大和物語 第17章(第137段〜第140段)
志賀の山越と芥川
志賀の山越の岩江にあった元良親王の山荘にとし子が書きつけた歌、背の低い小薬師くその求婚、元良親王に捨てられて病みついた承香殿の中納言の君の「芥川」と雪の松、源昇の娘と親王の「草枕」の贈答まで、四つの段。
- 1志賀志賀しがののの越越こしののの道道みちにににととと云云いふふう所所ところににに故故このみやのみやのみや家家いえをををいとをかしういとをかしういとおかしゅう造造つくりりり給給たもうてうてうて、、、時々時々ときどきおはしましけりおはしましけりおわしましけり。。。いといといと忍忍しのびておはしましてびておはしましてびておわしまして志賀志賀しがににに詣詣もうづるづるずる女女おんなどもどもどもををを見見み給給たまふふう時時ときもありけりもありけりもありけり。。。
- 2大方大方おおかたもいとおもしろうもいとおもしろうもいとおもしろう、、、家家いえもいとをかしうなむありけるもいとをかしうなむありけるもいとおかしゅうなむありける。。。子子こ、、、志賀志賀しがににに詣詣もうでけるでけるでける序序ついでにこのにこのにこの家家いえににに來來きてめぐりつゝてめぐりつゝてめぐりつつ見見みててて哀哀あわれがりめでなどしてがりめでなどしてがりめでなどして書書かきつけたりけるきつけたりけるきつけたりける。。。
- 3「「「かりにのみかりにのみかりにのみ來來くるるる君待君待きみまつとふりつとふりつとうり出出いでゝでゝでて鳴鳴なくくく山山やまははは秋秋あきぞぞぞ悲悲かなしきしきしき」」」
- 4となむとなむとなむ書書かきつけていにけるきつけていにけるきつけていにける。。。
- 5くそとくそとくそと言言いひけるひけるいける人人ひと、、、あるあるある人人ひとをををよばひておこせたりけるよばひておこせたりけるよばいておこせたりける。。。
- 6「「「底底そこののの下草下草したくさみがくれてみがくれてみがくれて知知しられぬこひられぬこひられぬこいはははくるしかりくるしかりくるしかりけりけりけり」」」。。。
- 7かへしかへしかへし、、、女女おんな、、、
- 8「「「みがくれにかくるばかりのみがくれにかくるばかりのみがくれにかくるばかりの下草下草したくさははは長長ながからじともおもほゆるかなからじともおもほゆるかなからじともおもおゆるかな」」」。。。
- 9このこのこの小藥師小藥師こやくしといひけるといひけるといいける人人ひとははは丈丈たけなむいとなむいとなむいと短短みじかかゝりけるかゝりけるかかりける。。。
- 10先帝先帝せんだいののの御時御時おおんときにににののの御息所御息所みやすどころののの御曹司御曹司みぞうしにににののの君君きみといふといふという人人ひと侍侍さぶらひけりひけりいけり。。。それそれそれををを故故こ兵部卿兵部卿ひょうぶきょうののの宮宮みや、、、若若わか男男おとこにてにてにてののの宮宮みやととと聞聞きこえてえてえて色色いろ好好このみみみ給給たもうけるうけるうける頃頃ごろ、、、承香殿承香殿じょうきょうでんはははいといといと近近ちかききき程程ほどになむありけるになむありけるになむありける。。。
- 11らうありをかしきらうありをかしきろうありおかしき人々人々ひとびとありとありとありと聞聞きききき給給たもうてうてうて物物ものなどのたまひかはしけりなどのたまひかはしけりなどのたまいかわしけり。。。さりけるころほひさりけるころほひさりけるころおい、、、このこのこの中納言中納言ちゅうなごんののの君君きみににに忍忍しのびてびてびて寢寢ね給給たまひそめてけりひそめてけりいそめてけり。。。
- 12時々時々ときどきおはしましておはしましておわしまして後後のちこのこのこの宮宮みやをををさささをををさとひさとひさとい給給たまはざりけりはざりけりわざりけり。。。さるころさるころさるころ女女おんなののの許許もとよりよりより詠詠よみてみてみて奉奉たてまつりたりけるりたりけるりたりける、、、
- 13「「「人人ひとをををとくとくとく川川がわてててふふふ津津つののの國國くにのなにのなにのなにははは違違たがはぬはぬわぬ君君きみにぞありけるにぞありけるにぞありける」」」。。。
- 14かくてかくてかくて物物ものもくもくもくはははででで泣泣なくくく泣泣なくくく病病やまいになりてになりてになりて戀戀こひひひ奉奉たてまつりけるりけるりける。。。かのかのかの承香殿承香殿じょうきょうでんののの前前ぜんののの松松まつににに雪雪ゆきののの降降ふりかゝりたりけるりかゝりたりけるりかかりたりけるををを折折おりてかくなむりてかくなむりてかくなむ聞聞きこえええ奉奉たてまつりけるりけるりける、、、
- 15「「「來來きぬぬぬ人人ひとをををまつのまつのまつの葉葉はにににふるふるふる白雪白雪しらゆきののの消消きえこそかへれえこそかへれえこそかえれ逢逢あはぬおもひにはぬおもひにわぬおもいに」」」
- 16とてなむとてなむとてなむ「「「ゆめゆめゆめ、、、このこのこの雪雪ゆきおとすなおとすなおとすな」」」ととと使使つかいにいひてなむにいひてなむにいいてなむ奉奉たてまつりけるりけるりける。。。
- 17故故こ兵部卿兵部卿ひょうぶきょうののの宮宮みや、、、大納言大納言だいなごんのむすめにすみのむすめにすみのむすめにすみ給給たもうけるうけるうけるををを、、、例例れいはははあらであらであらでにおましにおましにおまし敷敷しきておほとのごもりなどしてきておほとのごもりなどしてきておおとのごもりなどして歸歸かえりりり給給たもうてうてうて、、、程程ほど久久ひさしうおはしまさゞりけりしうおはしまさゞりけりしゅうおわしまさざりけり。。。
- 18かくてのたまへりけるかくてのたまへりけるかくてのたまえりける、、、「「「かのかのかの廂廂ひさしににに敷敷しかれたりしものかれたりしものかれたりしものはははさながらありやさながらありやさながらありや。。。とりたてやしとりたてやしとりたてやし給給たまひてしひてしいてし」」」とのたまへりければとのたまへりければとのたまえりければ、、、御御おん返事返事へんじににに、、、
- 19「「「敷敷しきかへずありしながらにきかへずありしながらにきかえずありしながらに枕枕まくら塵塵ちりのみのみのみぞぞぞゐるゐるいるはらふはらふはらう人人ひとなみなみなみ」」」
- 20とありければとありければとありければ、、、御御おん返返かえしにしにしに、、、
- 21「「「草草くさ枕枕まくらちりちりちりはらひはらひはらいにににははは唐唐からごろもごろもごろも袂袂たもとゆたかにたつゆたかにたつゆたかにたつをををまてかしまてかしまてかし」」」
- 22とあればとあればとあれば、、、またまたまた、、、
- 23「「「唐衣唐衣からぎぬたつたつたつをををまつまつまつ間間まのののほどこそほどこそほどこそははは」」」
- 24となむありければおはしましてとなむありければおはしましてとなむありければおわしまして、、、又又また「「「宇治宇治うじへへへ狩狩かりしになむいくしになむいくしになむいく」」」とのとのとの給給たまひけるひけるいける。。。御御おんかへしにかへしにかえしに、、、
- 25「「「みかりみかりみかりするするする山山やまののの鹿鹿しかよりもよりもよりもひとりひとりひとり寢寢ぬるるる夜夜よぞわびしかりけるぞわびしかりけるぞわびしかりける」」」。。。
現代語訳
〔第137段〕志賀の山越えの道の岩江という所に、故兵部卿の宮(元良親王)が家をたいへん趣深くお造りになって、時々おいでになった。ひっそりとおいでになって、志賀寺に参詣する女たちをご覧になる時もあった。あたりの景色もたいへん美しく、家もたいへん趣のある様子であった。とし子が志賀寺に参詣したついでに、この家に来て、あちこち見て回って、しみじみと感じ入り、ほめたたえなどして書きつけた歌。
「仮にだけ――狩にだけ――やって来るあなたを待つといって、声をふり絞って鳴く鹿の、この志賀の山は、秋が悲しいことです」
と書きつけて去った。
〔第138段〕小薬師くそと言った人が、ある人に求婚してよこした歌。
「隠れ沼の底の下草のように、水に隠れて人に知られない恋は苦しいものです」。
女の返し、
「水に隠れるほどの下草なら、たけは長くないでしょうね」。
この小薬師という人は、背丈がたいへん低かったのである。
〔第139段〕先帝(醍醐天皇)の御代に、承香殿の御息所のお部屋に、中納言の君という人がお仕えしていた。その人を、故兵部卿の宮(元良親王)が、若い男で一の宮と申し上げて色好みでいらっしゃったころ、宮の局は承香殿にたいへん近い所にあった。才気があって趣深い人々がいるとお聞きになって、言葉を交わしたりなさっていた。そうしたころ、この中納言の君とひそかに共寝をしはじめなさった。時々おいでになったが、そののちこの宮は、ほとんどお訪ねにならなくなった。そのころ、女のもとからよんでさし上げた歌、
「人をたちまち飽きる――芥川という摂津の国の、難波という名のとおり、その名に違わないあなたでしたね」。
こうして女は、物も食べずに泣き暮らして病気になって、宮を恋い慕い申し上げた。あの承香殿の前の松に雪が降りかかっていたのを折って、こう申し上げた歌、
「来ない人を待つ、松の葉に降る白雪のように、消えかえるほどに思い沈んでいます。逢えない思いに」
と言って、「決してこの雪を落とさないように」と使いに言って、さし上げた。
〔第140段〕故兵部卿の宮が、昇の大納言の娘のもとに通っていらっしゃったが、いつもの御座所ではなく、廂の間に御座を敷いておやすみになったりしてお帰りになって、長いあいだおいでにならなかった。そうしておっしゃってきた。「あの廂に敷かれていた御座は、そのままになっているか。片付けてしまったのか」とおっしゃったので、御返事に、
「敷き替えもせず、あの時のままに草枕――御座には、塵ばかりが積もっています。払う人もいないので」
とあったので、宮の御返しに、
「草枕の塵を払うためには、唐衣の袂をゆったりと仕立てるのを待っていなさい」
とあると、また、
「唐衣を裁つのを待つ間――あなたが発つのを待つ間にこそ、わたしの敷妙(しきたえ)の床の塵も積もるのでしょう」
とあったので、宮はおいでになって、また「宇治へ狩をしに行く」とおっしゃった。その御返事に、
「御狩をなさる栗駒山の鹿よりも、ひとりで寝る夜のほうが、わびしいことです」。
意訳
〔第137段〕元良親王の山荘に、とし子は「仮(狩)にしか来ない主を待って、鹿が鳴いている」と書きつけた。主のいない山荘の寂しさと、気まぐれにしか通わない親王の色好みとを、さりげなく重ねている。
〔第138段〕「水の底の下草のように、隠れた恋は苦しい」と言い寄った小薬師くそに、女は「水に隠れるような草なら、背丈は短いのでしょう」と返した。語り手が「この人は背が低かった」と種明かしをして、笑いで結ぶ。
〔第139段〕元良親王に捨てられた中納言の君は、「人をすぐ飽きる(芥川)、名に違わない(難波)お方」と恨み、やがて食事もとらずに病みついた。雪の積もった松の枝に「待つ」思いを託し、「この雪を落とさないで」と使いに念を押したのは、雪が消える前に、消え入りそうな自分の思いを見てほしかったからである。
〔第140段〕久しぶりの親王の手紙は、「あの夜の御座はそのままか」という気まぐれなもの。昇の娘は「塵が積もるばかり、払う人もいない」と応じ、親王の「袂のゆたかな唐衣を仕立てて払いに行く」という調子のよい返事には、「それを待つ間にまた塵が積もる」と切り返した。親王はやって来たものの、すぐまた「宇治へ狩に」と出かけてしまう。「狩られる鹿よりも、ひとり寝の夜のほうがわびしい」――色好みの親王を待つ女たちの嘆きで、この物語の前半の歌語りは結ばれる。
語釈・文法注
- 志賀の山越
- 京から比叡山の南を越えて近江の志賀に出る道。志賀寺(崇福寺)への参詣路。
- 岩江
- 志賀の山越えの道にあった地名。
- 故兵部卿のみや
- 元良親王。第90段参照。
- とし子
- 第3段などに登場した女性。
- しか山
- 「鹿」と「志賀」を掛ける。
- 小藥師くそ
- 人名。「くそ」は親しみをこめた呼び名につける語。
- かくれぬ
- 隠れ沼。草などに覆われて見えない沼。
- 承香殿の御息所
- 醍醐天皇の女御、源和子か。
- 中納言の君
- 承香殿の御息所に仕えた女房。
- 一の宮
- 第一皇子。元良親王は陽成天皇の第一皇子であった。
- あくた川
- 芥川。摂津国の川(今の大阪府高槻市)。「飽く」を掛ける。続く「なには」は摂津国の難波で、「名には」を掛ける。
- のぼるの大納言
- 源昇(848〜918)。源融の子。
- おまし
- 御座。貴人の座る所や寝所。
- ひさし
- 廂。寝殿造りで、母屋の外側の細長い部屋。
- 草枕
- 旅寝の枕。ここでは、仮の寝所であった廂の御座をいう。
- しきたへ
- 敷妙。寝床に敷く布。
- くりこま山
- 栗駒山。宇治に近い山城国の栗隈山か。
文法
- 見給ふ時もありけり
- 「給ふ」は尊敬。
- 書きつけていにける
- 「いに」はナ変動詞「往ぬ」の連用形。
- 短かゝりける
- 「なむ」の結びで連体形。
- 寢給ひそめてけり
- 「そむ」は「…しはじめる」。
- をさをさとひ給はざりけり
- 「をさをさ…ず」で、ほとんど…ない。
- 君にぞありける
- 「ぞ」の結びで連体形「ける」。
- 消えこそかへれ
- 「こそ」の結びで已然形。「消えかへる」は消え入るほどに思い沈む。
- ゆめ、この雪おとすな
- 「ゆめ…な」で強い禁止。
- とりたてやし給ひてし
- 「や」は疑問。「てし」は完了「つ」+過去「き」。
- はらふ人なみ
- 「なみ」は「無し」の語幹+「み」。払う人がいないので。
- まてかし
- 「かし」は念押し。待っていなさいよ。
- ちりもつもらめ
- 「こそ」の結びで「め」。
和歌
かりにのみ 來る君待つと ふり出でゝ 鳴くしか山は 秋ぞ悲しき
- 詠者
- とし子
- 状況
- 志賀詣でのついでに、元良親王の岩江の山荘に書きつけて。
修辞
- 掛詞
- 「かり」に「狩」と「仮」、「しか」に「鹿」と「志賀」を掛ける。
かくれぬの 底の下草 みがくれて 知られぬこひは くるしかりけり
- 詠者
- 小薬師くそ
- 状況
- ある女に求婚して。
修辞
- 序詞
- 「かくれぬの底の下草」が「みがくれて」を導く。
みがくれに かくるばかりの 下草は 長からじとも おもほゆるかな
- 詠者
- 女
- 状況
- 小薬師くその歌への返し。
修辞
- 掛詞
- 「長からじ」に恋が長続きしないことと、背丈が短いことを掛ける。
人をとく あくた川てふ 津の國の なには違はぬ 君にぞありける
- 詠者
- 中納言の君
- 状況
- 通わなくなった元良親王に。
修辞
- 掛詞
- 「あくた川」に「飽く」、「なには」に「難波」と「名には」を掛ける。
來ぬ人を まつの葉にふる 白雪の 消えこそかへれ 逢はぬおもひに
- 詠者
- 中納言の君
- 状況
- 病みついて、承香殿の前の松に積もった雪を折って、元良親王に。
修辞
- 掛詞
- 「まつ」に「待つ」と「松」、「おもひ」の「ひ」に「火」を掛ける。
- 縁語
- 「白雪」「消え」。
敷きかへず ありしながらに 草枕 塵のみぞゐる はらふ人なみ
- 詠者
- 源昇の娘
- 状況
- 廂の御座はそのままかと尋ねてきた元良親王に。
草枕 ちりはらひには 唐ごろも 袂ゆたかに たつをまてかし
- 詠者
- 元良親王
- 状況
- 昇の娘の歌への返し。
修辞
- 掛詞
- 「たつ」に衣を「裁つ」と「発つ(出かける)」を掛ける。
唐衣 たつをまつ間の ほどこそは わがしきたへの ちりもつもらめ
- 詠者
- 源昇の娘
- 状況
- 親王の歌への返し。
修辞
- 掛詞
- 「たつ」に「裁つ」と「発つ」を掛ける。
- 縁語
- 「唐衣」「裁つ」「しきたへ」。
みかりする くりこま山の 鹿よりも ひとり寢る夜ぞ わびしかりける
- 詠者
- 源昇の娘
- 状況
- 宇治へ狩に行くと言う元良親王に。
解説
この章で、『大和物語』の前半、宮廷の人々の歌語りの部分(第1〜140段)が終わる。最後の三段がいずれも元良親王をめぐる話であるのは偶然ではなく、色好みの親王と、その気まぐれに振り回される女たちの姿が、前半の締めくくりとして置かれている。
第139段の中納言の君は、親王に捨てられて病みつき、雪の積もった松の枝に歌を添えて贈った。「この雪を落とすな」と使いに念を押す細やかな心づかいは、消えていく雪と消え入りそうな自分の命とを重ねたもので、平安の女性の恋の哀しさをよく伝えている。
第140段の源昇は、河原院を造った源融の子である。その娘と元良親王の「草枕」「唐衣」の贈答は、言葉の上では軽やかな掛け合いだが、待つ女の側の孤独が最後の一首「ひとり寝る夜ぞわびしかりける」に凝縮されている。
次の第141段からは、筑紫から連れて来られた女や、在原業平の子孫、遊女、生田川の伝説など、より物語的で、伝承的な話が多くなる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部四 雑下(大和物語) 板倉屋書房、明治36年(1903)、44〜46頁(コマ26–27)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日