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大和物語 第15章(第122段〜第126段)

かささぎの橋と檜垣の御

笛竹にかけた夫婦の贈答、志賀詣でのとし子と増喜法師の別れ、平中が本院の北の方に昔の約束を思い出させる歌、深夜に左大臣邸を訪れた泉の大将の供の忠岑の「かささぎの渡せる橋」、忠岑の幼い娘の歌、そして純友の乱で落ちぶれた筑紫の檜垣の御が小野好古に返した「むばたまの」の歌まで、五つの段。

  1. 1ののの小こ小ここ貳に貳ににといひけるといひけるといいける人ひと人ひとひとのむすめののむすめののむすめの男をとこ男をとこおとこ、、、
  2. 2「「「竹たけ竹たけたけのののひとよもひとよもひとよも君きみ君きみきみとねぬとねぬとねぬ時とき時ときときははは千種ちくさ千種ちくさちくさののの聲こゑ聲こゑこえにねこそなかるれにねこそなかるれにねこそなかるれ」」」
  3. 3といへりければといへりければといえりければ、、、女をんな女をんなおんなかへしかへしかえし、、、
  4. 4「「「千々ちぢ千々ちぢちぢののの音おと音おとおとはははことばのことばのことばのふきかふきかふきか笛ふえ笛ふえふえ竹たけ竹たけたけ聲こゑ聲こゑこえもきこえこなくにもきこえこなくにもきこえこなくに」」」。。。
  5. 5としとしとし子こ子ここがががににに詣まう詣まうもうでたりけるにでたりけるにでたりけるに、、、きみといふきみといふきみという法師ほふし法師ほふしほうしありけりありけりありけり。。。それそれそれははは比叡ひえ比叡ひえひえにすむにすむにすむ院ゐん院ゐんいんののの殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうもするもするもする法師ほふし法師ほふしほうしになむありけるになむありけるになむありける。。。それこのとしそれこのとしそれこのとし子こ子ここののの詣まう詣まうもうでたるでたるでたる日ひ日ひひ志賀しが志賀しがしがにまうであひにけりにまうであひにけりにもうであいにけり。。。
  6. 6局つぼね局つぼねつぼねをををしてしてして居ゐ居ゐいててて、、、萬よろづ萬よろづよろずののの事こと事ことことをををいひかはしけりいひかはしけりいいかわしけり。。。今いま今いまいまはははとしとしとし子こ子ここ歸かへ歸かへかえりなむとしけりりなむとしけりりなむとしけり。。。それにぞそれにぞそれにぞうきのうきのうきの許もと許もともとよりよりより、、、
  7. 7「「「逢あ逢ああひひい見み見みみてもてもても別わか別わかわか物もの物ものものははは思おも思おもおもはざらましはざらましわざらまし」」」。。。
  8. 8かへしかへしかへし、、、としとしとし子こ子ここ、、、
  9. 9「「「いかなればかつかついかなればかつかついかなればかつかつ物もの物ものものををを思おも思おもおもふらむふらむうらむ名殘なごり名殘なごりなごりもなくぞわれもなくぞわれもなくぞわれははは悲かな悲かなかなしきしきしき」」」
  10. 10となむありけるとなむありけるとなむありける。。。詞ことば詞ことばことばもいともいともいと多おほ多おほおおくなむありけるくなむありけるくなむありける。。。
  11. 11同おな同おなおなじぞじぞじぞうきうきうき君きみ君きみきみ、、、やれるやれるやれる人ひと人ひとひとののの許ゆる許ゆるゆるははは知し知ししらずらずらず。。。かうよめりけりかうよめりけりこうよめりけり、、、
  12. 12「「「草くさ草くさくさののの葉は葉ははにかゝれるつゆのにかゝれるつゆのにかかれるつゆの身み身みみなればやなればやなればや心こころ心こころこころ動うご動うごうごくになみだおつらむくになみだおつらむくになみだおつらむ」」」。。。
  13. 13院ゐん院ゐんいんののの北きた北きたきたののの方かた方かたかた、、、まだまだまだののの大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんのめにていますかりけるのめにていますかりけるのめにていますかりける折をり折をりおりににに、、、平仲へいちゆう平仲へいちゆうへいちゅうがよみてがよみてがよみて聞きこ聞きこきこえけるえけるえける、、、
  14. 14「「「春はる春はるはるのののにみどりににみどりににみどりにははは」」」
  15. 15といへりけるといへりけるといえりける。。。そのそのその後のち後のちのちのおとゞののおとゞののおとどの北きた北きたきたののの方かた方かたかたにてのゝしりにてのゝしりにてののしり給たま給たまたまひけるひけるいける時とき時ときとき、、、詠よ詠よよみておこせたりけるみておこせたりけるみておこせたりける、、、
  16. 16「「「ゆくすゑのすくせもゆくすゑのすくせもゆくすえのすくせも知し知ししらずわがむかしらずわがむかしらずわがむかし契ちぎ契ちぎちぎりしことりしことりしことはははおもほゆやおもほゆやおもおゆや君きみ君きみきみ」」」
  17. 17となむいへりけるとなむいへりけるとなむいえりける。。。そのそのその返かへ返かへかえししし、、、それよりまへまへもそれよりまへまへもそれよりまえまえも、、、歌うた歌うたうたははは多おほ多おほおおかりけれどえかりけれどえかりけれどえ聞き聞ききかずかずかず。。。
  18. 18ののの大將だいしやう大將だいしやうだいしょう、、、故こ故ここ左ひだり左ひだりひだりのおほとのにのおほとのにのおおとのに參ま參まもうでうでうで給たま給たまたまへりけりへりけりえりけり。。。ほかにてほかにてほかにて酒さけ酒さけさけなどまゐりなどまゐりなどまいり醉ゑ醉ゑえひてひていて、、、夜よ夜よよいたくいたくいたく更ふ更ふふけてゆくりもなくものしけてゆくりもなくものしけてゆくりもなくものし給たま給たまたまへりへりえり。。。おとゞおとゞおとど驚おどろ驚おどろおどろききき給たま給たまたまひてひていて「「「いづくにいづくにいずくに物もの物ものものししし給たま給たまたまへるたよりにかあらむへるたよりにかあらむえるたよりにかあらむ」」」などなどなど聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたま、、、忠岑たゞみね忠岑たゞみねただみね御供おほんとも御供おほんともおおんともにありにありにあり。。。
  19. 19みはしみはしみはしのののもともともとににに松まつ松まつまつともしながらともしながらともしながらひざまづきひざまづきひざまずきててて御おん御おんおん消息せうそこ消息せうそこしょうそこ申まう申まうもうすすす。。。
  20. 20「「「渡わた渡わたわたせるせるせる橋はし橋はしはしののの霜しも霜しもしもののの上うへ上うへうえをををよよよはははににに踏ふ踏ふふみみみ分わ分わわけことさらにこそけことさらにこそけことさらにこそ」」」
  21. 21となむのたまふとなむのたまふとなむのたまう」」」ととと申まう申まうもうすすす。。。あるじのおとゞあるじのおとゞあるじのおとど、、、いといといと哀あはれ哀あはれあわれにをかしとおぼしてにをかしとおぼしてにおかしとおぼして、、、そのそのその夜一夜よひとよ夜一夜よひとよよひとよ參まゐ參まゐまいりりり遊あそ遊あそあそびびび給たま給たまたもうてうてうて、、、大將だいしやう大將だいしやうだいしょうにものかづきにものかづきにものかずき、、、忠岑たゞみね忠岑たゞみねただみねももも祿ろく祿ろくろく賜たま賜たまたまはははりなどしけりりなどしけりりなどしけり。。。
  22. 22そのそのその忠岑たゞみね忠岑たゞみねただみねがむすめありとがむすめありとがむすめありと聞き聞きききてきてきて、、、或人あるひと或人あるひとあるひとなむなむなむ得え得ええむといひけるむといひけるむといいけるをををいといといと善よ善よよききき事こと事ことことなりといひけりなりといひけりなりといいけり。。。男をとこ男をとこおとこののの許もと許もともとよりよりより「「「かのたのめかのたのめかのたのめ給たま給たまたまひしひしいし事こと事ことことこのごろのこのごろのこのごろのほどにとなむほどにとなむほどにとなむ思おも思おもおもふふう」」」といへりけるかへりごとにといへりけるかへりごとにといえりけるかえりごとに、、、
  23. 23「「「我わ我わわががが宿やど宿やどやどののの結むす結むすむすびどきにびどきにびどきにはははまだしかりけりまだしかりけりまだしかりけり」」」
  24. 24となむよみたりけるとなむよみたりけるとなむよみたりける。。。誠まこと誠まことまことにまだいとにまだいとにまだいと小ちひさ小ちひさちいさきむすめになむありけるきむすめになむありけるきむすめになむありける。。。
  25. 25筑紫つくし筑紫つくしつくしにありけるにありけるにありけるののの御おん御おんおんといひけるといひけるといいけるははは、、、いといといと勞らう勞らうろうありをかしくてありをかしくてありおかしくて世よ世よよををを經へ經へへけるものになむありけるけるものになむありけるけるものになむありける。。。年月としつき年月としつきとしつきかくてありかくてありかくてあり渡わた渡わたわたりけるりけるりけるををを純すみ純すみすみ友とも友ともともがさわぎにがさわぎにがさわぎに遭あ遭ああひてひてひて家いへ家いへいえももも燒や燒ややけけけ滅ほろ滅ほろほろびびび、、、物もの物ものものののの具のぐ具のぐのぐももも皆みな皆みなみなとられとられとられはははてゝいといみじうなりにけりてゝいといみじうなりにけりてていといみじゅうなりにけり。。。
  26. 26かゝりともかゝりともかかりとも知し知ししらでらでらで野の野ののののの大貳だいに大貳だいにだいにうてのうてのうての使つかひ使つかひつかいににに下くだ下くだくだりりり給たま給たまたまひてそれがひてそれがいてそれが家け家けけのありしわたりのありしわたりのありしわたりををを尋たづ尋たづたずねてねてねて「「「檜垣ひがき檜垣ひがきひがきののの御おん御おんおんととと言い言いいひけむひけむいけむ人ひと人ひとひとにいかでにいかでにいかで逢あ逢ああはむはむわむ。。。いづくにかいづくにかいずくにか住す住すすむらむむらむむらむ」」」とのたまへばとのたまへばとのたまえば、、、「「「このわたりになむこのわたりになむこのわたりになむ住す住すすみみみ侍はべ侍はべはべりしりしりし」」」などなどなど供とも供ともともなるなるなる人ひと人ひとひともいひけりもいひけりもいいけり。。。
  27. 27「「「あはれかゝるさわぎにいかになりにけむあはれかゝるさわぎにいかになりにけむあわれかかるさわぎにいかになりにけむ、、、尋たづ尋たづたずねてしがなねてしがなねてしがな」」」とのとのとの給たま給たまたまひけるひけるいける程ほど程ほどほどににに、、、かしらかしらかしら白しろ白しろしろきおうなのきおうなのきおうなの水みづ水みづみず汲く汲くくめるなむまへよりめるなむまへよりめるなむまえより怪あや怪あやあやしきしきしきやうなるやうなるようなる家いへ家いへいえににに入い入いいりけるりけるりける。。。
  28. 28あるあるある人ひと人ひとひとありてありてありて「「「これなむこれなむこれなむ檜垣ひがき檜垣ひがきひがきののの御おん御おんおん」」」ととと言い言いいひけりひけりいけり。。。あはれがりあはれがりあわれがり給たま給たまたもうてうてうて呼よ呼よよばすれどばすれどばすれど、、、耻は耻ははぢてぢてじて、、、來こ來ここでかくなむいへりけるでかくなむいへりけるでかくなむいえりける。。。
  29. 29「「「むばたまのわがむばたまのわがむばたまのわが黑くろ黑くろくろ髪かみ髪かみかみははは川がは川がはがわのののまでなりにけるかなまでなりにけるかなまでなりにけるかな」」」
  30. 30ととと詠よ詠よよみたりければみたりければみたりければ、、、ひとかさねぬぎてなむやりけるひとかさねぬぎてなむやりけるひとかさねぬぎてなむやりける。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

〔第122段〕実忠の少弐という人の娘の夫が、

「笛竹の一節(ひとよ)――一夜でも、あなたと共寝しない時は、千種の声に、声をあげて泣かれることです」

と言ったので、女の返し、

「千々の音というのは言葉の上の吹きようでしょうか。笛竹の胡竹(こちく)の声も――こちらにいらっしゃる声も、聞こえてこないのに」。

〔第123段〕とし子が志賀寺に参詣した時に、増喜という法師がいた。この人は比叡山に住み、院(宇多法皇)の殿上にも仕える法師であった。その人が、とし子が参詣した日に志賀寺に来合わせた。橋殿に部屋をとっていて、いろいろなことを話し合った。いよいよとし子が帰ろうとした。そこで増喜のもとから、

「逢っても、別れるということがなかったなら、こんなに早くから物思いはしないでしょうに」。

とし子の返し、

「どうしてあなたは、もう物思いをなさるのでしょう。名残もなく別れるわたしこそが悲しいのです」

ということであった。言葉もたいへん多く交わしたのであった。

同じ増喜君が、送った相手は分からないが、こうよんだ。

「草の葉にかかる露のような身だからでしょうか、心が動くたびに涙が落ちるのは」。

〔第124段〕本院の北の方が、まだ帥の大納言(藤原国経)の妻でいらっしゃったころに、平中がよんで申し上げた歌、

「春の野に緑に這っているさねかずらのように、わが君だけをと頼みにしていますが、いかがですか」

と言った。その後、北の方が左大臣(時平)の北の方として時めいていらっしゃった時に、よんでよこした歌、

「行く末の宿縁も知らずに、わたしが昔約束したことを、覚えていらっしゃいますか、あなた」

と言った。その返歌も、それより前にも、歌は多かったけれど、聞くことができない。

〔第125段〕泉の大将(藤原定国)が、故左大臣(藤原時平)の邸に参上なさった。よそで酒などを召し上がって酔って、夜がたいへん更けてから、思いがけなくおいでになった。大臣は驚きなさって、「どこへいらっしゃったついでであろうか」などと申し上げなさって、御格子を上げて大騒ぎしていると、壬生忠岑がお供にいた。御階のもとに、松明をともしたままひざまずいて、御挨拶を申し上げる。

「かささぎが渡した橋の上の霜を、夜半に踏み分けて、わざわざ参ったのです」

と仰せです」と申し上げる。主の大臣は、たいへんしみじみと、また趣深くお思いになって、その夜は一晩じゅう御酒を召し上がって管絃の遊びをなさって、大将に禄の品をお与えになり、忠岑も禄を賜りなどした。その忠岑に娘がいると聞いて、ある人が妻にもらいたいと言ったのを、たいへんよいことだと言った。男のもとから「あのお約束くださったことを、近いうちにと思います」と言ってきたので、その返事に、

「わが家の一本のすすきは、まだ穂先も若いので、結ぶ時期にはなっていません」

とよんだ。ほんとうにまだたいへん幼い娘であった。

〔第126段〕筑紫にいた檜垣の御という人は、たいへん才気があって趣深く、世を過ごしてきた者であった。長年こうして暮らしていたが、純友の乱にあって、家も焼けてなくなり、家財道具もすべて奪われて、ひどくみじめな有様になってしまった。そうとは知らずに、野大弐(小野好古)が追討使として下っていらっしゃって、その人の家のあったあたりを尋ねて、「檜垣の御といった人に何とかして会いたい。どこに住んでいるのだろう」とおっしゃると、「このあたりに住んでおりました」などと、供の者も言った。「ああ、こんな騒ぎでどうなってしまったのだろう。探したいものだ」とおっしゃっているうちに、頭の白い老女で水を汲んでいた者が、一行の前から、みすぼらしい家に入っていった。ある人がいて、「これが檜垣の御です」と言った。好古は気の毒に思われて呼ばせなさったけれど、老女は恥じて来ないで、こうよんだ。

「黒髪だったわたしの髪は、白川の水を汲む――瑞歯ぐむ(歯が生えかわる)ほどの年寄りになってしまいました」

とよんだので、好古は気の毒に思って、着ていた袙を一重ね脱いで与えた。

意訳

〔第122段〕「一夜でも共寝しないと泣いてしまう」と笛竹にかけてよむ夫に、妻は「口先の笛の音ばかりで、こちらに来る足音は聞こえない」と返した。「胡竹(こちく)」に「此方来(こちく)」を響かせた、機知の勝負である。

〔第123段〕志賀寺で偶然出会ったとし子と増喜法師。話は尽きず、別れぎわに法師は「別れがなければ物思いもしないのに」とよむ。とし子は「物思いするのは名残を惜しむわたしのほうです」と返した。僧と女性の、恋ともつかない心の交流である。

〔第124段〕本院の北の方は、もとは老いた大納言国経の妻だったが、のちに左大臣時平に奪われるようにして妻となった人である。平中は、彼女がまだ国経の妻だったころに言い寄り、時平の妻として栄える今になって「昔の約束を覚えているか」と問いかける。かなわなかった恋への未練がにじむ。

〔第125段〕深夜、酔った勢いで時平邸を訪れた藤原定国。驚く主人に、供の壬生忠岑が「かささぎの渡す天の川の橋(宮中の御階)の霜を踏み分けて、わざわざ参ったのです」と、主人の言葉として即興の歌を述べた。突然の訪問を、七夕の伝説にかけた風雅な口上に変えたのである。この機転に感心した時平は一晩じゅう宴を開いた。続いて語られる忠岑の娘の歌も、幼さを「まだ穂の出ないすすき」にたとえた、ほほえましい一首である。

〔第126段〕かつて筑紫で名を知られた才女、檜垣の御。戦乱ですべてを失い、白髪の老婆となって水を汲む姿を、昔なじみの小野好古に見られてしまう。恥じて出て来ない老女が返した歌は、「黒髪は白川の水を汲むほど白くなり、瑞歯ぐむほど老いた」。「白川」と「みづはぐむ」に、わが身の老いと今の暮らしを重ねた、哀切な一首である。

語釈・文法注

さねたふの小貳
実忠(さねただ)の少弐か。大宰府の次官。未詳。
笛竹
笛の材料の竹。竹の節(よ)から「一夜」を導く。
こちく
胡竹。笛に使う竹の一種。「此方来(こちく)」を掛ける。
志賀
志賀寺(崇福寺)。近江国、今の大津市にあった寺。
增喜きみ
比叡山の僧。宇多法皇に近侍した。
はしどの
橋殿。寺の建物と建物をつなぐ渡り廊下の上の部屋か。
かつかつ
早くも、もう。
本院の北の方
在原棟梁の娘。はじめ大納言藤原国経の妻となって滋幹を生み、のちに国経の甥の左大臣藤原時平の妻となった。第14段参照。
帥の大納言
藤原国経(828〜908)。大宰帥を兼ねた大納言。
さねかづら
真葛。つる草。「さね」に「真実の」を響かせる。
泉の大將
藤原定国(866〜906)。右大将。泉の大将と呼ばれた。
故左のおほとの
左大臣藤原時平(871〜909)。
みかうし
御格子。蔀戸。上げて開ける。
みぶの忠岑
壬生忠岑。『古今和歌集』の撰者の一人。百人一首に「有明のつれなく見えし別れより」がある。
かさゝぎの渡せる橋
七夕の夜、かささぎが翼を並べて天の川に橋を渡すという伝説。宮中の御階のたとえにも使う。
おほみき
大御酒。酒の尊敬語。
ひともとすゝき
一本のすすき。娘をたとえる。
檜垣の御
筑紫に住んだ女性歌人。のちに「檜垣嫗」として伝説化し、謡曲「檜垣」の主人公となった。
野の大貳
小野好古。第4段参照。
しら川
白川。肥後国(今の熊本市)を流れる川。「白」を掛ける。
みづはぐむ
瑞歯ぐむ。ひどく年老いて、歯が抜けたあとに新しい歯が生えるほどになること。「水は汲む」を掛ける。
あこめ
袙。男性が下着として着る衣。

文法

ねこそなかるれ
「るれ」は自発の助動詞「る」の已然形で、「こそ」の結び。
ことばのふきか
「か」は疑問。言葉だけの吹きようか。
きこえこなくに
「なくに」は打消の「ず」のク語法+「に」で、「…ないのに」。
思はざらまし
「せば…まし」の反実仮想。
身なればや
已然形+「ば」+「や」で、「…だからだろうか」。
ゆくりもなく
思いがけなく、突然に。
ことさらにこそ
下に「参りつれ」などを略す。
となむのたまふ」と申す
歌を含めて定国の言葉として伝え、忠岑がそれを取り次いだ形。
うらわかみ
「…を…み」の「を」を略した形。穂先が若いので。
尋ねてしがな
「てしがな」は願望。
なりにけるかな
「に」は完了の「ぬ」の連用形、「けるかな」は詠嘆。

和歌

笛竹の ひとよも君と ねぬ時は 千種の聲に ねこそなかるれ

詠者
実忠の少弐の娘の夫
状況
妻に。

修辞

掛詞
「ひとよ」に竹の「一節」と「一夜」、「ね」に「寝」と「音」を掛ける。
縁語
「笛竹」「節」「声」「音」。

千々の音は ことばのふきか 笛竹の こちくの聲も きこえこなくに

詠者
実忠の少弐の娘
状況
夫の歌への返し。

修辞

掛詞
「こちく」に「胡竹」と「此方来(こちらへ来る)」を掛ける。
縁語
「音」「吹き」「笛竹」「声」。

逢ひ見ても 別るゝことの なかりせば かつかつ物は 思はざらまし

詠者
増喜
状況
志賀寺で出会ったとし子が帰るにあたって。

修辞

反実仮想
「せば…まし」。

いかなれば かつかつ物を 思ふらむ 名殘もなくぞ われは悲しき

詠者
とし子
状況
増喜の歌への返し。

草の葉に かゝれるつゆの 身なればや 心動くに なみだおつらむ

詠者
増喜
状況
相手の分からない歌。

修辞

見立て
涙を露に、わが身を草葉の露に見立てる。

春の野に みどりにはへる さねかづら わがきみざねと たのむいかにぞ

詠者
平中(平貞文)
状況
まだ藤原国経の妻だった本院の北の方に。

修辞

掛詞
「さね」に「真葛(さねかづら)」と「君実(きみざね)=君だけ」を掛ける。
序詞
「春の野にみどりにはへるさねかづら」が「さね」を導く。

ゆくすゑの すくせも知らず わがむかし 契りしことは おもほゆや君

詠者
平中(平貞文)
状況
時平の妻として時めく本院の北の方に。

かさゝぎの 渡せる橋の 霜の上を よはに踏み分け ことさらにこそ

詠者
壬生忠岑(藤原定国の言葉として)
状況
深夜、定国の供として時平邸に参り、主人の口上を取り次いで。

修辞

本説
七夕の夜、かささぎが天の川に橋を渡すという伝説をふまえ、宮中や貴人の邸の御階をたとえる。

我が宿の ひともとすゝき うらわかみ 結びどきには まだしかりけり

詠者
壬生忠岑
状況
幼い娘を妻にと求められて。

修辞

比喩
穂の出ないすすきに、まだ幼い娘をたとえる。
掛詞
「うら」に「末(うら)」と「心(うら)」を響かせる。

むばたまの わが黑髪は しら川の みづはぐむまで なりにけるかな

詠者
檜垣の御
状況
純友の乱で落ちぶれ、水を汲む姿を小野好古に見られて。『後撰和歌集』雑三にも入る。

修辞

枕詞
「むばたまの」が「黒」にかかる。
掛詞
「しら川」に「白」、「みづはぐむ」に「瑞歯ぐむ」と「水は汲む」を掛ける。

解説

第126段の檜垣の御は、筑紫に住んだ女性歌人で、のちに「檜垣嫗」として伝説化した。世阿弥の作とされる謡曲「檜垣」では、肥後の白川のほとりに住む老女の霊として描かれている。この段は、純友の乱という実際の事件を背景に、かつての才女の零落を、旧知の小野好古との再会を通して描いており、その伝説の出発点となった。好古は第4段にも登場し、純友の乱の追討使として九州に下っていた。

第125段の壬生忠岑は、『古今和歌集』の撰者の一人で、身分の低い官人であった。主人の藤原定国の突然の訪問を、七夕の伝説を使った即興の歌で風雅な出来事に変えてしまう。主人の時平が感心して一晩じゅう宴を開いたという結末に、歌によって身を立てた下級歌人の才能がよく表れている。

第124段の本院の北の方は、老いた藤原国経から、その甥の時平が奪い取るようにして妻にしたという話で知られる(『今昔物語集』など。谷崎潤一郎の小説『少将滋幹の母』の題材)。平中が昔の恋を思い出させる歌を送るこの段は、その有名な事件の周辺を、別の角度から伝えている。

関連

出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部四 雑下(大和物語) 板倉屋書房、明治36年(1903)、39〜42頁(コマ23–25)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日