大和物語 第19章(第143段〜第146段)
在次君の旅と遊女たち
在原業平の子の在次君と五条の御の恋、地方を旅して宿駅に歌を書きつけ、甲斐の国で死んだ在次君、宇多法皇の御幸先で歌をよんで賞された遊女の白女と、大江玉淵の娘の「鳥飼」の歌まで、四つの段。
- 1昔昔むかし、、、のみむすこのみむすこのみむすこきみといふがめなるきみといふがめなるきみというがめなる人人ひとなむありけるなむありけるなむありける。。。女女おんなははは蔭蔭かげののの中納言中納言ちゅうなごんののの御御おんめひにてめひにてめいにてののの御御おんとなむとなむとなむ言言いひけるひけるいける。。。かのかのかの在次在次ざいじきみのきみのきみの妹妹いもうとののの伊勢伊勢いせののの守守かみのめにていますかりけるがのめにていますかりけるがのめにていますかりけるが許許もとにいきてにいきてにいきて、、、ををを、、、このめのせうとのこのめのせうとのこのめのしょうとの在次在次ざいじきみきみきみははは忍忍しのびてすむになむありけるびてすむになむありけるびてすむになむありける。。。
- 2われのみとわれのみとわれのみと思思おもふにこのふにこのうにこの男男おとこのののはらからなむはらからなむはらからなむ、、、又又またあひたるけしきなりけるあひたるけしきなりけるあいたるけしきなりける。。。ばばば女女おんなののの許許もとににに、、、
- 3「「「忘忘わすれなむとれなむとれなむと思思おもふふう心心こころののの悲悲かなしさしさしさはははうきもうきもうきも憂憂うからぬものにぞありけるからぬものにぞありけるからぬものにぞありける」」」
- 4となむとなむとなむ詠詠よみたりけるみたりけるみたりける。。。今今いまははは皆皆みな事事ことなりなりなり。。。
- 5このこのこの在次在次ざいじ君君きみ、、、在中將在中將ざいちゅうじょう、、、このこのこの子子こどもゝどもゝどもも人人ひとののの國國くにがよひがよひがよいをををなむなむなん時々時々ときどきしけるしけるしける。。。心心こころあるものにてあるものにてあるものにて、、、人人ひとののの國國くにののの哀哀あわれににに心細心細こころぼそききき所々所々ところどころにてにてにてははは歌歌うたよみてよみてよみて書書かきつけなどなむしけるきつけなどなむしけるきつけなどなむしける。。。
- 6うまやといふうまやといふうまやという所所ところははは海邊海邊うみべになむありけるになむありけるになむありける。。。それにそれにそれに詠詠よみてみてみて書書かきつけたりけるきつけたりけるきつけたりける、、、
- 7「「「わたつみとわたつみとわたつみと人人ひとややや見見みるらむるらむるらむ逢逢あふことのふことのうことの涙涙なみだをををぶさになきつめつれぶさになきつめつれぶさになきつめつれははは」」」。。。
- 8又又また里里さとといふうまやにてといふうまやにてといううまやにて、、、
- 9「「「いついついつはははとととははは別別わかねどたえてかねどたえてかねどたえて秋秋あきののの夜夜よぞぞぞ身身みののの侘侘わびしさしさしさははは知知しりまさりけるりまさりけるりまさりける」」」
- 10とよみてとよみてとよみて書書かきつけたりけりきつけたりけりきつけたりけり。。。かくてかくてかくて人人ひとののの國國くにありきありきてありきありきてありきありきてののの國國くにににに到到いたりてりてりて住住すみけるみけるみける程程ほどににに、、、病病やまいしてしてして死死しぬとてぬとてぬとて詠詠よみたりけるみたりけるみたりける、、、
- 11「「「かりそめのゆきかひかりそめのゆきかひかりそめのゆきかい路路じとぞとぞとぞ思思おもひしひしいしををを今今いまはははかぎりのかぎりのかぎりの門出門出かどでなりけりなりけりなりけり」」」
- 12とよみてなむとよみてなむとよみてなむ死死しにけるにけるにける。。。このこのこの在次在次ざいじ君君きみののの一所一所ひとところににに具具ぐしてしりたりけるしてしりたりけるしてしりたりける人人ひと、、、三河三河みかわののの國國くによりのぼるとてこのよりのぼるとてこのよりのぼるとてこの驛驛うまやどもにどもにどもに宿宿やどりてこのりてこのりてこの歌歌うたどもどもどもををを見見みててて、、、手手てははは見知見知みしりたりければりたりければりたりければ見見みつけてつけてつけて、、、いとあはれといとあはれといとあわれと思思おもひけりひけりいけり。。。
- 13亭子亭子ていじののの帝帝みかどにおはしましにけりにおはしましにけりにおわしましにけり。。。。。。召召めしにしにしに遣遣つかわしたりければしたりければしたりければ參參まいりてさぶらふりてさぶらふりてさぶらう。。。上達部上達部かんだちめ殿上人殿上人てんじょうびとみこみこみこ達達だちのあまたのあまたのあまた侍侍さぶらひひい給給たまひければひければいければ、、、しもにしもにしもに遠遠とおくさぶらふくさぶらふくさぶらう。。。
- 14「「「かうかうこう遙遙はるかににに侍侍さぶらふよしふよしうよし、、、歌歌うた仕仕つこうまつれうまつれうまつれ」」」ととと仰仰おおせられければせられければせられければ、、、すなすなすなはははちよみてちよみてちよみて奉奉たてまつりけるりけるりける。。。
- 15「「「濱千鳥濱千鳥はまちどり飛飛とびびび行行ゆくかぎりありければくかぎりありければくかぎりありければ雲雲くも立立たつつつ山山やまをををあああはははとこそとこそとこそ見見みれれれ」」」
- 16とよみたりければとよみたりければとよみたりければ、、、いとかしこくめでいとかしこくめでいとかしこくめで給給たもうてかづけうてかづけうてかずけ物物もの賜賜たまふふう。。。
- 17「「「いのちだにいのちだにいのちだに心心こころにかなふものならばにかなふものならばにかなうものならば何何なにかわかれのかわかれのかわかれの悲悲かなしからまししからまししからまし」」」
- 18といふといふという歌歌うたももも、、、このしろがよみたるこのしろがよみたるこのしろがよみたる歌歌うたなりけりなりけりなりけり。。。
- 19亭子亭子ていじののの帝帝みかど、、、かひのかひのかいの院院いんにおはしましにけりにおはしましにけりにおわしましにけり。。。例例れいのごとのごとのごと御遊御遊おおんあそびありありあり。。。このわたりのこのわたりのこのわたりのうかれめどもあまたうかれめどもあまたうかれめどもあまた參參まいりてりてりて侍侍さぶらふふう中中なかににに、、、「「「聲聲こえおもしろくよしあるものおもしろくよしあるものおもしろくよしあるものははは侍侍はべりやりやりや」」」ととと問問とはせはせわせ給給たまふにふにうに、、、うかれめばらのうかれめばらのうかれめばらの申申もうすやうすやうすよう、、、「「「のたまぶちがむすめといふものなむのたまぶちがむすめといふものなむのたまぶちがむすめというものなむ珍珍めずらしうらしうらしゅう參參まいりてりてりて侍侍はべるるる」」」ととと申申もうしければしければしければ見見みさせさせさせ給給たまふにふにうに、、、さまかたちもさまかたちもさまかたちも淸淸きよげなりければげなりければげなりければ、、、あはれがりたまうてあはれがりたまうてあわれがりたもうて、、、うへにうへにうえに召召めししし上上あげげげ給給たまふふう。。。
- 20「「「そもそもまことかそもそもまことかそもそもまことか」」」などなどなど問問とはせはせわせ給給たまふにふにうに、、、とりかひといふとりかひといふとりかいという題題だいををを、、、人々人々ひとびとによませによませによませ給給たまひにけりひにけりいにけり。。。仰仰おおせせせ給給たまふやうふやううよう、、、「「「たまぶちたまぶちたまぶちはははいとらうありていとらうありていとろうありて歌歌うたなどよくよみきなどよくよみきなどよくよみき。。。このとりかひといふこのとりかひといふこのとりかいという題題だいをををよくよくよく仕仕つこうまつりたらむにしたがひてうまつりたらむにしたがひてうまつりたらむにしたがいて、、、まことのことまことのことまことのことはははおもほさむおもほさむおもおさむ」」」ととと仰仰おおせせせ給給たまひけりひけりいけり。。。
- 21うけたまはりてすなうけたまはりてすなうけたまわりてすなはははちちち、、、
- 22「「「淺淺あさみどりかひあるみどりかひあるみどりかいある春春はるにあひぬればにあひぬればにあいぬれば霞霞かすみならねどならねどならねど立立たちのぼりけりちのぼりけりちのぼりけり」」」
- 23とよむとよむとよむ時時ときににに、、、帝帝みかどのゝしりのゝしりののしり哀哀あわれがりれがりれがり給給たもうてうてうて御御おん給給たまふふう。。。人々人々ひとびともよくもよくもよく醉醉えひたるひたるいたる程程ほどにてゑひなきいとになくすにてゑひなきいとになくすにてえいなきいとになくす。。。帝帝みかど、、、御御おん袿袿うちき一襲一襲ひとかさね袴袴はかまたまふたまふたまう。。。
- 24「「「ありとあるありとあるありとある上達部上達部かんだちめみこみこみこ達達だち四位四位しい五位五位ごいこれにこれにこれに物物ものぬぎてぬぎてぬぎて取取とらせざらむものらせざらむものらせざらむものははは座座ざよりよりより立立たちねちねちね」」」とのとのとの給給たもうければうければうければかたはしかたはしかたはしよりよりより上下上下かみしも皆皆みなかづけたればかづけたればかずけたれば、、、かづきかづきかずき餘餘あまりてりてりて、、、積積つみてぞみてぞみてぞ置置おきたりけるきたりけるきたりける。。。
- 25かくてかくてかくて歸歸かえりりり給給たまふとてふとてうとて、、、院院いんののの七七しち郞郞ろう君君きみといふといふという人人ひとありけりありけりありけり。。。それなむこのそれなむこのそれなむこの住住すむあたりにむあたりにむあたりに家家いえ造造つくりてりてりて住住すむとむとむと聞聞きこしめしてしめしてしめして、、、それにぞなむのたまひあづけゝるそれにぞなむのたまひあづけゝるそれにぞなむのたまいあずけける、、、「「「かれがかれがかれが申申もうさむさむさむ事事こと院院いんににに奏奏そうせよせよせよ。。。院院いんよりよりより賜賜たまはせむものもかのはせむものもかのわせむものもかの七七しち郞郞ろう君君きみがりがりがり遣遣つかわさむさむさむ。。。すべてかれにすべてかれにすべてかれに侘侘わびしきしきしき目目めななな見見みせそせそせそ」」」ととと仰仰おおせられければせられければせられければ、、、常常つねになむとぶらひになむとぶらひになむとぶらい顧顧かえりみけるみけるみける。。。
現代語訳
〔第143段〕昔、在中将(業平)の御子の在次君という人の妻であった人がいた。その女は山蔭の中納言の姪で、五条の御といった。その女は、在次君の妹で伊勢守の妻でいらっしゃった人のもとに行って、守の召人として仕えていたが、この妻の兄の在次君がひそかに通っていたのであった。自分だけと思っていたのに、この男の兄弟も、また逢っている様子であった。
(……)女のもとに、
「忘れてしまおうと思う心の悲しさは、つらいことも、つらいと思えないほどのものでした」
とよんだ。今はみな昔話になってしまったことである。
〔第144段〕この在次君は、在中将が東国に行ったせいだろうか、この子どもも、地方へ行くことを時々していた。情趣を解する人で、地方のしみじみと心細い所々では、歌をよんで書きつけなどしていた。小総(おぶさ)の駅という所は海辺にあった。そこでよんで書きつけた歌、
「海だと人は見るだろうか。逢えないことの涙を、小総――おおぶさに――泣いてためたので」。
また、美濃輪(みのわ)の里という駅で、
「いつがそうだと区別はできないけれど、とりわけ秋の夜こそ、わが身のわびしさはいっそう思い知られることだ」
とよんで書きつけた。こうして地方を歩きまわって、甲斐の国に着いて住んでいたうちに、病気になって死ぬというときによんだ歌、
「かりそめの行き来の道と思っていたのに、今はもう最後の門出であったことよ」
とよんで死んでしまった。この在次君と一緒に連れ立って知り合っていた人が、三河の国から上京するというので、これらの宿駅に泊まって、この歌どもを見て、筆跡は見覚えがあったので見つけて、たいへん悲しく思った。
〔第145段〕亭子の帝(宇多法皇)が、河尻においでになった。遊女に白女という者がいた。召しにやったところ、参上してお仕えする。上達部・殿上人・親王たちが大勢お仕えしていらっしゃったので、白女は下手に遠く控えている。
「このように遠くにお仕えしている気持ちを、歌によみ申せ」とおおせられたので、すぐによんでさし上げた歌。
「浜千鳥は飛んで行くのにも限りがあるので、雲の立つ山を、はるかに淡く見るばかりです」
とよんだので、法皇はたいそう感心なさって、褒美の衣をくださる。
「命さえ思いのままになるものならば、どうして別れが悲しいことがあろう」
という歌も、この白女がよんだ歌であった。
〔第146段〕亭子の帝が、鳥飼の院においでになった。いつものように管絃の遊びがある。このあたりの遊女たちが大勢参上してお仕えする中で、「声がよく、たしなみのある者はおりますか」とお尋ねになると、遊女たちが申し上げるには、「大江玉淵の娘という者が、めずらしく参っております」と申し上げたので、ご覧になると、姿かたちも美しかったので、心ひかれなさって、近くにお召し上げになる。「そもそも、ほんとうか」などとお尋ねになって、「鳥飼」という題を人々によませなさった。法皇がおおせになるには、「玉淵はたいへん才気があって、歌などもよくよんだ。この『鳥飼』という題をうまくよんだなら、それに従って、ほんとうに玉淵の娘だと思おう」とおおせになった。娘はうけたまわって、すぐに、
「浅緑の新芽の萌える、かいのある春にめぐりあったので、霞ではないけれど、わたしも御前に立ちのぼりました」
とよむと、法皇は大声でおほめになり、感動なさって、涙をお流しになる。人々も酔っていた時なので、酔い泣きをこのうえなくする。法皇は、御袿一襲と袴をお与えになる。「ここにいる上達部・親王たち・四位五位の者で、この者に衣を脱いで与えない者は、座を立ってしまえ」とおっしゃったので、端から上の者も下の者も皆衣を与えたので、肩にかけきれずに、二間ほどの広さに積んで置いてあった。こうしてお帰りになるというので、南院の七郎君という人がいた。その人が、この遊女の住むあたりに家を造って住んでいるとお聞きになって、その人にお預けになった。「この者が申すことは、院に奏上せよ。院から賜るものも、その七郎君のもとに届けよう。すべてこの者にわびしい目を見せるな」とおおせられたので、七郎君はいつも訪ねて面倒を見ていた。
意訳
〔第143段〕業平の子の在次君は、伊勢守の妻である妹のもとに仕える五条の御のところへ、ひそかに通っていた。ところが、在次君の兄弟もまた、同じ女に通っている様子。「忘れようと思う悲しさに比べれば、つらさなど何でもない」――在次君の歌は、裏切りを知った男の痛みを伝える。底本はこのあたりの本文が乱れていて、話のつながりが分かりにくい。
〔第144段〕父の業平が東国へ下ったのにならうように、在次君も地方を旅し、宿駅の壁に歌を書きつけていった。旅のはてに甲斐の国で病み、「かりそめの行き来と思っていた道が、最後の門出だった」と辞世をよんで死ぬ。のちに旅仲間が同じ宿駅に泊まり、見覚えのある筆跡の歌を見つけて涙する。旅の途中で消えた人の跡を、残された歌がたどらせる、哀切な段である。
〔第145・146段〕宇多法皇の御幸先、淀川べりの河尻と鳥飼で、歌によって法皇に認められた遊女たち。白女は、遠くに控える身を「飛ぶにも限りのある浜千鳥」にたとえて褒美を賜った。大江玉淵の娘は、「鳥飼」の題を「かひある春」に詠みこみ、身分の高い人々の前に「立ちのぼった」喜びを歌った。感動した法皇は、居並ぶ貴族全員に衣を脱いで与えさせ、その衣が二間も積み上がったという。そのうえ、娘の暮らしの面倒まで見させた――歌の力で身を立てた女性の、晴れやかな物語である。
語釈・文法注
- 在中將
- 在原業平(825〜880)。右近衛権中将であったのでこう呼ぶ。
- 在次きみ
- 在原滋春。業平の次男。「在次」は在原氏の次男の意。
- 山蔭の中納言
- 藤原山蔭(824〜888)。
- 五條の御
- 女房の名。
- めしうど
- 召人。主人の寵愛を受ける侍女。
- ふるごと
- 古事。昔話。
- あづま
- 東国。業平が東下りをしたという『伊勢物語』の話をふまえる。
- をぶさのうまや
- 小総の駅。上総国あたりの宿駅か。所在は未詳。
- みのわの里
- 美濃輪の里。所在は未詳。
- 甲斐の國
- 今の山梨県。
- 河尻
- 淀川の河口。今の大阪市・尼崎市あたり。遊女の多い所として知られた。
- うかれめ
- 遊女。歌や舞で旅人をもてなした女性。
- しろ
- 白女(しろめ)。河尻の遊女。『古今和歌集』に歌が入る。
- 鳥かひの院
- 鳥飼院。摂津国鳥飼(今の大阪府摂津市)にあった離宮。
- 大江のたまぶち
- 大江玉淵。大江音人の子。歌人。
- しほたれ
- 涙を流すこと。
- ふたま
- 二間。柱と柱の間が二つ分の広さ。
- 南院の七郞君
- 南院(是忠親王家)の七男。源宗于の弟か。
文法
- あひたるけしきなりける。
- 底本はここで句点を置き、次の頁は「ば女の許に」で始まる。間に本文の脱落があるらしく、意味がつながらない。訳では(……)で示した。
- うきも憂からぬものにぞありける
- 「ぞ」の結びで「ける」。
- なりにたる事なり
- 語り手の言葉。今ではもう昔の話だ、と時の隔たりを示す。
- けにやあらむ
- 「け」は「故(け)」で、せい、ため。…のせいだろうか。
- なきつめつれは
- 底本は「つれは」と刷る。「つれば」の意。
- 知りまさりける
- 「ぞ」の結びで連体形。
- しりたりける人
- 知り合っていた人。
- あはとこそ見れ
- 「あは」は、はるかに淡く。「こそ」の結びで已然形「見れ」。
- 悲しからまし
- 「ならば…まし」の反実仮想。
- よく仕うまつりたらむにしたがひて
- 「たら」は完了の「たり」の未然形、「む」は仮定。
- 立ちね
- 「ね」は完了の「ぬ」の命令形。立ち去ってしまえ。
- な見せそ
- 「な…そ」の禁止。
和歌
忘れなむと 思ふ心の 悲しさは うきも憂からぬ ものにぞありける
- 詠者
- 在次君(在原滋春)
- 状況
- 通っていた五条の御が、自分の兄弟とも逢っていると知って。
わたつみと 人や見るらむ 逢ふことの 涙をぶさに なきつめつれは
- 詠者
- 在次君(在原滋春)
- 状況
- 海辺の小総の駅に書きつけて。
修辞
- 掛詞
- 「をぶさ」に駅名「小総」と「おほぶさ(たくさん)」を掛ける。
いつはとは 別かねどたえて 秋の夜ぞ 身の侘しさは 知りまさりける
- 詠者
- 在次君(在原滋春)
- 状況
- 美濃輪の里の駅で。
修辞
- 本歌
- 「いつはとは時はわかねど秋の夜ぞもの思ふことの限りなりける」(古今集)に似る。
かりそめの ゆきかひ路とぞ 思ひしを 今はかぎりの 門出なりけり
- 詠者
- 在次君(在原滋春)
- 状況
- 旅先の甲斐の国で、病で死ぬにあたって。『古今和歌集』哀傷にも入る。
修辞
- 掛詞
- 「かひ路」に「甲斐路」を響かせる。
濱千鳥 飛び行くかぎり ありければ 雲立つ山を あはとこそ見れ
- 詠者
- 白女
- 状況
- 河尻で、遠くに控えている気持ちを歌によめと宇多法皇に命じられて。
修辞
- 比喩
- 浜千鳥に身分の低い自分を、雲の立つ山に高貴な人々をたとえる。
いのちだに 心にかなふ ものならば 何かわかれの 悲しからまし
- 詠者
- 白女
- 状況
- 別れの歌。『古今和歌集』離別にも入る。
修辞
- 反実仮想
- 「ならば…まし」。
淺みどり かひある春に あひぬれば 霞ならねど 立ちのぼりけり
- 詠者
- 大江玉淵の娘
- 状況
- 鳥飼院で、「とりかひ」の題で歌をよめと宇多法皇に命じられて。
修辞
- 物名
- 「(浅みど)りかひ(ある)」に「とりかひ(鳥飼)」を詠みこむ。
- 掛詞
- 「かひ」に「甲斐」と「卵(かひ)」を響かせ、「立ちのぼる」に霞が立つことと御前に召し上げられることを掛ける。
解説
第143・144段の在次君は、在原業平の子の滋春とされる。第144段の辞世の歌「かりそめのゆきかひ路とぞ思ひしを今はかぎりの門出なりけり」は、『古今和歌集』哀傷歌に在原滋春の歌として入っている。父の業平が『伊勢物語』で東国へ旅したように、その子もまた旅に出て、旅先で死ぬ。「在中将のあづまにいきたるけにやあらむ」という語り手の言葉には、業平の物語がすでに広く知られていたことがうかがえる。
第145・146段は、宇多法皇が淀川べりの河尻や鳥飼院に御幸した際に、遊女たちが歌で名を上げた話である。遊女は歌や舞で旅人をもてなす女性で、身分は低かったが、すぐれた歌の才能をもつ者もいた。白女の歌は『古今和歌集』にも採られている。
第146段の大江玉淵の娘の話では、法皇が居並ぶ貴族に衣を脱いで与えるよう命じ、その衣が二間も積み上がったという。歌一首が、遊女の運命を大きく変える。法皇が南院の七郎君に娘の世話を命じる結びには、宇多法皇の情け深い人柄も描かれている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部四 雑下(大和物語) 板倉屋書房、明治36年(1903)、48〜51頁(コマ28–29)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日