大和物語 第15章(第122段〜第126段)
かささぎの橋と檜垣の御
笛竹にかけた夫婦の贈答、志賀詣でのとし子と増喜法師の別れ、平中が本院の北の方に昔の約束を思い出させる歌、深夜に左大臣邸を訪れた泉の大将の供の忠岑の「かささぎの渡せる橋」、忠岑の幼い娘の歌、そして純友の乱で落ちぶれた筑紫の檜垣の御が小野好古に返した「むばたまの」の歌まで、五つの段。
- 1ののの小小こ貳貳にといひけるといひけるといいける人人ひとのむすめののむすめののむすめの男男おとこ、、、
- 2「「「竹竹たけのののひとよもひとよもひとよも君君きみとねぬとねぬとねぬ時時ときははは千種千種ちくさののの聲聲こえにねこそなかるれにねこそなかるれにねこそなかるれ」」」
- 3といへりければといへりければといえりければ、、、女女おんなかへしかへしかえし、、、
- 4「「「千々千々ちぢののの音音おとはははことばのことばのことばのふきかふきかふきか笛笛ふえ竹竹たけ聲聲こえもきこえこなくにもきこえこなくにもきこえこなくに」」」。。。
- 5としとしとし子子こがががににに詣詣もうでたりけるにでたりけるにでたりけるに、、、きみといふきみといふきみという法師法師ほうしありけりありけりありけり。。。それそれそれははは比叡比叡ひえにすむにすむにすむ院院いんののの殿上殿上てんじょうもするもするもする法師法師ほうしになむありけるになむありけるになむありける。。。それこのとしそれこのとしそれこのとし子子こののの詣詣もうでたるでたるでたる日日ひ志賀志賀しがにまうであひにけりにまうであひにけりにもうであいにけり。。。
- 6局局つぼねをををしてしてして居居いててて、、、萬萬よろずののの事事ことをををいひかはしけりいひかはしけりいいかわしけり。。。今今いまはははとしとしとし子子こ歸歸かえりなむとしけりりなむとしけりりなむとしけり。。。それにぞそれにぞそれにぞうきのうきのうきの許許もとよりよりより、、、
- 7「「「逢逢あひひい見見みてもてもても別別わか物物ものははは思思おもはざらましはざらましわざらまし」」」。。。
- 8かへしかへしかへし、、、としとしとし子子こ、、、
- 9「「「いかなればかつかついかなればかつかついかなればかつかつ物物ものををを思思おもふらむふらむうらむ名殘名殘なごりもなくぞわれもなくぞわれもなくぞわれははは悲悲かなしきしきしき」」」
- 10となむありけるとなむありけるとなむありける。。。詞詞ことばもいともいともいと多多おおくなむありけるくなむありけるくなむありける。。。
- 11同同おなじぞじぞじぞうきうきうき君君きみ、、、やれるやれるやれる人人ひとののの許許ゆるははは知知しらずらずらず。。。かうよめりけりかうよめりけりこうよめりけり、、、
- 12「「「草草くさののの葉葉はにかゝれるつゆのにかゝれるつゆのにかかれるつゆの身身みなればやなればやなればや心心こころ動動うごくになみだおつらむくになみだおつらむくになみだおつらむ」」」。。。
- 13院院いんののの北北きたののの方方かた、、、まだまだまだののの大納言大納言だいなごんのめにていますかりけるのめにていますかりけるのめにていますかりける折折おりににに、、、平仲平仲へいちゅうがよみてがよみてがよみて聞聞きこえけるえけるえける、、、
- 14「「「春春はるのののにみどりににみどりににみどりにははは」」」
- 15といへりけるといへりけるといえりける。。。そのそのその後後のちのおとゞののおとゞののおとどの北北きたののの方方かたにてのゝしりにてのゝしりにてののしり給給たまひけるひけるいける時時とき、、、詠詠よみておこせたりけるみておこせたりけるみておこせたりける、、、
- 16「「「ゆくすゑのすくせもゆくすゑのすくせもゆくすえのすくせも知知しらずわがむかしらずわがむかしらずわがむかし契契ちぎりしことりしことりしことはははおもほゆやおもほゆやおもおゆや君君きみ」」」
- 17となむいへりけるとなむいへりけるとなむいえりける。。。そのそのその返返かえししし、、、それよりまへまへもそれよりまへまへもそれよりまえまえも、、、歌歌うたははは多多おおかりけれどえかりけれどえかりけれどえ聞聞きかずかずかず。。。
- 18ののの大將大將だいしょう、、、故故こ左左ひだりのおほとのにのおほとのにのおおとのに參參もうでうでうで給給たまへりけりへりけりえりけり。。。ほかにてほかにてほかにて酒酒さけなどまゐりなどまゐりなどまいり醉醉えひてひていて、、、夜夜よいたくいたくいたく更更ふけてゆくりもなくものしけてゆくりもなくものしけてゆくりもなくものし給給たまへりへりえり。。。おとゞおとゞおとど驚驚おどろききき給給たまひてひていて「「「いづくにいづくにいずくに物物ものししし給給たまへるたよりにかあらむへるたよりにかあらむえるたよりにかあらむ」」」などなどなど聞聞きこえええ給給たま、、、忠岑忠岑ただみね御供御供おおんともにありにありにあり。。。
- 19みはしみはしみはしのののもともともとににに松松まつともしながらともしながらともしながらひざまづきひざまづきひざまずきててて御御おん消息消息しょうそこ申申もうすすす。。。
- 20「「「渡渡わたせるせるせる橋橋はしののの霜霜しもののの上上うえをををよよよはははににに踏踏ふみみみ分分わけことさらにこそけことさらにこそけことさらにこそ」」」
- 21となむのたまふとなむのたまふとなむのたまう」」」ととと申申もうすすす。。。あるじのおとゞあるじのおとゞあるじのおとど、、、いといといと哀哀あわれにをかしとおぼしてにをかしとおぼしてにおかしとおぼして、、、そのそのその夜一夜夜一夜よひとよ參參まいりりり遊遊あそびびび給給たもうてうてうて、、、大將大將だいしょうにものかづきにものかづきにものかずき、、、忠岑忠岑ただみねももも祿祿ろく賜賜たまはははりなどしけりりなどしけりりなどしけり。。。
- 22そのそのその忠岑忠岑ただみねがむすめありとがむすめありとがむすめありと聞聞ききてきてきて、、、或人或人あるひとなむなむなむ得得えむといひけるむといひけるむといいけるをををいといといと善善よききき事事ことなりといひけりなりといひけりなりといいけり。。。男男おとこののの許許もとよりよりより「「「かのたのめかのたのめかのたのめ給給たまひしひしいし事事ことこのごろのこのごろのこのごろのほどにとなむほどにとなむほどにとなむ思思おもふふう」」」といへりけるかへりごとにといへりけるかへりごとにといえりけるかえりごとに、、、
- 23「「「我我わががが宿宿やどののの結結むすびどきにびどきにびどきにはははまだしかりけりまだしかりけりまだしかりけり」」」
- 24となむよみたりけるとなむよみたりけるとなむよみたりける。。。誠誠まことにまだいとにまだいとにまだいと小小ちいさきむすめになむありけるきむすめになむありけるきむすめになむありける。。。
- 25筑紫筑紫つくしにありけるにありけるにありけるののの御御おんといひけるといひけるといいけるははは、、、いといといと勞勞ろうありをかしくてありをかしくてありおかしくて世世よををを經經へけるものになむありけるけるものになむありけるけるものになむありける。。。年月年月としつきかくてありかくてありかくてあり渡渡わたりけるりけるりけるををを純純すみ友友ともがさわぎにがさわぎにがさわぎに遭遭あひてひてひて家家いえももも燒燒やけけけ滅滅ほろびびび、、、物物ものののの具具のぐももも皆皆みなとられとられとられはははてゝいといみじうなりにけりてゝいといみじうなりにけりてていといみじゅうなりにけり。。。
- 26かゝりともかゝりともかかりとも知知しらでらでらで野野のののの大貳大貳だいにうてのうてのうての使使つかいににに下下くだりりり給給たまひてそれがひてそれがいてそれが家家けのありしわたりのありしわたりのありしわたりををを尋尋たずねてねてねて「「「檜垣檜垣ひがきののの御御おんととと言言いひけむひけむいけむ人人ひとにいかでにいかでにいかで逢逢あはむはむわむ。。。いづくにかいづくにかいずくにか住住すむらむむらむむらむ」」」とのたまへばとのたまへばとのたまえば、、、「「「このわたりになむこのわたりになむこのわたりになむ住住すみみみ侍侍はべりしりしりし」」」などなどなど供供ともなるなるなる人人ひともいひけりもいひけりもいいけり。。。
- 27「「「あはれかゝるさわぎにいかになりにけむあはれかゝるさわぎにいかになりにけむあわれかかるさわぎにいかになりにけむ、、、尋尋たずねてしがなねてしがなねてしがな」」」とのとのとの給給たまひけるひけるいける程程ほどににに、、、かしらかしらかしら白白しろきおうなのきおうなのきおうなの水水みず汲汲くめるなむまへよりめるなむまへよりめるなむまえより怪怪あやしきしきしきやうなるやうなるようなる家家いえににに入入いりけるりけるりける。。。
- 28あるあるある人人ひとありてありてありて「「「これなむこれなむこれなむ檜垣檜垣ひがきののの御御おん」」」ととと言言いひけりひけりいけり。。。あはれがりあはれがりあわれがり給給たもうてうてうて呼呼よばすれどばすれどばすれど、、、耻耻はぢてぢてじて、、、來來こでかくなむいへりけるでかくなむいへりけるでかくなむいえりける。。。
- 29「「「むばたまのわがむばたまのわがむばたまのわが黑黑くろ髪髪かみははは川川がわのののまでなりにけるかなまでなりにけるかなまでなりにけるかな」」」
- 30ととと詠詠よみたりければみたりければみたりければ、、、ひとかさねぬぎてなむやりけるひとかさねぬぎてなむやりけるひとかさねぬぎてなむやりける。。。
現代語訳
〔第122段〕実忠の少弐という人の娘の夫が、
「笛竹の一節(ひとよ)――一夜でも、あなたと共寝しない時は、千種の声に、声をあげて泣かれることです」
と言ったので、女の返し、
「千々の音というのは言葉の上の吹きようでしょうか。笛竹の胡竹(こちく)の声も――こちらにいらっしゃる声も、聞こえてこないのに」。
〔第123段〕とし子が志賀寺に参詣した時に、増喜という法師がいた。この人は比叡山に住み、院(宇多法皇)の殿上にも仕える法師であった。その人が、とし子が参詣した日に志賀寺に来合わせた。橋殿に部屋をとっていて、いろいろなことを話し合った。いよいよとし子が帰ろうとした。そこで増喜のもとから、
「逢っても、別れるということがなかったなら、こんなに早くから物思いはしないでしょうに」。
とし子の返し、
「どうしてあなたは、もう物思いをなさるのでしょう。名残もなく別れるわたしこそが悲しいのです」
ということであった。言葉もたいへん多く交わしたのであった。
同じ増喜君が、送った相手は分からないが、こうよんだ。
「草の葉にかかる露のような身だからでしょうか、心が動くたびに涙が落ちるのは」。
〔第124段〕本院の北の方が、まだ帥の大納言(藤原国経)の妻でいらっしゃったころに、平中がよんで申し上げた歌、
「春の野に緑に這っているさねかずらのように、わが君だけをと頼みにしていますが、いかがですか」
と言った。その後、北の方が左大臣(時平)の北の方として時めいていらっしゃった時に、よんでよこした歌、
「行く末の宿縁も知らずに、わたしが昔約束したことを、覚えていらっしゃいますか、あなた」
と言った。その返歌も、それより前にも、歌は多かったけれど、聞くことができない。
〔第125段〕泉の大将(藤原定国)が、故左大臣(藤原時平)の邸に参上なさった。よそで酒などを召し上がって酔って、夜がたいへん更けてから、思いがけなくおいでになった。大臣は驚きなさって、「どこへいらっしゃったついでであろうか」などと申し上げなさって、御格子を上げて大騒ぎしていると、壬生忠岑がお供にいた。御階のもとに、松明をともしたままひざまずいて、御挨拶を申し上げる。
「かささぎが渡した橋の上の霜を、夜半に踏み分けて、わざわざ参ったのです」
と仰せです」と申し上げる。主の大臣は、たいへんしみじみと、また趣深くお思いになって、その夜は一晩じゅう御酒を召し上がって管絃の遊びをなさって、大将に禄の品をお与えになり、忠岑も禄を賜りなどした。その忠岑に娘がいると聞いて、ある人が妻にもらいたいと言ったのを、たいへんよいことだと言った。男のもとから「あのお約束くださったことを、近いうちにと思います」と言ってきたので、その返事に、
「わが家の一本のすすきは、まだ穂先も若いので、結ぶ時期にはなっていません」
とよんだ。ほんとうにまだたいへん幼い娘であった。
〔第126段〕筑紫にいた檜垣の御という人は、たいへん才気があって趣深く、世を過ごしてきた者であった。長年こうして暮らしていたが、純友の乱にあって、家も焼けてなくなり、家財道具もすべて奪われて、ひどくみじめな有様になってしまった。そうとは知らずに、野大弐(小野好古)が追討使として下っていらっしゃって、その人の家のあったあたりを尋ねて、「檜垣の御といった人に何とかして会いたい。どこに住んでいるのだろう」とおっしゃると、「このあたりに住んでおりました」などと、供の者も言った。「ああ、こんな騒ぎでどうなってしまったのだろう。探したいものだ」とおっしゃっているうちに、頭の白い老女で水を汲んでいた者が、一行の前から、みすぼらしい家に入っていった。ある人がいて、「これが檜垣の御です」と言った。好古は気の毒に思われて呼ばせなさったけれど、老女は恥じて来ないで、こうよんだ。
「黒髪だったわたしの髪は、白川の水を汲む――瑞歯ぐむ(歯が生えかわる)ほどの年寄りになってしまいました」
とよんだので、好古は気の毒に思って、着ていた袙を一重ね脱いで与えた。
意訳
〔第122段〕「一夜でも共寝しないと泣いてしまう」と笛竹にかけてよむ夫に、妻は「口先の笛の音ばかりで、こちらに来る足音は聞こえない」と返した。「胡竹(こちく)」に「此方来(こちく)」を響かせた、機知の勝負である。
〔第123段〕志賀寺で偶然出会ったとし子と増喜法師。話は尽きず、別れぎわに法師は「別れがなければ物思いもしないのに」とよむ。とし子は「物思いするのは名残を惜しむわたしのほうです」と返した。僧と女性の、恋ともつかない心の交流である。
〔第124段〕本院の北の方は、もとは老いた大納言国経の妻だったが、のちに左大臣時平に奪われるようにして妻となった人である。平中は、彼女がまだ国経の妻だったころに言い寄り、時平の妻として栄える今になって「昔の約束を覚えているか」と問いかける。かなわなかった恋への未練がにじむ。
〔第125段〕深夜、酔った勢いで時平邸を訪れた藤原定国。驚く主人に、供の壬生忠岑が「かささぎの渡す天の川の橋(宮中の御階)の霜を踏み分けて、わざわざ参ったのです」と、主人の言葉として即興の歌を述べた。突然の訪問を、七夕の伝説にかけた風雅な口上に変えたのである。この機転に感心した時平は一晩じゅう宴を開いた。続いて語られる忠岑の娘の歌も、幼さを「まだ穂の出ないすすき」にたとえた、ほほえましい一首である。
〔第126段〕かつて筑紫で名を知られた才女、檜垣の御。戦乱ですべてを失い、白髪の老婆となって水を汲む姿を、昔なじみの小野好古に見られてしまう。恥じて出て来ない老女が返した歌は、「黒髪は白川の水を汲むほど白くなり、瑞歯ぐむほど老いた」。「白川」と「みづはぐむ」に、わが身の老いと今の暮らしを重ねた、哀切な一首である。
語釈・文法注
- さねたふの小貳
- 実忠(さねただ)の少弐か。大宰府の次官。未詳。
- 笛竹
- 笛の材料の竹。竹の節(よ)から「一夜」を導く。
- こちく
- 胡竹。笛に使う竹の一種。「此方来(こちく)」を掛ける。
- 志賀
- 志賀寺(崇福寺)。近江国、今の大津市にあった寺。
- 增喜きみ
- 比叡山の僧。宇多法皇に近侍した。
- はしどの
- 橋殿。寺の建物と建物をつなぐ渡り廊下の上の部屋か。
- かつかつ
- 早くも、もう。
- 本院の北の方
- 在原棟梁の娘。はじめ大納言藤原国経の妻となって滋幹を生み、のちに国経の甥の左大臣藤原時平の妻となった。第14段参照。
- 帥の大納言
- 藤原国経(828〜908)。大宰帥を兼ねた大納言。
- さねかづら
- 真葛。つる草。「さね」に「真実の」を響かせる。
- 泉の大將
- 藤原定国(866〜906)。右大将。泉の大将と呼ばれた。
- 故左のおほとの
- 左大臣藤原時平(871〜909)。
- みかうし
- 御格子。蔀戸。上げて開ける。
- みぶの忠岑
- 壬生忠岑。『古今和歌集』の撰者の一人。百人一首に「有明のつれなく見えし別れより」がある。
- かさゝぎの渡せる橋
- 七夕の夜、かささぎが翼を並べて天の川に橋を渡すという伝説。宮中の御階のたとえにも使う。
- おほみき
- 大御酒。酒の尊敬語。
- ひともとすゝき
- 一本のすすき。娘をたとえる。
- 檜垣の御
- 筑紫に住んだ女性歌人。のちに「檜垣嫗」として伝説化し、謡曲「檜垣」の主人公となった。
- 野の大貳
- 小野好古。第4段参照。
- しら川
- 白川。肥後国(今の熊本市)を流れる川。「白」を掛ける。
- みづはぐむ
- 瑞歯ぐむ。ひどく年老いて、歯が抜けたあとに新しい歯が生えるほどになること。「水は汲む」を掛ける。
- あこめ
- 袙。男性が下着として着る衣。
文法
- ねこそなかるれ
- 「るれ」は自発の助動詞「る」の已然形で、「こそ」の結び。
- ことばのふきか
- 「か」は疑問。言葉だけの吹きようか。
- きこえこなくに
- 「なくに」は打消の「ず」のク語法+「に」で、「…ないのに」。
- 思はざらまし
- 「せば…まし」の反実仮想。
- 身なればや
- 已然形+「ば」+「や」で、「…だからだろうか」。
- ゆくりもなく
- 思いがけなく、突然に。
- ことさらにこそ
- 下に「参りつれ」などを略す。
- となむのたまふ」と申す
- 歌を含めて定国の言葉として伝え、忠岑がそれを取り次いだ形。
- うらわかみ
- 「…を…み」の「を」を略した形。穂先が若いので。
- 尋ねてしがな
- 「てしがな」は願望。
- なりにけるかな
- 「に」は完了の「ぬ」の連用形、「けるかな」は詠嘆。
和歌
笛竹の ひとよも君と ねぬ時は 千種の聲に ねこそなかるれ
- 詠者
- 実忠の少弐の娘の夫
- 状況
- 妻に。
修辞
- 掛詞
- 「ひとよ」に竹の「一節」と「一夜」、「ね」に「寝」と「音」を掛ける。
- 縁語
- 「笛竹」「節」「声」「音」。
千々の音は ことばのふきか 笛竹の こちくの聲も きこえこなくに
- 詠者
- 実忠の少弐の娘
- 状況
- 夫の歌への返し。
修辞
- 掛詞
- 「こちく」に「胡竹」と「此方来(こちらへ来る)」を掛ける。
- 縁語
- 「音」「吹き」「笛竹」「声」。
逢ひ見ても 別るゝことの なかりせば かつかつ物は 思はざらまし
- 詠者
- 増喜
- 状況
- 志賀寺で出会ったとし子が帰るにあたって。
修辞
- 反実仮想
- 「せば…まし」。
いかなれば かつかつ物を 思ふらむ 名殘もなくぞ われは悲しき
- 詠者
- とし子
- 状況
- 増喜の歌への返し。
草の葉に かゝれるつゆの 身なればや 心動くに なみだおつらむ
- 詠者
- 増喜
- 状況
- 相手の分からない歌。
修辞
- 見立て
- 涙を露に、わが身を草葉の露に見立てる。
春の野に みどりにはへる さねかづら わがきみざねと たのむいかにぞ
- 詠者
- 平中(平貞文)
- 状況
- まだ藤原国経の妻だった本院の北の方に。
修辞
- 掛詞
- 「さね」に「真葛(さねかづら)」と「君実(きみざね)=君だけ」を掛ける。
- 序詞
- 「春の野にみどりにはへるさねかづら」が「さね」を導く。
ゆくすゑの すくせも知らず わがむかし 契りしことは おもほゆや君
- 詠者
- 平中(平貞文)
- 状況
- 時平の妻として時めく本院の北の方に。
かさゝぎの 渡せる橋の 霜の上を よはに踏み分け ことさらにこそ
- 詠者
- 壬生忠岑(藤原定国の言葉として)
- 状況
- 深夜、定国の供として時平邸に参り、主人の口上を取り次いで。
修辞
- 本説
- 七夕の夜、かささぎが天の川に橋を渡すという伝説をふまえ、宮中や貴人の邸の御階をたとえる。
我が宿の ひともとすゝき うらわかみ 結びどきには まだしかりけり
- 詠者
- 壬生忠岑
- 状況
- 幼い娘を妻にと求められて。
修辞
- 比喩
- 穂の出ないすすきに、まだ幼い娘をたとえる。
- 掛詞
- 「うら」に「末(うら)」と「心(うら)」を響かせる。
むばたまの わが黑髪は しら川の みづはぐむまで なりにけるかな
- 詠者
- 檜垣の御
- 状況
- 純友の乱で落ちぶれ、水を汲む姿を小野好古に見られて。『後撰和歌集』雑三にも入る。
修辞
- 枕詞
- 「むばたまの」が「黒」にかかる。
- 掛詞
- 「しら川」に「白」、「みづはぐむ」に「瑞歯ぐむ」と「水は汲む」を掛ける。
解説
第126段の檜垣の御は、筑紫に住んだ女性歌人で、のちに「檜垣嫗」として伝説化した。世阿弥の作とされる謡曲「檜垣」では、肥後の白川のほとりに住む老女の霊として描かれている。この段は、純友の乱という実際の事件を背景に、かつての才女の零落を、旧知の小野好古との再会を通して描いており、その伝説の出発点となった。好古は第4段にも登場し、純友の乱の追討使として九州に下っていた。
第125段の壬生忠岑は、『古今和歌集』の撰者の一人で、身分の低い官人であった。主人の藤原定国の突然の訪問を、七夕の伝説を使った即興の歌で風雅な出来事に変えてしまう。主人の時平が感心して一晩じゅう宴を開いたという結末に、歌によって身を立てた下級歌人の才能がよく表れている。
第124段の本院の北の方は、老いた藤原国経から、その甥の時平が奪い取るようにして妻にしたという話で知られる(『今昔物語集』など。谷崎潤一郎の小説『少将滋幹の母』の題材)。平中が昔の恋を思い出させる歌を送るこの段は、その有名な事件の周辺を、別の角度から伝えている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部四 雑下(大和物語) 板倉屋書房、明治36年(1903)、39〜42頁(コマ23–25)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日