大和物語 第16章(第127段〜第136段)
弓張月と筑紫の女
檜垣の御の紅葉の歌と付け句、筑紫の女たちの歌、四月一日の鶯を詠んだ源公忠、月を「弓張」というわけを即興でよんだ凡河内躬恒、泣く女房を見て詠んだ公忠の歌、醍醐天皇と童女のひそかな愛、そして藤原兼輔と定方の娘の結婚のはじめの贈答まで、十の段。
- 1又又またじじじ人人ひと、、、のたちにてのたちにてのたちにて秋秋あきののの紅葉紅葉もみじをををよませければよませければよませければ、、、
- 2「「「鹿鹿しかののの音音おとはははいくらばかりのくれなゐぞいくらばかりのくれなゐぞいくらばかりのくれないぞふりふりふり出出いづるからにづるからにずるからに山山やまのそむらむのそむらむのそむらむ」」」。。。
- 3このこのこの檜垣檜垣ひがきののの御御おん、、、歌歌うたなむなむなむ詠詠ながむといひてむといひてむといいて、、、者者ものどもどもども集集あつまりてまりてまりて詠詠よみみみ難難がたかるべきかるべきかるべきをををつけさせむとてかくいひけりつけさせむとてかくいひけりつけさせむとてかくいいけり、、、
- 4「「「わたつみのわたつみのわたつみの中中なかにぞにぞにぞ立立たてるさてるさてるさををを鹿鹿しかははは」」」
- 5とてとてとて末末すえをををつけさするにつけさするにつけさするに、、、
- 6「「「秋秋あきのやまべやそこにのやまべやそこにのやまべやそこに見見みゆらむゆらむゆらむ」」」
- 7とぞつけたりけるとぞつけたりけるとぞつけたりける。。。
- 8なりけるなりけるなりける女女おんな、、、京京きょうににに男男おとこををを遣遣やりてよみけるりてよみけるりてよみける、、、
- 9「「「人人ひとををを待待まつつつ宿宿やどははは暗暗くらくぞなりにけるくぞなりにけるくぞなりにける契契ちぎりしりしりし月月つきのののうちにうちにうちに見見みえねばえねばえねば」」」
- 10となむいへりけるとなむいへりけるとなむいえりける。。。
- 11これもこれもこれも筑紫筑紫つくしなりけるなりけるなりける女女おんな、、、
- 12「「「秋風秋風あきかぜのこゝろやつらきのこゝろやつらきのこころやつらきすゝきすゝきすすき吹吹ふききき來來くるかたるかたるかたをををまづそむくらむまづそむくらむまずそむくらむ」」」。。。
- 13先帝先帝せんだいののの御時御時おおんとき、、、日日ひ、、、鶯鶯うぐいすののの鳴鳴なかぬかぬかぬをををよませよませよませ給給たもうけるうけるうける、、、、、、
- 14「「「春春はるはははたゞきのたゞきのただきのふばかりふばかりふばかりををを鶯鶯うぐいすののの限限かぎれるごともなかぬれるごともなかぬれるごともなかぬ今日今日きょうかなかなかな」」」
- 15となむとなむとなむ詠詠よみたりけるみたりけるみたりける。。。
- 16同同おなじじじ帝帝みかどののの御時御時おおんとき、、、ををを召召めしてしてして月月つきのいとおもしろきのいとおもしろきのいとおもしろき夜夜よ御遊御遊おおんあそびなどありてなどありてなどありて「「「月月つきをををといふといふというははは何何なにのこゝろぞのこゝろぞのこころぞ。。。そのよしそのよしそのよし仕仕つこうまつれうまつれうまつれ」」」ととと仰仰おおせせせ給給たもうければうければうければ、、、御階御階みはしのもとにのもとにのもとに侍侍さぶらひてひていて仕仕つこうまつりけるうまつりけるうまつりける。。。
- 17「「「照照てるるる月月つきをををゆみはりゆみはりゆみはりとしもいふとしもいふとしもいう事事ことははは山邊山邊やまべをををさしていればなりけりさしていればなりけりさしていればなりけり」」」。。。
- 18祿祿ろく、、、
- 19「「「白白しろ雲雲くものこのかたにしもおりゐるのこのかたにしもおりゐるのこのかたにしもおりいるははは天天あまつつつ風風かぜこそこそこそ吹吹ふきてきてきて來來きつらしつらしつらし」」」。。。
- 20同同おなじじじ帝帝みかど、、、月月つきのおもしろきのおもしろきのおもしろき夜夜よみそかにみやすみそかにみやすみそかにみやす所所ところたちのたちのたちの御御おん曹子曹子ぞうしどもどもどもををを見見みありかせありかせありかせ給給たもうけりうけりうけり。。。御供御供おおんともににに公忠公忠きんただ侍侍さぶらひけりひけりいけり。。。それにあるみそれにあるみそれにあるみ曹子曹子ぞうしよりよりより濃濃こききき一一ひとかさねかさねかさね着着きたるたるたる女女おんなのいとのいとのいと淸淸きよげなるげなるげなる出出いででで來來きていみじうていみじうていみじゅう泣泣なきけりきけりきけり。。。
- 21公忠公忠きんただををを召召めしてしてして見見みせせせ給給たもうければうければうければ髪髪かみををを振振ふりりり覆覆おおひていみじうなくひていみじうなくいていみじゅうなく。。。「「「などてなくぞなどてなくぞなどてなくぞ」」」といへどいらへもせずといへどいらへもせずといえどいらえもせず。。。帝帝みかどいみじういみじういみじゅう怪怪あやしがりしがりしがり給給たもうけりうけりうけり。。。公忠公忠きんただ、、、
- 22「「「思思おもふらむふらむうらむ心心こころのののうちうちうちははは知知しらねどもなくらねどもなくらねどもなくををを見見みるこそかなしかりけれるこそかなしかりけれるこそかなしかりけれ」」」。。。
- 23ととと詠詠ながめりければいとになくめでめりければいとになくめでめりければいとになくめで給給たもうけりうけりうけり。。。
- 24先帝先帝せんだいののの御時御時おおんときにあるにあるにある御御おん曹子曹子ぞうしにきたなげなきにきたなげなきにきたなげなきありけりありけりありけり。。。帝帝みかど御覽御覽ごらんじてみそかにじてみそかにじてみそかに召召めしてけりしてけりしてけり。。。これこれこれををを人人ひとにもにもにも知知しらせらせらせ給給たまはははででで時々時々ときどき召召めしけりしけりしけり。。。さてのたまはせけるさてのたまはせけるさてのたまわせける、、、
- 25「「「飽飽あかでのみかでのみかでのみ經經ふればなるべしればなるべしればなるべし逢逢あはぬはぬわぬ夜夜よもあふもあふもあう夜夜よももも人人ひとををを哀哀あわれとぞとぞとぞ思思おもふふう」」」
- 26とのとのとの給給たまはせけるはせけるわせけるををを、、、童童わらわののの心心こころちにもちにもちにも限限かぎりなくなくなく哀哀あわれにおぼえければにおぼえければにおぼえければ忍忍しのびあへでびあへでびあえで友友ともだちにだちにだちに「「「さなむのさなむのさなむの給給たまひしひしいし」」」ととと語語かた所所ところ聞聞ききてきてきて追追おひいでひいでいいで給給たまひけるものかひけるものかいけるものか。。。いみじういみじういみじゅう。。。
- 27三條三條さんじょう右大臣右大臣うだいじんのむすめのむすめのむすめ堤堤つつみののの中納言中納言ちゅうなごんににに逢逢あひひい始始はじめめめ給給たもうけるうけるうける間間あいだはははうちのうちのうちの殿上殿上てんじょうをををなむしなむしなむし給給たもうけるうけるうける。。。女女おんなははは逢逢あはむのはむのわむの心心こころやなかりけむやなかりけむやなかりけむ、、、心心こころもゆかずなむいますかりけるもゆかずなむいますかりけるもゆかずなむいますかりける。。。
- 28男男おとこももも宮宮みやづかへしづかへしずかえし給給たもうければうければうければ、、、えええ常常つねにもいまさゞりけるころにもいまさゞりけるころにもいまさざりけるころ、、、女女おんな、、、
- 29「「「心心こころはははありしかどありしかどありしかどひとりひとりひとりははは絕絕たえてえてえて寢寢ねられざりけりられざりけりられざりけり」」」。。。
- 30返返かえしししははは上手上手じょうずなればよかりけめどなればよかりけめどなればよかりけめど、、、えええ聞聞きかねばかねばかねば書書かかずかずかず。。。
- 31又又また、、、男男おとこ「「「日日ひごろごろごろ騷騷さわがしくてなむえがしくてなむえがしくてなむえ參參まいらぬらぬらぬ。。。かくかくかく急急いそぎぎぎ罷罷まかりありくうちにもえりありくうちにもえりありくうちにもえ參參まいりりり來來きぬことぬことぬことをををなむいかにとなむいかにとなむいかにと、、、限限かぎりなくなくなく思思おもひひい給給たまふるふるうる」」」とありければとありければとありければ、、、女女おんな、、、
- 32「「「さわぐなるうちにもさわぐなるうちにもさわぐなるうちにも物物ものははは思思おもふなりふなりうなり我我わがががつれづれつれづれつれづれををを何何なににたとへむにたとへむにたとえむ」」」
- 33となむありけるとなむありけるとなむありける。。。
現代語訳
〔第127段〕また同じ人(檜垣の御)が、大弐の館で秋の紅葉を題に歌をよませたところ、
「鹿の声は、どれほどの紅の色なのでしょう。声をふり絞って鳴くと、そのたびに山が紅に染まるのは」。
〔第128段〕この檜垣の御が歌をよむというので、好き者たちが集まって、付けにくそうな下の句を付けさせようとして、こう言った。
「海の中に立っている牡鹿は」
と言って下の句を付けさせたところ、
「秋の山辺が、水底に映って見えるのでしょうか」
と付けた。
〔第129段〕筑紫にいた女が、京に男を送り出して、よんだ歌、
「人を待つ家は、暗くなってしまいました。約束した月のうちに、あなたの姿が見えないので」
と言った。
〔第130段〕これも筑紫にいた女の歌、
「秋風の心がつらいからでしょうか、花すすきは、風の吹いて来る方に、まず背を向けるのでしょう」。
〔第131段〕先帝(醍醐天皇)の御代に、四月一日に、鶯の鳴かないことを題によませなさった時、公忠が、
「春はただ昨日までだと、鶯が期限を限ったかのように、鳴かない今日であることよ」
とよんだ。
〔第132段〕同じ帝の御代に、躬恒を召して、月のたいへん美しい夜に管絃の遊びなどがあって、「月を弓張というのは、どういうわけか。そのわけを歌によめ」とおおせになったので、御階のもとにお仕えして、よみ申し上げた歌、
「照る月を弓張というのは、山辺をさして射る――入る――からなのです」。
禄に大袿を肩にかけられて、
「白雲がこちらの肩に降りてきたのは、天つ風が吹いてきたからでしょう」。
〔第133段〕同じ帝が、月の美しい夜に、ひそかに御息所たちのお部屋をご覧になって回りなさった。お供に公忠がお仕えしていた。すると、あるお部屋から、濃い色の袿を一重ね着た、たいへん美しい女が出て来て、ひどく泣いていた。帝が公忠を呼んでお見せになると、女は髪を振りかぶるようにして、ひどく泣く。「どうして泣くのか」と言っても返事もしない。帝はたいへん不審にお思いになった。公忠が、
「思っているその心の中は知らないけれども、泣いているのを見るのは悲しいことです」
とよんだので、帝はこのうえなくおほめになった。
〔第134段〕先帝の御代に、ある御息所のお部屋に、こぎれいな童女がいた。帝がご覧になって、ひそかにお召しになった。このことを人にもお知らせにならず、時々お召しになった。そうしておっしゃった歌、
「飽きることなく過ごしているからだろう。逢わない夜も、逢う夜も、おまえをいとしいと思うのは」
とおっしゃったのを、童女の心にも限りなくうれしく思ったので、こらえきれずに友だちに「こうおっしゃった」と話したところ、その主人の御息所が聞いて、追い出してしまいなさったということだ。ひどいことに。
〔第135段〕三条右大臣(定方)の娘が、堤の中納言(兼輔)と結婚しはじめなさったころ、中納言は内蔵助で内裏の殿上に仕えていらっしゃった。女は、結婚する気持ちがなかったのだろうか、気の進まないご様子でいらっしゃった。男も宮仕えをなさっていたので、いつもはおいでになれなかったころ、女が、
「薫物がくすぶるように、心にくすぶるものはあったけれど、ひとりでは、まったく寝られませんでした」。
返歌は、歌の上手な人なのでよかったのだろうが、聞いていないので書かない。
〔第136段〕また、男が「このごろ忙しくて参れません。こうして急いであちこち出歩くうちにも、参上できないことをどうお思いかと、限りなく案じております」と言ってきたので、女が、
「忙しく騒がしいなかでも、物思いはするのですね。それなら、わたしのこの所在なさを、何にたとえたらよいのでしょう」
とあった。
意訳
〔第127・128段〕檜垣の御の才気を伝える二つの段。鹿の声に山が紅葉すると見立てた歌、そして「海の中に立っている鹿」という意地悪な上の句に、「水面に秋の山が映っているのでしょう」と即座に付けて、好き者たちをうならせた。第126段の老いた姿の前に、若き日の才女の面影が並べられている。
〔第129・130段〕筑紫の女たちの歌。京へ行った男を待つ女は「月のうちに戻るという約束が果たされず、家も心も暗くなった」と嘆き、もう一人は、風に背を向ける花すすきに、つらい人から顔をそむける自分を重ねた。
〔第131〜133段〕醍醐天皇の宮廷で活躍した二人の歌人。公忠は、春が終わったとたん鳴きやんだ鶯を、期限を決めていたようだと興じる。躬恒は「月をなぜ弓張というのか」という難題に、「山に向かって射る(入る)からです」と即答し、褒美の袿をかけられると「白雲が肩に降りてきた」と、すかさず礼の歌をよむ。身分の低い歌人が、機知の一首で帝の前に存在を示した場面である。公忠は、訳も言わずに泣く女房を前に「心の中は知らないが、泣いているのを見るのは悲しい」と、寄り添う一首でその場を収めた。
〔第134段〕帝にひそかに愛された童女は、帝の歌がうれしくて友だちに話してしまい、主人の御息所に追い出された。語り手は「ひどいことに」と一言添える。幼い童女の無邪気さと、宮廷の厳しさとの落差が痛ましい。
〔第135・136段〕兼輔と定方の娘の新婚のころ。気の進まない結婚だったはずの女が「ひとりでは寝られなかった」とよみ、忙しさを言い訳にする夫には「忙しくても物思いはなさるのね、ではわたしの退屈は何にたとえれば」と返す。すれ違いの中で、夫を待つ心が芽生えていく。
語釈・文法注
- 同じ人
- 檜垣の御。第126段参照。
- 大貳のたち
- 大宰大弐の館。
- すき者
- 好き者。風流を好む人。
- 末
- 和歌の下の句。上の句に下の句を付ける遊び(連歌)。
- 筑紫なりける女
- 筑紫(九州)に住んでいた女。
- 花すゝき
- 穂の出た薄。
- うつきのついたち
- 四月一日。夏の始まりで、更衣の日。
- 公忠
- 源公忠。第4段参照。
- 躬恒
- 凡河内躬恒。第33段参照。
- ゆみはり
- 弓張月。上弦・下弦の半月。弓の弦を張った形に似ることからいう。
- おほうちき
- 大袿。褒美として与える大きな袿。
- 袿
- 女性が上着の下に重ねて着る衣。
- 童
- 御息所に仕える童女。
- しう
- 主(しゅう)。主人。
- くらのすけ
- 内蔵寮の次官。
- たきもの
- 薫物。香を練り合わせて焚くもの。「くゆる」を導く。
文法
- 山のそむらむ
- 「らむ」は原因推量。どうして山が染まるのだろう。
- 詠み難かるべき
- 「難かる」は形容詞「難し」の連体形(カリ活用)。
- そこに見ゆらむ
- 「そこ」に「底」と「其処」を響かせる。
- 暗くぞなりにける
- 「ぞ」の結びで連体形「ける」。
- なかぬ今日かな
- 「かな」は詠嘆。
- いればなりけり
- 「いれ」に「射れ」と「入れ」を掛ける。
- 吹きて來つらし
- 「らし」は根拠のある推定。
- 見るこそかなしかりけれ
- 「こそ」の結びで「けれ」。
- 忍びあへで
- 「あへで」は「…しきれないで」。こらえきれずに。
- 追ひいで給ひけるものか。いみじう。
- 「ものか」は驚きをこめた詠嘆。「いみじう」の下に「あはれなり」などを略す。語り手の感想。
- 逢はむの心やなかりけむ
- 「や」は疑問、結びは「けむ」。
- よかりけめど
- 「けめ」は過去推量「けむ」の已然形。
- え聞かねば書かず
- 語り手の注記。聞いていないので書かない。
和歌
鹿の音は いくらばかりの くれなゐぞ ふり出づるからに 山のそむらむ
- 詠者
- 檜垣の御
- 状況
- 大弐の館で、秋の紅葉を題によませられて。
修辞
- 掛詞
- 「ふり出づる」に声を「振り出づ」と、紅の染料を「振り出づ(染め出す)」を掛ける。
- 見立て
- 鹿の声で山が紅に染まると見立てる。
わたつみの 中にぞ立てる さを鹿は 秋のやまべや そこに見ゆらむ
- 詠者
- 上の句:好き者たち/下の句:檜垣の御
- 状況
- 付けにくい上の句に、檜垣の御が下の句を付けた連歌。
修辞
- 連歌
- 上の句と下の句を別の人が付ける短連歌。
- 掛詞
- 「そこ」に「底」と「其処」を掛ける。
人を待つ 宿は暗くぞ なりにける 契りし月の うちに見えねば
- 詠者
- 筑紫の女
- 状況
- 京へ行った男を待って。
修辞
- 掛詞
- 「月」に天体の「月」と暦の「月」を掛ける。
秋風の こゝろやつらき 花すゝき 吹き來るかたを まづそむくらむ
- 詠者
- 筑紫の女
- 状況
- 秋風に揺れる花すすきを見て。
修辞
- 擬人法
- 花すすきが秋風に背を向けると見る。
春はたゞ きのふばかりを 鶯の 限れるごとも なかぬ今日かな
- 詠者
- 源公忠
- 状況
- 四月一日、鶯の鳴かないことを題に醍醐天皇の命で。
照る月を ゆみはりとしも いふ事は 山邊をさして いればなりけり
- 詠者
- 凡河内躬恒
- 状況
- 月を弓張というわけを、醍醐天皇に問われて。
修辞
- 掛詞
- 「いれ」に「射れ」と「入れ」を掛ける。
- 縁語
- 「弓張」「さして」「射る」。
白雲の このかたにしも おりゐるは 天つ風こそ 吹きて來つらし
- 詠者
- 凡河内躬恒
- 状況
- 褒美の大袿を肩にかけられて。
修辞
- 見立て
- 白い大袿を白雲に見立てる。
- 掛詞
- 「かた」に「方」と「肩」を掛ける。
思ふらむ 心のうちは 知らねども なくを見るこそ かなしかりけれ
- 詠者
- 源公忠
- 状況
- 月夜、醍醐天皇のお供で御息所たちの部屋を回り、泣いている女房を見て。
飽かでのみ 經ればなるべし 逢はぬ夜も あふ夜も人を 哀とぞ思ふ
- 詠者
- 醍醐天皇
- 状況
- ひそかに召した童女に。
たきものの くゆる心は ありしかど ひとりは絕えて 寢られざりけり
- 詠者
- 藤原定方の娘
- 状況
- 藤原兼輔と結婚したはじめのころ、兼輔の訪れのない夜に。
修辞
- 掛詞
- 「くゆる」に薫物が「燻ゆる」と心が「悔ゆる」を掛ける。
さわぐなる うちにも物は 思ふなり 我がつれづれを 何にたとへむ
- 詠者
- 藤原定方の娘
- 状況
- 忙しくて来られないと言ってきた兼輔に。
解説
第132段の凡河内躬恒の話は、身分の低い歌人が、帝の前で即興の歌によって名を上げた例として名高い。「月を弓張というのはなぜか」という難題に、「山の端をさして入る(射る)から」と答え、褒美の大袿をかけられると、それを白雲に見立てて礼の歌をよむ。二首を続けざまによむ機転が、躬恒の才能を印象づけている。
第133段の源公忠も、醍醐天皇に重用された歌人で、天皇の夜の微行のお供をするほど親しく仕えていた。訳も言わずに泣く女房に「心の中は知らないが」と寄り添う歌は、問いつめることをせず、悲しみをそのまま受けとめる優しさがある。
第134段は、醍醐天皇にひそかに愛された童女の話である。天皇の愛を受けたことを友だちに話してしまったため、主人の御息所の怒りを買って追い出される。語り手の「いみじう」という短い感想に、童女への同情がこもっている。
第135・136段の藤原兼輔と定方の娘の夫婦は、第45段で娘を入内させた兼輔の、若いころの結婚の話である。兼輔の娘桑子は、この結婚から生まれた子であろう。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部四 雑下(大和物語) 板倉屋書房、明治36年(1903)、42〜44頁(コマ25–26)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日