやま山々やまやまやまやまたづねさせたづねさせたずねさせ給たま給たまたもうけるうけるうける。。。
  19. 19こゝにありとこゝにありとここにありと聞き聞きききていけばきていけばきていけばうせぬうせぬうせぬ。。。かしこにありとかしこにありとかしこにありと聞き聞きききてきてきて尋たづ尋たづたずぬればぬればぬれば又また又またまたうせぬうせぬうせぬ。。。えあはずえあはずえあわず。。。辛から辛からからうじてうじてうじて隱かく隱かくかくれたるれたるれたる所ところ所ところところにゆくりもなくいにけりにゆくりもなくいにけりにゆくりもなくいにけり。。。
  20. 20えええ隱かく隱かくかくれあへでれあへでれあえで逢あ逢ああひにけりひにけりいにけり。。。「「「宮みや宮みやみやよりよりより御使みつかひ御使みつかひみつかいになむになむになむ參まゐ參まゐまいりりり來き來ききつるつるつる」」」とてとてとて「「「仰事おほせごと仰事おほせごとおおせごとにににははは、、、かうかうこう帝みかど帝みかどみかどもおはしまさずもおはしまさずもおわしまさず。。。睦むつま睦むつまむつましくしくしく思おぼ思おぼおぼしめしゝしめしゝしめしし人ひと人ひとひとをををかたみとかたみとかたみと思おも思おもおもふべきにふべきにうべきに、、、かくかくかく世よ世よよににに失う失ううせせせ隱かく隱かくかくれれれ給たま給たまたまひにければいとなむかなしきひにければいとなむかなしきいにければいとなむかなしき。。。などかなどかなどか山林さんりん山林さんりんさんりんににに行おこな行おこなおこなひひい給たま給たまたまふともこゝにだにせうそこしふともこゝにだにせうそこしうともここにだにしょうそこし給たま給たまたまはぬはぬわぬ。。。御おん御おんおん里さと里さとさととありしとありしとありし所ところ所ところところにもにもにも音おと音おとおともしもしもし給たま給たまたまはざなればいとはざなればいとわざなればいと哀あはれ哀あはれあわれになむになむになむ泣な泣ななききき侘わ侘わわぶなるぶなるぶなる。。。いかなるいかなるいかなる御心みこころ御心みこころみこころにてにてにて、、、かうかうこうははは物もの物ものものししし給たま給たまたまふらむとふらむとうらむと聞きこ聞きこきこえよとてなむえよとてなむえよとてなむ仰おほ仰おほおおせられつるせられつるせられつる。。。こゝかしここゝかしこここかしこ尋たづ尋たづたずねねね奉たてまつ奉たてまつたてまつりてなむりてなむりてなむ參まゐ參まゐまいりりり來き來ききつるつるつる」」」といふといふという。。。
  21. 21少將せうしやう少將せうしやうしょうしょう大だい大だいだいとくうちなきてとくうちなきてとくうちなきて「「「仰事おほせごと仰事おほせごとおおせごと長なが長ながながまりてまりてまりて承うけたまは承うけたまはうけたまわりぬりぬりぬ。。。帝みかど帝みかどみかどかくれかくれかくれ給たま給たまたもうてかしこきうてかしこきうてかしこき御蔭かげ御蔭かげかげににに習なら習ならならひておはしまさぬひておはしまさぬいておわしまさぬ世よ世よよににに暫しば暫しばしばしもありふべきしもありふべきしもありうべき心こころ心こころこころちもしちもしちもし侍はべ侍はべはべらざりしかばらざりしかばらざりしかば、、、かゝるかゝるかかる山やま山やまやまののの末すゑ末すゑすえににに籠こも籠こもこもりりり侍はべ侍はべはべりてりてりて死し死ししなむなむなむをををごにてとごにてとごにてと思おも思おもおもううう給たま給たまたまふるふるうるををを、、、又また又またまたなむかくなむかくなむかく怪あや怪あやあやしきしきしき事こと事ことことははは生い生いいきめぐらひきめぐらひきめぐらい侍はべ侍はべはべるるる。。。いともいともいとも畏かしこ畏かしこかしこくくく問と問ととはせはせわせ給たま給たまたまへるへるえる事こと事ことこと、、、わらわらわらはべのはべのはべの侍はべ侍はべはべることることることははは更さら更さらさらににに忘わす忘わすわすれれれ侍はべ侍はべはべるるる時とき時ときときもももはべらずはべらずはべらず」」」とてとてとて、、、
  22. 22「「「かぎりなきかぎりなきかぎりなき雲くも雲くもくもゐのよそにゐのよそにいのよそに別わか別わかわかるともるともるとも人ひと人ひとひとにこゝろにこゝろにこころをををおくらさむやおくらさむやおくらさむやははは」」」
  23. 23となむとなむとなむ申まう申まうもうしつるとけいししつるとけいししつるとけいし給たま給たまたまへへえ」」」ととと言い言いいひけるひけるいける。。。このこのこの大だい大だいだいとくのとくのとくの顏かほ顏かほかおかたちすがたかたちすがたかたちすがたををを見み見みみるにるにるに悲かな悲かなかなしきことしきことしきこと物もの物ものものににに似に似ににずずず。。。そのそのその人ひと人ひとひとにもあらずにもあらずにもあらず、、、影かげ影かげかげののの如ごと如ごとごとくになりてくになりてくになりて唯ただ唯ただただ簑みの簑みのみのをををのみなむきたりけるのみなむきたりけるのみなむきたりける。。。
  24. 24少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうにてありしにてありしにてありし時とき時ときときのさまのいとのさまのいとのさまのいと淸きよ淸きよきよげなりしげなりしげなりしををを思おも思おもおもひひい出い出いいでゝでゝでて涙なみだ涙なみだなみだももも留とど留とどとどまらざりけりまらざりけりまらざりけり。。。悲かな悲かなかなしとてもしとてもしとても片時かたとき片時かたときかたとき人ひと人ひとひとのゐるべくもあらぬのゐるべくもあらぬのいるべくもあらぬ山やま山やまやまののの奥おく奥おくおくなりければなりければなりければ泣な泣ななくくく泣な泣ななくくく「「「さらばさらばさらば」」」ととと言い言いいひてひていて歸かへ歸かへかえりりり來き來ききててて、、、このこのこの大だい大だいだいとくとくとく尋たづ尋たづたずねねね出い出いいでゝありつるよしでゝありつるよしでてありつるよしをををかんのくだりけいせさせけりかんのくだりけいせさせけりかんのくだりけいせさせけり。。。
  25. 25きさいのきさいのきさいの宮みや宮みやみやもいといたうもいといたうもいといとう泣な泣ななきたまふきたまふきたまう。。。さぶらふさぶらふさぶらう人々ひとびと人々ひとびとひとびともいらなくなむもいらなくなむもいらなくなむ泣な泣ななききき哀あは哀あはあわれがりけるれがりけるれがりける。。。宮みや宮みやみやののの御おん御おんおんかへりもかへりもかえりも人々ひとびと人々ひとびとひとびとのせうそこもいひつけてのせうそこもいひつけてのしょうそこもいいつけて又また又またまたやれりければやれりければやれりければ、、、ありしありしありし所ところ所ところところにもにもにも又また又またまたなくなりにけりなくなりにけりなくなりにけり。。。
  26. 26ののの小町こまち小町こまちこまちといふといふという人ひと人ひとひとむむむ月つき月つきつきににに水みづ水みづみずににに詣まう詣まうもうでにけりでにけりでにけり。。。おこなひなどしておこなひなどしておこないなどして聞き聞ききくにくにくに怪あや怪あやあやしうしうしゅうたふとたふととうとききき法師ほふし法師ほふしほうしののの聲こゑ聲こゑこえにてどきやうしにてどきやうしにてどきょうし、、、讀よ讀よよむむむ。。。このこのこの小野をの小野をのおのののの小町こまち小町こまちこまち怪あや怪あやあやしがりてつれなきしがりてつれなきしがりてつれなきやうにてやうにてようにて人ひと人ひとひとをやをやをやりてりてりて見み見みみせければせければせければ「「「簑みの簑みのみの一ひと一ひとひとつつつをををきたるきたるきたる法師ほふし法師ほふしほうしののの腰こし腰こしこしににになどゆひつけたるなむなどゆひつけたるなむなどゆいつけたるなむ居ゐ居ゐいたるたるたる」」」ととと言い言いいひけりひけりいけり。。。
  27. 27かくてかくてかくて猶なほ猶なほなお聞き聞ききくにくにくに聲こゑ聲こゑこえいといといとたふとたふととうとくめでたうくめでたうくめでとう聞きこ聞きこきこゆればたゞなるゆればたゞなるゆればただなる人ひと人ひとひとにににはははよもあらじよもあらじよもあらじ、、、もしもしもし少將せうしやう少將せうしやうしょうしょう大だい大だいだいとくにやあらむととくにやあらむととくにやあらむと思おも思おもおもひけりひけりいけり。。。いかゞいふとていかゞいふとていかがいうとて「「「このこのこの御寺みてら御寺みてらみてらになむになむになむはべるはべるはべる。。。いといといと寒さむ寒さむさむきにきにきに、、、御おん御おんおんぞぞぞひとつかしひとつかしひとつかし給たま給たまたまへへえ」」」とてとてとて、、、
  28. 28「「「いいいはははのののうへのうへのうえの旅寢たびね旅寢たびねたびねをををすればいとすればいとすればいと寒さむ寒さむさむししし苔こけ苔こけこけのころものころものころもををを我わ我わわにかさなむにかさなむにかさなむ」」」
  29. 29といひやりたりけるといひやりたりけるといいやりたりける、、、返かへ返かへかえりごとにりごとにりごとに、、、
  30. 30「「「世よ世よよをををそむくそむくそむく苔こけ苔こけこけののの衣ころも衣ころもころもはははたゞたゞただひとへひとへひとえかさねばかさねばかさねばうとしうとしうとしいざいざいざふたりふたりふたりねむねむねむ」」」
  31. 31といひたるにといひたるにといいたるに、、、更さら更さらさらににに少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうなりけりとなりけりとなりけりと思おも思おもおもひてひていて、、、たゞにもたゞにもただにも語かた語かたかたらひしらひしらいし中なか中なかなかなりければなりければなりければ、、、逢あ逢ああひてひていて物もの物ものものもいはむともいはむともいわむと思おも思おもおもひていきければひていきければいていきければ、、、かいかいかい消け消けけつやうにつやうにつように失う失ううせにけりせにけりせにけり。。。
  32. 32ひとひとひと寺求てらもと寺求てらもとてらもとめさすれどめさすれどめさすれど更さら更さらさらににに逃に逃ににげてげてげて失う失ううせにけりせにけりせにけり。。。かくてかくてかくて失う失ううせにけるせにけるせにける大だい大だいだいとくなむとくなむとくなむまでなりてまでなりてまでなりて山やま山やまやまといふといふという寺でら寺でらでらににに住す住すすみみみ給たま給たまたもうけりうけりうけり。。。俗ぞく俗ぞくぞくにいますかりけるにいますかりけるにいますかりける時とき時ときときののの子こ子ここどもありけりどもありけりどもありけり。。。
  33. 33太郞たらう太郞たらうたろうははは左近さこん左近さこんさこんののの監けん監けんけんにてにてにて、、、殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうしてありけるしてありけるしてありける。。。かくかくかく世よ世よよにいますかりとにいますかりとにいますかりと聞き聞ききくくく時とき時ときときだにとてだにとてだにとて、、、母はは母ははははもやりければもやりければもやりければ、、、いきたりければいきたりければいきたりければ、、、法師ほふし法師ほふしほうしののの子こ子ここははは法師ほふし法師ほふしほうしなるぞよきとてなるぞよきとてなるぞよきとて、、、これもこれもこれも法師ほふし法師ほふしほうしになしてけりになしてけりになしてけり。。。かくてなむかくてなむかくてなむ、、、
  34. 34「「「折を折をおりつればりつればりつればたふさたふさたふさにけがるたてながらみよのにけがるたてながらみよのにけがるたてながらみよの佛ほとけ佛ほとけほとけににに花はな花はなはなたてまつるたてまつるたてまつる」」」
  35. 35といふもといふもというも、、、ののの御歌みうた御歌みうたみゅうたになむありけるになむありけるになむありける。。。このこのこの子こ子ここをををおしなしたうびけるおしなしたうびけるおしなしとうびける大だい大だいだいとくとくとくははは心こころ心こころこころにもあらでなりたりければにもあらでなりたりければにもあらでなりたりければ親おや親おやおやにもにもにも似に似ににずずず。。。京きやう京きやうきょうにもにもにも通かよ通かよかよひてなむしありきけるひてなむしありきけるひてなむしありきける。。。
  36. 36このこのこの大だい大だいだいとくのしぞくなりけるとくのしぞくなりけるとくのしぞくなりける人ひと人ひとひとのむすめののむすめののむすめのうちにうちにうちに奉たてまつ奉たてまつたてまつらむとてかしづきけるらむとてかしづきけるらむとてかしずきけるをををみそかにかたらひけりみそかにかたらひけりみそかにかたらいけり。。。おやおやおや聞き聞きききつけてきつけてきつけて、、、男をとこ男をとこおとこをもをもをも女をんな女をんなおんなをもをもをもすげなくいみじういひてこのすげなくいみじういひてこのすげなくいみじゅういいてこの大だい大だいだいとくとくとくををを寄よ寄よよせずなりにければせずなりにければせずなりにければ、、、山やま山やまやまににに坊ばう坊ばうぼうしてしてして居ゐ居ゐいててて、、、ことのことのことの通かよ通かよかよひもえせざりけりひもえせざりけりひもえせざりけり。。。
  37. 37いといといと久ひさ久ひさひさしうありてしうありてしゅうありて、、、このこのこの騒さわ騒さわさわがれしがれしがれし女をんな女をんなおんなのせうとゞもなどなむのせうとゞもなどなむのしょうとどもなどなむ人ひと人ひとひとのわざしにのわざしにのわざしに山やま山やまやまににに登のぼ登のぼのぼりたりけるりたりけるりたりける。。。このこのこの大だい大だいだいとくのとくのとくの住す住すすむむむ所ところ所ところところににに來き來ききててて、、、物語ものがたり物語ものがたりものがたりなどしてなどしてなどしてうちうちうち休やす休やすやすみたりけるにみたりけるにみたりけるに、、、きぬのくびにかきつけゝるきぬのくびにかきつけゝるきぬのくびにかきつけける、、、
  38. 38「「「白しろ白しろしろ雲くも雲くもくものやどるのやどるのやどる嶺ね嶺ねねにぞおくれぬるおもひのにぞおくれぬるおもひのにぞおくれぬるおもいの外ほか外ほかほかにあるにあるにある世よ世よよなりけりなりけりなりけり」」」
  39. 39ととと書か書かかきたりけるきたりけるきたりけるををを、、、このせうとのこのせうとのこのしょうとの兵衞ひやうゑ兵衞ひやうゑひょうえののの尉じよう尉じようじょうははは、、、えええ知し知ししらでらでらで京きやう京きやうきょうへへへいぬいぬいぬ。。。妹いも妹いもいも見み見みみつけてあはれとやつけてあはれとやつけてあわれとや思おも思おもおもひけむひけむいけむ。。。これこれこれははは僧都そうづ僧都そうづそうずになりてになりてになりてののの僧都そうづ僧都そうづそうずといひてなむいますかりけるといひてなむいますかりけるといいてなむいますかりける。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

〔第168段〕深草の帝(仁明天皇)と申し上げた御代に、良少将という人が、たいへん時めいていた。たいへん色好みであった。人目を忍んで時々逢っていた女が、同じ内裏にいた。今夜は必ず逢おうと約束した夜があった。女はたいそう化粧をして待っていたが、音沙汰もない。目を覚まして、夜が更けてしまったろうかと思っていると、時刻を告げる声がしたので、聞くと、「丑三つ」と申したのを聞いて、男のもとにすぐに言いやった。

「人の心はつれない(憂し)――丑三つの時刻になりました。もう頼みにはしません」

と言いやったところ、男は驚いて、

「夢であなたに逢えるかと寝たら、子の刻を過ぎて寝過ごしてしまいました」

と付けてやった。少しの間と思ってひと休みしたうちに、寝過ごしてしまったのであった。

こうして、世にも才気のある者としてお仕えしていた。帝がこのうえなく目をかけていらっしゃったうちに、この帝がお亡くなりになった。御葬送の夜、お供に皆がお仕えしていた中で、その夜からこの良少将は姿を消してしまった。友人たちも妻たちも、どうなったのだろうと、しばらくはあちこち探し求めたけれど、うわさにも聞こえない。法師になったのだろうか、身を投げたのだろうか、法師になったのなら、そうしていると聞こえてくるだろう、やはり身を投げたのだろうと思うと、世間でもたいへん悲しがり、妻子たちは言うまでもなく、昼夜精進潔斎をして世間の神仏に願を立てて途方にくれたけれど、うわさにも聞こえない。妻は三人いたが、「それほどでもなく思っていた二人には、「やはりこの世には暮らすまいと思う」と言っていた。限りなく愛して子どもなどもいる妻には、塵ほどもそんな気配を見せなかった。このことを少しでも言ったら、この女もたいそう悲しく思うだろう、自分もこうして出家することはできそうにない気持ちがしたので、立ち寄りさえしないで、急に姿を消してしまったのであった。

どうなるにせよ、こう思っているとも言わなかったことを、ひどいことだと思って、泣き沈んで、この妻は初瀬の御寺に参詣した。この少将は法師になって、簑一つを身にまとって、世間をめぐり歩いて修行し、ちょうど初瀬の御寺で修行しているところであった。ある局の近くにいて修行していると、この女が導師に言うには、「この人がこうなってしまいましたのを、生きてこの世にいるものなら、もう一度会わせてください。身を投げて死んだのなら、その後世の道を成仏させてください。そうして、死んでいるとしても、この人の様子を、夢にでも現実にでも聞かせ、見せてください」と言って、自分の装束、上着も袴も、帯、太刀まで、すべて誦経のお布施にした。自分でも、言い終えることもできずに泣いた。少将は初め、どういう人が参詣しているのだろうと聞いていたが、自分のことをこう申し上げながら、自分の装束などをこうして誦経のお布施にするのを見ると、心も肝もなくなるほど悲しいことは、比べようもない。走り出てしまおうかと千度も思ったけれど、思い返し思い返ししてじっとしていて、一晩じゅう泣き明かして、朝になって見ると、簑も何も、涙のかかった所は血の涙であった。「ひどく泣くと、血の涙というものは本当にあるのだった」と言った。「その時こそ、走り出てしまいそうな気持ちがした」と、のちに言った。

こうしてもなお、行方は知れなかった。帝の一周忌になって、喪服を脱ぐために多くの殿上人が河原に出ていたところに、童の見慣れない者が、柏の葉に書いた手紙を持って来た。取って見ると、

「人々は皆、喪が明けて花やかな衣になったそうだ。わたしの苔の衣の袂よ、せめて乾いてくれ」

とある。見ると、この良少将の筆跡と見えた。「どこだ」と言って、持って来た者をあちこち探させたけれど、いない。法師になったのだろうとは、これで皆が知った。けれども、どこにいるのかということは全く分からない。

こうして、この世にいるということをお聞きになって、五条の后の宮(仁明天皇の后、藤原順子)から内舎人を使いとして、山々を探させなさった。ここにいると聞いて行くといなくなった。あそこにいると聞いて訪ねるとまたいなくなる。会えない。やっとのことで、隠れている所に、思いがけなく行き着いた。少将は隠れきれずに会ってしまった。使いは「宮からの御使いとして参りました」と言って、「おおせごとには、『このように帝もいらっしゃらない。親しくお思いになっていた人を形見と思うべきなのに、こうして世から姿を隠してしまわれたので、たいへん悲しい。どうして、山林で修行なさるにしても、わたしのところにだけでも便りをくださらないのか。ご実家にも便りをなさらないので、たいへん悲しく泣き暮らしているそうだ。どういうお心で、このようになさっているのかと申し上げよ』と、おおせになりました。あちこちお探し申し上げて参りました」と言う。少将大徳は泣いて、「おおせごとを謹んで承りました。帝がお隠れになって、尊いご庇護に慣れておりました身は、帝のいらっしゃらない世にしばらくも生きながらえる心地もいたしませんでしたので、このような山の奥に籠もって、死ぬことを期して、と思っておりましたのに、またこうして不思議なことに生きながらえております。たいそう恐れ多くもお尋ねくださいましたこと、子どものおりますことは、少しも忘れる時はございません」と言って、

「限りない雲の上のよそに別れても、あなたさま(后の宮)に心を後れさせることなどありましょうか」

と申したと、お伝えください」と言った。この大徳の顔かたちや姿を見ると、悲しいことは比べようもない。昔の人とも思えず、影のようになって、ただ簑だけを着ていた。少将であった時の姿のたいへん美しかったのを思い出して、涙も止まらなかった。悲しいといっても、片時も人のいられそうにない山の奥だったので、泣く泣く「それでは」と言って帰って来て、この大徳を探し出して会ったことを、事の次第として后の宮に申し上げさせた。后の宮もたいそうお泣きになる。お仕えする人々も、ひどく泣いて悲しがった。宮の御返事も、人々の便りも言い託して、また使いをやったところ、もとの所にも、またいなくなってしまった。

小野小町という人が、正月に清水寺に参詣した。勤行などをして聞いていると、不思議に尊い法師の声で読経し、陀羅尼を読む。この小野小町は不思議に思って、素知らぬふりで人をやって見させると、「簑一つを着た法師で、腰に火打ち袋などを結びつけた者がいます」と言った。そうしてなおも聞いていると、声がたいへん尊く立派に聞こえるので、ただの人ではまさかあるまい、もしや少将大徳ではないかと思った。何と言うかと思って、「わたしはこの御寺におります。たいへん寒いので、お召し物を一つ貸してください」と言って、

「岩の上の旅寝をしていると、たいへん寒い。苔の衣をわたしに貸してください」

と言いやったところ、その返事に、

「世を背いた者の苔の衣は、ただ一重しかありません。重ねなければよそよそしい――さあ、二人で寝ましょう」

と言ってきたので、いよいよ少将だと思って、普通の仲以上に親しく語り合った間柄なので、会って話もしようと思って行ったところ、かき消すようにいなくなってしまった。寺じゅうを探させたけれど、すっかり逃げて姿を消してしまった。

こうして姿を消した大徳は、僧正にまでなって、花山という寺に住んでいらっしゃった。在俗でいらっしゃった時の子どもがいた。長男は左近将監で、殿上に仕えていた。こうして世にいらっしゃると聞いた時だけでもと、母も行かせたので、長男が行ったところ、「法師の子は法師になるのがよい」と言って、これも法師にしてしまった。こうして、

「折ってしまうと手に穢れる。立てたまま、三世の仏に花をさし上げます」

という歌も、僧正の御歌であった。この子を無理に法師にしてしまわれたその大徳は、自分の心からでもなく出家したので、親にも似ない。京にも通って出歩いていた。この大徳の親族であった人の娘で、内裏にさし上げようと大切に育てていたのを、ひそかに語らった。親が聞きつけて、男も女も情け容赦なくひどく言って、この大徳を寄せつけなくなったので、大徳は山に僧坊を構えて住んで、女への通いもできなかった。たいへん長くたって、この騒がれた女の兄たちなどが、人の法事のために山に登った。この大徳の住む所に来て、話などしてひと休みしていた時に、大徳がその人の着物の襟に書きつけた歌、

「白雲の宿る峰に取り残されてしまった。思いのほかの身の上になったことよ」

と書いたのを、この兄の兵衛尉は、気づかずに京へ帰った。妹が見つけて、しみじみと思ったのだろうか。これはのちに僧都になって、京極の僧都といっていらっしゃった。

意訳

仁明天皇の寵臣で、色好みの良少将(良岑宗貞)。約束を寝過ごして女に「丑三つ」の上の句で責められ、「寝過ごした」と下の句で返す軽妙な連歌に、宮廷の人気者の姿がある。

だが帝の葬送の夜、彼は誰にも告げずに姿を消した。一番愛していた妻にこそ、何も言えなかった。言えば決心が鈍るから――。夫の生死も分からぬ妻は初瀬寺に参り、「生きているならもう一度会わせて、死んだのなら成仏させて」と祈り、自分の衣まで布施に差し出す。そのすぐそばで、簑をまとった夫が聞いていた。何度も飛び出そうとしてこらえ、一晩泣き明かした簑には、血の涙がにじんでいた。この場面は、『大和物語』の中でも最も心を打つ場面の一つである。

帝の一周忌、喪服を脱ぐ人々のもとへ、柏の葉に書かれた歌が届く。「皆は花の衣に着替えるが、わたしの苔の衣よ、せめて乾いてくれ」――出家した者だけは、いつまでも喪が明けない。皇太后の使いがやっと探し当てた宗貞は、影のようにやせ細っていた。

清水寺では、昔なじみの小野小町が、読経の声で宗貞に気づき、「苔の衣を貸して」と歌いかける。宗貞は「一重しかないから、二人で寝よう」と、昔の色好みらしい戯れの歌を返しながら、会いに来た小町からはかき消すように逃げてしまった。のちに僧正遍昭となった宗貞と、出家させられた子の素性、さらにその兄弟の京極の僧都(由性)の恋の話で、段は結ばれる。

語釈・文法注

深草の帝
仁明天皇(810〜850、在位833〜850)。深草に葬られたのでこう呼ぶ。
良少將
良岑宗貞(816〜890)。桓武天皇の孫。仁明天皇の崩御とともに出家し、遍昭と名のった。のちに僧正。六歌仙・三十六歌仙の一人。百人一首に「天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよ」がある。
丑みつ
丑三つ。丑の刻(午前一時から三時)を四つに分けた三番目。午前二時ごろ。
はうふり
葬り。葬送。
さうじいもひ
精進潔斎。肉食などを断ち、身を清めること。
はつせのみ寺
初瀬の長谷寺(奈良県桜井市)。観音信仰で名高い。
簑
藁などで編んだ雨具。粗末な衣のたとえ。
導師
法会で中心となって経を読み、祈る僧。
ずきやう
誦経。経を読んでもらうこと、またそのお布施。
血の淚
激しく泣いて流す涙。
御はて
一周忌。
苔のたもと
苔の衣の袂。僧や隠者の粗末な衣。
五條のきさいの宮
藤原順子(809〜871)。仁明天皇の女御で、文徳天皇の母。五条に住んだ。
小野の小町
六歌仙の一人。百人一首に「花の色はうつりにけりないたづらに」がある。
きよ水
清水寺。
だらに
陀羅尼。梵語のまま唱える長い呪文。
ひうちげ
火打ち笥。火打ち石などを入れる袋。
僧正
僧官の最高位。遍昭は仁和元年(885)に僧正となった。
花山
花山寺(元慶寺)。京都市山科区。遍昭が開いた。
左近の將監
左近衛府の三等官。遍昭の長男、玄利(はるとし)。出家して素性となった。
僧正の御歌
「折りつれば」の歌は、『後撰和歌集』に遍昭の歌として入る。
京極の僧都
遍昭の子、由性(ゆうしょう)か。

文法

いみじき時にてありけり
「時」は時めくこと、羽振りのよいこと。
夜や更けぬらむ
「や」は疑問、結びは「らむ」。
夢に見ゆやとねぞ過ぎにける
「ね」に「寝」と、十二支の「子(ね)」を掛ける。「ぞ」の結びで「ける」。
法師にやなりにけむ、身をや投げてけむ
「や」は疑問、結びは「けむ」。人々の推測。
聞えなむ
「な」は強意、「む」は推量。
えかくなるまじき
「え…まじ」で、とてもできそうにない。
ともかくもなれ
どうなるにせよ。
申しもやらず
「…やらず」で、最後まで…しきれない。
走りや出でなまし
「や」は疑問、「な」は強意、「まし」はためらい。
かわきだにせよ
「だに」は最小限の願望。せめて乾いてくれ。
死なむをごにて
底本の本文。「死なむを期(ご)にて」で、死ぬことを期して、の意に解した。
おくらさむやは
「やは」は反語。
よもあらじ
「よも…じ」で、まさか…ないだろう。
かさなむ
「なむ」は他にあつらえ望む終助詞。貸してほしい。
おしなしたうびける
「おしなす」は無理に…にする。「たうぶ」は「給ぶ」のウ音便。
あはれとや思ひけむ
「や」は疑問、結びは「けむ」。語り手の推測。

和歌

人心 うしみつ今は たのまじよ 夢に見ゆやと ねぞ過ぎにける

詠者
上の句:内裏の女/下の句:良少将(良岑宗貞)
状況
約束の夜に来ず、丑三つの時刻を聞いた女が上の句を、驚いた宗貞が下の句を付けた短連歌。

修辞

掛詞
「うし」に「憂し」と「丑」、「ね」に「寝」と「子(ね)」を掛ける。
連歌
上の句と下の句を二人で付け合う短連歌。

皆人は 花のころもに なりぬなり 苔のたもとよ かわきだにせよ

詠者
良岑宗貞(遍昭)
状況
仁明天皇の一周忌、喪服を脱ぐ人々に、柏の葉に書いて届けた歌。『古今和歌集』哀傷にも入る。

修辞

対照
「花の衣」と「苔の袂」を対照させる。

かぎりなき 雲ゐのよそに 別るとも 人にこゝろを おくらさむやは

詠者
良岑宗貞(遍昭)
状況
五条の后(藤原順子)の使いへの返事として。

修辞

掛詞
「雲ゐ」に宮中と、帝のいる天上を重ねる。

いはのうへの 旅寢をすれば いと寒し 苔のころもを 我にかさなむ

詠者
小野小町
状況
清水寺で、読経の声から宗貞と察して。『後撰和歌集』雑三にも入る。

世をそむく 苔の衣は たゞひとへ かさねばうとし いざふたりねむ

詠者
良岑宗貞(遍昭)
状況
小町の歌への返し。『後撰和歌集』雑三にも入る。

修辞

掛詞
「かさね」に衣を「重ね」と「貸さね(貸さないで)」を響かせる。

折りつれば たふさにけがる たてながら みよの佛に 花たてまつる

詠者
良岑宗貞(遍昭)
状況
僧正となってのちの歌。『後撰和歌集』春下にも入る。

修辞

掛詞
「たて」に花を「立て」と「奉(たてまつ)る」を重ねる。

白雲の やどる嶺にぞ おくれぬる おもひの外に ある世なりけり

詠者
京極の僧都(遍昭の子)
状況
仲を裂かれた女の兄の着物の襟に書きつけて。

解説

第168段は『大和物語』で最も長い段で、良岑宗貞(のちの僧正遍昭)の出家をめぐる物語である。宗貞は桓武天皇の孫で、仁明天皇の寵愛を受けたが、嘉祥三年(850)の天皇の崩御とともに出家した。百人一首の「天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよをとめの姿しばしとどめむ」は、出家前の良少将時代の歌である。

この段の中心は、初瀬寺の場面である。夫の行方を案じて祈る妻と、そのすぐそばで名のり出ることもできずに血の涙を流す夫――出家という決断が、残された家族にどれほどの悲しみをもたらすかが、具体的な場面の中で描かれている。「走りや出でなましと千度思ひけれど」という言葉に、世を捨てきれない人間の心の揺れがある。のちの『今昔物語集』や、謡曲などにもこの話は受け継がれた。

清水寺の小野小町との贈答は、『後撰和歌集』にも入っており、色好みの宮廷人と女流歌人の出会いとして、後世よく語られた。この段は、宗貞の出家、小町との再会、僧正となってからの歌、子の素性・由性の話と、一人の人物の生涯を長くたどっており、『大和物語』の歌語りが、伝記的な物語へと広がっていく姿を示している。

関連

出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部四 雑下(大和物語) 板倉屋書房、明治36年(1903)、68〜72頁(コマ39–41)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日